敗けイヌの遠吠え
初投稿です。
私自身の心の中を整理するために書きなぐった?スマホをポチポチした?ものです。
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〇〇〇〇 のぞみ様
拝啓
日増しに暖かくなり、春の訪れを感じる今日この頃。お元気でお過ごしでしょうか。
大学時代、のぞみさんと同じ部活動に所属していた、ひかりです。私のことを覚えていらっしゃるでしょうか。
思い出せないようでしたら、大学卒業時に部活動の後輩達が制作してくれたアルバムを見たり、お手元のスマートフォンの中に写真が残っていればそれを見たりして、思い出してほしいのです。
もし、思い出せない、もしくは思い出した上で私からの手紙には興味がないと感じているのであれば、この手紙を捨てていただいて構いません。
これから書こうとしている内容は、のぞみさんにとっては気にするような内容の話ではないかも知れませんし、もしかしたら不快な気持ちにさせてしまう可能性があるからです。
それでも私がこの手紙を書いたのは、これが私から、のぞみさんに宛てる最後の連絡になるからです。
思えばこうして、のぞみさんへ連絡を取るのは何年ぶりになるでしょうか。無事にのぞみさんに届くことを願って、なるべく読みやすい字で書こうと思います。
私の、のぞみさんに対する第一印象は、穏やかそうな女性だというものでした。
初めてあったのは、もう10年近くも前のことになるんですね。時が経つのはあっという間に感じます。
大学に入学して、同じ部活動に所属することになり、同期として共に活動しましたね。
のぞみさんの特徴的な方言と話し方が新鮮で、会話するのがとても面白かったことをよく覚えています。
そして、たくさん話し、笑い合う中で、私はのぞみさんのことが好きになりました。
屈託のない笑顔、美味しそうにご飯を頬張る姿、物事に真面目に取り組む姿勢、ふとした瞬間に見える気遣いや優しさ、挙げ始めればきりが無いですが、共に時間を過ごすほどに、私はのぞみさんに惹かれていきました。
私がその思いの丈をのぞみさんに伝えたのは、大学2年生の冬でした。ムードもへったくれもない空気の中、私はのぞみさんの目も見ることができずに、ただ、
「のぞみのことが好きです。」
と言いました。
その時の、のぞみさんの返事は今でも忘れることができません。困ったような顔をした後、30秒ほど黙り込み、絞り出すように、
「ひかりは、そういうのじゃない。」
私は酷く動揺しました。のぞみさんに振られたということに、そして何より、大好きなのぞみさんを困らせてしまっていたのではないかということに。
一緒にご飯を食べ、くだらない話をして、楽しい、もっと一緒にいたいと、感じていたのは自分だけだったのか。のぞみさんは優しさから私に付き合ってくれていただけなのか、と。
のぞみさんが私を傷つけないように一生懸命考えてくれたであろうその答えは、私の心に深く突き刺さりました。
しかしながら、のぞみさんは何も悪くありません。のぞみさんにとって私は、ただの友達の一人に過ぎなかったのに、私が勝手に思い上がってしまっただけなのですから。
その後、のぞみさんと何を話したかを私はよく覚えていません。酷いことを言ってしまったのかもしれません。更に困らせるようなことを言ってしまったのかもしれません。私は醜く、最低な人間です。
のぞみさんに振られてから、私はのぞみさんのことを嫌いになろうと考えるようになりました。醜い私なりに考えた最大限でちっぽけな強がりでした。
けれども、それは到底無理な話でした。
同じ部活動に所属しているわけですから、週に2度は顔を合わせるわけです。のぞみさんはさぞかし居心地が悪かったことでしょう。
それでも、のぞみさんは何事もなかったかのように振る舞い、私に話しかけてきてくれました。
あんな出来事があっても、私と正面から向き合ってくれた、その姿はとても綺麗で、涙が滲んでしまいそうになるほどの感動を覚えるものでした。
同時に、私ではどんなに努力をしても、どんなに心を入れ替えたとしても、のぞみさんを幸せにすることはできないと悟りました。
私は、のぞみさんを好きになるどころか、一緒に過ごすための舞台にも上がることすらできていなかったことに気が付いたのです。
私はこのことで、のぞみさんのことが更に好きになり、私自身のことがとても嫌いになりました。そして、のぞみさんの隣に立つのに相応しい人間になるためにはどうしたらいいのか、そんなことばかり考えるようになりました。
しかしながら、その答えにたどり着くことは私にはできませんでした。
私はヘタレで意気地のない人間です。大学を卒業するまでに、のぞみさんともっと話をしたかった、もっと笑い合いたかった、もっと一緒にいたかったです。
ただそれ以上に、私が自分勝手にのぞみさんを誘い、これ以上困らせるようなことをしたくなかった。私がヘタレで良かったと思った唯一の出来事だったかもしれません。
ここからは、大学卒業後の私の話になるので、のぞみさんは知らないと思いますが、社会人一年目、働き始めて半年も立たない頃、私の身体にある病気が見つかりました。
担当のお医者様からは、
「完治は難しい。もって3年くらい」
という、ありがたくない太鼓判を頂きました。
そこから長い闘病生活が始まり、そして今も、病室の机でこの手紙を書いています。
この余命宣告から4年と半年ほどたった今、当初の3年という宣告の期間から比べれば随分と長く生きることができました。
ただ最近では、日増しに体調が悪くなってきています。もう顔なじみとなった担当の先生の表情や雰囲気と合わせて鑑みるに、私の先がそう長くないことは容易に推測できました。
そこで最期の後悔を残さないように考えた結果、真っ先に思いついたことが、この『のぞみさんへの手紙』だったのです。
初めは、のぞみさんにこの手紙を渡すつもりなどなかったのです。私の身勝手な思いを、のぞみさんに押し付けるだけのものになってしまうのは目に見えていましたから、書くだけ書いて、私の体と一緒に最期に焼いてもらうつもりでした。
私は、文章として体の外にこの気持ちを出すことによって、少しは気が晴れるのではないかと考えました。しかし、書き進めるうちに、募る思いが溢れ、のぞみさんにどうしても伝えたいことが2つも見つかってしまいました。
私はこんな身勝手な理由で、手紙を送ろうとしています。怒られても、文句を言われても仕方がない自分勝手な人間です。そして、のぞみさんが読んでくれるであろうという優しさに甘えてしまっています。申し訳ありません。
のぞみさんにとっては、社会人となってからのこの5年間は、たくさんの苦労をしたでしょうし、それと同じくらいの楽しいこと、素晴らしい出会いがあったことでしょう。
私のことなど、思い出す余地もないほどに。
私にとってこの5年間は、ほとんど病室にいた記憶しかありません。それが一概に悪いということではありませんが、お世辞にも充実した生活であったとは言えないものです。しかしながら、私は病院の中で沢山の人から勇気をもらい、家族には献身的に支えてもらいました。
私は一人ではないと思うことができました。つらい治療にも前向きに取り組むことができました。
本当につらいときでも、家族の前で弱みを見せないよう、私なりに頑張ることができました。そのときは、のぞみさんとの思い出が心の大きな支えになりました。
のぞみさんにとってはあまり良い思い出でもないかもしれないですし、記憶に残るようなものでもなかったかもしれませんが、一つ一つ出来事が今の私を彩ってくれているのです。
元気になってのぞみさんとまた会いたい、その思いがここまで私を支えてくれました。この願いは叶いませんでしたが、小さく、細く、やつれた私を万が一にものぞみさんに見られることがなくなったことには少し安心しています。
これまで、たくさんの思い出をありがとう。私の心を支えてくれてありがとう。
そして、健康にはくれぐれも気を付けてほしいのです。少しの異変だったとしても、病院に相談してほしいのです。のぞみさん自身のためにも、のぞみさんの大切な人たちのためにも。これが、私の実体験として、のぞみさんに伝えたかった一つ目の思いです。
そして二つ目に伝えたいこと。この手紙を書くに当たって、誤字があってはいけないので、わからない漢字や熟語はケータイを使って調べました。(それでも誤字があるかもしれませんが…)
ふと、久しぶりにメッセージアプリを開いたとき、見慣れない少し珍しい名字と一緒に、見慣れた名前、見慣れたある国民的アニメのキャラクターのアイコンがあることに気が付きました。
〇〇〇〇 のぞみ
5年も経てば、のぞみさんにも良い人が見つかるであろうということは当然わかっていました。わかっていたつもりでした。
そのアカウントを見てからすぐは嬉しさよりも、虚しさ、寂しさ、悔しさが噴出し、あんなに気怠かった体が眠ってくれなくなるほど、私の心は荒れました。その結果、手紙の前半部分は感情的になってしまいました。申し訳ありません。
自分で思っていた以上に、私はのぞみさんのことが大好きだったようです。2.3日してそれが自覚できてから、何故か気持ちがスッキリとしました。
自分の中でようやっと諦めがついたような感じでなのでしょうか。それとも、思いを書き連ねたことで気持ちが楽になったのでしょうか。正直なところ、良くわかっていません。
しかしながら、今はとても穏やかな気持ちで、この手紙を書くことができています。今であれば、心の底からこの気持ちを伝えることができると思います。負け惜しみのように聞こえるかもしれませんが、伝えさせてください。
結婚おめでとう!!末永くお幸せにね
追伸 この手紙は、私の弟の、みずほに預けようと思っています。のぞみさんがここまで読んでくれているんだとしたら、私の頼りになる弟が、私の最期のわがままを叶えてくれたということですね。もし、この手紙を読んで嫌な気持ちになったとしても、みずほのことを責めないであげてください。みずほはもう動けない私の代わりに、大変な役割を買ってくれた、私の自慢の優しい弟なのです。
最後に、のぞみさんと、のぞみさんの大切な人、のぞみさん達がこれから出会うであろう大切な人達の健康と幸せを願って。
かわいいお婆ちゃんになってね
敬具
2023年3月25日 〇〇〇 ひかり
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スポーツマンのような雰囲気の男性の隣で、少しふっくらとしたショートカットがよく似合う女性は、便箋からゆっくりと視線を上げた。
その向かいにいた、荷物を届け終えた大柄な男性は、声を詰まらせながらも謝罪と感謝の言葉を述べ、深く頭を下げた。
その少しかすれたような低い声に、女性はどこか懐かしい響きを覚えながら、大柄な男性が帰っていくのを隣の男性と一緒に見送った。
ご拝読いただきありがとうございました。
登場人物の名前は、とある早い乗り物の名前から拝借させていただきました。
本文の内容は、ほぼ作者の黒歴史が書いてあるものです。
私がこの文章を書こうと思ったきっかけは、決して自分の黒歴史を晒して気持ちよくなりたかったわけではなく、自分の心の中を整理するためです。
作中にもあるように、久しぶりに某メッセージアプリを開いたときに、私が好きだった方の名字が変わっていたことに気づきました。私は大学2年生のときに、その方に告白をして見事に玉砕しています。そのときに言われた言葉で一番印象に残っているものを、作中でそのまま使わせていただきました。そのときは、作中の言葉以外にも、詰まりながら彼女なりの表現で優しく丁寧に断ってくれました。私の部屋で彼女とふたりきりの状況でしたから、彼女には本当に嫌な思いをさせてしまったと思います。
今回のことで、その失恋からもう随分と時が経つというのに、まだ彼女のことが好きな自分がいることにびっくりし、それと同じくらい自分のメンタルの弱さにびっくりしました。3日ほど満足な睡眠を取ることができず、食欲も湧かず、体重が3キロほど落ちました。
このままではいかんなと、一念発起し文章として起こしてみて、勢いのみで書いた次第です。
玉砕した私と彼女は、大学卒業後は全く別々の地域に住むことになり、そしていつの間にか連絡をとることがなくなってしまいました。
正直に言えば、私は今とても後悔しています。
私に魅力がなかったと言ってしまえばそれで終わりですが、もっとできることがあったのではないのかと何回も考えてしまっています。そして、そう考えるたびに、あの頃から全く前に進めていない自分がいることを自覚し、虚しくなります。彼女は大切な人を見つけて前に進んでいるというのに、私は過去の亡霊にずっと囚われたままです。私の経験上、思い出は時を経てより綺麗に映るようになります。人間は嫌なことを忘れることができる生き物ですから、そうなるとどんどん負のスパイラルに飲み込まれてしまいます。綺麗な思い出に縋りつき、彼女の幸せを心から願うこともできない心の乏しい私はその典型例です。自分でも笑ってしまうくらい、ネガティブな言葉しか出てこないですね。
さて、初めての投稿してみて、私は少し落ち着けたような気がします。書いてよかったと今は思っています。自分の中で一つ区切りができたような感じです。
私の拙い文章がこれからどんな酷評を受けるのか、そもそも読まれないのか、少し不安ですが、ご拝読いただいた方たちに何かしらの感情を抱いていただけたら幸いです。
皆さんは私の愚行を笑ってください。
そんなことにならないやろと貶してください。
私は皆さんに、私を反面教師にして、皆さんの大事な人を手放さないように行動を起こしてほしいと願っています。それは恋人に関してだけではなく、家族、友人などにもです。当たり前のことですが、どうしょうもなくなってから後悔するよりも、チャレンジして失敗したほうが次に繋がります。若輩者の私が言うのもなんですが、人生にはたくさんの出会いと別れが待ち受けています。皆さんはトライし続けて、是非チャンスをつかみとってほしいのです。
最後に、また私が投稿する機会があるとするのなら、なるべくポジティブな文章がかけるようにしたいと思っています。
ご拝読いただき、本当にありがとうございました。
ライト・アーミー