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決着

 三球目。音無さんがボールを投じるとともに「っうりゃあ!」と気合いの叫びを上げた。速いストレートが真ん中の低めに真っ直ぐ飛んで来る。それを俺は渾身のスイングで迎え撃つ。もらった! 俺は心の中で勝利の雄叫びを上げた。


「なっ……!?」


 直後、俺は驚愕する。バットで捉えたと思ったボールが突如として、俺のバットを避けるように落下したのである。衝突直前にターゲットを見失ったバットが見事に空を切る。空振り三振だ。


「ふぉ、フォーク!?」


 俺は思わず声を上げ、反射的にマウンド上の音無さんを睨みつけた。まさか、音無さんにこんな切り札があるとは。超一級品の変化球だ。


 変化球とは、ボールを特殊な握り方で投げ、意図的に変化させる球である。その中でも、フォークボールは急激に落下し、バッターの空振りを誘うという強力な球種だが、その強力さ故に投げる難易度も高い。


「言ったでしょ? バットに当てさせないって」


 勝者は微笑み、敗者は唇を噛み締めた。面白い。次の打席で絶対に打つ! 


 大きく息を吸って、吐いて、繰り返して集中力を高める。集中力を高めながら、俺は状況を整理した。音無さんが今見せている球種は120㎞程度のストレートと、それからストレートに見えるが途中で落ちるフォークボールの二種類だ。普通に考えれば、あんな打つのが難しそうなフォークボールは切り捨てて、ストレートを狙って打ちにいくのが良いに決まっている。でも、せっかく打つなら、俺は相手の切り札を打ち砕きたい。そうだ、狙いはあえてのフォークボール!


「最後の打席だね!」


 音無さんにボールを渡すと、彼女はそう言って目を光らせた。俺も不敵に笑い返す。次の打席の俺は一味違うぞと、そういう意思を込めて。


 フォークボールは落ちる球だ。それ打つなら、ある工夫が必要だ。俺は思いついて、バッターボックスの前に立ち位置を変えた。バッターボックスとは、簡単に言えば、バッターが立つことを許された領地みたいなもので、ここからはみ出したらバッターは反則となる。逆を言えば、領地内ならどれだけ動いても反則にはならないということであり、バッターはそれぞれ自分の立ち位置を自由に決めることができる。ホームベースに近い位置に立っても良いし、遠い位置に立っても良い、ピッチャーから近い位置に立っても良いし、離れた位置に立っても良い。ただ、立ち位置のそれぞれに利点があって欠点がある。それを理解しなくてはいけない。


「なるほどね、葛西ちゃん、結構野球に詳しいみたいだね」


 俺が立ち位置を変えたのを見て、音無さんが感心したように言った。俺が立ったのはピッチャーに近いところ、つまり、バッターボックスの前側であるが、ここに立つ大きな利点は低めに来た変化球が完全に変化してしまう前に打ち返せるというところにある。要するにフォーク対策のための立ち位置をとったということだ。前に立つデメリットは単純に、ピッチャーに近づく分、ボールが余計に速く感じることだろう。


「でも、それじゃあストレートに振り遅れちゃうよね!」


 言って、音無さんの投じた三打席目の第一球。球種はストレート。ストライクゾーンより少し高い。これはボールだ。見逃して、マウンドを向くと、音無さんは少し驚いたように俺を見つめていた。これまで俺はボールの球もへなちょこスイングで振っていたから、ここに来てストライクとボールを見極めたことにびっくりしたのだろう。


 二球目。ここに来て音無さんはスライダーを投げた。スライダーは右ピッチャーなら(ピッチャーから見て)左に、左ピッチャーなら右に曲がりながら落ちる変化球で、空振りも取れるし、見逃し(バッターがバットを振らないこと)のストライクも取れる使い勝手の良い変化球だ。フォークに比べれば投げる難易度は低いので、多くのピッチャーがこれを投げる。


 外側のストライクゾーンに入っているスライダーだったが、俺は初見ということもあってこれを見逃した。これでワンボール・ワンストライク。


 三球目。今度はストレートを低めに投げて来る。俺はそれをギリギリまで引きつけて、素早くスイングした。ボールにバットがかすり、カキンッという短い金属音が鳴る。ボールは俺の後方に高く打ち上がり、防球フェンスを揺らした。少し振り遅れたが、これで良い。フォークボールとストレートを見分けるために、ギリギリまでボールを振らずに見極める必要がある。


 今、俺のバットにボールが当たったが、ホームベースから角度120度に広がるフェアゾーンに入らなかったため、今のはファウルという判定になる。ファウルはワンストライクと数えられるので、三球目が終わって、現時点でワンボール・ツーストライクというカウントだ。


「あ、当たったね……」


 目を見開いて驚く音無さん。俺はツーストライクに追い込まれながらも、余裕たっぷりに微笑む。


「もう音無さんの球は見切ったよ」


「ふふふ、でもあと一個のストライクで葛西ちゃんの負けなんだよ? もっと焦った方が良いと思うな」


 たしかに、俺の余裕は見せかけの余裕だ。ここでまたフォーク空振れば、そこで俺の負けが決定する。焦りは当然あるし、緊張もしている、でも、それ以上に俺が勝つんだと言う勝気と、絶対に打てるという自信が俺を支えている。


「じゃあ、いくよ!」


 大きく振りかぶった音無さんが声を発す。俺は静かな構えで投球を待った。待ち球はフォークボール。ボールがバットの届かない低さにまで落ち切ってしまう前に打ち砕く。


 さぁ四球目。音無さんが球を投じると共に「りゃあ!」という少し可愛い気合の声を出した。低めの球だ。さっき俺が空振りをしたのと同じようなところにボールが来る。フォークだ。俺は咄嗟にそう思って、しかしストレートの可能性も考えながらバットを振り始めた。振り始めてわかる。ボールが落ちない。これはストレートだ。判断と同時に、俺は緊急的にバットの軌道を修正し、なんとかボールをバットに当てた。球体の下側とバットの面の上側がこすり合い、ボールはまた、後方のファウルゾーンへと飛んで行った。


 危なかった。なんとかファウルでしのげたか。さっき、ファウルはワンストライクと同じとしたが、同時に、ツーストライクの時にファウルを打っても三振にはならないというルールがあるので、カウントは変わらずワンボール・ツーストライクのままだ。


 今のファウルで、音無さんは少し追い詰められたと言っても良い。ストレートで空振りを取れないかもしれないと思っただろうし、次にストレートを投げると、ストレートに目が慣れた俺にミート(バットがボールをしっかり捉えること)されるかもしれないという恐怖心もあるだろう。ならばこそ、次に来るのは、いよいよフォークの可能性が高い。意表をついてスライダーかもしれないが、さっきのを見た限りでは、音無さんのスライダーはそこまでの脅威ではない。変化量もキレもないし、十分に対応できるだろう。


 ここが勝負の分かれ道だと俺は感じた。ぴりりとした空気。息を忘れる緊張感。ゆっくりと音無さんが投球動作に入り、そして五球目を投じた。「おっりゃあ!」叫び声とともに音無さんの投じた球は打ちやすい真ん中に真っ直ぐ走って来る。だが、ストレートと思ってはいけない。ここから落ちる可能性があるのだと、その軌道を思い浮かべながらバットを出す。変化球を打つための基本は、軌道予測とライン合わせだ。球の変化して来る軌道を予測して、その軌道にバットを合わせる!


 どんぴしゃだった。予測通りに落下して来たフォークボールを、俺は完璧にバットで捉えた。甲高い金属音が鳴り響き、鋭い打球が音無さんの頭上を越えて、飛んで行く。センター前へのヒットだ。


「そんな……」


 音無さんがその場に両膝を着き、呆然とした様子で俯いた。俺はほっと息を吐いた。勝利を手にした満足感にしばらく酔いしれてから、バットを片手に音無さんのところまで歩く。


「私の勝ちだね」


 宣告する俺に、音無さんは小さく頷いた。しかし俯いたまま顔を上げない。帽子で表情が隠れて見えないが、もしかしたら、彼女は今、とてもショックを受けているかもしれない。素人であるはずの葛西陽菜乃に決め球を打ち砕かれたのだから。俺は不安になって、音無さんの様子を見守った。


 しかし、次の瞬間に音無さんはぱっと顔を上げた。俺を見上げてにっこりと微笑む。


「すごい! ナイスバッティングだよ、葛西ちゃん!」


 てっきり落ち込んでしまったものと思ったが、そんなことなくて良かった。音無さんの笑顔を見て安心しながら、俺は「ありがとう」と得意げに笑い返す。


「これで野球未経験って、すごい才能だよ! プロになれるかも!」


 音無さんが興奮気味に俺に詰め寄る。ぐいっと俺に顔を近づけ、その目はきらきら輝いている。まずいまずい。あんまり野球が上手いと思われるのは、もし、葛西さんがこの身体に戻った時に迷惑を被る可能性を生むから良くない。


「お、大げさだよ……まぐれみたいなもんだし」


 誤魔化して、俺は外野に転がっているボールを拾おうと、逃げるように音無さんに背を向ける。


「ね、ねぇ……! も、もう一回……」


 その俺の背中に、音無さんが何かを言おうとした瞬間だった。「おーい!」という馬鹿に大きな女性の声が、グラウンドの入り口から聞こえて来たのだ。俺たちは二人とも驚いてその方角を向いた。するとそこには制服姿の女子生徒三人が立っていた。彼女たちはこちらを見て、手を振っている。


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