― 前編 ―
埼玉県の吉見百穴、岩窟ホテルを参考に作成しました。
気になる方は遊びに行ってみてください!
※現地でいかなるトラブルが発生した場合でも当方は責任を負いかねますのでご了承ください。
俺達の通う高校の近くには曰く付きの洞窟がある。大昔にこの辺りを支配していた豪族のお墓だとか金持ちが道楽で掘らせた別荘だとか色々な噂がまことしやかに囁かれている。俺達三人がその前に立ったのは武本義弘というオカルト好きのヒョロガリがとある話を聞いたからだ。
秋特有のどこかよそよそしい涼風が俺たちの間を縫うように吹き抜ける。暗く空いた洞窟は誰かを歓迎するでもなくそこに存在した。周囲を調べていた大津が口を開く。
「いつもは鉄格子が嵌ってるんだけどこの間の台風のせいかもな。少なくとも誰かが器具を用いて切断したとは考えられない。何かが当たった衝撃で外れたんだろう」
目の間が離れているせいで、どこか間延びした印象を受けるが彼の観察眼は確かなものだ。
「錆が酷かったからね。いつ外れててもおかしくなかったさ」
一週間前、台風のせいで俺、永田歩の家が床下浸水したことは記憶に新しい。武本が言うにはこの洞窟は台風が通り過ぎた後に一時的に通ることができるようになるらしい。なるほどたしかに目の前にいつも設置されているはずの鉄格子がきれいさっぱりなくなっている。武本と大津の二人が穴の中を懐中電灯で照らす。光の輪が複雑な岩肌に沿って行くも途中から見えなくなっていく。俺は中の様子を恐恐と後ろから覗き込む。
「おい、本当に入るのかよ。この中に」
「まさか今更引き返すのか? ちょっと行ってすぐ戻ればいいんだって」
俺と大津の声が響く。最近分かったことだが、大津は普段はおとなしいくせに意外と物怖じしない性格だ。それでもこの洞窟はかなり広く、奥まで続いているようだ。
「そうそう。すぐに済むだろうさ」
武本は声色こそいつも通りだが、いささか緊張した面持ちで足を踏み入れた。いつも率先してこういうスポットに赴く癖に一番ビビっているのは彼なのかもしれない。こうして俺たち三人は真っ暗な洞窟に足を踏み入れたのだった。
中は大方の予想通りひんやりとした空気が漂っていたが、特別寒いというわけではなかった。洞窟の中は温度が変化しにくいため、夏は涼しく冬は暖かいと聞いたことがある。
「武本、奥には何があるんだ?」
「ん? ああ、噂によると地蔵が安置されているらしいぜ。こんな薄気味悪い場所に地蔵があってもだれも手を合わせに来ないだろうにさ。昔の人の考えることはわからないね」
彼は超自然現象同好会という数人の集まりをつくっており、今回もその検証のついでとのことだった。大津と俺は同じクラスで帰宅部同士よくつるんでいるため、帰り道にこういう心霊スポットによく誘われる。初めて誘われた時は躊躇していたが、最近は「暇だからいいか」という感覚でついて行くようになった。もっとも俺は怖がりなので行くたびに後悔の念に駆られているが二人には内緒だ。
各々の光の輪で四方八方を探っていると、件の地蔵菩薩が見えた。ざらざらの表面が作り出す影はその表情を怒りの形相に変えているように見える。俺は前に立ち手を合わせようとしたが、武本に止められる。
「よくわからない場所に建てられたものには手を合わせない方がいいよ」
俺たちはひとしきり周囲を懐中電灯で照らし、見回した後もと来た道を探した。しかし先ほどまであった外界とのつながりを示す光はいつの間にか消えていた。
「おい、俺たち閉じ込められていないか?」
「そんなバカなことあるかい。僕たちのほかにだれもいなかったじゃないか」
「とりあえずみんな集まろう。風を頼りに出口を探すほかないだろう」
言い合いを始める俺と武本を大津が制する。
「入口からここまでそんなに時間はかからなかったはずだ。すぐに帰れる」
俺たちは大津の言葉にうなずき、彼の後に続いた。
しかし、この冒険はそう簡単に終わりはしなかった。
どれほどの時間が経っただろうか。懐中電灯は電池が切れたのかつかなくなり、もうすでに進行方向の前後などわからない。しかし幸か不幸か。どこからか光が漏れているらしく、辛うじて互いに姿がわかるほどには明るい。
「大津くん。本当にこの道で合っているのかい?」
「風の流れはこっちから来ている。大丈夫だ、信じろ」
口ではそう言っても彼は薄暗闇でもわかるほど額にびっしりと汗をかいている。暗闇の中で自分は来た道を戻っているんだという根拠のない自信だけが彼らを動かしていた。いつからか、妙な足音が増えている気がする。細く、硬質なものが地面を蹴っている。野良犬の類だろうか。俺たちは辛うじて見えるお互いの顔を見合わせる。ふたりとも異変には気づいており、示し合わせたように足を早める。背後から迫る気配は明らかにこちらの存在に気がついており、追跡のペースが早まっている。明らかに人間とは思えない存在に俺たちは見当もつけずに走り始めた。そしてついに犠牲者が出てしまう。武本が天井に頭をぶつけ、倒れこむ。
「た、助け……」
彼の言葉は上から覆いかぶさる何かによってかき消される。骨が軋む音と武本の悲鳴が木霊する。俺たちは足を早めその場を離れる。異形の呼気が遠のいても、許容限界を超えた袋が弾けるような音は耳について離れない。
「ちょっとかがんで行こう。まだ天井が低くなっている」
大津が小声で囁く。
「いや、武本が」
俺が彼の救出を訴えようとしたが、手で口を塞がれる。
「静かにしてくれ。奴らは音で俺たちを追ってきている」
彼はどこからか拾った石を遠くに投げる。奴らは咀嚼音を響かせる作業を一時中断し、どこかに走り始めた。俺は呼吸を落ち着け、できる限り小声で話す。
「俺たちここから出られるのか?」
みっともないほど震えているが、それを気にするほどの余裕はない。
「知らん。けど、奴らに捕まらないことが優先だろ」
彼の言う通りだった。俺は「ごめん、その通りだ」と呟く。
俺たちは姿勢を低くし、静かに進む。
転機が訪れたのはせせらぎが聞こえてきてからだった。洞窟が途切れ、星空と月の世界が広がる。これ以上は後戻りできなくなりそうだが、そうしてしまえば奴らに鉢合わせするだろう。どこへ続くともわからない洞窟に閉じ込められていること、同行者のうちのひとりがいなくなったことを受け止めきれず、明らかに異世界の様相を呈している空間を無感動に眺める。大津に声をかけられ、我に返る。洞窟の反対側に繋がっていることを期待するしかない。
「行こう。川沿いに辿っていけば船とかあるかもしれない」
大津の提案に従い、俺は河原を躓きながら歩く。いつの間にか上っている月明かりをぼんやりと拡散する霧で陰気な雰囲気が漂う。前方に枯れ木と老婆を発見したのはすぐのことだった。
「すみません、向こうにわたりたいのですが」
大津の声を老婆は聞いているのかいないのか。ゴザの上で胡座をかいて何かをつぶやいている。
「あの、すみません。俺たち急いでいるんです」
彼女の先には川に突き出た桟橋があり、古そうな船が一艘繋がれている。こうなったら断りだけ入れて船を強奪してしまおうか。俺たちは互いに目配せをする。やおら彼女は腕を上げた。その人差し指は傍らの枯れ木を指し示している。
「服を脱ぎんさい。脱いでそこにかけんさい」
俺はそれを無視して船に向かう。しかし、どこからか能で見るような老人の面を被った身体の大きな男が現れ、元の場所へ突き飛ばされる。押し通るには体格差がありすぎる。
「どうやらやら婆さんの言う通りにしなきゃならないみたいだ」
俺たちは渋々服を脱ぐ。大津が先に服を婆さんに渡す。老婆はぞんざいに服を投げ、枯れ木の先に引っ掛ける。重みで枝が折れるかと思いきや、それはしなることすらない。
「通ってよし」
次は俺の番だ。彼女に服を渡し、木を見上げる。果たしてその枝は、地面すれすれに頭を垂れた。
「お主が六歳の頃、通学路にみかん畑があったじゃろ」
その眼は見開かれていた。俺は素っ裸であったが、その視線に拘束されたように指先すら動かない。
「お主は無断でそこに入り、計六個盗んだ。それを誰に打ち明けるでもなく悔いることもなかった。悪質な窃盗としてお主には相応の罰を与える」
彼女が手をかざすと闇より黒い空間が開く。穴からは熱風が吹きすさび、底が見えない。
「嘘だろ! 俺はまだ生きてる!」
「ここにおる時点で死に定められたということだ。大人しく受け入れるがよい」
大男に腕を掴まれ、抵抗も虚しく担ぎ上げられる。顔面スレスレに鏡面のような異空間が近づけられ、熱気で顔からは汗が吹き出る。
「待て!」
桟橋から大津が駆け寄ってくる。彼は服を脱ぎ捨て、婆さんから服をひったくる。
「俺を代わりに連れて行け!」
「何を言っておる」
「服の重さで罪が決まるなら、彼が俺の服を着て先に進めばいい」
老婆は溜息をつく。眉間のシワで目が埋もれる。
「服の重さを計るのはそう決まっておるからだ。本質はそこにあるのではない」
「そんなことは判ってる。でも俺は友人が地獄に落ちることなんて見過ごせない。なんとかしてもらえないか」
俯く彼女に大津はさらに畳み掛ける。
「俺は永田と武本に救われた。人より目が離れた俺を魚だと揶揄い、いじめてくる小中の連中と違って初めてできた友人だ。彼らにはまだ生きていてほしいんだ」
彼からいじめのことはぼんやりとは聞いていた。俺はその時は聞き流していたが、彼にとっては本当に辛い記憶だったのだろう。
「分かった。お主の高潔さに免じてその者を川の向こうに渡してやろう」
彼女は大津から服を受け取り、俺に渡す。
「生きて帰れよ」
「何でそんなことできんだよ」
彼は何も言わずに踵を返し、暗闇の前に立つ。そして、あとは入るだけというところで彼は動きを止めた。
「蜘蛛の糸、って話。知ってるか?」
「蜘蛛を助けた男が地獄から天国に行こうとしたけど結局地獄に落ちたって話だろ?」
「そう。その逆だって言える。俺はいじめてきた奴らへ仕返しに殺そうとしたことがある。結局うまく行かなかったけど一歩間違えれば俺は奴ら以上の犯罪者になってた。婆さんは高潔だとか言ってたけど俺はごく普通の人間だ。相手を貶めて殺そうとした、地獄に落ちて当然の男だ。だから俺は贖うために行く」
彼はそう言って穴に吸い込まれていく。後にはいつの間にか目を閉じた婆さんと微動だにしない巨体の男、俺が残された。
「服を着ろ」
男が話す。面の下から聞こえるくぐもった声は投げやりだった。
「裸のままで歩いていくのか?」
俺は慌てて大津のシャツの袖に腕を通す。