精霊王
ふんどしの日!
緊急事態を知らせる角笛の音は、火事場へ向かう消防車のサイレンに似ている。
ぶぉぉぉぉぉん!!!!!
ぶぉぉぉぉぉん!!!!!
不安を掻き立てるような低く響く音色に、私達は寝ぼけ眼もふっとんで飛び起きる。
先に目を覚ましていたカノンが馬車から身を乗り出して外を眺めている。カノンは好奇心旺盛なのだ。
「シーリアさま。あれは?」
「うん。赤煙筒の煙だね。ああやって遠くの人に危険を知らせるんだ」
私もカノンの後ろから外を見る。青い空に立ち上る赤い煙。前を走る護衛の馬車がそれに気づいて、警戒を促すため角笛を吹いたのだ。
「危ないぞ! 座ってろ!」
御者台からオバリー大尉の声が飛んだので、私とカノンは座席に戻る。それから間もなくオバリー大尉は馬車を停止させた。
「総員降車!! 総員降車!!」
随伴する小隊が乗る馬車が両脇に停車する。きびきびした動きで馬車から降りた兵士達が、私達の乗った馬車の周囲に立って警戒に当たる。
「お前達はそのままでいろ。グランス、何かあったら俺を置いてでも馬車を出せ」
「了解です」
そう言ってリオンに手綱を任せると、オバリー大尉は御者台を降りて護衛している部隊の指揮官の元へ向かった。
レノアとファーファも既に武器を手にしていつで出られるように準備をしている。
彼女達が手にしているのはコルセスカと呼ばれる、穂の両側に蝙蝠の羽のようなピックのついた槍だ。ハルバートよりも攻撃力で劣るが軽く、引っ掛けて使うこともできる為、騎馬隊の特に女性兵士の間で広く使われている武器である。
「何があっても皆さんは私達がお護りいたします!」
「ふふ、頼もしいわね」
レノアの言葉に嫋やかに微笑むセフィリア様。今この場で一番落ち着いているのは彼女だろう。
もし、彼女達が戦わなければならないような事態となれば、護られるのはレノア達の方だ。齢800歳を超えるハイエルフの彼女にはそれだけの力がある。
「シーリアさま……」
殺気立った空気に包まれて不安になったのかカノンが手を握ってきた。私はその手をしっかりと握り返した。
私は剣も槍もまだ使えないけど、一応ふくらはぎ巻きつけるようにナイフを忍ばせている。
オバリー大尉からは「そんなもん使うくらいなら逃げろ」と言われているが、私にだって護りたいものはある。
「大丈夫。絶対に守ってあげるから」
そう言って笑ってみせると、カノンも笑顔を見せた。
護りたい! その笑顔!
花も恥じらうような可憐な笑みに私は絶対にカノンを守り切ると心に誓う。
けれどカノン首を振った。
「いいえ! シーリアさまを守るのは私の役目です!」
そう言ってカノンは腰の後ろに吊っていたナイフを抜く。
私が持っているのより二回りほど大きなナイフに私の顔が引きつる。
狩りが得意なカノンは旅の途中でも獣を捕え、その大きなナイフで捕えた獲物をバサバサ捌いていた。その手際はオバリー大尉や兵士達も称賛するほど見事なもので、彼女の作る丸焼き料理は肉好きの兵士達にかなり好評だった。
カノンは私なんかより余程逞しい。私がちっこいナイフを振り回すよりよほど戦力になるだろう。
加護があるとか関係ない。『プロミネンス砲』がなければカノンの方が私より強い。それが現実だ。
……悔しい。
やがてオバリー大尉が戻ってくる。
「魔獣ですか?」
「ええ。馬で先行していた兵がギガスクイードと遭遇しました。現在こちらに接近中とのです」
「ギガスクイードがこんな場所に?」
状況を伝えるオバリー大尉にセフィリア様が訝しむかのような表情を浮かべる。
なんだって!? ギガスクイードだと!?
「シーリア様?」
「あ、ごめん。痛かった?」
「いえ……」
いかんいかん。ギガスクイードと聞いてつい手に力が入ってしまった。
ギガスクイードとは何故か地上に生きる巨大なイカだ。体長は小さいものでも20メートル。大きいものは50メートルを超える。
セフィリア様が訝しむのも無理はない。そんな巨体を維持できるだけの餌なんて魔界にしか存在しないため、アイアンラインでは滅多にお目にかかることはない魔獣なのだ。
私だって実際には見たことはない。けれど『剣の国のエリュシアリア』ではギガスクイードと戦うイベントが存在した。
その戦いにおいて、不意を突かれギガスクイードに捕まったエリュシアリアが非常にえっちな目に合うイベントがあったのだ!!
仲間に助けられるまで、巨大イカのぬるぬるとした足で胸や太ももをまさぐられるエリュシアリア……完璧なお姫様が見せる乱れた姿、表情、あれは良いものだった。
おっといかんいかん!!
その巨大イカが現れたというのか!?
これはいかん!! 火急的速やかに殲滅しなければ女の子達が危険だ危ない!! 特にレノアやファーファなんて絶対に酷い目に合う!! 間違いない!!
私はオバリー大尉に意見具申する。
「大尉。私にやらせてください。隊員に犠牲が出る前に『プロミネンス砲』で吹き飛ばしましょう!!」
普段よりやる気に満ちた私に、オバリー大尉は若干引いた様子を見せたが、すぐに私の提案に頷いた。
「そうだな。頼めるか?」
「はい!!」
オバリー大尉の許可が出て、その旨が護衛の小隊長に伝えられる。
『プロミネンス砲』を直接見たことがない彼等は狼狽していたが、この場で最も階級が高いオバリー大尉の指示に従う意思を示した。
彼等の不安も仕方がない。なんといっても相手は大型の魔獣である。いくら精鋭といえど、2個小隊では荷が勝ちすぎるからだ。
本来ギガスクイードには火責めが有効だが、その巨体を燃やすほどの燃料をすぐに用意することも不可能。部下を危険にさらさずに倒す手段があると言われれば、彼等はそれを受け入れるしかない。
「ガキ共! セフィリア様とカノン様を頼んだぞ!」
セフィリア様とカノンをリオン達に任せて、オバリー大尉は愛用の長剣を背負う。私の護衛には彼が付いてくれるらしい。
「いっちょいくか!」
「了解!」
ゲームでは、恥じらいのあまり聖炎を暴走させたエリュシアリアの『プロミネンス砲』によってギガスクイードは倒された。今からその再現をしに行くのである。『プロミネンス砲』の照準はまだ甘いが、直撃させることができなくても弱らせることができれば護衛の兵士達で討伐できるはずだ。
「お待ちください。魔獣を退治する役目。この子に任せてはくれませんか?」
いざ出陣しようとする私達を呼び止めたのはセフィリア様だ。しかも、カノンにギガスクイードを倒させるというのだから、私だけでなくオバリー大尉の目も点になる。
え? できるの?
セフィリア様なら楽勝だろう。けれどカノンは私と同じ6歳の子供だ。
「カノンに?」
「ええ、カノン? やれるわね?」
「はい、お婆様」
セフィリア様の手がそっとカノンの肩に置かれる。頷いたカノンの顔には確かな自信がみえた。
マジデ?
「い、いや、しかし……」
困惑する私とオバリー大尉だったが、セフィリア様の協力の申し出に、周囲にいた兵士や指揮官から歓迎の声が上がる。
「ハイエルフ様に協力していただけるとはありがたいですな!」
「まったくです! いや、ブレイウッド二等兵を疑っているわけではないですけどね」
……
……そうですよね。
同じ幼女でも、わけわからん私より、ハイエルフであるカノンの方を信用するのも無理はないですよね……
なんだかまた負けた気持ちになる私。
そんな私の心境を察したのか私の頭をぽんぽんと叩くオバリー大尉。どうやら流れに任せるつもりのようだ。
「ま、まあ、今回はハイエルフ様のお手並み拝見としよう。だが一応待機はしておけ」
「はい……了解です」
そんなこんなしてる間に、地面を這うように向かってくる巨大なイカが見えた。でかい……50メートルなんて余裕で越えている。
初めて見た大型の魔獣。不気味で威圧的な姿に私は恐怖した。
この世界はゲームとは違う。あの足で捕えられたら、人の身体など容易く引きちぎられてしまうだろう。
女神の加護を持つセンチュリオン兵でも容易には手出しできない怪物。それに対峙するにはカノンの背中はあまりにも小さい。
「カノン。本当に大丈夫?」
カノンは頷く。
「はい! あの程度の魔獣、シーリアさまのお手を煩わせるまでもありません!」
力強く答えるカノン。怖くはないのだろうか? どうしてそこまで強くいられるのだろう。
かつて私が憧れた強さをカノンは持っている。
彼女に追いつきたい! だから私もここから逃げない!
瞳を閉じたカノンは精霊に願う。
「火の精霊よ……力を貸して!」
暖かな風が吹いた。それは次第に光を持って熱を増し、巨大な炎の渦になって彼女の前に現れる。
「すげぇ……」
オバリー大尉だけではない。私やその場にいた兵士達も皆その光景に目を奪われた。
彼女達エルフが信仰の対象とされるのも頷ける。カノンはただお願いしただけ。たったそれだけで火の精霊は町を飲み込めそうなほどの炎の渦を生み出した。
だが、それでまだ終わりではない。世界の根源に向かって彼女は呼びかける。
「顕現せよ!! 炎精の王サラマンドラ!!」
炎の渦が形を変えていく。
少女の呼びかけに応え、偉大なる精霊の王は姿を現す。
赤く輝く鱗を持つ竜。見上げる程の巨躯に雄々しい姿は王と呼ぶにふさわしい。
「お願い!! 炎の精霊王!! みんなを護って!!」
カノンの願いを受けたサラマンドラが、ギガスクイードを一瞥する。
いかに大型魔獣といえど、相手は精霊の王。危機を察知して逃走に入るギガスクイードだが、その動きは遅く、サラマンドラはたやすく後ろ足でギガスクイードを踏みつけ捕えた。
高熱を発するサラマンドラに捕えられ、ギガスクイードの巨体が燃え始める。苦しむギガスクイード。吸盤のついた足で応戦するがサラマンドラはびくともしない。むしろ触れた足が火に包まれる。
やがてギガスクイードの全身が焼けただれ焦げた匂いが辺りに広がる。
「サラマンドラ!! とどめを!!」
カノンの指示でサラマンドラの全身からひと際激しい炎が噴き出した。炎はやがてサラマンドラの口腔に集約される。
既に虫の息のギガスクイードにサラマンドラはブレスを放つ。凄まじい業火が荒野を焦がし、既にロースト状態だったギガスクイードが一瞬で消し炭になる。
「あちあちあち!!」
「退避~~!!」
興奮した様子で観戦していた兵士達が逃げていく。
サラマンドラは勝利の雄叫びを上げた後、光の粒となって消えていった。残されたのは灼熱地獄と化した大地。そしてギガスクイードは黒い影だけ残して焼失していた。
その一部始終を見せつけられて、私は言葉を失っていた。
これがハイエルフの力?
負けた……
何? 今の怪獣大決戦……
いや、攻撃力なら『プロミネンス砲』だって負けてないよ?
けどカッコよさで完全に負けたっ!!
「えへへ。勝ちましたよシーリアさま……」
そう言って笑って見せた瞬間、カノンの身体がよろめいたので、慌てて私はその身体を支える。
「カノン!?」
カノンの身体は汗でぐっしょりと濡れていた。
「カノンは大丈夫なんですか!? セフィリア様!?」
「ええ、大丈夫よ。精霊王の霊気にあてられただけで一晩も休めば回復するわ」
そう言ってカノンを抱きかかえるセフィリア様。
「カノン、よく頑張りましたね。さて……」
セフィリア様の意識が背後に向く。つられて私もその方角へ目を向ける。
何? 何かが近づいてくる? 複数の人影。それもかなり多い。
「後方より武装集団!!」
兵士が叫ぶ。
どうやらまだ終わってないらしい。
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