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とりあえず弁明をしようと口を開きかけたところで、私の背後に控えていたロミーが口を開いた。
「消してくださいます」
静かに、だけどしっかりとした口ぶりだった。
そんなロミーは、侍女長さんに向けて己の手のひらを差し出して見せる。
「私の手には、たくさんのあかぎれがあって逆剥けとかもあって、とても人様に見せられるような手ではありませんでした」
確かに痛々しかったな、なんて思っていると、侍女長さんがロミーの手をまじまじと覗き込む。
「侍女の手じゃないみたいね」
「そうなのです。お嬢様育ちみたいな手になっちゃいまして」
「本当ね。お洗濯もお掃除も知らないきれいな手だわ」
「はい。でも、伯爵家での私の仕事は炊事洗濯掃除、あとは庭のお手入れもやっていました」
仕事量多かったんだな。
「それを! 出会い頭に、ただ握手をするようにきれいにしてくださったんですよ! だから、その」
私は信頼に足る人物だと説明してくれようとしているのだろう。ロミーは可愛いなぁ。
なんて、ちょっとほっこりしたところで私は侍女長さんに真正面から向き合った。
「私、平民のように生きてきましたが、普通に仕事をしていたんです。そこそこの稼ぎもありました。だからここに居座りたい気持ちもお金がほしいという気持ちも特にありません」
そりゃあ楽して稼げる美味しい話に全くもって興味がないかと言われれば興味だけはあるけれど、そうやってダラダラ生きるのはきっと性に合わない。
あの小屋で適度に仕事をしながら好きなことをして好きなものを食べて、そんな自由な生活が好きだったのだ。
「そう、ですか」
きちんと信じるのはまだ難しいのかもしれないが、一応納得はしてくれたようだ。
「その仕事というのは?」
「あぁ、ロミーの手を治したみたいな、治癒魔法を使うものです」
「診療所のような?」
「そんなもんです」
美容診療所と名乗っていたし、美容外科みたいなことやってたから一般的な診療所とは少し違う気もするけど説明すると長くなるし診療所のようなものってことでいいか。
どうせ近々この替え玉の件もバレるだろうし、二度とあの小屋には戻れないだろうから。
「……それでは、私はあなたを信じます。何かあれば私になんでもおっしゃってください」
「はい。ありがとうございます」
「では失礼いたします」
侍女長さんはそう言ってこの部屋を後にしたのだった。
「あの」
部屋に残ったのは私とロミーの二人。そんな静かな部屋に、ロミーの小さな声が響く。
「あの、えっと、そのー……なんとお呼びすればいいのでしょう? アンジェリア様ではなくなってしまいましたし」
「……あ、あー……名前、私の名はシェリー。……なんか本当の名前もあるらしいけど」
田舎の片隅にある小屋育ち且つ伯爵が捨てた子どもなので、実は自分の本当の名前もあんまり知らないし戸籍的なものがどうなっているのかも知らない。
どうなってるんだろうという疑問はもちろんあったけれど、母親だって産まされて捨てられた身だし、私以上に色々あっただろうから聞くに聞けなかった。
自分で調べるという選択肢がなかったわけではない。しかし調べなければならない理由もなかったうえに調べたことによって母親と揉めたりすると面倒だから、放置していた。
結局調べても調べなくても面倒事には変わりなかったわけだが。
「ではシェリー様とお呼びしますね」
「シェリー様かぁ。なんだかちょっとむずむずするわね。貴族みたい」
「貴族ですよね」
「捨てられたけどね」
ははは、と渇いた笑いを零してみたけれど、ロミーは笑ってくれなかった。笑うところなのに。
「腹は立たないのですか?」
「……どの辺に?」
改めて聞かれて、よくよく考えてみると腹立たしいところが多くてどの辺のことを聞かれているのかが分からなかった。
「捨てられたこととか、アンジェリア様の身代わりとして拉致されたこととか」
「腹は立ってる。でも、腹を立てたところで仕方ないしな、とも思ってる」
こうならないために、もう少しどうにか出来たんじゃないかな、とかも思ってる。
完全に無関係の赤の他人に言わせれば、もっと遠くへ逃げておけば良かったとか、公的機関を頼れば良かったとか、色々言われるだろう。
しかしああすれば良かっただのこうすれば良かっただのと口を出してくる奴が手を貸してくれるかと言えばそれはまた別の話なわけで。
実際この底辺みたいなところに立って周囲を見ると、そもそも困っているときは見て見ぬふりを決め込むくせに、結果だけを見て口を出してくる馬鹿は結構多い。
結果を見てからならなんとでも言えるんだけど、さも自分は賢いですよみたいな顔をして口だけ出してくる。
それがどれだけ迷惑で鬱陶しいかなんか考えもしないで。
「このままだと、シェリー様は処刑されてしまうかもしれないのですよね……?」
「悪行はそのうちバレるだろうからね」
「どうしてそんなに淡々としているのですか? 逃げ出そうとは思わないのですか?」
「私が逃げたらローデヴェイク様の呪いとやらを治せないから」
「でも、でも、こんな理不尽なこと……!」
「いいのよ。理不尽なんか今に始まったことじゃない。もっと早いうちに死んでおけば良かったとしか思ってないもの」
人に言われなくたって、もっと早くに死んでおけば良かったと思っているし、こんな歳まで生きているんじゃなかったと思っている。
赤の他人よりも、自分が一番分かっているのだ。最善の選択肢なんて。
でも、それを選ぶ勇気がなかったんだよ。
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