婚約破棄とこの世の終わり
そこではつい先程まで豪華な舞踏会が催されていたが、今は聴衆の見守る中、断罪が行われている。
「リーヴァ・マグリット、貴様がアリスにした事は全て分かっている。貴様など僕の婚約者に相応しくない。貴様との婚約をこの場で破棄する!」
怒号をあげているのはルージズ・フォン・ルードス。ルードス王国第一王子である。一方膝から崩れ落ちて彼に怒鳴られている黒髪の少女はリーヴァ・マグリット。マグリット公爵家の1人娘であり、つい先程までルージズの婚約者だった人物だ。
婚約破棄の理由は至ってシンプル。リーヴァのいじめである。そしてそのいじめの被害者こそ、近頃王子との恋仲を噂されている平民の少女アリスである。リーヴァたちは王族や貴族のみが通う王立学園の生徒である。しかしアリスは平民ながら、高い魔力を保持していたために国益になると見込まれて王立学園に通っていたのだ。
それにキレたのがリーヴァであった。公爵令嬢であり第一王子の婚約者だった彼女は身分を重んじ、平民のアリスが自分たちと同じように学園に通うことを良しとしなかったのである。そしてリーヴァはアリスに対して嫌がらせや犯罪紛いのいじめを繰り返し、遂にルージズにバレてしまった。その結果が現在である。
リーヴァの所業によって自身の想い人であるアリスが傷つけられたことに怒ったルージズは学園主催の舞踏会という最高の舞台で、リーヴァを奈落の底に突き落としたのである。
「貴様には追って沙汰を言い渡す。2度と僕とアリスの前に姿を現すな!」
こうして終始リーヴァがサンドバッグ状態のまま、断罪劇は幕を閉じたのであった。
舞踏会から1ヶ月、リーヴァは自宅謹慎となっていた。リーヴァのした事は十分ギルティだったがマグリット公爵家の威光が強い故にルージズ側も思い切った行動に出られないでいたのだ。
「はあ、我ながら落ちるところまで落ちましたわね。アリスは今頃どうしてるのでしょうか…」
リーヴァはすっかり反省しきっていた。というか元々根っからの悪人ではなく、平民のアリスが王立学園に現れるという未曾有の事態に取り乱した結果が件のいじめなのだ。彼女自身は自分のしたことの埋め合わせのためなら何でもするつもりでいた。しかし身分剥奪や処刑などは無理であろう。両親が黙っちゃいない。
リーヴァの両親、マグリット公爵の公爵夫人は親バカとして社交界では有名でありリーヴァがルージズの婚約者に選ばれた時は光栄だと泣いて喜び、その日近くを通りかかった人物全員に娘の自慢話をしてその日の公務を軽く数時間遅らせたとも言われる。
そしてリーヴァのいじめが発覚した時は濡れ衣だと強く抗議した。というかマグリット公爵家の使用人たちも一緒に抗議してくれた。それだけリーヴァは身内に愛されていたのだ。
そしてそのことがリーヴァが強く反省するきっかけとなった。自分は彼らの信頼を裏切ったのだという絶望が、アリスへの嫌悪感など捻り潰したのだ。
結果として、リーヴァがアリスへのいじめを認めた、彼女は自宅謹慎の身となったのである。
一方その頃、ルードス王国とその北に位置するアークタ帝国との国境地帯にて。帝国軍はルードスの侵略を企み進軍を仕掛けていた。王国はこれに抵抗し、戦況は拮抗状態となっていた。
王国軍を率いるフリエスト将軍は大きな決断をしようとしていた。
「……あれを使え。」
「!将軍、本気ですか⁉︎」
「帝国軍の勢いは凄まじい。流石は軍事力で成り上がった国だ。このままでは我が軍の敗北は時間の問題。我が国の平和のためにはやむを得ない。」
フリエストが話しているあれとは近年王国が開発したとある魔法のことである。そもそも魔法とは生物の体内の魔力というエネルギーを糧として発動する現象であり、人間以外でも使用する生物は確認されている(それらは魔物と呼ばれるが今は関係ない)。そして王国のとある魔法学者は発見した。生物ごとに固有の魔力を持つことを。そしてそれを応用した魔法こそ件のそれである。その魔法は特定の魔力を持つ生物のみを殲滅する。王国軍はこれを使い、帝国人の魔力のみをターゲットとしたのだ。つまり帝国人だけを殺し切る魔法ということである。王国軍はこれを最終兵器と呼んでいた。
「王国のためだ、やれ!」
「は、はい!」
程なくして最終兵器の魔法陣が起動する。そしてその禍々しい光は帝国…だけでなく王国を、そして全世界を包み込んだ。
失敗だったのだ。彼らは帝国人のみを狙ったつもりだったが、未完成な魔法は対象を誤ったのだ。
こうして世界からは人類と比較的人に近い魔物が消え去った。
「………何が起こったのですか?」
リーヴァは自室にて目を覚ました。そして異変に気がついた。誰もいないのだ。マグリット公爵家には数百人近い使用人が仕えている。否が応にも人の気配がするのが普通である。おかしいと、彼女の直感が告げていた。
堪らず彼女は部屋の外へ出る。広大な屋敷の中を探し回る。誰かいないか、みんなどこへ行ったのだと。父は、母は、使用人たちはどこに行ったのだと。
数十分ほど屋敷を探し回った結果、誰も見つからなかった。そして彼女は遂に屋敷の外へ出た。本来なら許されない行為だが今は関係ない。みんなのことが心配だ。
街にも人は見当たらない。リーヴァは呆然とした。まるで世界が自分1人をみんなと引き離したようだと感じた。
混乱と失意の中、彼女は屋敷に戻ってきた。そして崩れ落ちた。普段なら忙しなく使用人が行き交う大広間の真ん中で彼女は必死に考える。考えて考えて考えて考えて考えて、そして悟った。これは罰だと。
家族や使用人たちの愛を裏切りアリスにひどいいじめをした自分に、神が孤独という罰を与えたのだと。
リーヴァは静かに泣き出した。もうそれくらいしか出来なかった。しばらく泣いたのち、腹が減ったことに気がつく。広間の大きな時計に目をやると、丁度昼ごはんの時間だった。普段ならば世話係のアーテが食事を自室に運んできてくれていた。
アーテはリーヴァより5歳年上の少女であった。いや、21歳だからもう少女とは呼べないかもしれない。彼女はリーヴァが10歳の時に屋敷に雇われ、以来リーヴァの世話係として忠義を尽くしてくれていた。リーヴァがいじめの件で婚約破棄された時も、両親に次いで使用人たちの中で真っ先に抗議の声を上げてくれた。一人っ子のリーヴァにとって愛する姉のような人物だったのだ。
「アーテ…どこにいるの……寂しいよ……」
リーヴァは失意の中呟いた。その時、自分の中の魔力が揺れ動くのを感じた。リーヴァは魔力こそ人並み外れて豊富だったが、魔法の才能には恵まれずこれまで禄に使えた試しが無かった。そのことがアリスへの嫉妬の一因にもなっていた。そんな彼女の宝の持ち腐れだった筈の魔力のほんの極一部が揺れ動く。そして意識しなければ気づかないくらい少量の魔力が抜けていった。魔法を使ったときの感覚だ。そして、その人物の声がした。
「お嬢様?」
そこには項垂れる自分のもとにしゃがんで心配そうにその瞳を覗き込むアーテの姿があった。
「ア、アーテぇ…」
リーヴァは先程とは比べものにならぬほど大粒の涙を流した。アーテは何事かと困惑しながらもリーヴァの背中をさすった。
人類が滅びた筈の世界のとある屋敷で、主と従者は再会した。そしてこれがリーヴァにとって本当の始まりであった。