目をさましたら女体
ずっと書きたかった女子野球もの、連載開始しますー!
今年は甲子園がなくて、残念だったなぁ泣
「四百九十六!」
将来はプロ野球選手になる、そう誓った小学生の頃。現実の非常さを顧みずに、ただ目をきらきらと輝かせ、夢を描いた春。
「四百九十七!」
少し現実が見え始めた中学生の頃。夢を叶えることの困難さを知り始めると同時に、自分の実力の限界を知らずにバットを振り続けた夏。
「四百九十八!」
野球の強豪校に入り、自分の限界を知ってしまった高校一年生の頃。周りとの差を憂いて、夢を諦めかけた秋。
「四百九十九!」
レギュラーの座を掴めず、もがき苦しんだ高校二年生の頃。それでも、夢を諦め切れず、必死に走り続けた冬。
「五百!」
そして高校三年生、最後の大会。レギュラーの座は勝ち取った。一桁の背番号を誇りに、大会で活躍をした。試合に勝ち続け、いよいよ明日は決勝戦だ。甲子園に行きたい。そして、甲子園でも活躍して、プロ野球選手になるんだ。
日課の素振り(野球のバットを振る練習)を五百回終えて、持って来た水筒を一口飲む。纏わりついてくる湿気と汗さえ心地良かった。俺は夜空を見上げ、ふっと笑ってみせた。星の見えにくい都会の空に一つだけ小さな星を見つけて、毎日の素振りで皮膚がガチガチに強張った手を伸ばす。思えば、プロ野球選手になるということは、この広い宙でたった一つの小さな星を掴むような途方も無い夢だった。けれど、もう少しで、掴めるかも知れないというところまで来たのだ。「甲子園での活躍を楽しみにしているよ」スカウトの増田さんが言ってくれた言葉を胸で反芻する。
バットをケースに入れて、スマホを見ると、チームメイトの町田から、明日は頑張ろうという旨の熱いメッセージが届いていた。あまりに真っ直ぐすぎる言葉たちに照れ笑いを浮かべながら、それに返信して、広場を後にする。
そう、今の俺には、もう一つの夢がある。大切な仲間たちと、明日の決勝戦に勝って甲子園に行くこと。高校三年間、プロになるよりも切実に願った夢だ。甲子園という聖地で、大勢の人たちの前で大好きな仲間たちと共に野球をできたら、なんて幸せだろう。
明日の決勝戦で、高校三年間の苦しい練習が報われる。甲子園に行ける。プロになれるかどうかの重要な分岐点でもある。色々な意味を持った試合になるだろう。その緊張感に、俺は唇を引き絞った。赤信号で足を止めると、背中に携えたバットが音を立てる。
大丈夫だ。練習を積み重ねて来たのだから。絶対に勝てるさ。と自分に言い聞かせる。野球はメンタルスポーツであるとも言われている。試合前から臆するなんて許されないことだ。
息を吸い込み、夜空に明日の勝利を誓った。その瞬間だった。目の前に閃光が溢れ、俺はその場に倒れ込んでしまった。
意識が遠ざかっていく。何が起こっているのか理解できないまま、俺はゆっくりと目を閉じた。
目が醒めると、知らない天井があった。脳に意識が戻って来て、俺ははっとした。俺は一体どうなってしまったのか。最後に見た光景を思い出すと、地面に倒れこむ自分がいた。じゃあ、ここは病院か?
辺りを見回すと、朝日の差し込む部屋の中は明らかに病室ではなかった。シンプルながらも生活感をしっかりと感じる小部屋であった。よくよく観察してみると、家具の色や小物などを見るに女性の部屋なのではないかと予測できた。一体、誰の部屋なのだろう。考えると同時に、身体を起こしてみる。
ベッドから降りると、自分の身体に多少の違和感を覚えた。が、その正体が何かまでは分からず、放っておくことにした。部屋は観察すればするほど、女部屋らしい。壁に掛けられているのは女子用の制服だ。どこの学校のものかは知らないが、この部屋は確実に女学生の部屋だと判明した。何故自分が誰とも知らない女子の部屋にいるのだろうか。俺は頭の中に答えを探しつつ、適当に部屋の中を徘徊する。ふと、クローゼットの近くに姿見を見つけて、俺はぎょっとした。
「え、え……?」
口から漏れる声は思いがけないほどに高く、鏡を覗く人間は小動物を思わせるように小柄で頼りなさそうだった。普段の自分とは似ても似つかない可愛らしい小さな顔と数秒間たっぷりにらめっこをしてから、俺は勢い良く尻餅をついた。
わけがわからなかった。自分の身体が少女になっているという現実を、ゆっくり時間を掛けて飲み込むしかなかった。ただ、昔流行った映画で、男女の心と身体が入れ替わるという設定の物語を観たことがあるので、それを今起こっている現実に無理やり当てはめて、俺はこの状況を自分の理解の範疇に押し込んだ。
だとすると、この部屋はこの身体の持ち主の部屋ということになるが、それならば納得がいく。俺は立ち上がって、机の上や学校の鞄らしきものを漁った。この子の名前や素性を知りたかった。そうして俺は鞄の中から学生証を発見した。葛西陽菜乃。どうやら、それがこの子の名前らしかった。星の丘女子高等学校……女子校に通っているらしい。
これからどうすれば良いのだろうか。学生証を鞄の中に戻してから、俺は途方に暮れた。俺の本来の身体はどこにあり、どうなってしまっているのだろうか。フィクションの世界ならば、葛西陽菜乃さんの魂が俺の身体に入っているはずだが、実際はどうなのだろう。薄暗い、カーテン越しの弱い日の光のみが照らす部屋の中で、思考を巡らす。すると、その時、突然に部屋のドアがノックされた。