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Summer Life  作者: ゆっくん
8/9

Last Day -Tell the end in summer-

ここまできたら何も言わずに……。

8/16 ルビ・脱字修正

 朝がやってきた。

 夏樹が実は御伽話に出てきた蝉だった、なんていう極論にあれからいたった俺は結局夏休みの宿題も何もやらずに、晩飯を食って、風呂入って、そのまま寝てしまった。

 今考えれば、なんで俺は夏樹が御伽話の蝉なんだと思い込んだのかがわからない。

 たぶん、相当思考がおかしかったんだと思う。だけど、未だに夏樹がそうだという考えは俺の頭の中に残っていた。

 今日で夏休みも最終日。そして夏樹の――。

 「よっしゃ! 遊ぶぞ!!」

 誰にいうでもなく、俺は部屋で一人そう決心した。今までどおりでもいい。いや、できるならそれ以上に遊んでやろう。

 命なんてものはいつなくなるかわからない。なら、そのわからないときのためにも、一秒一秒を無駄にしないように今日の俺は遊び倒してやる!

 ――きっと、このとき俺は、夏樹が御伽話の蝉であるかもしれないということに軽く怖がっていたのかもしれない。

 俺は枕元においてあった携帯をとって、一哲、透、光介、ミナツ、こずえの全員にメールを送る。


 『今日は朝からコンビニに全員集合!

  夏休み最終日を楽しく過ごそうぜ!』


 こういう大切なことは電話でするべきだが、いちいち一人一人にこういう台詞を言うのも気恥ずかしかったからメールにしておいた。

 たぶん、あいつらなら見てすぐに駆けつけてくれるだろう。

 問題は夏樹だが……うんと遊ぶんだ。朝からいるだろう。

 俺は朝食を食べて身支度をすると、早々にコンビニへと出かけた。



 「朝からどうしたの? ワタル。ワタルから誘うなんて珍しいじゃん」

 「いや、最終日だからって夏休みの課題を終わらせよう、なんていう輩がいないかと思ってさ」

 ちなみに、丸っきりの嘘だ。

 「あ、ってことはまだワタルも終わってないの!? うおおお! 仲間はっけーーん!」

 そういって光介が抱きつこうとしてくるが、俺はそれをよける。なんだろう、嘘から出た真?

 「とりあえず、まだ光介だけか」

 「だな。まぁ、一哲とか家が少し遠いから時間かかるかもなー」

 そういう光介の家も近いとはいえない。なんだかんだでコンビニには俺が一番近いのだが、それでも家から一○分は歩く。

 ちなみに、今の時間は今ちょうど午前九時を回ったところだった。

 メールを送ったのが八時三十分ぐらいだから、もうそろそろ来るはずなのだが。

 「ワタルおにいちゃーーん!」

 時計を気にしながら待っていると、やってきたのは呼び方で誰でもわかる。夏樹だった。

 「ワタルおにいちゃーん♪」

 「黙れ」

 光介が夏樹の似ていない真似をするから一発頭にげんこつを食らわしてやる。

 光介は頭をさすりながら夏樹を迎える。

 「今日は光介さんもいるんだ」

 「ああ、最終日だからな。お前も明日から学校にくることになるだろうし、今日一日はめいいっぱい遊んでやろうと思って、みんなに誘いをかけといた」

 「そ、そうなんだ」

 一瞬だけ夏樹は顔を暗くしたが、すぐに明るくして光介に挨拶をする。

 「みんな、ってことは一哲さんやミナツさんもくるの?」

 「まあ、そういうことになるな。もうそろそろ来るだろ」

 「きたわよー」

 そういった矢先に、ミナツがこずえとともにやってくる。

 「ワタルから誘いがあるとは、珍しいこともあるものだな」

 「うおわっ!」

 いつの間にか俺たちの後ろに来ていた一哲と透も引き続き到着。

 これで全員そろった。

 「メール見た限りだと、今日は遊び倒すみたいだけど、どこでなにするんだ?」

 透が俺を見て聞いてくる。実のところ、どこで、何をして遊ぶかなんてことは考えずにあのメールを送ったため、俺は返答に困っていた。

 「えっと……あれだ、これから夏樹に決めてもらう」

 「えっ!? 聞いてないよ!?」

 「いいから、お前が決めろ」

 「あんた、なにするか考えてなかったんでしょ?」

 「……お察しのとおりで」

 ミナツにいわれてギブアップ。我ながら、計画性のないことをしたと思う。

 「本当に、わたしが選んでもいいんですか?」

 夏樹が一人不安そうにしていたが、みんながそれを否定するわけもなく夏樹は言った。

 「――それじゃ、蝉樹がいいです!」

 それは、俺だけが半ばわかっていた答えだった。



 「せーんろはつづくーよー、どーこまーでーもー♪」

 光介が意気揚々と蝉樹へ行く森の中で歌う。

 それに感化されたかのよう、ミナツと夏樹も歌いだしていた。

 俺たちのほかに人がいるとは思わないが、森の外まで聞こえてそうで恥ずかしい。

 「光介たちは元気だな。僕は歌って動く体力もないよ」

 「透さんは運動とか苦手ですもんね」

 「うん……そう。僕、運動音痴だからさ…そうさ、なにもできないから……」

 こずえの一言になにやらネガティブ思考に走り出した透。

 それを止めるでもなく、透がネガティブ思考から離れるのを待つしかない。の前にこずえ、お前も運動は苦手なんじゃないのか。

 「そういえばこずえ」

 「なんでしょうか?」

 「前、この町の御伽話をしてくれただろ? あのときにお前が俺と一哲がいるときにだけ話したのって、夏樹がいたらやばいと思ったからか?」

 ふと思い出して聞いてみる。

 もしも俺の馬鹿げた考え、つまり夏樹が御伽話の蝉と同じような奴であったとしたら、御伽話を夏樹の前でするのは、もしかしたら夏樹を悲しませることでしかないかもしれない。こずえがそういうことを考慮して俺たちにだけ話したというのなら合点-ガテン-がいく。

 「……そうですね。そうなのかもしれません」

 「どういうことだ? ワタル」

 一哲が俺とこずえの会話が気になって聞いてくる。俺は自分の考えを話せばいいんだが、どうもためらいがちになってしまい、なんとなくだけど、とオブラートに包んでしまう。

 「よくはわからんが、強ち-アナガチ-こずえの気持ちに間違いはないのかもしれない。それ以上考える必要もないだろ」

 「そういうもんなのか?」

 たぶんな、といって一哲は道なき道を歩く。

 「ワタルさん。私もただ直感的にやめといたほうがいい、って思っただけなんです。だから、別に話してもいいのかもしれませんよ?」

 「……まあ、いいよ。もしそうなら、俺からいつか話してやるさ。すまんな、変なこと聞いて」

 「いえいえ」

 そういってこずえは後ろで歌を歌っている光介たちを見る。俺もそれに続いて後ろを見てみる。

 なんとも楽しそうに歌っている光介とミナツと夏樹の三人。

 途中、なにかを夏樹が見つけてはきゃっきゃと騒いでいる。その夏樹が見つけているものはたいていがどうってことのないものだ。

 幼虫、キノコ、トカゲなんかの動物……どれも普通のものだ。

 それらを見つけてはしゃぐのは幼少期ぐらいのもの。そんなものを夏樹は見つけては目を輝かせて、好奇心に満ち溢れた子供になっていた。

 光介たちが「これなに?」と聞かれるたびに答えているらしい。

 「………………」

 今日、いや昨日からか俺はどうもおかしい。夢と現実の区別ぐらいはつくはずなのに、なぜか今俺は夢を若干信じてしまっている。夏樹はただの少女だ。少し天然かもしれないが、普通の少女。そんなものはありはしない。

 ……そんなことを考えるより、今日は遊ぼう。なんてたって夏休み最後の日だ。しかも高校生活最後の、とくると物事を考えて一日を過ごしたんじゃつまらない。

 俺は再び今日を楽しく、一秒一秒を楽しく過ごそうと肝に銘じた。


 程なくして蝉樹に到着。相変わらずの炎天下。少し小さめな野原の中心に一本だけ、けれども存在感のある樹がある。

 時刻は十時を回ろうとしている。まだ蝉の大合唱に備えて耳をふさぐ必要もない。

 「最近よくくるわよね、ここ」

 「あっ、嫌でしたか……?」

 「全然。そんなことないよ、瀬美ちゃん」

 夏樹の頬をいじりながらミナツがいう。夏樹はやり返そうとミナツの頬を軽くつねってみたりしている。なんともほほえましい光景だ。

 「なーに見とれちゃってんの? ワタル」

 「なっ! 見とれてなんかねえ!」

 光介がなにやらいやらしい目で俺を見てくる。ことあるごとにちょっかい出してきやがって……あとで覚えておけよ、あいつ。

 「そういえば、夏樹。お前何がしたい?」

 「へっ? あ、そっか。遊ぶ内容もわたしが決めるんだよね」

 「そうそう、計画性ゼロのワタルおにいちゃんのせいで瀬美ちゃんが決めることになったんだよねー」

 ミナツが厭味ったらしくこっちを見ながらいう。夏樹もそれにうんうんとうなずいている。計画性ゼロなのは認めるが、なぜか腹が立ってきた。

 「それじゃ……追いかけっこしたいです!」

 「追いかけっこって、鬼ごっこのことかな?」

 「おにごっこ?」

 「一人だけ鬼になって、誰かにタッチしたらその人が鬼になるっていう、まあ追いかけっこと同じような遊びのことだよ」

 夏樹に優しく、まるでお兄さんのように教える透。なんだか透のほうが俺より夏樹と相性がいいんじゃないのかと思えてくる。

 「面白そう! それじゃ、それでいいですか!?」

 「もちろん。みんなもいいよな?」

 透がなぜか初めてたくましく見えた。そういえば、さっきのネガティブ思考の果ての結論はどうなったのだろうか。結論が死に至ってそうだが、もしかして最後ぐらい強気でいこうという無言の遺言? んなわけがない、と自分で考えて自分で即否定する。

 みんなは文句もいうこともなく、俺もうなずく。こずえもうなずいて鬼ごっこをすることになった。

 ルールは簡単。鬼にタッチされた場合、そいつも鬼になる。全員が鬼になった時点で終了ということだ。

 とりあえずじゃんけん。負けたのは透。

 「それじゃ、二十秒数えたらいくな」

 それを聞いてそれぞれ散り散りになる。とはいっても範囲はこの野原の中だけ。

 かがめば背の高い草が身体を隠してくれるかもしれないが、すぐにばれてしまうだろう。つまりは、この鬼ごっこ。鬼に死角はない、絶対的に鬼が有利な鬼ごっこだ。

 あえていうならば、死角は蝉樹であるが自分が隠れれるのはいいが、こちらからも鬼が死角になってしまう。有効性はない。

 逃げ続けるしかないであろう鬼ごっこ。持久力の問題かもしれないな、これは。

 「にーじゅう!」

 透が数え終えた声が聞こえる。最初から隠れていてもしょうがないから、とりあえずみんな散り散りの場所にたって透の出方を見る。

 透はぐるりとみんなの位置を確認して、しゃがんで草の中に隠れた。

 「げっ! 見えねえじゃん!!」

 ひとつ盲点だった。鬼がこっちを見つけるぶんには、草の中に隠れるというのはばれやすいが、鬼をこっちが見つけるぶんにはとても有効性のあるやり方だ!

 草の動きをよく見て自分がターゲットにされていないかを確認する。

 みんなばらばらの場所にいるだけあって、狙いをしぼれるのは一人だけのはずだ。もしもその一人一人にしぼられてタッチをされて鬼になった場合、鬼は増えるわけだからそこからが勝負だろう。

 「こずえタッチ!」

 何かの技名のような透の声が聞こえた。どうやらこずえは鬼になったようだ。

 これで鬼は二人。まだ人数的にも一人にしぼるほうがいい人数。

 俺はとりあえず草むらの中にかがんで姿を隠す。

 しばらく身を隠していると左の方向から音がした。

 俺は逃げる体制に入るが、誰がやってくるかわからない。

 そうして息を呑んで待っていると……。

 「やっほ、ワタルおにいちゃん」

 一瞬にして気が抜ける。そこまで緊迫する場面だったか? と問われれば、それはそうでもないのだが、遊びをやる限りは本気でやるまでだ。

 「驚かせるなよ、お前」

 「ごめんね。一人で行動するのが怖くなっちゃって」

 「っていってもな。二人で行動すると目立っちまうし」

 一人分の動きなら、草が少し揺れるぐらいで風で揺れたのかと思える程度に抑えれるが、二人となるとそれは違ってくる。

 「光介ターッチ!」

 光介が捕まってしまったか。

 相手の数はこれで三人。逃げる側は残っているであろうミナツと一哲と俺と夏樹だけ。まだ余裕はある。

 「夏樹、言っちゃ悪いが、所詮遊びだ。怖がることはない。見つかったら全速力で逃げればいい」

 「そんなー」

 うるうると瞳を潤ませてきらきら光線を放つ夏樹。だがもうその技にはかからない!

 「そうだな……。あいつらももうそろそろ集団行動をやめてそれぞれ探索に移るだろうから、もしも見つかったら、こずえか光介、あるいは透に。とにかく、もう捕まった、といえ。望み薄だけど、なんとか助かるかもしれないからな」

 「うー」

 しぶしぶ納得したような夏樹を見て、俺はその場から離れる。

 「ミナツを発見! 光介は俺と一緒にミナツを捕まえるぞ!」

 「もうー! か弱い乙女に男二人なんてひどすぎるーーー!」

一哲の統一された命令で一哲と光介はミナツを追いかけ始めたようだ。

体力のあるミナツだから、鬼も体力、そして走力のある人員で捕まえようとしているのだろう。

俺は草むらから少し顔を出して状況を確認してみる。

結構離れた場所で一哲と光介がミナツを追いかけている光景が見られた。さすがミナツといったところか、一筋縄ではつかまらない。

残っている透とこずえはどうやら残りの俺と夏樹を探しているようだ。

再び草むらの中にかがんでとりあえず蝉樹のあたりまでいってみることにする。

蝉樹の周りはぽっかりと穴でも開いたように草むらはなくなっているが、見えない草むらの中で隠れているよりも、蝉樹の大木で身体を隠しているほうがいいだろう。神経を研ぎ澄ましておけば、誰かが近づいているかどうかぐらいはわかるはずだし。

俺はゆっくりと歩を進める。

「ミナツ確保!」

「いやーーー! もう!」

どうやらミナツが捕まったらしく、また敵が増えてしまったことを少し不安に感じつつもゆっくりと身をかがめたまま進む。

「ワタル発見!!」

「へっ!?」

突然の言葉に俺は驚く。見つかった? いつ? 周りに人の気配はしないのに!?

とりあえず立ってみて……俺の周りには誰もいなかった。

「あれ?」

「ワタル発見だ! 光介とミナツは俺とともにワタルを捕獲するぞ!!」

さっきの「ワタル発見!!」という言葉がフェイク、つまり俺をおびき出すための罠だと気づいたのは二秒ぐらいしてからで。

「ワタルー! 覚悟しなさーーーい!」

何の恨みをもたせた覚えもないのに、ミナツがまさに鬼のごとく恐ろしいスピードで俺の方向に走ってきていた。

 とりあえず全力疾走!

 「光介は回り込め! ミナツはそのまま追いかけろ!」

 くそ! どこまで一哲のやろうは統率してんだよ!?

 俺は全力で走っているが、ミナツのスピードは俺より速く、徐々に距離を縮められてしまう。

 「ワタル逮捕ーーーーーー!」

 目の前から光介が飛び出してくる。

 俺は急ブレーキをかけてすぐさま横へと走り出す。

 「逃がすかーーー!」

 と、次は一哲。

 三方を固められ、今の状況からいってほとんど脱出不可能。後ろに走っていっても、ミナツにとっ捕まえられるだろう。ついでにいうと、何発かストレートをくらうかもしれない。

 「観念しろ! ワタル!」

 一哲が俺にタッチをするために腕を伸ばしてきて――俺はそれをかがんで避ける。 

 思わぬ回避に一哲はバランスを崩し、転びそうになる。そこに光介が走っていて激突。さらに追い討ちをかけるがごとく、もと俺がいた場所に飛び込んできたミナツは、我に返ったような顔になって二人に激突。

 俺はそれを好機にその場から全速で走る。

 「ワタルおにいちゃん! こっちこっち!」

 不意に夏樹の声が聞こえて俺はそっちに走る。

 夏樹はかがんでいるらしく、草むらの中にいた。

 「大変だったね。大丈夫?」

 「ああ…はぁ、だい…じょう、ぶ。はぁ、はぁ」

 まさに脱兎のごとく走った俺はすでに酸欠状態。さらに暑い中やったため汗はだらだらと流れ出す。

 「疲れた?」

 「ああ、そりゃあな」

 「本当に?」

 「ああ。なんだ、この状態見ればわかるだろ」

 「そっか。それじゃ、ゆっくりしてていいよ♪」

 そういって触れられた夏樹の手。

 汗だくの俺に触ることにためらいはないのか、夏樹は楽しそうに笑いながら俺にタッチした。

 ……タッチ?

 「えっへへ〜。ワタルおにいちゃんも鬼の仲間入り〜」

 よくわからない。考えること数秒。でもわからない。

 「どゆこと?」

 「実はね、わたし鬼だったの!」

 ――衝撃の真実……でもない真実に俺はしばらくあっけに取られる。

 最初の感想は酸欠状態と半脱水症状になりかけていたためか、こいつ何いってんだ、馬鹿か? だった。

 「いや、お前は鬼になってないんじゃ」

 「実はね、こずえさんの次に捕まったんだよ。わたし」

 「へっ? でもこずえは捕まえただなんて一言も」

 「いってたよ?」

 一瞬目眩がした。いや、これは倒れる前兆なのかもしれない。

 ここで俺は自分なりの考えを整理する。

 つまり、透は最初にこずえを捕まえた。その後、透が光介を捕まえる。が、その前に夏樹はこずえに捕まったのだという。こずえ自体は夏樹を捕まえた、ということを報告したらしいのだが、声が小さくて聞こえなかったのだろう。確かにこずえが大声を出す、というのは見たことがないから考えうることだ。

 つまり、俺が最初に夏樹と会ったとき、すでに夏樹は鬼だった、ということだ。夏樹自体、いつでも俺をタッチできただろうにしてこなかったのは偶然だろうか。

 さて、ここらへんで俺の考えを適用。鬼に見つかっても別の鬼にタッチされよ、という嘘の意思表示をすることだ。

 一哲はそこで俺と同じ考えを起こして、自らタッチもされてないのに自分は鬼だといって偽の鬼となってほかのやつらを追いかけることに。

 そこで一哲はもう捕まった、といって光介に近寄り、ミナツを追いかけることを提案。何も知らないミナツをターゲットにし、一哲と光介はミナツを捕まえる。

 鬼になったミナツは鬱憤晴らしなのか知らないが、殺気を放ちながらも俺を追いかけてきた、というわけだ。

 なんだかよくわからないだましあいに似た鬼ごっこ。これ、本当に鬼ごっこか?

 まあ、あくまでまだ俺の考えだからそこまで変なことになってないとは思うが。

 とにかく俺は……。

 「しばらくたったら俺も参戦する」

 鬼になったからにはやらねばならないだろう。休んでていいよ、といわれたもののそこは鬼としての責務だ。

 「わかった。それじゃいってくるねー」

 夏樹は再び草の中に隠れてどこかへいってしまう。やがて見えなくなっていった。

 「それじゃ、しばらく休ませてもらうとするか」

 俺はその場に寝転がって一休みすることにした――

 「ワーーーターーールーーー!!」

 ――かったのだが、どうやら鬼は俺をまだ人間だとおもって食い殺そうとしているようだ。つまり、その鬼に近いなにかを放つのは当然のごとくミナツだった。

 「死ねーーーー!!」

 「待てって、うおわぁ!!」

 俺の元いた場所に高速でミナツの拳が振り下ろされる。ってか、死ねってなんだよ死ねって!

 「くたばれーー!!」

 死ねと同じ意味の言葉をいいながら俺に飛び掛ってくる。

 ミナツの拳は硬く握り締められている。つまり、やつはタッチなんて生ぬるいもので終わらせるつもりは毛頭なく。

 「ほわっ!?」

 間一髪で顔面へと迫ってきた拳を避ける。やばい、なんか空気ゆがんでない?

 「ま、待て! 俺はもう鬼だって! 捕まったんだよ!」

 「はぁああああ!? ……はっ?」

 不良みたいな声を上げたあとに、なんだか間抜けな面になる。

 「捕まったの? もう?」

 「あ、ああ、つかまった。夏樹についさっき捕まった」

 「そうだったんだ……」

 まさに力が抜けた、という状態。真っ白に燃え尽きたボクサーのように気力を失うミナツ。

 「わかってくれたならいいけど……さっきからなんで俺を殺そうとしてくるんだ?」

 「殺そうだなんて失礼ね! だいたいあんたが変なこというからでしょ!?」

 「は?」

 はて? 俺はなにかミナツを激怒させるようなことをいっただろうか。

 頭の中にある記憶を思い返してみるが、そんなことをいった覚えはない。

 「俺がなんていったんだよ?」

 「何って、あんた自分がいったこともわからないの? あたしが聞いてないとでも思った!?」

 「だからなんなんだよ!」

 「あたしのことを出べそだっていったんでしょ!?」

 ………………。

 一瞬、いや、数秒の間、俺は止まった。

 「……はい?」

 「だーかーらー! あたしのこと出べそっていったんでしょ!? それが許せなく、ほんとにもう! だから鬼になったときに鬱憤晴らしにあんたに一発いれてやろうと思ったのに」

 「なあ、それ、誰から聞いたんだ?」

 「誰って、光介よ!」

 はは〜、なんとなく読めた。

 「ミナツ、先に断っておくが俺はそんなこといってないぞ? ああ、一度たりとも、今までお前が出べそだなんて思ったこともなかったし」

 「嘘ね! あたしはちゃんと光介から『ワタルがミナツのこと出べそっていってたよー』って楽しそうにいわれたわよ!」

 うん、合点がいった。

 「落ち着け、ミナツ。よーく冷静に考えてみろ。光介は楽しそうに俺がそんなことを言ってたといったよな?」

 「ええ、それがどうしたのよ?」

 「光介が楽しそうにそんなこというわけないだろ? あいつはあれでもいいやつなんだから」

 そう。光介は少しお調子者だが、まずそんな人の悪口を簡単にいわないし、いったとしても楽しそうにはいわないだろう。

 「で、でも」

 「早いところ結論を出すとな、たぶん鬼になったお前が光介と一哲とで俺を追いかけるときに、普通以上の力を出させようとするのに光介がわざといったんだ。わかるか?」

 ミナツは悔しそうな顔をしながら渋々うなずく。

 そう、ミナツのことを俺が悪く言っていた、となれば短気なミナツのことだ。それを許せるはずもなく、対象である俺に対して普通以上の力を発揮するようになってしまう。

 そこを光介はついたというわけだ。いや、だからこれって鬼ごっこなのか? 鬼ごっこってもっと単純に逃げ回ったり追いかけたりするもんじゃないのか? なんでこんなにちみつ緻密な遊びになってんだ?

 ミナツはその場から立ち去る際に、ごめん、といって力なくゾンビのように仲間を増やすために歩いていった。

 俺も生死をかけたミナツの攻撃なんかで動けなくなっていたはずの身体が若干動けるようになって、まだ鬼になってないやつを探すことにした。

 とはいっても、残っているのは俺の推測ならば一哲だけだ。

 どこかで自分のことを全員鬼だと思っているであろう一哲を探す。

 普通に五十メートル先ぐらいを歩いている。

 そこに夏樹がひょっこりと現れた。

 一哲になにかを報告して……逃げた!

 自分が最後の一人だと悟り逃げ出したのだろう。夏樹は首をかしげている。

 「みんな! まだ一哲は捕まってないぞ! 追いかけろ!!」

 俺の指揮にみんながそれぞれ首をかしげる。俺が透とかミナツに詳しいことを話すと、すぐ行動に移りだす。

 ちなみに、光介がなにかみぞおちにでも食らったのか知らないが、ずっとうめき声をあげながらうずくまっているのは、きっと自業自得だろう。ミナツにやられたに違いない。

 というわけで、光介を除いた俺と透とミナツとこずえ、そして夏樹の五人で一哲を追いかける。

 この人数ならばまず囲めばとり逃すことはあるまい。

 「よくもだましたわねーーー!」

 「敵をだますにはまず味方からというだろう」

 走りながら一哲はいう。確かに俺も一哲が完全に鬼だと思って必死に逃げいたのだが、あの三人に囲まれたときに一哲にタッチされても、実質俺は鬼になっていなかった、ということになっていたはずだ。

 「ワタル、反対側に回り込んで! 蝉樹のほうに追い詰めるんだ!」

 透の指揮に俺は従い、一哲の行動を先読みして回り込む。

 透の予定通り、うまい具合に蝉樹のほうに追い詰めてゆく。

 にしても、全力で走っているというのになかなか距離は縮まらない。一哲も結構な時間逃げているだろうに、疲れが見えない。だがしかし、それもここまでだ!

 「追い詰めたぞ、一哲!」

 透がかっこよくいう。今、透に刀とか持たせたら刃先を一哲に向けているに違いない。

 「よくもだましたわね!?」

 そういうミナツは何か武器を持っているとしたら槍だろう。

 「だまされるほうが悪い。これは一種の作戦だ」

 一哲は不適な笑みを浮かべてあざ笑う。

 「わたしもだまされてたんですね?」

 「そのとおりだ、瀬美。もとより、こずえに捕まったという時点で少しは疑わなきゃいけないな。こずえが大声なんか出すわけがないだろう?」

 「不覚でした」

 なんだろう、これ、なんてバトル漫画?

 「いいからさっさと捕まえろお前ら!」

 しびれを切らして俺が叫ぶと一哲にみんないっせいに飛び掛る。

 一哲は身構えて――


 ミ゛ーン゛ミ゛ン゛ミ゛ン゛ミ゛ン゛ガナガナガナヅクボージミ゛ーン゛!


 ――蝉の大合唱により夏樹を除いた全員は耳をふさいで倒れた。

 「はい、タッチ♪」

 夏樹は平然と耳を押さえてうずくまっている一哲にタッチした。かくして、あっけなく緻密な鬼ごっこは終わった。



 さっきの蝉の大合唱が昼の合図として、とりあえず弁当も何も持ってきてない俺たちはどうしようかと考えあぐねていた。

 「さっきコンビニいたんだから、買えばよかったな」

 透が腹をさすりながら言う。確かにさっき買っておけばこんなことにはならなかった。

 いちいち戻るのも面倒な話で。

 「おいおーい! 俺たちはまだまだ健全健康な少年少女だぞー? こんぐらいでへばっててどうするんだよ。遊んで忘れようぜ、飯なんて!」

 光介だけが明るいが、どうもそこまで考えられない。腹が減ったのを忘れるというのは相当何かに夢中になっていないとできないことだ。

 だがしかし、一哲は、そうだな、といって立ち上がりなにやらうろちょろし始めた。

 光介もそれにくっついてうろちょろし始める。

 残された俺たちも、しかたなしにというかなんというか、座っているのも癪になってきたので立ち上がる。

 ちなみに、腹が減ってなにか食べたくなっているのは俺と透とミナツぐらいである。

 夏樹はぜんぜん腹が減っていないというし、こずえも腹はすいているがそんなに気になるほどじゃない、といっている。

 俺たち三人は活を入れて、立ち上がって準備体操をする。

 「よし! 次は木登りだ!」

 うろちょろしていた一哲が止まっていったことはそれだった。

 「木登り? 前やったやつか?」

 「そうだ。ルールは前回と同じ。みんな、それでいいか?」

 俺とミナツと透の三人は少し嫌だったのだが、まあ腹が減っただなんて理由で嫌だというのも馬鹿らしいからうなずく。

 こずえと夏樹、光介ももちろんうなずき、いつの日かやった木登りをまたやることとなった。


 一応またルール説明をしておくと、単純に蝉樹の頂上まで登ったら勝ちだ。

 妨害あり、協力あり、とにかくなんでもありのサバイバルゲーム。

 「今度は俺が勝つ。前回は不覚にも蝉の大合唱でやられてしまったからな」

 「ほんとよねー。前回はいきなり大合唱が始まるもんだから、気絶しちゃったわよ」

 「で、結局ワタルと瀬美ちゃんがラブラブゴールっていうことで」

 「黙れ」

 俺は光介にわりかし本気なげんこつを一発。

 頭を抑えて痛そうにしているが、そんなのは知らん。

 「今日はわたしが一番だよー!」

 夏樹がガッツポーズを取って気合を入れる。前回は俺と夏樹の同時ゴールだったしな。

 「いや、俺が一番だ!」

 「僕はできるだけがんばることにするよ」

 「私もそうすることにします。頂上に登ることができなければ、妨害に徹しますので」

 こずえの妨害……前回のでいうといつの間にか作ってあった落とし穴とか。こずえが妨害に徹し始めたら大変なことになりそうだ。

 「それじゃいくぞ!」

 おう! と掛け声とともに気合を入れる。遊びなんかで何を熱くなっているのかって、少し馬鹿にされるかもしれないが、遊びだからこそ熱くなってもいいんじゃないだろうか?

 「よーい……スタート!!」

 一哲の合図とともにみんな走り出した。

 まず先陣を切り出したのは前回同様ミナツ。

 「今度は罠なんかにかからないわっよーーーーー!?」

 言った矢先にミナツは地面へと吸い込まれた。

 走る途中に見たのだが、別に落とし穴は用意されいたわけではない。前回のが残っていただけであって、つまりミナツは自滅した。

 「なんでなのよーーー!」

 「今回は私も準備してませんから、自業自得ですね」

 こずえは落とし穴を通り過ぎるときにそういって走り去ってゆく。

 「こら、待ちなさーーーーい!」

 落とし穴の壁をがつがつとつかんであがってくるミナツ。ちなみに、このとき俺はこずえよりも先に行っていたが、ミナツがそんなことをしているのはなぜかわかった。

 こっちで一騒動あったおきている間に、いつの間にか一哲と透と夏樹は蝉樹の近くにいた。光介は俺より少し先を走っている。

 俺は全速力で走り、蝉樹まで五十メートルぐらい離れた場所から七秒ぐらいでつく。

 問題はここからで、樹をのぼってゆくのがまた一苦労だ。

 先に登っていったらしい夏樹と一哲と透もいることだし、もしかしたら余裕を持ってなにか妨害工作をしているかもしれない。

 「だけどな……怖気ついてちゃ進めないんだよー!」

 自分に活を入れるようにして言って、俺は樹の幹に手をかけて樹を登り始めた。

 「一哲さん覚悟ーー!」

 なんとか足場になるような枝についたとき、夏樹の声が聞こえた。だが、構っていられないから先の登ろうとして……。

 「ということでワタルおにいちゃん覚悟ーーー!」

 「俺かよっ!?」

 一哲はどこいったんだよ!? って、普通に登って行ってるし!

 夏樹がこの不安定な足場だというのに飛び掛ってきて、俺はそれを避けようと上に登ることにする。

 「捕まえた!」

 だが一歩先に夏樹が俺のシャツを掴んでくる。

 別にこのまま行っても行けないことはないが、シャツが伸びるし破けそうだ。

 「くらえ!」

 そういって夏樹が俺のシャツを少し広げて背中に何かを投入した。

 そして夏樹はまるで猿のように上へと登っていってしまった。

 で、俺の背中に投入されたもの……なんかカサカサ動いてる。

 嫌な予感がしながらも、シャツの中に手を入れて背中をまさぐる。そして何かに手が当たって、それを掴んでみると……。


 ミーンミンミンミンミーン。


 「ぐあわああぁぁぎゃあ!」

 情けない声をあげながら取り乱して背中に入っていた蝉を放す。

 すると蝉は飛んでゆき、そのときに小便をかけてどっかにいきやがった。

 蝉は自分が危険になると、尿を出しながら逃げるのだという。その尿に有害なものはないが、やはり汚いというイメージはあるわけで。

 「こんのやろー……」

 しばらくの間不安定な足場にぐらぐらとして、座り込んで深呼吸をする。

 「俺が一番だーーーー!!」

 半ばキレている。いや、完全にキレた俺は我を忘れて樹を登り始めた。

 ちょうどそのころにこずえとミナツが同時に登り始めたというのは余談だ。


 その後、幾多もの罠を受け、あるいは避けながら樹を登り、落ち、登り、落ちの繰り返しをしていて、いつの間にか日は沈み始めていた。

 戦局は一番が一哲、二番が夏樹。続いて俺、透、ミナツ、こずえとそしてなぜかビリに光介だ。

 とはいっても、みんなの距離はさほど変わらず、みんな息も切れ切れになっている。

 夏樹でさえ息を少し乱して上へ上へと目指している。

 みんな妨害する気力はもうなく、とりあえず上に上がるということだけを考えていた。

 それゆえに、忘れていたことがある。時は夕刻。つまりは……。

 「っ! みんな耳を」


 ミ゛ーン゛ミ゛ン゛ミ゛ン゛ミ゛ン゛ガナガナガナヅクボージミ゛ーン゛!


 蝉の大合唱が始まりだした。

 この樹の真っ只中でそんなのを聴いたら鼓膜が破れそうなほどにうるさい。

 なんとかみんな耳をふさいでいるようだが、その効果もほとんどなしか、どんどん太い枝にへたりこんでゆく。

 そのうちの一名である俺も、あまり安定したといえない場所にへたり込む。

 へたり込んでいないのは夏樹ぐらいなもので、悠然として樹を登り続けている。

 蝉の大合唱が終わったのは三分後ぐらいで、やっとこさみんなが登れるようになったころには夏樹の姿はほとんど見えない。

 俺含めるみんなは夏樹に追いつくように全力で樹を登り続ける。

 てっぺんまであと十メートルぐらい。

 夏樹を見たとき、夏樹はあと六メートルぐらいのところまで登っていた。

 言葉もなく、ただ聞こえるのは少し荒めの息だけで登る。

 そこには無言で、てっぺんまで登るんだ、という強い意志が見られる。

 俺は登るまでの間、こんなことを考えていた。

 それは、夏樹が今日という日を満足しただろうか、ということだ。

 今日の俺の目標は一秒一秒を無駄にしない一日、だ。それを自分では守り通したつもりだが、俺は今日遊ぼうというのを夏樹のために企画したんだ。

 俺の心の中で曖昧な考えが何かをざわつかせている感覚があって、それを少しでもなくしたいために今日という一日を過ごす。

 そのざわつきが何かわかれば苦労はしないのだが、いくら考えてもわからない。もしかしたら俺はやはり御伽話の蝉と夏樹をかぶせているのかもしれない。そんなことはありはしないのに、なぜこんなにも……?

 「ラストスパートーーー!」

 誰かがそう叫んで、俺は上を見る。

 てっぺんまではあと五メートルぐらい。

 みんな最初の声に続いて叫びだす。いつの間にか夏樹も同じところにいて、ラストスパートー、と楽しそうに叫んでいる。だかれ俺も叫ぶことにしよう。

 「ラストスパートー!!」

 それはこの蝉樹を登りきるという意味だけではなかったのかもしれない。


 てっぺんに登ったとき、もはや勝敗などどうでもよくなっていた。

 みんな無事にてっぺんに着き、太い座れそうな枝に腰掛けている。

 そこから見る景色は絶景。この時雨町という小さな町でも、こんなに綺麗に見えるんだ、という感動があった。

 前回も見たはずなのに、俺は再度感動してしまう。

 一哲たちもそれに見とれて、感動しているのかしばらくそれを見続けていた。

 「前回はたどり着けなかったが、これは登ったかいがあったな」

 「ほんとねー……綺麗だわ」

 「あれって本当に俺たちが住んでる町か?」

 「僕もそう思うけど、紛れもなくそうなんだろうね」

 何かのドラマみたいなセリフを口々にいう一哲たちとは違う枝に座っている夏樹のほうに俺は座ることにする。

 「二回目だけど、綺麗だな」

 「そうだね……」

 どこか浮かない顔の夏樹。だがやがて。

 「うん! そうだね!」

 うんとうなずいていつもの夏樹に戻った。

 「よし! それじゃ、わたしからの夏のプレゼント!」

 そういって夏樹は立ち上がり、何度か深呼吸をして歌いだした。

 「――――――――」

 いつ聴いても飽きない、そしてその綺麗な歌声に俺も、一哲たちも聴き入っていた。

 何度聴いただろうか、この歌を。

 そして何度思っただろうか。その歌声が綺麗だと。

 そんなのはどうでもよくなるほどに俺たちは夏樹の歌声に聴き入った。


 ミーンミーンミンミンミン……。

 カナカナカナカナカナカナカナ……。

 ツクツクホーシツクツクホーシ……。


 やがて、さっき終わったはずの蝉の大合唱が始まった。だが、不思議とうるさくない。どこまでも心地の良いものに聞こえた。

 これが、夏樹の“夏”の贈り物だった――。



 夏樹の歌を聴き終わり、しばらくしてから俺たちは樹を降りて蝉樹をあとにした。

 「今日も綺麗な歌声ありがとねー」

 「またいつかよろしくお願いします」

 「夏休み最後の日になんだかふさわしかったような気がするよ、僕は」

 「宿題、俺終わってないんだけど……でも楽しかったぜ! あ、一哲〜。ちょっと宿題貸して?」

 「断る。まあ、また明日から瀬美も時雨高校に入るだろうから、そのときはまたよろしくな」

 「はーい♪」

 さよならー、と手を大きく振って一哲たちと別れる。

 光介は帰る方向が違うというのに一哲に宿題を貸してくれとせがんでいるようだ。やがて一哲がなにか光介にいってやると、光介は「そうか!」と大きな声で言って自分の家の方向へ帰っていった。

 たぶん「宿題を貸さないのはお前のためでもあるんだからな?」とでもいわれて言いくるめられたのだろう。本当に単純なやつだ。

 「じゃあ、俺たちも帰るか」

 「………………」

 「夏樹?」

 夏樹はしばらくの間黙り続けていた。

 「ワタルおにいちゃん、瀬美って呼んでみて?」

 そして口が開いたと思えばそんなことをいいだした。

 「はっ?」

 「だから、夏樹、じゃなくて、瀬美って呼んでみてくれないかな……?」

 はっきりいってわけがわからなかった。突然すぎて俺は思考が停止していた。

 だが、夏樹は冗談ともいえぬ顔で見てくるものだからここでふざけたらいけないのかもしれない。

 「えっと……瀬美。これでいいのか?」

 「うん! ありがとね、ワタルおにいちゃん!」

 「別にいいけど……!」

 突然俺の唇に触れてきたもの。それは、夏樹――瀬美のやわらかく小さな唇だった。

 「えへへ……」

 「なっ、あ、へっ?」

 意味のわからない言葉を発している俺を楽しそうに見る瀬美。

 「これで、わたしの夏も本当に終わりだね……」

 頭が働かない俺には瀬美がなにをいっているのか理解できない。

 「じゃあね! ワタルおにいちゃん!」

 俺は呆然と瀬美を見送り、今やっと状況を把握した。

 「キ…………ス?」

 言葉にした瞬間に顔がほてってくる。俺の顔は夕焼け色にさらに赤味が増している色に違いない。

 俺は未だ残っている唇の感触に何か名残惜しさを感じながら、しばらくその場に立ち尽くしていた。


 家に帰り始めたのは、とうに瀬美の姿が見えなくなっていたころだった。

 日もほとんど沈み始めて夜になろうとしていた。

 まだ頭がさっきの突然のキスによってうまく働かない。なにか、重要なことを忘れているような気がするのだが、なんだっただろうか。

 気づけば家の前についていて、俺はとりあえず家に入った。

 「ただいまー……」

 「おかえりー。? どうしたの? なんかぽけーっとしちゃって」

 「そうか……? 気のせいだろ……」

 「そう? ならいいんだけどね。あ、それよりあんた宿題終わってて今日遊びにいったんでしょうね?」

 「終わってないよ……」

 自然と口からそんな返答が出て、母さんは少し怒っているようだが、それも耳に入らない。

 ちなみに、俺がキスをされたのは親以外では初めて。つまりファーストキスだった。

 それもあってか、なかなか浮かれた気分が直らない。

 そのまま自室に戻って、ようやく我に戻ろうと頬を軽くたたく。

 「いつまで浮かれてんだよ、俺……」

 馬鹿か。と心の中で自分を罵る。

 確かに予想外のことではあったが、いくらなんでも浮かれすぎていた。

 「柔らかかったな……」

 つい思い返して俺は首を振る。

 少し気分を変えようといったん寝ることにして――何か忘れていることに気づいた。

 それはとても大切なことだ。それは朝からずっと考えていたことだ。それはとってもこの現実的な世界には馬鹿らしい考えだ。それが思い出せない。

 なぜだ? 俺はあせっていた。

 夏樹は最後にこういっていた。


 『これで、わたしの夏も本当に終わりだね……』


 それは時間的なものなのか? それとも違うものなのか?


 『じゃあね! ワタルおにいちゃん!』


 何かが足りない言葉。

 そうだ、何かが……何かが!


 ――そして、夕方になって男の子たちに「またあそぼ」じゃなくて「じゃあね」とだけいって蝉のよく集まる樹に戻っていきました。


 こずえから聞いた御伽話の一説。

 「……じゃあね?」


――「またあそぼ」じゃなくて「じゃあね」とだけいって蝉のよく集まる樹に

 ――『じゃあね! ワタルおにいちゃん!』


 「っ!」

 そうだ。夏樹はいつも別れ際に「またあそぼ」ではないが「また明日」といってくれた。

 なのに、今日だけは「じゃあね」といっていた。

 つまり、それは――お別れの言葉。

 朝から考えていた非現実的な考え。馬鹿らしい考え。それはきっと馬鹿らしいことじゃないのかもしれない。

 そんなの、ただのきまぐれかもしれない。だというのに俺はあせっていた。

 早くしないと手遅れになるという不安、焦燥。

 御伽話のようなことになってしまうという不安――。

 瀬美が「じゃあね」といったのはただのきまぐれ?

 違う。俺はその答えを見つけるために動いた。自室から出て携帯も持たずに家を出た。


 ――その次の日。男の子は今日も遊ぼうと思っていた子がなかなかこないことに心配していました。


 そんな心配はしたくない。


 ――男の子はその子を捜してみましたが、家も教えてもらっていなかった男の子はやがて捜すのをやめてしまいました。


 そんな手遅れになることにはしたくない。


 ――そして、友達と遊びにいきました。


 そんな。


 ――その男の子の中には、いつまでも“その子”が消えることはありませんでした。


 「――そんな別れ方、許さねえからな!」

 俺は全速力で瀬美の帰るべき場所へと走った。

 空はもう暗くなっていて、月と星の光だけが地上を照らす。

 たまにある街灯が暗い道を照らしているだけだ。

 人通りもまばらまばら。俺がこれから行く場所につれて人は少なくなってゆく。

 やがて、人はいなくなり、俺はちょうど蝉樹の入り口にやってきていた。

 かなり息は切れていたが、今はそんなことを言っている場合ではない。俺は森の中へと入っていく。

 懐中電灯でももってくればよかったと後悔したが、そんなのはもう二の次だ。

 暗く足場の見えない森を走って走って走り抜けた。

 途中、何度か転びながらも森の中をただひたすらに走る。手遅れになってくれるな、と願いながら。

 自分でもなんでこんなに必死になっているのかがわからない。

 だいたい、そんな話はありえないことなんだ。だというのに、俺はそれを信じきって、いるかもわからない瀬美を探している。

 傍から見ればありもしないものを信じているただの愚か者、と思われるかもしれない。

 だが、俺はそんな愚か者でもいい。ただ確かめたい。同時にそうであってほしくない。

 俺はまだ瀬美と、夏休みが終わっても楽しく過ごしたいんだ――!

 

一○分ぐらい走り続けて、なにやら森を抜けた先に光っているものを見つけた。それはまぎれもなくあの蝉樹。

 さらに走るスピードを上げて森を抜ける。

 ――森を抜けた先には、光る蝉樹があった。

 それは御伽話と同じように光っている。そう、御伽話の中の蝉が人間になるときと死ぬときに光っているように。

 そして、その光る樹の近くにぽつりと立っている少女がいた。

 「……瀬美」

 口からこぼれおちた言葉。

 それに気づいた瀬美がこちらを振り向いて驚愕していた。

 「あれ……? ワタル、おにいちゃん……?」

 なんでここにいるの? というような感じで瀬美は俺を見ている。

 俺はゆっくり瀬美に近づいてゆく。

 「なんで? なんでワタルおにいちゃんがここにいるの?」

 「なんで、じゃねえよ!」

 俺は思わず叫んでしまう。瀬美は少し身体をびくりと震わせる。

 「ごめんなさい……」

 うつむいてしまって、俺は少し罪悪感にとらわれる。

 「でも、なんでここにきたの?」

 「……お前が何も言わずにいっちまおうとするからだろ」

 俺の声は少し震えていた。

 「お前が…お前が『じゃあね』なんていうからだろ!」

 その言葉で俺はこらえていた涙をあふれさせていた。

 「わたしの正体、知ってたの?」

 「ああ。気づいたのは…うっ…ついさっきだけどな…ううぅっ!」

 瀬美はそうなんだ、といって顔を上げる。その顔は悲しみではなく笑顔だった。

 「ありがとね、気づいてくれて」

 泣いている俺に微笑みかけてくれた瀬美は、いつもの無邪気な子供ではなくどこか大人びて見えた。

 「それじゃ、わたしの寿命が今日までってことも知ってるんだよね?」

 「もちろんだ……」

 瀬美はやさしい微笑のまま続ける。

 「わたしが本当は蝉ってことも、わたしのわがままで人間になったってことも、全部ぜーんぶ知ってるんだよね?」

 「当たり前だろ……うっ」

 実質そこまで御伽話と瀬美が同じような理由だとは思ってなかったが、俺は強くうなずく。

 「そっか……それじゃ何も教えることないね。残念」

 楽しそうに笑って瀬美は後ろを向く。

 「……今日、楽しかったよ」

 「えっ?」

 「わたしのために、今日、一哲さんたちを呼んでくれたんでしょ?」

 「ぐすっ。……へっ、わかってたのか」

 涙を止めて少し笑いながらいってみせる。

 「当然だよ。いつもと違ってたもん、ワタルおにいちゃん」

 「そうか? どこらへんが違ってたよ?」

 「えーっと……どこか、かな?」

 いつもなら少し呆れる答えも、今では笑えた。

 「なんだよ、それ」

 「とにかく、いつもと違ってたんだよ!」

 「……そっか」

 他愛もない会話。それが今ではかけがえのない会話だ。

 だが俺はここで自分の願いを聞いてみることにした。

 「なあ、今日いっちまうんだよな……?」

 「……うん」

 わかってはいたんだ。それでも俺は聞いてしまう。

 「なにか、寿命を延ばす方法ってないのか?」

 「残念ながら、ないと思うよ」

 その答えは当然で、とても残酷なものだと俺は思った。

 「これも、わたしのわがままでなった代償だもん。しょうがないよ」

 代償――俺はその代償をくれてやった神を恨んだ。正確には、この蝉樹にやどる神様を、だ。

 だが、本当にもうどうしようもないのだろう。例え俺がここで神様にどんなに懇願しても、きっと瀬美の運命は変えられない。それを悟った俺はいさぎよくあきらめることにした。

 「そうだな……。しょうがないよな」

 「うん、しょうがない! ……うっ」

 瀬美は最後に嗚咽を漏らしたかと思うと、泣き始めてしまった。

 「うわあああぁぁぁああん!」

 子供のような泣き声。大声でただひたすらに泣いている。

 「ほんとうはね、うぅ、ほんとうはもったこのまま、うっ、ワタルおにいちゃんたちと遊んでいたいの! だけど、ぐすっ、もうどうにもならない、ことだから……!」

 俺が完全に泣き止んだと思えば、今度は瀬美が泣き出してしまった。

 だけど、それを止めることはしない。当然だろう?

 瀬美の小さな願い。まだ生きていたいという願いが届かないなんてことは、とても残酷だ。

 俺は瀬美を後ろから抱き寄せた。

 身長差があって、ちょうど俺の腕の中に瀬美の頭が入り込んだ。

 「俺だってさ、まだまだお前といたいよ。遊んでたい……!」

 でも、どうにもならないことだから。それは夏樹瀬美という命が選んだ運命だから。

 「そうさ……遊んでたいけど、お前が選んだ運命だから……俺にはどうすることもできない」

 「うぅ、うっ、ぐすっ」

 「ごめんな……もっと、遊びたかったな」

 「ぐすっ。ううん。充分遊んだよ。毎日毎日、楽しかったもん」

 「お前に、雪、見せてやれなかったな」

 「そうだね、うっ、みたかった、よ……」

 結局見せてやれなかった雪。瀬美が一生見ることのできない、冬というものの産物。ただそれが悔しかった。

 しばらくの間、俺と瀬美は泣いた。

 男と女が抱き合って泣いているなんて、シュールな光景だと思う。が、そんなことは関係ない。

 やがて、瀬美は俺の腕をやさしく解いて、こちらを向く。

 その目は少し赤くなっていた。

 「最後に、歌います! ワタルおにいちゃんへの、わたしからの最後の贈り物だよ!」

 アイドル歌手のようなノリでいって、瀬美は満面の笑みでそういってくれた。

 深呼吸をすること三回。

 「――――――――――――」

 ――瀬美の最後の歌が始まった。

 その歌声は俺が聞いてきた歌の中でどれよりも綺麗で、青い空に響き渡るような歌声。澄み渡った歌声。

 やがて、蝉樹に止まっていた蝉たちがそれに合わせるように鳴きだす。いや、歌いだす。

 それはいつもと変わらない蝉の鳴き声のように聞こえた。だがしかし、それは今まで聞いてきた蝉の鳴き声とは違って、心地よいものだ。

 ミンミンと鳴いているようにしか聞こえないのに、それが歌になって聞こえてくるような気がした。

 歌が続く間、俺はこの一週間を振り返っていた。

 瀬美と初めてあった日。確か、一哲たちのために買っていたアイスを食われてたんだっけ。

 次の日に金を返してもらったり、そしてみんなと遊んだり。

 そっからはただただ瀬美と楽しい日々を過ごしたんだ。途中、瀬美が馬鹿なことをして熱を出してしまったときはあせったな……。今となってはすべてがいい思い出でしかなかった。

 歌は続く。俺はこれが永遠に続いてほしいとさえ思った。しかし、物事には終わりがいずれやってくる。

 「―――――…………ふぅ」

 時間にしてみれば、たった三分ぐらいの歌だったろう。

 だが、俺からしてみればそれは一時間にも匹敵していた。

 「……どうだった?」

 「綺麗だったよ」

 そんなべたなほめ言葉しか思いつかなかった自分が少し嫌だった。

 「よかった〜」

 「もう、聴けないんだな……」

 「ううん。いつだって聴けるよ! あっ、夏になれば、だけどね」

 「どういうことだ?」

 「だって、わたしの歌声は蝉の歌声だもん」

 ……そうか、そうだったな。

 確かに、夏だけだがいつでも聞けるじゃないか。

 「そうだな。安心した」

 俺は笑うが、瀬美のほうはもうそういう状況ではなかった。

 瀬美の身体が光り始めている。

 「もう、時間みたい」

 「っ!」

 俺は引き止められないのに引きとめようとして――やめた。

 「……そっか。残念だ」

 「わたしね、この一週間、ワタルおにいちゃんたちに会えてよかったと思ってる。本当にありがとうね、ワタルおにいちゃん」

 瀬美は俺に近づいてくると、軽く口付けをした。

 「えへへ、大好きだよ!」

 「――俺もだ、瀬美」

 瀬美の告白を最後に、瀬美の身体はよりいっそう光り始め、やがて消えていった。

 あとに残ったのは、蝉の亡骸だけ。

 「……でもさ、やっぱり悲しい」

 俺は子供のように泣いた。

 さっきまでは瀬美がいたから、なにか強がっていたのかもしれない。いなくなった瞬間に俺の目からは涙がぽろぽろと零れ落ちてきた。

 やがて、蝉樹の光がなくなり、この蝉樹周辺を照らすものは月と星の光だけとなった。


 声がかれるほどにまで泣いたあと、俺は蝉の亡骸を蝉樹のもとに丁寧に埋めてやった。

 きっとこれでよかったのだろう。

 もしも俺が瀬美が御伽話の中の蝉だということを否定し、信じなければきっと瀬美は一人でさびしくいってしまっていただろう。

 せっかく見つけた人の友達には誰にも別れを告げられずに。

 気づけてよかった。俺はそう思っている。この夏に、夏樹瀬美という少女にあえてよかった。

 蝉樹をあとにして、俺は暗い森の中を戻っていった。


 こうして、俺の夏は終わった。

 いつもどおり、夏休みの課題もやらずに、遊んでるだけだと思っていたこの夏。

 確かに遊んでばかりだった。だが、いつもと違う夏をすごせた。

 夏休みが終わって、高校が始まり、瀬美の姿を見なくなった一哲たちが少し不思議に思っていたが、俺は瀬美の本当のことはいわずに、一緒にそれにあわせていた。

 夏樹瀬美という少女のことを、夏樹瀬美という蝉のことを俺は生涯、忘れることはないだろう。

 その命が教えてくれたものはきっと、とても日常的なことで、当たり前のことだったのかもしれない。

 それがなになのか、と問われれば少し答えづらいのが本音。

 実のところ、俺にもそれはよくわからない。ただ、教えてもらったものはとても大切なものだということはわかっている。なんとも勝手な理解のしかただ。

 きっと、いくらだって俺みたいな経験をしている人はたくさんいる。

 俺みたいな特殊なケースでなくても、同じような経験をしている人はいくらでもいるのだ。

 それでもいいと俺は思っている。自分だけが特別じゃなくていいんだ。


それは、小さくて大きい命。

それは、何処にでもあるようでないような命。

それは、みんなが知っている命。

それは、儚い命。

それは――思い出の命。


 そして、それは夏の日の命――。


次で最後となります。蛇足かもしれませんが、読んでください!

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