The Second Day -Under the cicada tree-
どんどん長くなっていきますが、どうぞよろしくお願いします。
後、改行とかについてのシステムがよくわからなかったので、ところどころ一個スペースを空けている行やあけていない行があるかもです。
8/16 ルビの修正
何処までも広がる青い空の清々しさとは裏腹に、空の下では太陽の熱によって熱せられたコンクリートがある。
その上を、今日も学校に行く前に昨日約束したとおり、コンビニの前に行くために歩いている。
「こういうときにスカートって涼しいよな……絶対」
いくら男性には半ズボンというものがあろうと、蒸せるものは蒸せる。
それに対して、女性にはスカートという、通気性がズボンよりかなりいいと思われる服がある。
なんとなく、そんなスカートというものを羨んでみたりするが、何か変態チックなものを漂わせるので、俺は頭からそんな考えを振り払う。
「ワタルおにいちゃーーん!」
変態チックな考えを振り払ったときに、聞き覚えのある少女の声が聞こえた。
気がつけばコンビニの近くまで来ていた俺はコンビニの前にいる少女の姿を確認する。
少女は元気よく手を振っている。
「恥ずかしいからやめてくれ、その呼び方」
俺は少女――夏樹瀬美のもとまで行って、“ワタルおにいちゃん”という呼び方を制した。
「なんで?」
「なんでって、だから恥ずかしいんだって」
「そんな理由じゃ駄目です!」
「いや、だから……ああ、もういい。わかった。ただし、あんまり人前ではいわないでくれよ」
なんだか、相手をしていたら今日も灼熱地獄にやられてしまいそうだ。
「うん、ワタルおにいちゃん」
それでも、ただ恥ずかしいというだけであって嫌であったわけではない。
まったく、そう呼ばれたいのか呼ばれたくないのか。自分でもわからなくなる。
「それより、金は持ってきたんだろうな?」
「その言葉、悪者みたい」
「………………」
「え、えっと、もって来たよ! だけど、何円払えばよかったの?」
そういえば、昨日は金をもってこいといったけで金額はいってなかった。
「そうだな、カップアイス一個百円ぐらいだから、六個でしめて六百円だな」
今思えば、結局アイスを全部平らげた夏樹だったのだが、六個もよく食べたものだ。
「六百円――あっ。百円足りないや」
ポケットを探り、手のひらに出された金は、百円玉二枚に十円玉八枚。
五十円玉が五枚、五円玉が十枚。
よくもまぁ、こんなに細々としたものが集まったものだ、と思いながら頭の中で計算をすると、確かにぴったり五百円で百円足りなかった。
「それじゃ、俺の分はいい。その金をあいつらに渡してやれば良いさ」
「えっ、いいの?」
「そのうち一個は、俺が食っていいって言ってあげたようなもんだからな。別にいいさ」
「ありがとう! ワタルおにいちゃん!」
うれしそうに言って、俺に金を渡す。
さすがにこんな細々としてちゃ分けるのが難しい、っていうかできないだろうから俺の金と両替しておこう。
「それじゃ、俺は行くから。次からは勝手に神の恵みだのなんだのいって人のものを食ったりすんなよ」
用件は済んだし、これ以上夏樹と一緒にいる理由はない。
それに、学校じゃ一哲たちが待っているだろう。特に、一哲は昨日は許してくれたが、それでも金を返すのが遅れたら、また理不尽な利子をつけられそうだ。
「そうなの? それじゃさよなら、ワタルおにいちゃん」
「おう。じゃあな、夏樹」
そして俺は灼熱地獄の大地を歩き出し、学校へと続く坂道を登っていった――
――のだが、どうも後ろで楽しそうな声が聞こえる。
坂道を登り始めてたった数分間。
その間に、俺は夏樹という少女と別れるのが惜しくて、脳内で夏樹の声が再生されているものだと思っていた。後ろを振り返るまでは。
最初は暑さ故にまったくほかの事に気を配れず上っていたのだが、そのうち俺の背後で楽しそうな少女の声が聞こえてきた。
どこかの子供が何かではしゃいでいるのかと思って気にも留めなかったが、その楽しげな声は俺の背後から着いて離れない。
脳がやられたのかと思って振り返ってみれば、そこには楽しそうな顔をした夏樹瀬美がいた。
「………………」
「? どうしたの、ワタルおにいちゃん」
「さっき、じゃあな、って別れたよな?」
「うん、したね」
「だったら、何でお前がここにいるんだ?」
「いたらいけないの?」
「いや、いけないってわけじゃないが、なんていうか……なんで俺の後ろにいるんだ?」
「いたらいけないの?」
「だからいけないってわけじゃないが、お前が俺の後ろで楽しげにしてた理由を教えてくれ、っていってるんだ」
「? 特に理由はないよ?」
質問しまくって成果なし。結果としての答えが、特に理由がない、とは。
真面目に質問をしたのが馬鹿みたいだ。
「わかった。じゃあ、お前は何処に行こうとしてるんだ?」
「ワタルおにいちゃんの行くところ」
「ストーカーか、お前は」
「ストーカーじゃないよー。失礼だなー」
頬をぷくぅっと膨らませて怒っている。いや、これは怒るという部類に入るのだろうか?
どっちかというと可愛いという部類に――何を考えてるんだ、俺は。少しばかし自己嫌悪に陥る。
「わかったわかった。っていうか、俺についてきても面白いことなんてないぞ? ただ学校で友達と遊ぶだけだし」
「それでもいいの。どうせわたし、暇だしね」
にっこりと笑ってみせる夏樹。なにかそれに違和感を感じると思ったら、俺とは正反対にまったく汗をかいていなかったことだった。
「お前、汗一つかいてないってすごいな」
「え、そう? こういう暑さには慣れてるからかな?」
慣れてても汗はかくだろ、とつっこもうと思ったがそれはやめておいた。
世の中には汗をかかない人間だっているらしい。だったらここにそんな人間がいたとしてもおかしくはないのだろう。世界は広いものだ。
「あっ、ワタルおにいちゃん」
不意に夏樹が汗一つかいていない綺麗な顔をこちらに向ける。
「蝉樹-セミキ-って知ってる?」
「蝉樹? そりゃこの町に住んでりゃ誰でも知ってると思うぞ?」
――蝉樹。
この町のシンボル的な大樹だ。
樹齢はわからないのだが、昔からこの町が村だったころからあったらしい。
一○○年なんて普通に越しているかもしれない。
そのシンボルであるその蝉樹は、様々な蝉がこの樹に集まる、ということからついた名前だ。
蝉は夏によく出るため、夏になると蝉樹に蝉が大量に集まり、不思議なことに決まった時間帯になると一気に鳴きだして蝉の大合唱が聴ける。
その大合唱は、はっきりいって五月蝿い。決して綺麗な音色ではないと俺は思っている。
年寄りたちは、いい鳴き声だのなんだのいって聞き入っているときがあるが、俺にはどうもわからない。
蝉樹から結構離れているはずの俺の家からでもその大合唱は聞こえてくる。
「で、蝉樹がどうしたんだ?」
「うん、この町ってその蝉樹っていうのが有名なんでしょ?」
「まあな。あんまり世間では有名じゃないけどな」
「わたし、一回そこにいってみたい!」
「……で?」
「連れてってくれない?」
うるうるとした瞳で俺を見てくる。
何かエフェクトを入れるなら、目からきらきらと光が発せられるエフェクトだろう。
確かに、蝉樹というのは有名だが、行くには道のりが少しばかり厳しい。
遠くからでも聞こえるのだから、別にそこまで行く必要はないのだろうと、誰も蝉樹までの道は切り開いたりはしていない。
道のりは森の中を通っていくことになる。子供のころに興味本位で行ったのことがあるが、蝉樹にたどり着くまで軽く四時間はかかってしまった。
しかもたどり着いた報酬が五月蝿いほどの蝉の大合唱である。
分に合わなかったと少し嘆いていた記憶がある。
ちなみに道のりは、帰るときによく見れば意外と目印になるような樹とか石なんかがあって、行くのに四時間近くかかったというのに、帰りは一時間ぐらいで帰れた。
まあ、結局は遠いのには変わりはないと思うのだが。
「わかった。わかったから瞳をうるうるさせるのをやめてくれ」
素直にうるうるとした瞳をやめる夏樹。
「別にいいけど、意外と遠いぞ? それに五月蝿いだけだし」
「五月蝿くなんかないよ」
「えっ?」
夏樹の声色が変わった――様な気がした。
何か少し怒りか悲しみが篭っていたような気がした。
「な、なんでもないよ。でも蝉の鳴き声ってわたしは綺麗だと思うよ」
だが、それは単なる気のせいなのか。
夏樹はいつもの調子に戻って、そう言った。
「そ、そうか? どうも俺にはわからないんだよな」
今まで見た夏樹とは違う夏樹を見たようで、俺は一瞬戸惑っていたが、そんなことはいつの間にか迫っていた学校を目前にしてふっきれてしまった。
「なんか最近いつの間にかっていうのが多いような……」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「結局、蝉樹には連れてってくれるの?」
「ん? ああ、そうだな。俺の友達も連れて行くけどいいか?」
「うん、もちろんだよ!」
「んじゃ、ここで待っててくれ。呼んでくるから」
夏樹は元気よく頷くと、待ちきれないといわんばかりにはしゃぎだした。
そんな夏樹を後にして、俺は学校に入ってゆく。
昨日あんだけ疑われたこともあるし、疑いを晴らすのには丁度いい。
それに、こんなに外は晴れているというのに、教室の中でずっと遊んでいるより健康的だろう。というのは単なる付けあわせの理由で、俺は単にみんなにこの暑さを改めて味わってもらおうと、昨日の復讐気分になっていた。
…
――ということで、意外とみんなはあっさり了承してくれた。
外に出るのは面倒だというとでも思ったのだが、昨日言った子が蝉樹に行きたいといっている、といったら、決して性格は悪くないやつらだ。
一哲たち男子は、お前だけ格好つけるな、ということで着いてくるし、ミナツたち女子は、俺一人にまかせたら危ない、とついてくる。
信用されてるのかされてないのかわからないが、これはこれでいいのだろう。
「はじめまして。わたしは夏樹瀬美といいます!」
元気よくあいさつをする夏樹。
それを見て一哲以外の四人は少し驚いている。
「驚いた……本当だったのね」
「ワタル、ごめん。疑って……やっぱり僕は最低な人間だ!」
「まさか本当に引っ越してきた子がいたなんてな〜。しかも美少女ときた」
「お前ら、もうちょっと人を信じろ」
いや、やっぱり俺は信じられてないのかもしれない。
「で、ワタル。この子を蝉樹まで案内すればいいのか?」
一人だけ冷静で、そして少し楽しそうな一哲が顔はそのままで聞いてきた。
「ああ。俺一人でもよかったけど、子供ののときにあそこで迷ったことがあってさ。一人じゃ自信ないし、よろしく頼むよ」
「わかった。あそこは少しばかり道が複雑だからな。慣れていればそうでもないが、多いほうが楽しいし、蝉樹に行くのはみんな久しぶりだろう」
「私も一回だけあそこで本を読もうと思っていったことがありますけど、とても五月蝿くて読めなかったです」
「あー、わかるわかる。遠くから聞くにはまだいいんだけど、近くで聞くとなると耳が痛くなるのよねー」
みんなが楽しそうに蝉樹の思い出話をし始める。
俺も話に混ざろうかと思ったが、一人だけ話の枠から外れていそうな夏樹を見てやめた。「まあ、みんないいやつだからさ。楽しくいこうな」
俺が呼びかけてみたが、夏樹からの応答はない。
はてなと思い、顔を覗き込んでみると少し悲しそうな顔をしていた。
「夏樹?」
「――あ、えっ? な、なに?」
「いや、呼びかけたのに返事がなかったからさ、どうしたのかと思って」
「あ、ごめんね。……えっと、ちょっと聞いていいかな?」
「ん? 別にいいけど」
夏樹は少し間を空ける。
「――蝉の鳴き声って、五月蝿いのかな?」
その質問の答えは、もちろん五月蝿いと言えば五月蝿かった。
だが、そう答えれば夏樹がまた悲しい顔をするような気がして、俺は。
「確かに五月蝿いかもしれないな」
「………………」
「だけど、蝉がいなかったら実際寂しいと思うぞ?」
「え?」
「蝉が五月蝿く鳴いているのが日常的すぎて、みんなその大切さに気づいてないんだよ、きっと。少なくとも俺はそう思ってる。みんな心底五月蝿いとは思ってないと思うぞ」
俺は我ながら恥ずかしいことを言ったなー、と少しばかり恥ずかしかった。
「そっか……そうだよね! ありがと、ワタルおにいちゃん!」
そう、大声で言った。満面の笑みで。
だが、その大声でいった“ワタルおにいちゃん”という言葉に、その場の空気が固まった。
いや、さっきまで楽しそうに話していた一哲たちが会話を唐突にやめた。
「「「「「ワタル、おにいちゃん?」」」」」
五人が綺麗に声をそろえてその唐突な言葉に俺のほうを向く。
「なあ、ワタル」
光介が俺を呼ぶ。
俺の中で何かがやばいと警報が発されている。
「お前って、そういう趣味があった――」
「違う! 誤解だ!」
「誤解も何もないじゃないの! さっき絶対に『ワタルおにいちゃん!』って聞こえたわよ!」
「ワタルくん、そういうのはいけないと思います」
「だから違――」
「ワタル」
みんなにどこか怒気がこもっているというのに、一哲はなぜか普通の声色で俺の名前を呼ぶ。
なんていうか、そのいつもの調子で聞いてくるのが怖い。
「いや、違うんだ一哲」
「そんなことはどうでもいいから、昨日の金を返せ! もうそろそろ利子をつけるぞ!」
一人だけ違うことに怒りを抱いていた。
「わ、わかった。今から返すからちょっと待て」
「あっ! あたしのもちゃんと返してよ!」
「俺のもね」
「僕のもね〜」
「私のもお願いしますね」
次々と金の要求をされる。とりあえず、さっき夏樹から返してもらった金を俺の金と両替して返すことにした。
「百円ずつでいいんだよな?」
「いや、俺のは千円だ」
「なんでだよっ!」
「昨日見逃してやった分」
「ちょっと話が違うんじゃないのか、おい」
「それじゃ、あたしも千円」
「お前は黙ってろ」
「なんですってーーー!?」
とんだ利子をつけられたものだ。
だが、今回ばかりは百円が千円になるのは間逃れようと、なんとかして百円にしてもらうことにした。
馬鹿げたことをしている俺たちを、夏樹は笑って見ていた。
そんな馬鹿話が終わった後、俺たちは蝉樹にいくための入り口付近までやってきた。
入り口、といっても、先ほどもいったように誰も蝉樹までの道は作っていない。
だから入り口というのは、単に俺たちがこっから森の中に入っていくというスタート地点というだけだ。
「ここから入るの?」
「そうだ。ちょっと道のりが厳しいから、怪我しないように気をつけろよ」
「うん!」
「じゃ、いく――」
「ストーーーップ!」
いざ一歩目を踏み出そうとした瞬間に、透が突然叫び止める。
「どしたの? 透」
「いや、子供のころとは違うかもしれないけど、一応準備はしたほうがいいんじゃないかなと思ってさ」
その言葉にみんなが考える。
確かに、軽い準備ぐらいはしておくべきだろう。
飲み水があったという記憶もないし、菓子でもいいから何か食べ物ぐらいは持っていくべきなのだろう。
「そうだな。透の言うとおり、各自家に戻って菓子でも飲み物でも持ってきておこう」
透の提案に一哲が納得し、みんなもそれに同意する。
「ただし! 金は持ってくるな。落としたらそれを追いかけて迷子になった、なんてこともあるかもしれない!」
「………………」
その言葉は、みんなを飽き飽きさせたのは言うまでもないだろう。
「それでは、いったん解散! 各自、準備ができ次第ここに再集合だ」
一哲の号令を聞いて、みんなはそれぞれ家に走って帰ってゆく。
「夏樹、お前もなんか持って来いよ」
「いや、わたしの家、引っ越したばかりだからあんまりお菓子とかないの」
引っ越したばかりだから? それでも菓子はありそうなものだが。
「だったら、親に金でも貰って買ったらどうだ?」
「………………」
なかなか答えが返ってこない。夏樹の顔は困惑の表情になっている。
「まあ、いい。なんか知らないけど、俺と一緒になにか買いに行くか?」
それを聞くと夏樹は一気に明るい表情になり、
「うん! 一緒にいこ、ワタルおにいちゃん!」
元気いっぱいに答えた。
「んじゃ、ちょっと遠いけどあのコンビニいくか」
「あのコンビニって?」
「お前が盗み食いをしたところだ」
「……どこだっけ?」
「……とりあえずついてこい。菓子、一個ぐらいならおごってやるから」
「やったー! いこいこー!」
まだ会って二日目。
なんで俺はこんなに優しくしてやってるんだろう?
そして、夏樹はなぜこんなにも親しんでるんだろう?
そんなのはわかりっこない。だから、これはこれでいいのだろう。
それに、夏休みが終わって学校が始まれば、もしかしたらもう遊ばなくなるかもしれない。
この町には、俺の通っている時雨高校のほかに小、中学校しかないが、可能性はありえる。
だというのなら、この残り六日間を楽しく過ごさなければ罪だろう。
現に、夏樹といるのが嫌なわけじゃない。むしろ好きなほうだ。もちろん異性としてではない。
だったら、この夏樹といる、という空間を維持したいと思うのは当然なんじゃないだろうか?
後で楽しめると思って、その楽しむことがなくなったら後悔してしまう。
後悔をするぐらいなら、やれることはやるべきだろう。
だが、やっぱり気になる。
「そういえば、お前はどこの高校にいくんだ? 引っ越してきたっていうんなら、転校もしてきたんだろ?」
「うーん。わかんない。ワタルおにいちゃんはどこの高校にいるの?」
「何処って、さっきお前も学校まで着いてきただろ? あそこの時雨高校っていうところだよ。この町にある高校はあそこぐらいなもんだしな」
「それじゃ、たぶんわたしもそこかな」
「そっか。んじゃ、夏休み終わっても会えるかもな」
「えっ?」
「高校が一緒なら、いつでも会えるってことだよ」
「そ、そうだね」
その言葉をどう思ったのか、夏樹はどこか愛想笑いのような笑みを浮かべながら答えた。
これで夏樹のそんなどこか困ったような悲しんでいるような顔を見るのは三回目だ。
ただの杞憂だろうか。
それから三十分後ぐらいに、またスタート地点へとみんな再集合した。
夏樹は最初アイスが欲しいとうるさくて、たぶん食べるときには完全に溶けているから、といったのだが言うことを聞かず、結局カップアイスを買うはめになった。
アイスを買ってもらった夏樹は上機嫌だ。たぶん、後で泣くかもしれない。
「それでは、これから美少女、夏樹瀬美ちゃんを蝉樹へと案内する!」
なぜかハイテンションな一哲。
みんなそれぞれにバッグに菓子や飲み物を入れてきたらしい。
あー、せめて保冷剤でも入れておけば、アイスもとけないかもしれない
「で、道は誰が知ってんの?」
光介がそういってみんなは目をあわす。
「そりゃ……」
ナツミのその言葉を合図にするように、一斉に俺のほうに指を指してきた。
その中にはなぜか夏樹までもが混ざっている。
「はいはい。誘ったのは俺だし、わかりましたよ」
ある程度、目印になるような岩や木のことは覚えている。
あの時はほとんどまっすぐにいっていたから、その途中にあるものにでも何か印をつけておけば迷うこともないだろう。
「それじゃ、みんな一列になって進む。順番は自由に」
「はーい! それじゃ、わたしワタルおにいちゃんの後ろ!」
そう来るとは思っていた。
さすがに、ワタルおにいちゃんというワードに対する反応はなかった。
思えば、さっきは一哲のおかげでなんとか話がそれた。
「それじゃ! しゅっぱーーつ!」
「おーー!」という威勢のいい声。俺たちは森の中に入り進んでいった。
最初はなんの障害もなく、楽だった道も、進むに連れて困難な道になってきて、夏樹の顔に蜘蛛の巣がつくやら、途中で蛇がでてナツミが大騒ぎするやら、透が少し置いていかれてネガティブモードになったりと、それなりに大変な道のりではあった。
もちろん、途中で間食を食べるときに夏樹がアイスを出して、完全に溶けて液状と化して、夏樹が泣きそうになったのは言うまでもないだろう。
結果、みんながそれぞれ夏樹に自分の持ってきた菓子なんかを分けて、夏樹が泣くのは防がれた。
そんなこんなでたどり着いた。森を抜ければ一面草むら。短い芝生が広がっている。
真ん中には蝉樹があり、それを囲むように森は広がっている。
誰もこの辺りには手を入れていないはずなのに、この野原だけ何かが守っているように綺麗な芝生が広がっていた。
「ワタルおにいちゃーん!」
着いてからすぐに蝉樹までかけて言った夏樹。
俺たちが汗をだらだらと流しているのとは裏腹に、夏樹はまったく汗をかいていない。
「あの子、意外と体力あるね」
光介がぽつりという。
確かに、丁度一時間ぐらいで着いたのだが、高校三年生の俺たちは見た目自分たちより年下の夏樹よりはるかに疲れている。何か敗北感がある。
とりあえず、俺たちは蝉樹の麓-フモト-まで歩いてゆく。
「夏樹ちゃん、ぜんぜん疲れてないの?」
ミナツが男子以上に疲れている。いつもは活発で元気で暴力的な女子、されど女子だ。
何も女子を馬鹿にしているわけではないが、ミナツにもそういう女子らしい一面があるということ――
「いでっ!!」
突然、俺の頭が何かに叩かれる。
振り返ると疲れきった顔だというのに、どこか怒りが入ったような顔をしたミナツがいた。
「いきなり何すんだよ!」
「あんた、今よからぬことを思ったでしょ」
「お、思ってねえよ!」
な、なぜ心のうちが読まれた!?
「……まぁいいわ。で、夏樹ちゃんは疲れてないの?」
「あ、はい。体力は結構あるほうなので。後、わたしのことは“瀬美”でいいですよ」
「あ、そう? だったら、これから瀬美ちゃんって呼ぶね。あたしのことはミナツでいいわよ」
「わかりました! ミナツさん」
なんだか楽しげな会話が展開されている。
「それじゃ、俺も瀬美ちゃんでいいかな?」
「もちろんです!」
「じゃ、僕もいい?」
「はい!」
「私は?」
「OK!」
「俺はどうだ?」
「当たり前じゃないですか!」
「それじゃ、俺――」
「駄目です」
なぜか俺だけ否定された!
「おい! 何でほかのやつらはいいのに俺はいけないんだよ!」
「ワタルだからだよ」
「ワタルだからじゃない?」
「ワタルさんだからです」
「ワタルだから」
「ワタルだからだ」
「ワタルおにいちゃんだから」
「………………」
なんだろう、このものすごく俺の存在を否定されたような感覚は。
しかもみんな口にそろえてワタルワタルという。そのうち一名はかわいらしい名称で俺の名前をいったが、それがなぜか一番頭にくる。
「っていうか、理由になってねぇし」
まあ、俺としても瀬美と気軽に呼ぶのは少し抵抗があった。
何度も言うが、まだ会って二日目だ。別にそこらへんに深い意味はないのだが、それでも結局のところ、相手の下の名前を気軽に呼ぶというのには抵抗があった。
俺は観念した、と両手を上げて降参する。なんだろう、この孤独感は。
「ところで合唱の時間っていつだっけ?」
ふと気づいたように光介が言う。
「うーんと……もうそろそろかな? 丁度お昼に始まるはずだし」
ミナツが安物のようで高価そうな腕時計を見ながら答える。
「後何分ぐらい?」
「五分ってとこかな」
「瀬美ちゃんはこの大合唱を聞きにきたんだよね……って、あれ?」
「どしたの? 透」
「いや、瀬美ちゃんがいない」
「瀬美なら今樹を登っていったぞ」
一哲のその言葉にみんなは蝉樹を見上げる。
そこには確かに夏樹が楽しそうに樹を上っていた。
「わー。蝉がいっぱーい!」
などといってきゃっきゃとはしゃいでいる。
「よくあそこまで登れたもんだな……」
「瀬美ちゃん、だいじょーぶー?」
ミナツの大きな声に夏樹は元気よく首を縦に振る。
「あの」
こずえが物静かな声で俺に声をかけてきた。
「ん?」
「登るのはいいんですけど、もうそろそろ合唱が始まるならあそこは少し五月蝿いんじゃ」
確かに。
ミナツによれば後五分ほどで始まる蝉の大合唱は、ここから結構離れた俺たちの家でも聞こえるぐらいだ。
夏樹を除いた俺たちがいる位置でも相当な音量になるだろうが、夏樹はその騒音のもとである蝉樹の只中へ今いるのだ。
「そうだな。なんかあいつは蝉の鳴き声が好きみたいだけど、さすがにあの中じゃ鼓膜がやぶれかねないな」
「鼓膜までは破れないかと」
「例えだよ、例え」
こずえの現実的なつっこみに補足をつけておく。
「おーい! 夏樹、もうそろそろ蝉の大合唱が始まるから、降りてこいよー」
夏樹は聞こえているのか聞こえてないのか、なぜか深呼吸をしている。
「おーい、降りてこい――」
「――――――――――――」
そのとき、一つの音が響いた。
いや、音ではない。これは歌かもしれない。
それはとても透き通っていて、俺たちはそれに聞き入っていた。
その発生源であるのは蝉でもなければ、町のほうから聞こえるものでもない。
――それは、夏樹のほうから聴こえてきた。
「―――――…………ふぅ」
やがて、その歌は止まり夏樹は一息ついたというような感じでいる。
「さっきの歌って瀬美ちゃんの――」
ミ”ーン”ミ”ン”ミ”ン”ヅグヅグガナ”ガナ”ボージ!!
光介がみんなの疑問を口にしていおうとしたときに、轟音ともつかない蝉の大合唱が始まった。
耳を塞ぐが、それだけではこの大合唱は防ぎきれない。
その中、楽しげでうれしそうな顔をした夏樹は、俺たちより遥かに五月蝿い場所にいるはずなのに、平然としていた。
普通の大きさのコンポをざっと一○○個ぐらいつなげて、それを最大音量で流したような蝉の大合唱が約一分間続いて鳴き止んだ。
未だに耳鳴りがするような気がする。
頭痛のしだした頭を抑えながらへなへなと座り込んだ俺たちとは違って、うれしそうな顔をした夏樹が蝉樹から下りてくる。
「夏樹、なんでお前はそんなに平然としてられるんだよ……」
「蝉の鳴き声って大好きだもん」
もはや大好きとかそういう次元の問題ではないような気がしてきた。
いくら耳が悪い人だって、あの轟音の只中にいたら必ずなんらかの症状を起こしそうなものだ。
「予想以上に瀬美はすごいな」
何を予想していたのか、一哲は何か感心したようにつぶやく。
みんなは未だに耳を塞いでいる。まだその余韻のようなものが残っているのだろう。
俺はといえば、耳鳴りはするものの、そこまでひどくはなかった。
「んしょっと」
夏樹は満足げな顔をしながら、蝉樹から下りてくる。
「すごかったね!」
「あぁ、そうだな」
いろんな意味ですごい、と俺は思った。
「なんでお前はそんなに蝉が好きなんだ?」
「だって、仲間だもん」
「仲間?」
「そうだよ」
「ふーん、仲間か」
仲間、というのは、夏樹の蝉に対しての想いがどれくらいなのかを表すものなのだろう。
それを追求するのも何か同じような答えが返ってきそうだ。そう思ってそれでその話は俺のそっけない言葉で終わることにした。
「そういえば」
「ん?」
「なんでみんな寝転がってるの?」
夏樹が指差しながら言い、俺はその指差した方向を見た。
さっきまではなんとか体勢を保っていたのかは知らないが、座っていた体系が、だらしなくも地面に這いつくばっているようにして倒れていた。
その中で唯一立っているのは一哲だけだった。
…
それから数分間。俺は夏樹と他愛もない話をして過ごしていた。
一哲はといえば、「邪魔はしない」とかなんとか言って、俺たちのいる場所とは正反対の蝉樹の裏側に行った。一哲なりの考慮なのだろうが、なんというか、いらぬお世話というものだ。
で、数分間話していた俺と蝉樹は、なかなかみんなが這いつくばり状態から直らないことに不安を抱き、俺が試しに光介を呼んでみる。
二○秒ぐらい待っても返事はなく、俺が近くで様子を確認してみると、光介は白目をむいていた。
あわてて叩き起こし、ほかのやつも白目をむいているとわかって俺は透を叩き起こす。
さすがに女子を叩き起こすのは気が引け、夏樹に頼んでもらったのだが、夏樹は何か恨みでもあるのか、ミナツとこずえに容赦なく平手打ちを加えて起こした。
その平手打ちの音は、数メートル離れていてもよく響いていた。
案の状、みんな意識はちゃんと戻って、ミナツとこずえも起きてからは頬がなにかひりひりするといっただけで収まった。
「子供のころにここで聞いたことはあるけど、今日はいつもよりうるさかったわね……」
「まさか、失神しちゃうとはねー、あはははは」
ミナツが少しげっそりとしているのに、光介はあくまでポジティブ、というか明るく笑い飛ばした。
「それにしても、瀬美ちゃんすごいね。あの歌って瀬美ちゃんの歌だよね?」
「うん。そうだよ」
「すごく綺麗な歌声だったよ」
透がネガティブ精神さえなければモテそうな顔で微笑む。元は美形なのだから、これは反則と言えるかもしれない。
「ありがと、透さん!」
「え? いや、そんな、照れるな」
透がなぜか少し照れる。
いつの日か聞いたことがあるのだが、透曰く、普段ネガティブに考えてる分、褒められたりすると普通の人よりうれしい、らしい。
どこのネガティブ法則だか知らないが、そのとき俺は、こいつにも自分がネガティブだって自覚はあったんだな、としみじみ思っていた。
「そういえば、一哲さんはどこにいるんですか?」
こずえが物静かな声で特別誰に言うでもなく問う。そういえば、白目をむいていたとき、男子しか見てないからわからないが、こずえは白目をむいていたのだろうか?
「……見てみたいな」
「なにがですか?」
「えっ!? いや、な、なんでもない! えっと、一哲なら蝉樹の裏側にいったぞ!」
突然目の前に現れたこずえに動揺し、あわてて一哲の居場所を言う。
「あいつ、あの大合唱に耐えたの……?」
「っぽいな」
「なんか、ある意味すごい耐久力ね」
それに同意しながらも、それだったら俺だってすごいじゃないか、と思ったのだが、口に出すのはやめた。
「一哲ーーーーーーーーー!!」
不意に光介の悲鳴が聞こえる。
俺たちは慌てて悲鳴の聞こえてきたほうへと走る。
「どうした、光介――」
見れば状況はわかった。
一哲は――白目を向いていた。
俺はとっさに一哲を叩き起こした。
「……んっ」
軽く頬を数回叩いて、一哲は起きた。
「一哲、大丈夫か?」
「ん……? あ、ああ、大丈夫だ。少し気を緩めたらなぜか……」
「気を緩めたら失神するのかよ、お前は」
「そうらしいな」
いや、それはおかしいだろ。
「ともかく、大丈夫なようでよかった」
みんながそれを確認して、ほっと安堵の息をつく。
「ところで」
「ん?」
「ここは何処だ?」
「………………」
一哲は意外と重症だったようだ。もちろん、場所を教えてやればあとの記憶は覚えていた。いや、覚えていないと困る。
「そんなことよりだ」
一番重症だった一哲が頭を振って頭に渇入れながら言う。
「遊ぶぞ、お前ら!」
――思えば、まだ昼になったばかりだったことを忘れていた一同は顔を見合わせ、お互い頷く。
「それじゃ、遊ぶわよーーーー!」
「「「「「「おうーーーー!」」」」」」
ミナツの掛け声で、みんなは拳を上げて威勢良く言った。
「ということで、今回の遊びの内容だが、実はまだ決めてないんだ。なにかいい案があればいってくれ」
と、一哲はみんなに言う。
「そうだなー。やっぱりここ広いし、鬼ごっことかいいんじゃないの?」
「鬼ごっこか。うーん……確かにこのスペースを使ってとなると、それもいいかもしれないが、単純すぎる」
光介が出した案を認めつつも、一哲は普通すぎる、というような理由でとりあえず保留となった。
「あ、いいかな?」
「ん、もちろんだぞ、透」
「かくれん――」
「単純すぎる」
「!!」
かくれんぼ、といおうとしたのを察したのか、一哲はあっさりと切り捨てた。こと遊びになると一哲は厳しいのだ。
「そりゃさ……最初からわかってたよ。どうせ僕のは選ばれないって。だって僕の提案した遊びなんてつまらないに決まってるしさ……ぶつぶつ……」
「いいでしょうか?」
「ああ、いいぞ。こずえ」
完全にネガティブモードへと入った透を他所に、こずえが切り出す。
「みんなで読書会、というのはどうでしょうか?」
って、遊びじゃないじゃん!
「………………」
これにはさすがの一哲も言葉を失っている――
「それもいいかもしれないな」
――わけではなかった。
「って、んなの駄目に決まってんだろ!」
「そうか? この蝉樹の下で静かに読書――。なかなか風流なものじゃないか」
「やっぱりお前、どっかおかしくなってるんじゃないのか?」
「何を言っている。俺はいたって普通だ!」
「そうです。一哲さんはいたって普通です――たぶん」
こずえの言葉の最後に、小さく何か聞こえたような気がしたが、それは深く追求しない方向で行こう。
「とにかくだ。読書会って遊びって程のものでもないだろ。一哲が許可しても俺が却下だ」
「そうですか……残念です」
こずえはひどく残念そうに、顔をうつぶせる。
想像すれば、みんなが蝉樹の下でずっと読書をしている、というのはある意味不気味な光景である。
「あい! それじゃあたしの考え言ってもいい!?」
元気に手を上げながらミナツが和気藹々としている。
「それじゃ、どうぞ」
「ふっふーん♪ あたしはこんなこともあろうかと、サッカーボールを持ってきたのよ!」
「で?」
「で、じゃないわよ! つまりサッカーしましょ、ってこと!」
ミナツは元気だなー、なんてのん気なことを思う俺。
このくそ暑い中サッカーなんてやったら、脱水症状が起きてしまいそうだ。
そこでもしも追い討ちをかけるがごとく、蝉の大合唱が始まるというのならば、俺は川の向こうで誰かが優しい笑みで手招きしている光景を見てしまうかもしれない。
ミナツは活発な女子だ。後先考えず、楽しみたいことをやるのだろう。
「サッカーか……。別に異論はないが、ここら辺一帯は草原みたいになってるからな。走りにくいんじゃないか?」
一哲がもっともなことを言う。
ここら辺一帯は確かに草原のようになっていて、長さは丁度膝の辺りぐらいまである。
ボールをここで蹴るとなれば、どこか遠くに蹴ってしまったときには見つけ出せないかもしれない。
「そんなの、根性でカバーしなさいよ」
どこぞの熱血くんみたいなことをミナツは言う。
「お前じゃないんだから無理だっとぐ!」
突然頭を殴られ、最後に変な言葉になってしまった。
「それは遠回しな悪口?」
「いえ、貴女様には敵わない、ということです」
にこにこしながらも問いかけるミナツに、俺はつい敬語になって答える。
「ワタル。お前は何か案はないのか?」
一哲が腕を組みながら俺に問う。
「そうだな……」
一番メジャーであろう鬼ごっこやかくれんぼは言われてしまったし、だからといってそれ以外にいい遊びの案があるわけでもない。
俺は迷った挙句――
「――俺のもいいけど、主役は夏樹だろ? だったら夏樹の考えを最優先させたらどうだ?」
夏樹に逃げた。我ながら情けない。
「それじゃ、瀬美。何かしたいことはあるか?」
「うーん……何でもいいんだよね?」
夏樹の問いかけに、一哲は無言で頷く。
「それじゃ、木登り対決しよ!」
ということで、木登り対決をすることになった。
ルールは至って簡単。
みんな一斉にスタートし、蝉樹の一番上までたどり着いたものが勝ちである。
蝉樹は大樹だ。七人が一斉の登っても少し余るぐらいだろう。
高さもビル三階分ぐらいはある。登るのは決して楽ではない。
先ほど夏樹がどう登ったのかは知らないが、夏樹が登ったところは足場があり安定した場所だ。
そこにたどり着くのでも結構な高さがある。
それでもみんなはやる気満々である。
発案者である夏樹はもちろんのこと、運動はまったくしないに等しいこずえまでもが準備体操をしている。
「さて、今から瀬美の発案による、木登り対決を始めるわけだが、ただ登るだけではつまらない」
「確かにつまらないな」
一哲の意見に、俺は同意する。
「そこで、自分以外の競争者への妨害行為をありにしようと思っている。何か意見があるか?」
「はいはーい。妨害行為って、どの範囲までならいいんですかー?」
光介が身を乗り出して質問する。
「基本的に、相手を傷つけなければいい」
「つまり、殴ったり蹴ったりってのはなしってこと?」
「そういうことだ」
「そっ。残念〜」
「おい、ミナツ。お前許可されたら構わず蹴り落とすつもりだっただろ」
「なにいってんの? 当たり前じゃない!」
恐ろしきかな、桶上ミナツ。
「夏樹、お前はそれでいいのか?」
「もちろんだよ」
夏樹の笑顔で返してくれた返事には、絶対に負けないという自身がこもっていた。
言いだしっぺが負けるわけにもいかないのだろう。それに、どことなく夏樹は負けず嫌いという感じがする。
「それでは、今から木登り対決を始める!」
みんなが威勢良く腕を上げながら「おー!」と叫び、蝉樹から二十メートルぐらい離れた場所に並ぶ。
俺も並び、スタート位置につきみんなを見てみる。
たかが遊び、されど遊び、だ。みんなの目には闘志の炎が灯っている。
「ちなみに、ビリのやつは罰ゲームだ!」
突然の一哲の言葉にみんなは驚くが、夏樹は勝つ自身がそれほどにまであるのか、一人だけ喜んでいた。
「よーい――」
次に一哲がスタートの合図を告げたときに、一斉に七人が走り出し、蝉樹を登るまでのバトルロワイヤルが始まる――ってのは言い過ぎか。
「――スタート!」
地面を蹴り、今木登り対決が始まった。
まず先陣を切ったのはミナツだ。元から運動が好きなやつだが、そこらへんの陸上部の男子に引けをとらないぐらいの速さだった。
「はっはっはー! 一位はもらっ――たあああぁぁぁあああ!」
ミナツが勝利宣言をした瞬間にミナツが悲鳴とともに姿を消した!
「トラップ成功です」
静かな声で後ろから聞こえてきたのはこずえのものだ。運動をまったくしないこずえが走っているのは珍しい光景だが、その順位はビリである。
それを聞きながらもミナツが姿を消したところを見ながら走っていると、そこにはぽっかりと落とし穴があった。
中ではミナツが尻をさすりながら悔しげな顔をしていた。
「おいおい、まじかよ。ってか、いつの間にこんなトラップを……」
「なんでも先を行けばいいってものじゃないですよ。ミナツさん」
俺が落とし穴を除きながら感嘆としていると、いつの間にか追いついたのか、こずえが穴の中のミナツを見下ろしながらそう言って走ってゆく。
「って、俺がビリになっちまう!」
前を見てみると、もう一哲たちは蝉樹の下まで行っていた。
穴の中にいるミナツを後にし、俺も全速力で走る。罰ゲームだけは勘弁だからな。
「見てなさいよーーーーーー!!」
後ろのほうで、ミナツの怒声が聞こえる。八つ当たり気味に俺を狙ってきそうだ。
ということで、次の被害者は透だった。
一見、なにかトラップらしきものには引っかかってないように見える。
だが良く見れば、透は何かを見て静止している。それは白い紙で、そこに書いてある字は――
『どうせお前ビリだから諦めろよ。 by安藤一哲』
「………………」
なんという精神的ダメージ。ましてや透にこれはきつい。
「どうせ僕なんてビリなんだビリなんだビリなんだビリビリビリビリビリビリビリ……」
はっきりいって怖いほどネガティブになっている。
さすがにこれを置いておくわけにはいかない――そう思ったとき。
「くよくよすんなーーーーー!!」
土などないはずなのに土煙を上げて、地獄の底からよみがえったが如くミナツが猛スピードでこちらに走ってきて――
「うりゃーーーーーーー!!」
うなだれている透の首根っこをつかんで、思いっきり投げた!
女子の腕力は思えないほどあっさりと投げたミナツは息を荒くしながらも走っていった。
投げ飛ばされた透は、今まさに蝉樹に登ろうと手をかけていた透を貶めた犯人である一哲に当たっていた。
「って! 俺ビリじゃん!」
一人だけ取り残されていた俺はミナツには劣るものの、全速力で蝉樹に走っていった。
俺が蝉樹にたどり着くころ――といっても、三十秒ぐらいでたどり着いたのだが、すでに光介と夏樹、そしてミナツは蝉樹を登り始めていた。
一哲と透は衝突したことによって少しの間再起不能になっている。
こずえは慣れない運動のためか、俺より先にいっていたというのに俺とほぼ同時に到着していた。
体力はまだある。今から登れば夏樹あたりには追いつけるかもしれない。
蝉樹の幹に手をかけ、足場となりそうなところを探す。
「ふんっ!」
手に力をいれ、蝉樹にしがみつくようにして俺は登り始めた。
第一の足場である場所までニメートルぐらい。とりあえずはそこまでたどり着かなければ話にならない。
そうして何度か落ちそうになることを繰り返し、なんとか第一の足場に到着。
つまりは太い枝があるところだ。
ここまでくれば、後は無数に生えているように見える枝を使って登ってゆけばいい。
「ワタルおにいちゃん」
背後から声。まだ俺と同じ場所にいるやつがいるのに安心し、それが同時に夏樹であることがわかった。
「なんだ、まだお前ここに――」
ジリジリジリジリジリジリ!
振り向くと数匹の蝉が俺の目の前で蠢いていた。
「のわぁっつ!」
俺は驚き危うく枝から落ちそうになる。
夏樹はといえば、両手に二匹ずつ蝉を持っていた。
「だーいせーいこーーう♪」
「びっくりさせやがって!」
「はい、プレゼント♪」
俺が夏樹に食ってかかろうとすると、夏樹は俺の顔に四匹の蝉をくっつけてきた。
俺の顔で蠢く蝉――もちろんそれは気持ち悪い意外なんでもない。
「ぎゃああぁぁあああああ!」
あっけなく俺は枝から落ちた。
夏樹はそれを笑うようにして見る。
蝉は俺の顔から飛び立ち、その飛び際に鳴く声が俺をあざ笑っているように聞こえた――
どすっ!
「うぐっ!」
俺は背中から二メートル近い場所から落ちてしばらく動けなくなる。
「先にいっちゃうよー」
夏樹が落ちた俺に見下ろし、そういって蝉樹を登っていった。
「うぅうううぐぐぅ」
背中をさすりながら唸る。
周りを見てみるが、当然とういうべきなのか、先ほどまでのびていた一哲と透もすでに登り始めている。
こずえも休憩が終わったのかスローペースながらも着々と蝉樹を登っていっている。
――つまり俺は最下位。
「最下位はごめんだー!」
背中に走る痛みを抑え、俺は蝉樹を再び登り始めた。罰ゲームなんて受けない、絶対に!
そう固く誓ったのはよかったが、俺に限らず次々と襲い掛かる妨害工作の数々。
再び登って、最初に夏樹に落とされた場所で休んでいると、毛虫が大量に落ちてきたり、さらに登ったところでは、またも一哲の仕業と思わしき紙に書いてあることを見て透が落ち込んでいたり。他にも、光介がウサギと亀のウサギの余裕を持って休んでいるかと思った一哲が登ろうとしたら、何処から出てきたのかネットが頭上から降ってきて一哲を捕らえる。
興奮の収まっていたミナツと遭遇した俺が、何かしてこないだろうかとにらみ合っていたら、今まで何もせずに罠にはまっていただけの透が横から入ってきて――
「僕が一位だーーーー! あっはっはははははは!」
と狂ったように入ったときの恐ろしさは半端じゃなかった。
俺とミナツは恐ろしさのあまり、しばらくの間そこで静止していた。
あれから一哲に何度かはめられたのだろう。ネガティブがいくところまでいっておかしくなってしまった透はどんどん登っていったが、先に登っていた夏樹に邪魔されたのか、狂ったように落ちてきた。
そんなこんなで、途中で負傷者が出ることもありながら――っていうか、相手を傷つけるような妨害行為は駄目だったんじゃないのか?
だがそんなのはもうそっちのけで、俺はやっとのこと後十メートルぐらいで頂上ということで、夏樹と太い枝の上で対峙していた。
何も罠にかかってないようだったから、トップかと思っていた夏樹も意外と苦戦していたらしい。少しばかり息があがっている。
俺もここまで何度か罠に引っかかって、もしかしたら夏樹以上に息があがっているかもしれない。
「さすがだね、ワタルおにいちゃん」
「お前もよくそんなワンピースでここまで登ってきたな」
よく考えれば、夏樹はワンピースで一番動きにくいはずなのに、ここまで登ってきたのだ。真っ白なワンピースはところどころ汚れている。
他のメンバーはといえば、今も下で登り続けているだろう。
俺は妨害工作なんてことはしなかったが、なんとかここまで罠を潜り抜けてやってきた。
「ここからは真剣勝負だよ!」
「望むところだ!」
はて、どこかの戦闘系漫画でこんなやりとりを見たことがあるような。という俺も、なんでそんなノリで「望むところだ!」なんていってるんだろうか?
「こっからは妨害行為は一切なしだ」
「もちろんだよ!」
最初はそんなにやりたいとは思わなかった木登り対決だったが、ここまでくれば勝つしかない。
「「よーーーい」」
とりあえず最下位だけはまぬがれる。そんな気持ちもあったが、それと同時に始めて着く頂上に思いをはせて――
「「スタート!」」
俺と夏樹は頂上に向けて登り始めた。
お互い引けはとらない速さで、ランダムに生える枝をうまく使ってどんどん上へ上へと登ってゆく。
妨害行為がない真剣勝負。生える枝をどうやってうまく使って上へ登るか、そして後はひたすら体力の問題だ。
俺はここまで登ってくるのに身についたのか、どの枝を使って上へ上がればいいのかがだいたいわかっていた。
夏樹もそれがわかっているのか、ほぼ俺と同等の速さで登る。
残りあと約十メートル。
「ラストスパートー!」
疲れて少し動かなくなってきた体に渇を入れるようにして俺は叫ぶ。
同時に夏樹もラストスパートをかけたのか、両者違わぬ速度で登る。
後五メートル。
四メートル。
三メートル。
二メートル。
一メートル――
「はぁ、はぁ、んっ、はぁ」
「ふぅー」
――結果、俺と夏樹は同時に頂上へ着いた。
頂上に着くころは、日が沈み始めていた。
「今頃、一哲たちは必死に登って来てるだろうな」
「そうだね。みんな今どこら辺登ってるかな?」
「さあな」
俺は適当に答えて、頂上に一番近い太い枝から景色を見ていた。
そこからは俺たちの住む時雨町が一望できた。夕方に見る町の景色は、とても綺麗だった。
「綺麗だねー」
「そうだな」
こういう景色というものは、テレビ番組なんかで『世界の絶景百選!』とかあるけど、実際テレビではあんまり俺にはそのすばらしさが伝わらない。
やはり景色というのは、実際に自分の目で見ないと感動できないのだろう。
ここから見る時雨町の景色は、絶景とまではいかないが長年住んでいた自分の町を一望できるのは新鮮だった。
「あそこがワタルおにいちゃんの行ってる学校?」
俺が景色を見てたそがれていると、横の太い枝で学校を指差している夏樹が聞いてきた。
「ああ、あそこが俺や一哲たちが通ってる時雨高校だ。お前も夏休みが終わったら、あの高校に通うんだろ?」
「………………」
「ん? おーい、夏樹?」
応答がない夏樹に俺は呼びかける。
「――えっ? あ、うん。そうだよ」
俺に気づいた夏樹は、何か慌てたように言う。
「それより、耳塞いだほうがいいよ」
「えっ?」
とりあえず俺は言われたとおり耳を塞いでみる。
今は夕方――ということは!
ミ”ーン”ミ”ン”ミ”ン”ヅグヅグガナ”ガナ”ボージ!!
予想通りだった。
蝉の大合唱があるのは昼と夕方の二回だ。
「うぎゃあああああああああああ!!」
下の方から、なにやら悲鳴が聞こえてきた。一哲たちが登るのに夢中で忘れていた蝉の大合唱にやられているのだろう。とりあえず落下してないことを祈る。
夏樹のほうを見てみると、何もなかったかのようにすまし顔をしている。
「お前はよく耐えれるな」
「そうかな? 別になんとも思わないけど?」
「そっか。まあ年寄りなんかは別に気にしてなかったりするしな。珍しいことでもねえのかも」
「それって、わたしに対する悪口?」
「うーん……そうかもな」
「あー! よくも言ったなー、ワタルおにいちゃん!」
夏樹が頬を膨らましてぷんぷんと怒る。
別に怖くもなんともない。ただ可愛らしかった。それがおかしてくつい口から息が漏れて笑ってしまう。
「な、なんで笑うの!」
「いや、なんか、つい」
笑いながら答える俺に更に夏樹は怒るが、やがてその顔はにやけてきて、いつの間にか一緒に笑っていた。
夕日に染まる頃に、蝉樹の頂上で俺と夏樹は笑いあった。
…
「楽しかったね!」
「そうだな」
俺と夏樹は樹を下りて、みんなと集合した。
俺の祈りはむなしく、みんな蝉の大合唱によって落下してしまったのか、腰をさすりながら楽しそうに下りてきた俺たちを忌々しげに見つめていた。
「あんたたちは楽しそうでいーわねー」
ミナツが妬ましげな目で俺たちを見てくる。
だが夏樹はそれに気付く様子もなく、一哲や透に頂上に至るまでの話を聞かせていた。
「それじゃ、解散!」
「今日はみんなお疲れ様〜」
「遊びには負けたけど、楽しかったよ」
「久しぶりに動いて疲れました」
「今度やるときは負けないからねー!」
一哲、光介、透、こずえ、ミナツの順にそれぞれ一言いって解散した。
帰りの道のりは、さすがにどんなものがあるのかはわかっていたから帰りやすかった。
そして今俺は、夏樹と帰路についている。
「お前の家、こっちなのか?」
「う、うん」
どことなく緊張している様な夏樹。
別段おかしくはないが、ちらりと横顔を見ると夏樹は可愛いことを実感する。
「ワタルおにいちゃん」
「ん?」
「明日も……遊べる?」
仄かに緊張の香りを漂わせている。
夕日に染まってわからないが、少し頬が赤くなっているような気がする。
どうせ明日もすることはない。まだ夏休みは続いているし俺は、
「ああ、大丈夫だぞ」
笑顔でそう答えた。
それを聞くと夏樹は「よかったー」と小さく呟く。
「それじゃ、あのコンビニに朝来てね!」
俺は頷く。
「また明日ねー!」
手を軽く振って夏樹とお別れをする。
さて、本当は朝は弱いんだが、目の前で楽しそうに約束する少女を前にしてそんなことはいえなかった。