3、茶トラのきなこと三毛のミケ
「一日悪役令嬢してくれたら、特別に日給として五千円支払ってあげるにゃ。」
茶トラがドヤ顔で肉球を広げた。
可愛いピンクの肉球はとても可愛い。
だが、そうじゃない。
「八時間拘束で日給五千円とか、最低賃金大幅に下回ってるんですけど?」
一日五千円では、息子の育児費どころか毎日の生活費にだって足りない。
「足りない分は、好きに副業で稼いで良いにゃ。ご希望なら、役に立ちそうなチート能力をいくつかプレゼントしてあげるにゃ。」
「チート能力?それってどういう…?」
「時間ないから、続きは転生してから説明するにゃ。」
「え?転生って、もう?」
「もう始業式始まっちゃうから、急がなくちゃなのにゃ!」
慌てる私をよそに、猫二匹は、私の顔に肉球を押し当てた。
ぷにぷにして気持ちが良い。
けれどそれだけではなく、私はぐにゃりとした空間に落ちて行くような感覚に飲み込まれた。
ぐるぐると回る景色。
その向こうに、まるで城のように立派な学園の門が見えた。
私立マテリアル学園
それがその学園の名前だった。
「ここが今日からあなたの通う学園だにゃん。」
「ここが…?」
空中からゆっくりと校門へと近付いていく。
不思議な感覚だった。
「今日が始業式にゃん。」
校門には、沢山の馬車が乗り入れていた。
いかにもお金持ちが通う学園、といった風情だ。
その中にある、一際豪華な馬車に、私と二匹の猫は上から近付いて行った。
「うわ、」
そして、その銀と青で縁取られた、豪奢な馬車の中へと、ゆっくりと吸い込まれていく。
「すごい、魔法みたい?」
「そうにゃ、この世界では、魔法は当たり前に使えるにゃ。」
私の後ろに付いてきてくれた、茶トラと三毛は、そう説明してくれた。
「そうなんだ、すごい!」
魔法が使えるという言葉に、私のテンションは一気に上がった。
「うわっ…!」
そして、馬車の中に座っていた、サラリと美しい銀の髪に、品の良い制服を着た美少女に、私の魂はゆっくりと溶け込んでいった。
「うわあああ…!」
完全に同化している。
パチパチと瞬きすると、自分の手も足も、可愛い十代の少女のものになっているのが分かった。
「私はこの世界で、このキャラのプレイヤーになるってことなの?」
「まあそういうことにゃ」
茶トラが私に手鏡を見せてくれた。
手鏡の中には、銀の髪に蒼の切れ長の瞳、桜の唇をした、ややキツめの美少女の顔が映っていた。
「これが、私のキャラ…、」
視線を強めて、しっかり見ようとした時、周りの景色が一瞬動きを止めたように見えた。
「え?何これ!?」
そして、突然私の前に、何か文字の書かれた窓のようなものが現れた。
【セレナ・リファインディング
総合レベル1
HP:25
MP:15
職業:悪役令嬢
特技:なし
持ち物:なし
好感度:対象者なし】
「これは…?」
「ステータス画面だにゃ。」
「この世界には、一部の人だけが『慧眼』と言って、各キャラクターのステータスを画面で見られるにゃ。」
「へえ、」
なんだかゲームのような設定にワクワクした。自分の現状が数字で分かるのはありがたい。
「『慧眼』使用中は、周りの動きが一時停止してるから、安心して使って良いにゃ。」
「なるほど、」
猫達の言葉に安心して、私は自分のステータスをじっくりと見た。
「この、セレナ・リファインディングっていうのが、この世界での私の名前で良いの?」
「そうにゃ、セレナはリファインディング公爵家の一人娘にゃ。」
「わお!公爵!」
小説の中でしか聞かないような、高い身分にドキドキする。
「でも、職業『悪役令嬢』って、ていうか悪役令嬢って職業名だったの?」
「そこはあえての分かりやすさ追求にゃ。ちなみに職業は一度に三つまで持てるから、兼業令嬢すれば良いにゃ。」
「兼業令嬢…、」
兼業農家じゃあるまいし…、と思いながらも、とりあえずこうしてナビゲーター役に付いてきて貰えるのはありがたい。
「あなた達は、ずっと私のそばにいてくれるの?」
「お望みならずっといるにゃ。別行動したくなったら言ってくれれば良いにゃ。」
「今のところ、いて欲しいわ。だから、名前を教えてくれない?」
せっかく一緒にいられるなら、名前で呼びたい。そんな気持ちで聞いたなら、茶トラは嬉しそうに笑った。
「私は『きなこ』にゃ。」
「私は『ミケ』よ、よろしくにゃ。」
きなことミケは、私の膝に頭をごつりと当てて挨拶をしてくれた。
「よろしくね、きなこ、ミケ、私は、いすず、でもこの世界ではセレナなのね。」
「そうにゃ、飲み込みが早くて助かるにゃ。」
三毛猫のミケはやや高飛車に言った。
「じゃあ、これから始業式に乗り込むにゃ。ナビはちゃんとするから、安心してにゃ。」
茶トラのきなこはおおらかに、私のことを案内してくれる。
こうしてきなことミケに導かれながら、私の奇妙な異世界生活は幕を開けたのだった。