やばい人(咲良)
キャプテンが言うと、ちょうど、真里奈・紬の二年生コンビがベンチに戻ってきた。どうやら仲直りしたらしく、二人で何かを話しながら歩いている。
「コトさん! 咲良が来たよ!」
と紬先輩がキャプテンに言うと、数秒の間を置いて、二年生コンビの後ろに女子生徒が一人現れた。急いで走って来たらしく、制服姿のその女子生徒は、俯き、肩で息をしている。
「すみません、遅れてしまいましたわ」
顔を上げた女子生徒——咲良先輩と言うらしい——は第一声で謝罪をした。金色で綺麗な髪の毛が揺れ、青色の目が申し訳なさそうに落ち込んでいる。
「おいおい! どうなってんだよぉ、こんな大事な日に遅刻しやがってよぉ」と真里奈先輩。
「ふざけんじゃねぇよー。野球舐めてんのかよぉー」と紬先輩。さすが、煽り二年生コンビは人の弱みを見逃さない。
「罰としてグラウンド十周走ってこいよ、コトさん」
そしてなぜか真里奈先輩がキャプテンに矛先を向けていた。「なんでボク!?」とキャプテンは涙目になる。
「ま、まぁまぁ。委員会の仕事をしてたんでしょ? 何も謝ることないよ。お疲れ様」
キャプテンが頭を下げている咲良先輩を宥める。すると、それを聞いた咲良先輩は「そうなんですか?」と意外そうな表情でキャプテンを見た。
「うん、委員会なら仕方ないって。気にしないで」
キャプテンが言うと、咲良先輩の目の色が変わった。
「そうでしたか……じゃあ、さきほど私がした謝罪、返してくださる? 謝る理由なしに頭を下げたのでは、名家である八重家の名が泣きますわ」
突然何を言うんだこの人は。俺はびっくりして頭がクラクラした。突然に態度を変えて、キャプテンに強い口調で言い寄る咲良先輩。なかなか威圧的だった。けれど、キャプテンは一切の動揺を見せずに、
「じゃあ、手を出して! ……はい! 返した!」
と、慣れた様子で対応していた。
咲良先輩がキャプテンに差し出した左手には、キャプテンの右手が乗せられている。もちろん、キャプテンの手には何も握られていない。言ってしまえば、「エア謝罪返し」だ。果たして、こんな幼い子供にするような単純な行為で「謝罪を返せ」という要求に応えたことになるのだろうか。侮辱されたと思って逆上するのではないだろうか。俺は心配して、咲良先輩の次の挙動を見守った。
「ご返却、ありがとうございます!」
俺の心配をよそに、極めて晴れやかな表情になって、咲良先輩はキャプテンの「エア謝罪返し」を受け取ったようだった。あぁ、この先輩は変な人なんだな、と俺は納得しつつ、その変な人の扱い方を心得ているキャプテンに感心した。
(あの人……こわい)
ほら、陽菜乃も怯えてますわ。
(大丈夫だよ。近づかないようにすれば)
と俺は怯える陽菜乃を落ち着かせるように言った。君子危うきに近寄らず、という金言があるのだ。
「あっ! 一年生の方ですわね?」
咲良先輩の視線が陽菜乃と優衣の方を向く。やべ、こっち来た。危うきが近づいて来た場合はどうすれば良いのでしょうか。
「Nice to meet you. お名前は?」
妙に流暢な英語で陽菜乃と優衣に挨拶をする咲良先輩。優衣は「音無 優衣です! よろしくお願いします!」と元気よく返事をしたが、陽菜乃はしどろもどろになりながら、
「マイ、ネームイズ、ヒナノ、カサイ」
となぜか英語で返事をしていた。怖いのだから仕方ない。
「ふぅん。じゃあ、あなたが天才投手と名高い、音無優衣ですわね?」
咲良先輩の高圧的な目が優衣を睨む。陽菜乃がターゲットにされなくて良かった、と俺は心の中で胸を撫で下ろした。実際に胸を撫で下ろすと大変なことになるから、注意せねば。
「天才じゃないですけど……私が音無優衣です」
少し照れ臭そうに笑う優衣。それを見て、咲良先輩の目がメラメラと燃え始めた。
「むむむ……音無優衣! 私と勝負しなさい!」
優衣のことを指差して、咲良先輩はそう言った。そして言ったすぐ後に、「人に指を差すなんてはしたないわ。ごめんください」と微妙に変な日本語で謝る。
「しょ、勝負ですか……?」
突然の申し出に優衣は戸惑った様子である。優衣だけではない。ここにいる咲良先輩以外の全員が、展開に付いていけていない。
「ええと、勝負って……?」
さすがのキャプテンも、この急展開には動揺を隠せないでいるようだった。
「ですから、勝負は勝負ですわ。私と、この音無優衣さんとの、このチームのエースを掛けた勝負ですわ!」
咲良先輩はまくし立てるように言った。なるほど、そういうことか。と俺はようやく理解する。咲良先輩は優衣と同じくピッチャーなんだな。
(エースって、なんだっけ?)と陽菜乃が訊いてくるので、
(まぁ、スポーツによって意味は違うけど、野球でいうエースって言うのは、なんて言うか、そのチームで一番すげぇピッチャーってことだな)
答えておいた。つまり、咲良先輩が言う勝負は「どっちがすごいピッチャーか決めよう」という意味のものなのだ。
「良いですね! やりましょう!」
勝負の意味を理解したらしい優衣が、咲良先輩の提案に対して強く頷いた。優衣もなかなか負けず嫌いの勝負好きっぽいから、絶対に乗るだろうと思った。
「あーあ、大変なことになっちゃった」
苦笑いを浮かべるキャプテンは、しかし、少し楽しそうで、
「ルールはどうするの?」
と言って、キャプテン権限を使って、勝負をやめさせようとはしなかった。真里奈先輩と紬先輩も「面白そう」とやる気満々である。
「ルールは簡単ですわ。ここにいる打者全員を相手にして、打たれたヒットの少ない方が勝利。どちらもヒットを打たれなかった時は、内容の優れていた方の勝利! これでいかがかしら?」
咲良先輩の説明してくれたルールは、実に単純明快で、その上、みんなが楽しめるものだった。
「陽菜乃! キャッチボールの相手して!」
ルールを聞くな否や、優衣がグローブを装着しながら。陽菜乃にそう言った。ピッチングのための肩慣らしをしたいのだろう。
「うん、いいよ」
陽菜乃は頷き、ベンチからグラウンドに出て行く優衣の後を付いて行く。簡単に了承したが、優衣の球を捕るという行為の危険度を理解しているのだろうか。
「勝負は二十分後に開始ですわ! あ、琴音キャプテン。それで良いですか?」
咲良先輩は優衣に大声で言い、しかしそのあと、急に弱気になってキャプテンに今更すぎる許可を取ろうとした。
「いいよ、いいよ。考えようによっては実戦的なフリーバッティングなわけだし」
キャプテンが簡単に了解すると、咲良先輩は喜んで「着替えて来ますわ!」という言葉を残し、部室の方へ走って行ってしまった。
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