1、プロローグ
前回の話を今日の昼に完結させ、しばらく書かないつもりでしたが、一時間後にはもう次の話を書きたくなってしまいました。
少し毛色の変わった悪役令嬢話にできたら嬉しいです。
引き続き見ていただける方がいらっしゃいましたら嬉しいです。
「りゅーくんただいまあー!!ママ遅くなってごめんねええー!!」
お世話になっている「なかよし保育園」のさる組の扉を開き、私は最愛の息子の名前を呼ぶ。
「あ、ママぁー!!」
私の天使よりも可愛い一人息子は、私の顔を見ると、満面の笑みで駆け寄ってきてくれた。
一日の仕事の疲れが吹き飛ぶ瞬間である。
私の名前は坂本いすず、36才子持ち。
バツイチ、現在シングルマザーとなって、子育て奮闘中。
世界で一番可愛い私の息子りゅうせいは、本名坂本竜成、4才。
現在、区立なかよし保育園のさる組さんに預かって貰っている。
私は独身時代から働いている会社の事務で働いているが、正直そこのお給料と、別れた元旦那からの毎月の養育費だけでは、将来この子の学費には到底足りない、と日々焦っていた。
いっそバイトを増やした方が良いのかもしれないけれど、夜間の民間保育は高いし不安がある。
何より最愛の息子と触れ合える時間が少なくなるのは嫌だった。
悩みは尽きないけれど、とにかく今仕事があって、息子が可愛いのは幸せだった。
帰ったら、まず息子と私の夕飯を作って食べて、お風呂に入れて、寝かしつけ、それから掃除と洗濯と明日の準備をしなくてはならない。
毎日が戦争だった。
その日も私は、最愛の息子を無事に保育園に送り届け、自転車のまま職場へと急いで出勤していた。
職場へは自転車で30分、決して近い距離ではないけれど、職場と自宅の間に保育園があるので、自転車でそのまま行くのが、一番都合が良かった。
途中、交通量の多い道路もあるけれど、気をつけて、きちんと一時停止しながら運転していれば大丈夫。
そう思っていた。
その時までは。
信号待ちをしていた交差点。
歩行者用道路の端で、私はのんびりと、今日の夕飯の献立などを考えながら、信号が青に変わるのを待っていた。
信号はちょうど赤に変わったばかりだったので、私はなんとなく、一度自転車を降りてみた。
隣には小学生くらいの女の子がいて、目が合ったので、なんとなく笑いかけてみた。
女の子はにっこりと笑い返してくれた。
かわいい。
朝からほっこりできたのが嬉しくて、私はなんとなく、今日は良い日だと思っていた。
次の瞬間までは。
耳を突き刺す悲鳴。
きゃああーー!!
突っ込むー!!!
慌ててそちらに目を向けると、一台の暴走トラックが、信号待ちの歩行者の列である私達に向かって、突っ込んで来ていた。
駄目だ、死ぬ。
私は死を覚悟したけれど、隣の小学生だけは助けたいと思った。
自転車から手を離して、コンマ数秒、トラックが来る反対方向へと、女の子の身体を突き飛ばす。
もしも怪我したらごめんね、でもきっと打撲が捻挫くらいで済むはずだから、死ぬよりはマシだよね?
そんな思いを最後に、私はトラックに押し潰された。
ああ、可愛い私の息子、大好きなりゅーくん、お母さん、今日お迎えに行けなくて、本当にごめんね……。
死にたくない、大切な息子を残して逝きたくない、そんな思いは、トラックの岩のような巨体に、無慈悲にも轢き殺されてしまったのだった。
『手違いが起こったぞ……、』
『どうする……?』
近くから、囁くような声で話しているのが聞こえてきた。
(手違い……?)
不穏な単語に、私の意識が浮上する。
『あ、目が覚めたか……?』
『仕方ない、あいつに責任を取らせよう……』
会話はどんどん不穏さを増している。
いっそ寝たふりを続けたかったが、そういうわけにはいかなった。
圧を感じる。
何かが顔の近くまで近付いてきていた。
小さな鼻息が聞こえる。
覗き込まれている。
あまりの至近距離からの圧に、私は堪え切れずに薄目を開けてしまった。
顔のすぐ間近にあったのは、くりくりとした大きな目と、ふわふわもふもふの顔だった。
「ねこチャンっ…!!」
あまりにも可愛い茶トラの猫が、私の声にびっくりしたように飛び退く。
その後ろには、同じくものすごく可愛らしい三毛猫が座っていた。
「可愛いっ…!」
大の猫好きの血が騒ぎ、私は思わず起き上がって、猫に近付こうとした。
そしてふと、何かを忘れていることに気付く。
(あれ?でも、さっきの話し声は、いったいどこから…?)
私がその疑問に気がついた時、茶トラと三毛の二匹の猫の目が、キラリと怪しく煌めいたのだった。