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ナイスボール!

(陽菜乃って負けず嫌い?)


(うん……そうかもしれない)


 陽菜乃の大人しめな性格上、俺は勝手に、彼女は勝負にはこだわらないで、楽しく取り組めたら満足するタイプだと思っていた。しかし、どうやらそれは俺の勘違いらしい。


(優衣に勝ちたい?)


(うん、勝ちたい!)


 俺の問いに対して、陽菜乃は即答した。俺は心の中でにやりと笑う。


(じゃあ、良い方法があるぜ)


(え、なに?)


(俺が陽菜乃の身体を使って、説明を交えながら実演するっていう方法さ)


 これは今さっき思いついた方法だ。そして、この方法は言うなれば究極の練習法である。


 一般に言われていることだが、スポーツの動作や技術というものは言語化が難しい。どうしても感覚の部分があるから、それを言葉で伝えるのは苦難が強いられる。そう、身体の動きは、結局のところ感覚なのだ。だから、スポーツの指導者は「やってみせる」だけではなくて、「やってみせたことを言葉に直して伝える」という作業をする。しかしここで、感覚を感覚のままに伝えてやるという指導が実現したのならどうだろう。いわば、脳から脳への直接指導。これこそ、究極の練習法と言えるのではないだろうか。


(でも、それってズルじゃない?) 


 陽菜乃は俺の提案を受けるのを躊躇ったが、俺はそれを一笑に付した。


(ズル? 上等じゃん。初心者が優衣みたいな天才と対等になりたいって思うなら、これくらいのズルじゃ、まだ足りないくらいだぞ。……どう? やってみないか?)


 契約を持ちかける悪魔のような気持ちで、俺は陽菜乃にそう言った。たしかに、ズルと言われれば、ズルかもしれない。でも、いいじゃないか。脳から脳への指導なんて、人類の科学技術が進歩していけば、きっといつかは実現するはずなんだし、ちょっと時代を先取りするだけだ。それに、俺から言わせれば、優衣の才能の方がよっぽどひどいズルだ。


「ちょっと強めに投げて良いですか?」


 優衣が真里奈先輩に向かって言った。既に優衣と真里奈先輩は十八メートル以上離れている。この距離ならば、優衣が少し出力を上げても、問題はないはずだ。


「いいよ! 思いっきり来い!」


 真里奈先輩が了承すると、優衣は挑戦的に笑った。「気をつけてね」とキャプテンが真里奈先輩に声を掛ける。俺も声を掛けようと思った。優衣の球は球速以上の、いわゆる「ノビ」のある球だ。油断をしていると怪我をしかねない。


 優衣が黒のピッチャー用グローブを高く掲げて振りかぶり、投げられた球は指先から放たれる鉄砲のようだった。ボールの回転が空気を切り裂く凄まじい風切り音が聞こえたと思ったら、一瞬で真里奈先輩のグローブに突き刺さっていた。


 場の空気が凍りつく。真里奈先輩がへなへなと腰を抜かして倒れ込んだ。「ひぇぇ」と小さく。悲鳴に似た何かを漏らしていた。


「やば……」


 紬先輩が何か恐ろしいものを見るような顔で優衣を見ている。そしてキャプテンは声を出さずに笑っていた。その笑いは決して面白いものを見たときの笑いではなかった。怪物は一瞬で場の空気を変貌させる。どこかで聞いたような言葉が俺の頭の中を反響する。


「大丈夫ですか!?」


 慌てた様子で、優衣が真里奈先輩の元へ駆け寄った。真里奈先輩は優衣に手を引っ張られて立ち上がる。


「ふふふ……あはははは! わっはっはっは!」


 立ち上がった真里奈先輩が大声で笑い始めた。優衣の恐ろしい豪速球を見て、気でも狂ったのだろうかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。


「勝てる! この球があれば勝てるぞ! 二部リーグ優勝できるかもしれない!」


 大はしゃぎする真里奈先輩。「ね! コトさん!」と、赤井キャプテンに同意を求めるように訊くと、キャプテンも強く頷いた。


「うん! 優衣にピッチャーをやってもらって……そしたら、良いところまでいけるかもしれないね!」


 天才投手の入部に、改めて大はしゃぎする先輩方。二部リーグという言葉に引っかかったが、今は気にしないでおこう。


(すごすぎる……怖いくらい)


 陽菜乃も目を見開いて驚愕していた。たとえ野球に詳しくなくとも、今の投球の凄まじさ、恐ろしさは十分に伝わったのだろう。


(タツベーさん……私、やりたい)


 陽菜乃は覚悟を決めたように宣言する。「やりたい」の目的語がなかったが、それが何かはすぐにわかった。


(ズルだけどいいのか?)


 俺は少し意地悪に、さっき陽菜乃が使った言葉を借りて問うてみた。すると、陽菜乃は少し沈黙して。


(……うん、やる)


 と答えてみせる。悪魔の契約に乗った少女は息を呑んで、


(よろしくお願いします) 


 と悪魔に頭を下げた。


(よし、一緒に頑張ろうぜ……! あの怪物を超えてやろうぜ!)


 俺は意気込んで、そう言った。陽菜乃は首を縦に振って、俺の言葉に応える。


「すみません、もう一回投げてみても良いですか?」


 俺は陽菜乃の口を使って、赤井キャプテンに訊いた。赤井キャプテンが「いいよ」と承諾してくれたので、ボールを受け取って、紬先輩の方に手を振った。


「先輩―行きますよー」


「オーライ。おいでおいでー」


 紬先輩は呑気な口調で手を振り返してくれる。


(ボールの握りは、さっきキャプテンが言ってくれたみたいに、こう握る)


 俺は陽菜乃に言いながら、まずはボールの握り方のおさらいをする。ボールを握った手を、手首を回転させることにより、色々な角度で陽菜乃に見せてあげた。


(キャプテンの教え方、すごくわかりやすかったね)


 陽菜乃が理解していることを確認して、さて、いよいよ次は投げ方の指導だ。


(投げる時は、まず、投げたい相手に左肩を向けるんだ)


(うん)


(そして、左足をゆっくりと上げて右脚だけの片脚立ちになる。このとき、右脚に体重が乗っていることになるね。そして左足のつま先を投げたい相手の方へ向けながら、相手の方へ踏み出し、この時、右腕は敬礼のポーズを取る。左足の着地とともに腰を回転させる。右脚に乗っていた体重が着地した左脚に移動することを意識しながら、敬礼ポーズの右腕の肘を前に突き出すようなイメージで振る!)


 一生懸命に説明しながら投げられた俺のボールが、見事に紬先輩の胸元(胸元に投げると相手が捕りやすいので、胸元に投げるのが理想とされている)に飛んで行き、グローブに収まった。俺はほっと一安心する。こんなに偉そうに実演して、変なところに投げたら格好がつかない。


「おー! ナイスボール!」


 俺のボールをキャッチした紬先輩が褒めてくれた。俺は紬先輩に会釈をしつつ、隣にいるキャプテンを見ると、キャプテンはぽかんと口を大きく開けている。


「え? なんでなんで? ボク、何も教えてないのに! なんで急にめちゃくちゃ良いフォームで投げられたの?」


 訳が分からないと言った風に、慌てるキャプテン。俺は何か言い訳をしなくてはと思い、


「き、キャプテンの心の声が教えてくれました」 


 と苦し紛れにそう言った。


「え、ボクの心の声……?」


 しかし、キャプテンはますます意味がわからないという顔をした。まずい、まずい。この指導法は素晴らしい案だが、周りに不審がられるから、隠れてやった方が良いかもしれない。


(どう陽菜乃? 投げ方、わかった?)


 心の中で陽菜乃に呼びかける。すると、陽菜乃は、


(あと二回、見せて欲しい)


 との要望を出してくる。その声は真剣そのもので、よく集中していることがわかった。たしかに、キャプテンと紬先輩に変に思われるのは嫌だが、陽菜乃がとても熱心に取り組んでくれているので、俺は嬉しくなって、同じ実演をもう二回繰り返した。その間、キャプテンはずっと口を大きく開けていた。


(どう? いけそう?)


 再び、確認のために陽菜乃に訊いてみる。すると、陽菜乃は、


(やってみる!)


 と張り切った様子で言い切ったので、俺は陽菜乃に身体を返した。


「じゃあ、ちょっと離れてみようかなー」


 不意に、紬先輩がそう言って、少し後ろ向きで歩いて、陽菜乃との間隔を十五メートルくらいに開けた。まずいかな、と俺は思った。少し遠くなった分、それだけコントロールは難しくなるはずだ。


(大丈夫か、陽菜乃)


 俺は親のような気持ちで陽菜乃のことを心配する。けれど陽菜乃は(大丈夫!)と俺の心配をかき消すくらいの強い口調で言ってのけた。


「いきます!」


 陽菜乃は左足を上げた。ゆっくりとしたフォームは、少し悪いところもあったが、しかし、陽菜乃の最初のフォームよりは格段に良くなっていた。俺の教えたポイントをしっかりと押さえ、振られた腕も思い切りが良い。指先を離れたボールが、まっすぐに紬先輩のいるところへ飛んで行き、そして、


「ナイスボール!」


 紬先輩の胸元へ、見事に到達した。


「やった!」


 陽菜乃はガッツポーズをして、その達成感からか、珍しく歯をむき出しにして笑った。俺も嬉しさから、心の中で舞を踊っていた。


 陽菜乃がキャプテンの方を向くと、キャプテンの後ろには真里奈先輩と優衣が立っていた。自分たちのキャッチボールを終えて、陽菜乃のキャッチボールを見ていたのだろう。


「今年の一年やべぇ」


 と、真里奈先輩は目を丸くして、優衣は笑顔で拍手をしてくれていた。


「ボクが育てたんだよ」 


 と赤井キャプテンが自慢げにしているのは、果たして何とリアクションをすれば良いのだろうか。


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