The Third Day -A happy figure lit up with the evening sun -
まだまだ続きます。どうぞよろしくお願いします。
8/16 ルビの修正
「ふあ〜……」
朝だというのにせわしく外では蝉が鳴いている。
不思議と五月蝿いとおもわなかったのは、きっと昨日蝉樹で蝉の鳴き声の本場ともいえる鳴き声を聞いたからだろう。
時間を確認すると、時間は朝の八時。
今日は夏樹と会う約束をしている。今からいっても間に合うだろう。
もしも夏樹がいなくても、コンビニの中で適当に時間を潰していればいい。
俺は自分の頬を軽く叩いて眠気を覚ますと、とりあえず朝食を食べに部屋を出た。
「あら、今日は早いじゃない。ワタル」
「ああ、ちょっと約束があるから」
そういって椅子に座って飯を食べる。
ちなみにうちは朝は白飯に味噌汁という、まあ典型的な日本の和食である。
目の前ではほかほかと湯気を上げている白い米と味噌汁がある。
「いただきまーす」
…
「うっ……食いすぎたか?」
この夏休みが始まって、朝は起きなく昼に起きることが多かった。
久しぶりの朝食に胃がもたれたのか、どうも苦しい。
ちなみに飯は二杯。味噌汁一杯と、俺としては普通の量だ。
腹を軽くさすりながらコンビニへ行く途中。この夏の間幾度となく聞いた蝉の声が耳障りだった。
午前中だからか、午後よりかは鳴いている数は少ない。
「ワタルおにいちゃーーーん!」
前方から聞こえる声に目を凝らしてみれば、夏樹がコンビニの前で手を振っている。
「お、ワタル〜」
そしてその横に立っている少年、もとい光介が俺に気付く。
……って、あれ?
「よっ、夏樹。後、光介も」
「おはよう、ワタル」
「おはよ、ワタルおにいちゃん」
「夏樹、光介も呼んだのか?」
「ううん。ここでワタルおにいちゃん待ってたら偶然会ったの」
「そうそう。ちょっとランニングがてらにお茶でも買って来いっていわれてさ」
「そっか。って、お前毎朝ランニングしてんのか?」
「いや、してないけど? でも体力もつくし、そのついでなら別にいっかなーと思って」
それは俗にいうパシリと同じだぞ、光介。
というツッコミは置いといて、さすがはポジティブ光介。何事も前向きな考えだ。少しは透にもこれを見習ってもらいたい、というのは無理な相談だろう。
「ところでさ、ワタル」
突然顔を近づけて光介が小声で話す。
「なんだよ?」
「まさか、デート?」
「………………」
一瞬の思考停止。
いやまあ、夏樹も俺たちとあまり離れてないからそう考えることもあるかもしれないが。
「断じて違う」
「そっか……残念」
心底残念そうにため息をつく光介。
そこまで落ち込むことだったのか、それは?
「でもさ、瀬美ちゃんって妙にワタルに懐いてるから、瀬美ちゃんはワタルのこと好きかもしれないよ?」
「まあ、そうかもしれないが……あいつの言う『好き』ってのは、たぶん異性として、とかそういうのじゃないと思うぞ? 俺は」
「確かに、それは言えてるかも」
光介が苦笑気味に同意する。
「ねえ、さっきから何の話してるの?」
一人だけ仲間はずれにされていた夏樹が俺と光介の間に言葉のとおり首を突っ込んでくる。
「いやね、ワタルが瀬美ちゃんのこと可愛いよね〜って話」
「って、おい!」
「ほ、本当なの? ワタルおにいちゃん」
いきなりすぎる光介の悪ふざけによって、夏樹がうれしそうな顔で俺を見てくる。
「あぁ……まぁ、そうだ」
「やったーーーー!」
俺は少し恥ずかしげに答える。
それを聞いた夏樹は飛んだりはねたりだ。
「よかったね、瀬美ちゃん」
光介、後で殴る。
だが、確かに夏樹は可愛い部類に入ると思う。まだどこか幼さを残した夏樹に言った言葉は、まったくの嘘ではない。
「それより、光介。お前、用事は済んだのか?」
「まだだけど? ま、すぐに終わる用事だしそんな急ぐことでもないっしょ」
別に変なことはいってないので、俺はそれで納得する。
「光介さんも一緒に遊びますか?」
俺のときとは違うなれなれしい言葉ではなく敬語で夏樹は光介に聞く。
「えっ、いいの? 瀬美ちゃん」
「はい! 人数が多いほうが楽しいですよ」
「うーん。それじゃお言葉に甘えて、俺も一緒に遊ばせてもらおっかな」
それを聞いて喜ぶ夏樹。
って、人数が多いほうがいいなら、昨日みんなに呼びかけりゃよかったのに。とはいっても、やはりあの時は初対面だったんだ。そう簡単に話せるわけもなかったのだろう。
「それじゃ光介も加わったところで、何するんだ? 夏樹」
「何って?」
「いや、だから何して遊ぶかってこと」
「――――」
しばらくの間笑顔のままで固まっているかと思えば、今度は唸りながら何か考え出した。
「もしかして、考えてなかったのか?」
「えへへ」
舌の先を出しながら笑う夏樹。別に悪いことではないのだが、自分から誘ったからには何かしたいことがあってのことかと思っていた。
「町案内、ってのはどうかな?」
不意に横から光介が提案する。
「まだ瀬美ちゃんはこの町に来て間もないんでしょ? だったら、町を案内したらどうかな?」
確かに、遊びというには程遠いものかもしれないが、夏樹にとっては見知らぬ地を探索するだけでもそれは“遊び”になることだろう。
「いいな、それ。夏樹はどうだ?」
「もちろんいいよ!」
夏樹は元気な声でそう答えた。
とはいっても、この町はさほど大きくはない。案内するような名所なんてところはないし、あったとしてもそれは昨日いった蝉樹の場所ぐらいだろう。
だが、それでも案内するには事足りる。時間が余ればちょっと町から離れた場所でも案内すればいいさ。
と、このときは平穏な気持ちで思っていた。
「さて、どこから案内するよ、光介」
「うーん。とりあえずここをスタート地点と考えて、蝉樹のほうはいったから……とりあえず商店街のほうにでもいってみよっか」
「しょうてんがい?」
それを聞いていた夏樹がはじめて聞いた単語のようにいう。
「そう、商店街。お前が前住んでたところにもなかったか?」
「うん、なかった。初めて聞いたよ! しょうてんがいなんて」
「初めて? そりゃ結構など田舎に住んでたんだな、お前」
だがそうとはいっても、商店街という言葉ぐらいは聞いたことがあるようなものなのだろう。案外、夏樹の家にはいまどき珍しいテレビがないような家なんではないだろうか?
「瀬美ちゃん。商店街っていうのは、いろんなお店が一個の場所に集まった場所のことをいうんだよ。まあ、この町の商店街はそんなに大きくないから、都会なんかに比べたらお店はあんまりないけどね」
「へぇー……」
感心した声をあげる夏樹。
光介の説明は、どこかおちゃらけた雰囲気のいつもの光介とは違い、真面目な野郎に思えた。人間、口調なんかを変えるだけでそこまで変わるものなのだろうか。
「なんだか面白そうだね! 早くいこいこ♪」
夏樹が俺の手を引きながら急かす。光介がその様子を、あらあらと言うような顔でからかう。
「んじゃ行くか」
…
「はいはーい。ここが商店街だよー」
光介がやけに楽しそうに夏樹に教える。コンビニから商店街までは約十分もあればたどり着く。時間が時間で、そこまで商店街に活気はなかった。
「へえー。ほんとにいろんなお店がある!」
「そりゃ商店街だからな。まだあんまり店は開いてないみたいだけど、ちょっと見て回るか?」
夏樹はもちろんと言わんばかりの満面の笑みで首を縦に振った。俺としても、この時間帯にくる商店街というのは新鮮だ。
商店街といっても、どこかのジャンクフード店なんかがあるわけではない。あるとしたら、もうちょっと離れた街中になってしまう。
ここにあるのは魚屋とか肉屋。なにかと専門的な店が多い通りである。
「瀬美ちゃん楽しそうだね〜」
「そうだな」
「ついでにいうと、ワタルともらぶらっぶっ!?」
俺はその先を言わせまいと右フックを光介にかます。なんだか結局はいわれてしまったような気がするが、空耳ということにしておこう。
「痛いなー、ワタル」
「あんまり変なこと言うなよ。だいたい、俺と夏樹はそういう関係じゃないっての」
「じゃあどういう関係?」
「そうだな……やっぱり友達とか?」
俺の返答を聞いて大きくため息をする光介。妙にむかつく。
「ワタル。いっておくけど、傍目から見ればラブラブのカップルだぞ?」
「なっ!? 何いってんだよ! だいたいまだ会って二日しか経ってないってのに、そういう関係になるわけねえだろ!」
俺は少し度が過ぎる程度に怒ってしまったが、光介はまったく気にしてない様子だ。
「まあ、ワタルがそういうならそういうことなんだろうけどね。あんまり気にするなって、ワタルお・に・い・ちゃ・ん♪」
「黙れぇぇぇぇえい!」
俺は光介にとっておきの左ストレートを腹に決めた。光介は再起不能。しばらくは立ち上がれまい。
「何してるの? ワタルおにいちゃん」
ワタルおにいちゃん、の本家である夏樹がうずくまっている光介を見て光介のもとに駆け寄り、「大丈夫ですか?」と声をかけている。ふっ、当然の報いだ。光介め。
「もう、ワタルおにいちゃん駄目だよ。こんなことしちゃ」
「気にするな。男と男のスキンシップなんだ」
「そ、そうだっ……たのか? ワタ、ル」
「ああ。スキンシップだ。男らしいだろ?」
「ああ、『漢』らしかったよ。ワタル」
俺の適当な言い訳に言いくるめられた光介。何気に『男』のニュアンスが違うような気がするが、気にしないようにしよう。それよりこいつはポジティブというより、騙されやすい奴なのだろうか?
何はともあれ、ここに一つ男の友情が生まれた。
「スキンシップ……。そっか! わかったよワタルおにいちゃん」
「え? 何がわかっ――」
「とーう!」
次の瞬間。俺の腹に夏樹の足がめり込んだ。
「――ぐぼぅぅううゎあ!!」
そしてあっけなく後ろへと軽く飛ばされる俺。今見事に入ったぞ……。
「ワタルおにいちゃん」
「ぐふっ……な、なんだ?」
「スキンシップだよ!」
それは違う! とツッコミたかったが、意外と腹に入った蹴りがクリティカルだったのか、声を出す気にはなれなかった。
「ワタル! 俺からのスキンシップも!」
「お前には、させるかーーーー!」
さっきのスキンシップを真に受けた光介がとびかかってきたが、俺は即座に起き上がりアッパーをかましてやった。光介は木の葉のように舞った。
「ぐ、グッドスキンシップ……うぅ」
そういい残して光介は倒れた。
「わたしももっといいスキンシップを!」
「やめんかー!」
たかだかスキンシップという名の暴力で身体を痛めてしまった。我ながら、なんて無駄なことをしているんだろうと思う。
「で、夏樹は何か見たいものあるか?」
「んー。なんだかいっぱいあって迷うよ」
さっきから光介と夏樹とともにこの小さい商店街を歩いているが、夏樹は目をキラキラ輝かせてどこにでもあるようなこの商店街を見ていた。
俺と光介は、この早朝にどこか開いている店がないかと探す。
「にしても、開いている店ないね〜」
「この商店街のおっさんとか、結構店を開ける時間がルーズだもんな」
時には午前七時。時には正午。今まで最高に遅くて午後五時だったろうか? よく店を経営してられるなと感心するほどだ。
「あっ! ワタルおにいちゃん、あそこにいってみたい!」
はて、そんな興味を示すものがあっただろうか、と思いつつ夏樹の指差す方向を見ると、そこにはケーキ屋があった。そのケーキ屋は、この商店街で唯一まともな開店時間があり、この町での唯一のケーキ屋だ。
値段も手ごろで、おやつ代わりに買って帰ることだって少なくはない。味もうまくて、文句のつけるところはないケーキ屋だ。
「そうだな。行ってみるか。一応金あるし、何か一つぐらいだったら買ってやるぞ?」
「ほんと!?」
「まじで!? ワタル!」
「ああ。光介以外になら奢ってやってもいいぞ」
「やったー! ありがとう、ワタルおにいちゃん」
喜ぶ夏樹とは裏腹に、光介は「ひどいやひどいや。いや、でもこれはワタルの俺に対する親切心か? そうか……最近太ってきたかもしれないからな。そうかそうか」などとぶつぶついいながら先にケーキ屋に向かっていた。
「わー……」
目をキラキラと輝かせながら、夏樹はケーキ屋に入るとすぐにショーウィンドウに並んでいるケーキを見始めていた。
「ねえねえ」
「ん?」
「これって食べれるの?」
「………………」
とりあえず絶句した。いや、これはまさか“ケーキ”という存在を知らないのだろうか? いや、このご時世誰もが一度は耳にしたことがあるはずのケーキ。それを知らないというのは、商店街を知らないとかそういう問題ではなくて……。いや、何より夏樹の家庭ではどういうものを食べさせているのだろうか? 俺たちとほとんど同年の少女がケーキを食べたことがないはずがない。
「もちろん、食べれるよ。瀬美ちゃん」
俺が無駄に頭を回転させ、夏樹という人物について考えていたら光介が代わりに答えた。
それを聞くと、夏樹はキラキラと輝かせていた瞳をさらに輝かせ、今なら軽く暗いところを照らせるのではないだろうかというぐらいになった。
「じゃあね、じゃあね」
夏樹が「これ!」といって指差したのは、たぶん最もポピュラーであろう苺のショートケーキだった。
「わかった。あ、すいません。この苺のショートケーキ一つ」
店員が笑顔で「わかりました」と答えると、ショーウィンドウの中からショートケーキを一つ取り出す。
夏樹はそのショートケーキを今か今かと待っている。とてもうれしそうな夏樹を見ていると、こちらまで和んできた。子供の喜ぶ顔を見ると、親というものはこういう気持ちになるのだろうか?
…
「ありがとうございました」
コンビニの店員とは違い、心地の良い笑顔で送られた後、夏樹は俺の手にある箱をじーっと見ていた。
「食いたいか?」
ぶんぶんと首を縦に振る夏樹。
「そんなに?」
ぶんぶん。
「今すぐにか?」
ぶんぶん。
どうにも挫けそうにはない。まあ、お預けにしたところでこの暑さだとケーキもどこか品質が落ちるような気がする。食べ物は新鮮なうちに食べるのが一番なのだ。
俺は夏樹にケーキの入った箱を渡してやった。
夏樹はそれを受け取ると、すぐに箱を開け、中にあった苺のショートケーキを見て目を輝かせた。ついでにいうとヨダレも。
「そういえばワタル、自分のぶんは買わなかったの?」
「ああ。あんまり金ももってないしな」
「俺も、ワタルの親切心を無駄にしないように我慢するぜ!」
そういえばさっきなんかポジティブな方向に考えているようなことをぶつぶつ言っていたような気がする。
「いただきまーす♪」
ショートケーキについていたビニールをとって、夏樹が大きく口を開けて―― 一口で苺のショートケーキを平らげた。
「んぐもぐ。ほいひぃへ。へーひっへ」
「食いながら喋るな。何を言ってるかわからん」
ちなみに訳すれば、たぶん「おいしいね。ケーキって」だと思う。
「にしても、ここまで知らないとなると、なんか損してる気分にならないか?」
「んっ。そうでもないよ? たくさん面白いことが見つけれて面白いよ」
ケーキを食べ終えた夏樹は、そんなことはないと言う。俺だったら絶対に何か損してると思ってしまうだろう。
だが、やはりその裏をとればたくさんの発見があるということだ。夏樹の考え方も間違ってはないと俺は思う。
「そういえば、瀬美ちゃんはここに引っ越してくる前には何処に住んでたの?」
「え? えっと……たぶん、あっち」
そういって指差した先には確か海があったはずだ。
「海の……向こう?」
「お前、本当か?」
「えっと……それじゃあっち」
そして指差した先には森が広がっていた。あの蝉樹のある森だ。
「って、さっきから曖昧だな、お前」
「うーん……本当はよくわからないんだ」
「?」
疑問は俺と光介のものだ。俺たちは二人そろえて首をかしげた。
「それってどういう」
「ねえねえ! それより、他のお店にいってみようよ!」
俺がしようとした質問をさえぎって、夏樹は催促した。
どこか気になるが、こういう話はあまり深く追求しないほうがいいのだろう。そう思って俺も光介も暗黙の了解で夏樹に付き合うことにした。
…
「それじゃ、もうそろそろ帰らなきゃいけないから」
小さい商店街をたっぷりと時間を費やして回り終えた頃、光介はそういって手を振って帰っていった。
そういえばあいつは買い物を頼まれたんだった。
光介と別れて俺は夏樹と二人になる。さっきまで気にならなかったが、こうなると少し夏樹を意識してしまった。
「昼時だし、なんか食うか?」
「そうだね。ちょっとお腹も空いてきたし」
とはいったものの、この近くに生憎とファミレスはない。仮にも商店街があるのだから、そこに一軒ぐらい建ててしまえばいいものの。
何か昼食を食べるところがあるとすれば、ここから少し離れたところになる。
「ちょっと歩くけど、いいか?」
「もちろん!」
夏樹の元気いっぱいの声に少し安心して、俺と夏樹は商店街を後にした。
どちらにせよ、町案内の目的で始めたのだからそこにたどり着くまでに軽く案内するのもいいだろう。
「ワタルおにいちゃん、どこで食べるの?」
「そうだな。ここから少し離れたファミレス。その間に案内するところもあるし、気楽にいこうぜ」
「ふぁみれす?」
「お前、ファミレスも知らないのか?」
「うん。初めて聞いたよ?」
やはりここまでくると人生損してる気分になるだろ、普通は。
だがここまでくるともう慣れたもので、同時に夏樹の親はどんな厳しい教育をさせていたのだろうと心配してしまう。まさか外出させずにずっと引きこもらせていたんだろうか? 学校は通信教育とか。最近は便利になったもんだから、家にいても勉強できるし。
夏樹に親のことでも聞いてみようかと思ったが、もしも俺の考えがあっていたというのなら暗い雰囲気になるかもしれない。無粋な質問はさけることにした。
「ファミレスっていうのは、簡単にいうと飯を食うところだ」
「? 勝手にご飯が出てくるって事?」
「まぁ、その捕らえ方は間違ってはないけど、もうちょい言うならコックさんが料理を作ってくれて、それを俺たちが金を出して食べるって感じかな?」
「へえー。おいしいの?」
「店にもよるけど、まずいもんはあまりないだろ」
少なくとも、今から行くファミレスは大丈夫だ、とつけたしておくと夏樹は楽しみでたまらないといった感じになって、鼻歌を歌い始めた。
その音楽にはどこか聞き覚えがあった。
つい最近、どこかで聞いたような――。
「ねえ、これなに?」
夏樹が俺の横からいなくなったと思ったら、少しはなれたところで何かを指差している。それは種が偶然落ちて生えたのか、コンクリートに一輪だけ大きな向日葵-ヒマワリ-の花があった。
「お前、向日葵も知らないのか?」
「ひまわり? あ、それなら聞いたことあるよ! 夏に咲く黄色いお花だよね!」
どこか抽象的な覚え方ではあるが、間違ってはいない。
「もしかして向日葵見るのは初めてか?」
「うーん。初めてかな? 遠くから見てたりすることはあったんだけどね」
「遠くから?」
「うん。遠くから黄色い花畑みたいなのが見えてたから、それを見てたんだけどあれってひまわりだったんだね」
うんうん、と納得したように頷く夏樹。遠くから、というのは家の窓からということだろうか? 丁度この町にも向日葵畑なるものがあるが、今から行くファミレスとは逆方向にある。
「前住んでたところにも向日葵畑みたいなのがあったのか?」
「えっと……うん、あったよ」
なぜか少し迷った夏樹を、不思議と変に思うことはなかった。何かこういう耐性がついてきてしまっているのだろうか?
「ファミレスで飯食った後、逆方向になるけど向日葵畑にいってみるか? この町にもあるんだ」
「え!? 本当!?」
こうやってなんにでも興味をわかせて目をキラキラさせてくれると、こっちはこっちでうれしい。
俺は首を縦に振ると、とりあえずの目的地であるファミレスへ夏樹とともに歩いた。
コンクリートにぽつりと一輪だけ咲いていた向日葵は風に揺られて、太陽のほうを向いていた。
結局、ファミレスに着くまでは何も案内するものなどなかった。
行くまでの道がほとんど先ほどいった商店街と同じような雰囲気だったためか、夏樹もいろんな店をせわしく目をきょろきょろとさせながら見ていた。
そんなこんなで十分ぐらい歩いてから、やっとのことファミレスについた。
学生達は夏休みだが、大人にとっては何の関係もない時期。平日ということもあって、ファミレスは空いていた。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
「二名です」
「はい、かしこまりました。ではこちらの席へどうぞ」
営業スマイルなのか本当の笑顔なのかわからないぐらいの完成された店員の笑みについていきながら、俺と夏樹は店の奥のほうの禁煙席へと座った。
「なんか頼みたいものがあったら、一個だけ奢ってやる」
事前に注意をしておくと、夏樹は聞いているのか聞いていないのかメニューを見てどれにしようかと迷っていた。
「ねえねえ。この“からあげていしょく”って何?」
「え? いや、そのまんまだけど……」
「それじゃそれじゃ、この“ごくぶとらーめん”って何?」
「いや、たぶん麺が太いラーメンじゃないのか?」
「じゃあ、この“おこさまらんち”って」
「待て。お前、外食もしたことないのか?」
「うん。えっと……ずっと家でしか食べたことないよ?」
俺は思わずため息をつく。外食を一回もしたことないなど、本当にどんな教育をさせていたるんだか。
「とりあえずお前の場合はそのお子様ランチで充分だ」
「うーん。わかった! それじゃこのお子様ランチにする」
「あいよ。それじゃ俺はと……」
先ほど夏樹がいったから揚げ定食に極太ラーメン。お子様ランチに引き続き豚のしょうが焼き定食とかカツ丼なるものがあった。
こうやってメニューを見てると、夏樹にお子様ランチを薦めたのは少し間違いだったろうか、と悩んでしまう。
このままでは、夏樹が俺の頼んだものと見比べて俺の飯が食われかねん。
金もあまりないし、ここは――。
「んじゃ、俺もお子様ランチでいっか」
渋々と俺はそれにすることにした。
店員を呼び出すスイッチを押して店員を呼ぶことにする。
「それなんのスイッチ?」
「これか?」
来るとは思っていたが、スイッチに興味を示した夏樹に俺は押してみるよう促してみる。
すると夏樹は不安げにスイッチを押した。
“ピーンポーン♪”
少しだけ夏樹がびくりとして、なんだなんだといわんばかりに周りをきょろきょろと見始めた。程なくして店員がやってくる。
「ご注文をどうぞ」
にこにこと笑いながら女性店員は注文を聞く。
「えっと、お子様ランチ二つ」
「え。お子様ランチ二つ、ですか?」
「はい。そうですけど……」
あー、なんか堪えてる堪えてる。絶対に俺がお子様ランチ頼んだことにたいして笑いを堪えてる。
まだ夏樹は俺と同年代かもしれないといっても、顔つきは結構幼い。別にお子様ランチを頼んだところで違和感はないのだが、どうもいい年した俺のような男子となるとそれは違ってくるらしい。
「か、かしこまりました。それではご注文を確認させていただきます。お子様ランチがお二つでよろしいで、ぷっ、しょうか」
最後のほうに笑いが混じっていたのは気のせいだと思いたい。
俺はてきとう適当にそれを流すと、店員は少し笑いを抑えながらキッチンのほうへと帰っていった。
後々、あの女性店員は同僚の奴らと「今日お子様ランチ頼んだ高校生ぐらいの男の子がきてさー」みたいな話をするのだろうか?
……うぅ。そう考えるとなんだかこの店にはもうこれないような気がする。少しだけ透のネガティブ思考がうつったのか、俺はマイナス方向にしか考えられなかった。
「ねえ、ワタルおにいちゃん」
「なんだ?」
夏樹の声に少しだけネガティブな方向から戻った。
「さっきのボタンを押すと、店員さんが来るの?」
「まぁ、そうだな」
「へぇー……ニヤ」
夏樹の目がきらりと光り、口元が怪しく歪む。やりたいことはだいたいわかる。
「ストップ! 不必要にボタンを押そうとするなよ?」
「うぅ……」
少し残念そうに伸ばしかけていた指を離し、落ち込む夏樹。夏樹の気持ちもわからないでもない。俺も子供のころは不必要にそのボタンを押し捲りたかった。もちろん親に止められたが。
間もなくして、お子様ランチが二個運ばれてきた。
夏樹はそれに目をキラキラさせているが、俺は目をにごらす思いだった。やはり普通のものを頼んだほうがよかったといまさらながら後悔している。
「それじゃ、いただきまーす♪」
「いただきます」
お互い手を合わせて、目の前にあるかわいらしい飯を食べ始める。
夏樹は「おいしい!」といってがつがつと食っているが、実際そんなに量はない。俺はとりあえず腹は満たされないだろうが、食うだけ食った。
中途半端な食事というのは、逆に腹が減ってたまらないのだが、今はそんなことは気にしていられない。外は暑く、歩くだけでも体力は消耗されていく。
このファミレスに入ってからはクーラーは完備。さらに飯も飲み物もあるとなったら、ここで体力を回復しない手はないだろう。これから反対側にある向日葵畑にいくと考えると、少しだけ目眩がしたが、そのための体力回復である。
「ワタルおにいちゃん」
「ん? なんだ?」
「ゼリーちょうだい!」
夏樹が欲したのは、お子様ランチに必ずといっていいほどついてくるゼリーだった。俺は別にそこまでゼリーに固執するわけでもないので、夏樹に自分のゼリーをあげる。
「ありがとう」と礼をいって、夏樹はおいしそうにゼリーを食べ始めた。
俺はといえば、ずいぶん前に食べ終わっていて、夏樹が食べ終わるのを待っていたところだ。ゼリーもなんだか食べる気になれず置いていただけだった。
「ごちそうさま♪」
「ごちそうさま」
しばらく水なんかを飲んで休憩したのち、俺と夏樹は席を立った。
「んじゃ、支払いしてくるわ」
「はーい」
俺は会計のレジへと行き、レシートを渡す。
それを見た店員は少し笑いそうになっていたが、口を手で押さえて堪えていた。早く立ち去りたい。
「六八〇円です」
俺は財布の中から千円札を取り出し、つりをもらうと後ろにいた夏樹とともに外へ出た。
外へ出れば炎天下。さっきまでのクーラーの効いたファミレスとは違い、むっとたちこめるものがあった。
「それじゃ、ひまわりばたけにいこ! ワタルおにいちゃん♪」
だが、そんな暑さも気にならないのか夏樹は元気に飛び跳ねている。向日葵畑。いまさらながら行くのを躊躇った。
「なあ、明日でいいか? 向日葵畑」
「えー? 今すぐがいいなー」
「俺はお前みたいに暑さに強くないんだよ。すまない! 今日は他のところ見て回ろうぜ? な?」
「うー。ワタルおにいちゃんがそういうならいいけど」
頬をぷくっと膨らませて不機嫌になる夏樹。
「大丈夫。明日は絶対に連れて行ってやるから」
「……わかった」
「よし! それじゃ、海でも行こうぜ」
「うみ?」
「おいおい。海ぐらいは知ってるだろ?」
「大きな水溜りのこと?」
「まぁ、間違ってはない。とりあえず行こう」
「うん!」
なぜ自分はこんなに優しくなってるのだろう? なんて、自分らしくないと思いながら俺は海のほうに向かって夏樹と一緒に歩き出した。
…
「やっぱり夏といえば海だな」
「わー……」
海にはそれなりに人がいた。別にこの季節珍しくもない。
「ねえねえ。みんな下着だけど大丈夫なの?」
「ぶっ! 下着ってお前な。あれは水着っていうんだよ。泳ぐときに使う専用の衣服みたいなもんだ」
あまりにも外れた答えをいうもんだから、俺は思わず吹いてしまった。
「水着はないから泳げないが、近くまで行ってみるか?」
「え? 大丈夫、かな?」
「何がだ?」
「いや、いきなりあの水溜りが襲い掛かってこないかな、って」
俺はそんな夏樹の心配に笑ってしまった。
「な、なんで笑うの! ワタルおにいちゃん」
「いや、ははっ。ごめんごめん。あまりにもお前がくだらない心配するからさ」
「くだらなくないよ! いきなりあの水溜りがざぱーって襲い掛かってくるかもしれないよ?」
「大丈夫。そんなことはないし、仮にあったとしても今日は絶対にありえない」
本当に? と問いかけてくる夏樹に俺は自信を持って答えてやる。
それならば、ということで夏樹も海沿いまでいくことにした。
「ほら、襲い掛かってきやしないだろ?」
海沿いまでいって、夏樹は俺の手をずっと握っている。そんなにこの海が怖いものなのだろうか?
俺は少し夏樹を押して、足を海へ入れてやる。
「ひゃっ!」
突然押されて、海の冷たさに驚いたのか夏樹は小さく悲鳴をあげた。
「な、何するの、ワタルおにいちゃん!」
「あまりにも怖がってるもんだからな。でも、ただ冷たいだけで大丈夫だろ?」
「う、うん」
夏樹は頷くと、恐る恐るつま先を海へ入れてみる。最初はちょんちょんするだけで足をひっこめていたが、やがて足を海の中へと入れた。
「つめたーい!」
だろ? と俺は少し自慢げな顔をしてみる。夏樹は海の心地よさに感動したのか、足は水を蹴ってばしゃばしゃとさせている。
それにしても、元から付き合いが悪いわけではないが、ここまでしてなぜ夏樹に付き合っているのだろうと思う。もちろん、ただ単にコンビニでパシらされて買ってきたアイスを食べられてた、というところから始まったわけだが、そうとはいってもまだ会って二日しか経っていない。光介や一哲たちとだって、こんなに仲良くなるまでには一週間はかかった。
だが、夏樹瀬美という存在は違った。夏樹のほうからとけこんできてくれて、とても親しみやすかった。だから俺はこうして今付き合っているのだろうか? もちろん、今は町案内ということで一緒にいる。夏樹は本当に何も知らない。だから、何処へ言ったって楽しみを見つけられる。だからこちらも気は重くない。それに、何か夏樹は普通とは違う雰囲気が漂って――。
「――わぷっ!!」
突然、俺の顔に塩水がかかってきた。何事かと顔についた水を軽く払い、目の前を見てみると夏樹が楽しそうに俺のほうへ水をかけていた。
「ワタルおにいちゃんがぼーっとしてるからいけないんだよ!」
楽しそうにいう夏樹。どうやら俺はぼーっとしていたらしい。自分らしくない、何を考えふけっていたのだろう?
それより――。
「よくもやりやがったな!」
俺は仕返しに夏樹に水をかけてやった。
「うあっ! よくもやったなー!」
更に仕返しといわんばかりに、夏樹はばしゃばしゃと手で水をかけてくる。
俺も負けじと水をかける。すでにお互いの服はびしょぬれだった。
「えっち、ですね」
不意に聞こえた声に俺は驚く。夏樹が「あ、こずえさん」と言って、俺の後ろから声をかけた人物がこずえだと理解する。
俺は夏樹との水の掛け合いをやめて、後ろを向く。そこにはこずえがいた。
「何がえっちなんだ?」
「瀬美ちゃんの服。すけすけになっちゃいますよ?」
「………………」
言われて気がついた。そういえば夏樹はいつもと同じ服の白いワンピースと麦わら帽子だけ。下着を着ているかどうかはさておき、すけすけになったら危ないのではないだろうか。
「すまん、こずえ。ちょっと夏樹見てくれないか?」
「いいですよ。ワタルさんが見たらいけないですもんね」
静かな口調でこずえが夏樹のほうへ歩いて行く。俺は夏樹に背を向けたままで、服がすけすけになっていないことを祈る。
「? どうしたの? こずえさん」
「ワタルさんが破廉恥なことをしようとしていないか調べてるんです」
誤解だ! っていうか、別に破廉恥なことなんてしようとしてない!
「結構濡れてますね」
その言葉に少し反応してしまう俺。いや、辛い。なんだか辛い。
「でも、大丈夫でしょう」
そのこずえの言葉を聞いて、俺は安心してほっと息をつく。
一応ゆっくりと後ろを向いたが、確かに夏樹の服は少し濡れているぐらいで、すけるほどでもなかった。
「いや、すまなかった」
「いえいえ。それにしても」
「ん?」
「らぶらぶですね」
「なっ!」
俺は思わず反応してしまう。こういうのは無駄に反応すると怪しまれるのが道理である。
「そんなんじゃないって! たんに俺は夏樹に町案内をだな」
「お二人で、ですか?」
「いや、午前中には光介がいたんだけど……」
「そうですか。残念です」
案外あっさりと納得してくれた。ってか、何が残念なんだよ。
一息ついて俺が夏樹のほうを見てみると――頬を赤らめていた。
「なんでお前、ちょっと顔赤いんだよ」
「へ!? いや、わたしとワタルおにいちゃんがカップルに見えたって……」
「本気にするなって! あれはこずえの冗談だから」
「そうなんですか? こずえさん」
「いいえ、本気です」
俺のフォローも空しく、こずえはあっさりと否定してくれた。
「で、なんでお前こんなところにいるんだ?」
「いてはいけないんですか?」
「いや、そういうわけじゃなくて」
こずえとは三年間、もちろん友達としてつきあってきたが、よく話のウマが合わないことが多い。なんというか、こずえは独特なオーラをまとっているような気がする。
「ただの散歩です」
そういわれて、俺は「そうか」と納得する。にしても、いつも読書ばかりしているわけではないようだ、こずえは。
いつも学校に集まって遊ぶときでも、こずえはたいてい本を読んでいる。みんなそれには慣れているのか、別に邪魔はしない。いや、一回だけこずえの読書の邪魔をして、其の次の日からやけに陰湿ないじめ的なことをされていた学生が一人いて、そのときこずえが口元を少しゆがめていたところ皆が見てしまったからなのだろうが。
「こずえさんも、一緒に水のかけあいしませんか?」
夏樹が楽しそうにこずえを誘う。
こずえはといえば――優しそうに微笑んでこくりと静かに頷いた。
「やったー!」
「別にやるのがいいけど、その服装で大丈夫なのか、お前?」
こずえの服装は白い通気性のよさそうな半袖に、丈がくるぶしと膝のちょうど中間あたりまである長めの青いスカートだ。
こずえらしい服装だが、水のかけあいに適しているとはどうも言い難い。
「大丈夫です。ちゃんとスパッツは穿いてますし、服も透けることはないですから。……たぶん」
なんか最後にぼそりと言ったような気がしたが、気にしなくていいのだろうか? というか、女子が軽々とスパッツを穿いているって、何かいけないような気がする。
「それじゃいくよ! こずえさん!」
「いつでもどうぞ」
静かに言って、こずえは靴と靴下を脱いで海へ足を入れる。
それが開戦の合図のように、夏樹は容赦なく水をこずえにかける!
「どうだ! ――って、あれ?」
夏樹はガッツポーズをしてきょとんとする。そこには、さっきまで前にいたはずのこずえがいなかった。
きょろきょろと夏樹が周りを見ていると――。
「スキありです」
突如、夏樹の後方から水がかけられる。
俺も見ていたが、さっきまで確かにこずえの姿は見えてなかった。
「ううぅ。いつの間に」
水を軽くはらいながら、夏樹はこずえと向き直る。
音をたてずに夏樹の後方に回り込んだこずえ。こずえ、恐ろしい奴だ。
「今度こそ!」
たぁ! といって水をばしゃっ! とかける。だがそこにこずえの姿はなく――。
「きゃっ!」
今度は夏樹の横の方向からこずえが水をかける。
「なんでー!?」
「さすがに俺も怖くなってきたぞ。何がどうなってんだ」
ってか、何処のしょぼいバトル漫画だ、これは。
「私には誰もついてこれませんよ、うふふ」
なにやら怪しげな笑いをして夏樹の目の前にたつこずえ。はて、こずえはここまで邪悪なキャラだったろうか。
「ワタルおにいちゃん!」
「なんだ?」
「一時休戦だよ!」
つまるところ、一緒にこずえを倒そう、ということなのだろうか。
その前に、夏樹と俺は戦っていたつもりはなかったのだが、そこは別に気にしなくてもいいだろう。
「よし! 二人でこずえを濡らすか!」
「ワタルさん、エッチです」
「違う! いや、意味としては間違ってはないけど」
「ワタルおにいちゃん、ダメだよ。そんなことしちゃ」
「じゃあどうしろっていうんだよ」
俺は少しあきれ返りながらため息をつく。もうどうにでもなれ。
――かくして、戦闘は始まった。いや、戦闘って。
配置は俺と夏樹が背中を預けあう形。
こずえは今は俺の前方に立っている。
先ほどの夏樹のように守るべきは全方位ではなくその半分。先ほどよりかはずいぶんと楽にはなる。お互い守るべきはおおまかにいって全八方位から五方位。こずえが後ろに回りこんだとしても夏樹が。もしも違うというのなら左右に注意していればいい。
はて、なぜ俺はこんなに戦況分析などしているのだろうか。
疑念はつきない。だがやるとなれば本気だ!
「どこからでもかかってこい!」
「わたしの背中は預けたよ! ワタルおにいちゃん!」
……ほんと、どこのバトル漫画なのだろうか。
「それでは、いきますよ?」
ごくりと唾を飲む俺。
敵は動く様子はない。先ほども夏樹が水をかけて、たぶんその水しぶきで前が見えにくくなったときに移動したのだろう。ならば――。
「おら!」
俺は水を足でかけ――るふりをして、水があがる寸前で止める!
すると前方にいたこずえは水音をわずかにたてて俺の右のほうに回りこむ。やはり消えた、というのは錯覚だったのだろう。
「夏樹、右――じゃなくて左!」
一応いっておくと、俺から見て右であって、夏樹からみたら左の方向にこずえは回りこんだのだ。
二人一斉に足で水をかける! そこには水をかけられたこずえが――いない?
「えいっ!」
夏樹が両手で力強く水をかける音がした。こずえは夏樹のほうに回りこんだらしい。
「ワタルおにいちゃん! そっち!」
どうやらはずしたらしい、俺は前をみ――。
「ぶわっ!」
「きゃっ!」
俺の顔面に大量の塩水。同時に夏樹の顔にも大量の塩水。
「めいちゅうーーー!」
「やったやったー!」
そしてこずえの声――じゃない。
なにやら子供の声が聞こえる。明らかにこずえの声ではない。それ以前にこずえがこんなハイテンションな声をあげるわけがない。
俺が顔にかかった水を手で払って前を見てみる。少しだけ塩水が目にしみる。
俺の前にはこずえではなく、そこら辺で泳いでいたと思わしき水着姿の子供がいた。腕には少し強力な水鉄砲をかかえていた。
「子供?」
「こっちもこずえさんじゃないよ?」
夏樹の声に振り返ると、そこにもそこら辺で泳いでいたと思わしき水着姿の子供がいる。この子も腕の中に強力水鉄砲。
「もう。ダメじゃないですか」
そして俺たちの横から優しい声で子供たちに喋るこずえ。
「どういうことだ? こずえ」
「……ばれてしまいましたね。残念です」
――ネタ明かし。
こずえはもとから水などかけていなかった。
その代わり、その辺にいた子供たちに協力してもらったらしい。
夏樹とタイマンだったときは、こずえはただ避けていただけでこずえがいた場所から子供たちが水鉄砲で撃っていた、ということだった。
子供はもぐって隠れていたらしく、ほとんどこずえと離れない場所で射撃していたらしいから、こずえが避けたときに飛び出て水しぶきをあげ、あたかもこずえが夏樹に水をかけていたように見せたという。
その子供の存在に気付かなかったのは、俺と夏樹がこずえが最初の一撃をくらったものだと思って最初にいた場所だけ見ていたからだろう。にしても、いつの間にこずえは子供を味方につけたんだ。
「無駄に頭使う戦略だな」
俺は少しあきれながら感心する。
「わたしもまったく気付かなかったよ。すごいね、こずえさん」
「いえいえ、それほどでも」
頬に手をあてながらかすかに笑うこずえ。まあ、一分あったかないかの戦いだったが、面白くはあったから文句はないが。
「ねーねーおねえちゃん、もっとあそぼ!」
「おにいちゃんたちもいっしょにあそぼうよ」
それぞれもぐっていた場所から出てきた少年少女あわせて八人がそれぞれにせがむ。
腕の中には例の強力水鉄砲があるわけだが、いったいこの少年少女たちはどんな遊びをしていたのだろうか。
「いいよ! あそぼー!」
腕をあげながらさっそく子供たちと遊び始める夏樹。
もちろん、俺も強制参加という形で一緒に遊ぶことに。
こずえはあまりのり気ではないと思ったのだが、意外とあっさり子供たちと遊ぶことを承諾した。
子供たちは喜び、それ以上になぜか夏樹が喜ぶ。
遊ぶ内容は先ほどと同じ。水のかけあいで、今度はチーム戦。
子供たちの持っていた強力水鉄砲がそれぞれ四個ずつわけられ、審判一人。戦闘者五人ずつとわけられた。
審判はもちろんというべきかこずえが。
俺と夏樹はそれぞれ別のチームになった。強力水鉄砲は八個しかないので、一人だけ素手で水をかけることになる。俺のチームは俺以外の子供が水鉄砲装備。
相手チームは夏樹含めるほか子供三人が水鉄砲装備。残った子供一人が素手ということになった。
「それでは試合を開始します」
こずえが静かな声で宣言する。
お互い、距離を少しおいて戦闘準備に入る。
「試合――開始」
静かな声は周りの喧騒にかきけされるかと思ったが、意外と凛と聞こえた。それと同時に戦いは始まった――!
…
「じゃあねー、おにいちゃん、おねえちゃん」
「ばいばーい、夏樹おねえちゃーん!」
「じゃあねーー!」
手を大きく振る夏樹。お互い帰るころには日は暮れていた。
意外と白熱したチーム戦の水のかけあいは何度かやって俺も夏樹もこずえもびしょ濡れだ。
こずえも一回だけ参加したが、こどもがいなくてもこずえは強かった。
「楽しかったね!」
「そうだな」
俺は久しぶりに海で遊んで疲れた。夏休みの中盤ごろに一哲たちと一度いった以来だったからな。
「またしようね、ワタルおにいちゃん」
「できたらな」
「もちろん、こずえさんもだよ」
「はい」
その後、こずえと別れ、俺と夏樹は今帰路を辿っている。
「海って楽しいし気持ちよかったねー」
「そうだな。お前、海いったことないなんて少し損した、って思わなかったか?」
「うーん……ちょっとしたかも」
あくまで笑顔のままで夏樹は言った。俺も今日は楽しかった。
「あ、それじゃここでバイバイ! また明日ね」
「ん? ああ。じゃあな、明日もここ来いよー」
「もっちろーん♪」
いつの間にかコンビニ前に着いていて、俺と夏樹はそこで別れた。夏樹は俺とは違う方向に走っていっている。それは後ろ姿だけでも楽しそうで、影はそれに合わせてゆらゆらとゆれていた。