厩舎の少年
もしかしたら主人公になれたかもしれない少年のお話です。
厩舎の朝は早い。
馬丁達は明けの明星が輝くころには起き出して白み始めた空の下で馬の世話を始める。城には運30頭程の馬が飼育されていて、馬丁達は運動の為に順番に馬を走らせ、その間に馬房を掃除する。
城で飼育されている馬はどれも立派な体格の軍用馬だ。そのため馬丁は引退した騎士や兵士が多くく勤めている。馬の運動と称して楽しそうに馬に乗る場丁の姿は早朝の名物だ。そんなやたら無駄に風格のある馬丁達に混じって幼い少年の姿があった。
少年の名はテイオ。6歳。2年前に両親を事故で亡くし、それ以来厩舎長であるボージャンに引き取られ馬丁見習いとして厩舎の寮で暮らしている。
センチュリオン王国には日本の児童福祉法や少年法のように子供を守る法が存在し、12歳までをその対象としている。しかし、だからといって子供が働くことを禁止しているわけでもなく、少年のような幼い労働者も決して珍しくはなかった。
子供のテイオはまだ馬に乗れないため、彼は常に清掃担当だ。巧みに馬を操る馬丁達を憧憬の瞳で見送ると、残った馬丁と協力して掃除を始める。子供には中々の重労働だが、それが彼の日課だった。
掃除が終われば暫く彼は自由となる。
朝霧が立ちこむ中、テイオはいつものように厩舎裏にある井戸で水浴びをする。馬房の掃除でついた汚れと匂いを落としてから、寮に戻って朝食の支度を手伝うのだ。
「冷めてぇ……」
5月の水はまだ冷たい。加護を得た者ならば聖炎の力で水を温めることが出来るのだが、彼はまだ加護を得ていない。冷たい水を少しずつかぶりながら汚れを落としていく。
身体を拭いて服を着終わったその時だ。
あははははは!!
霧の奥から何かが聞こえた気がした。最初は気のせいかと思った。
あははははは!!
いや、気のせいではない。しかも、声はだんだんと近づいてくる。
人の笑い声? 誰だ!?
驚いて声のした方を見ると、何かが視界の隅を横切った。
屋根から屋根へ、白い影が金色の帯をなびかせて宙を舞う。
お化けだ!?
築城から数百年。何度も戦を経験したセンチュリオン城は怪談話には事欠かない。テイオはボージャンや仲間の馬丁達からよくその手の話を聞かされていた。
非業の死を遂げた王女の霊が夜な夜な城を彷徨っている。
騎士を襲い首を撥ねる漆黒の首無し鎧。
傍若無人に振る舞った挙句、王太子との婚約を破棄され処刑された令嬢の霊がでる。
堀でこっそり竜が飼われていて、秘密を知った者はその竜の餌にされてしまう。
城の地下には古代人が眠っていて、近づくと強制的に筋トレをさせられる。
人や家畜を攫う空飛ぶ船の話。
水浴場に現れ女性の衣服を奪う怪人の噂。
どれも身の毛のよだつような話ばかりで、聞いた日の夜は怖くて眠れなかった。
大丈夫。気のせいだ。きっと気のせい……忘れよう。
大体もう朝だし、お化けなんて出るわけないさ。
身体を拭くのもそこそこに服を着て、寮に帰ろうとしたその時だ。
突然、テイオの前に白い影が静かに降り立った。
「で、でたぁ!?」
テイオは腰を抜かしてその場にへたり込む。
だが、少年の目に映ったそれは、話で聞いたような恐ろしい姿ではなかった。
て、天使様!?
テイオがそう思ったのも無理はない。
簡素な寝間着が捲れて、露わになった白い手足。
帯のように見えた長い金色の髪が、翼を休めるようにふわりと背中にかかる。
それは恐ろしい化け物とは程遠い、とても美しい何かだった。
ぐるる~~~。
腹から情けない叫び声をあげて天使はその場に倒れた。
「あ、お前、大丈夫か!?」
おっかなびっくりその何者かに近づいて声をかける。
天使……いや、女の子。だよな?
歳はたぶん自分と同じくらい。まるでお姫様みたいに奇麗な女の子だった。
ぐるる~~~。
「……ごはん」
そう呟いて、女の子は気を失ったようだ。
「たたたた、大変だぁ!! 親方ーーっ!!」
ぐるる~~~。
厩舎に走るテイオ。厩舎の裏に虫の声が虚しく響く。
✤✤✤
センチュリオン城は世界でも類を見ない巨大な城塞だ。かつて帝国軍に包囲された際には、とり残されていた民を丸ごと収容して立て籠もり、帝国軍の補給線が絶たれて撤退するまで戦い抜いたという逸話が残されている。
ちょっとした都市に匹敵する敷地内には、国の中枢を担う庁舎の他に、庭園、獣舎、そして勿論病院も存在する。
ボージャンに命じられて王立医療院に向かったテイオだったが、医療院の扉は閉じられ中から閂がかけられていた。
「おーい、誰かいませんかー?」
扉を叩いて呼びかけるが返事はない。
騎士団の本部に併設して建てられた王立医療院は、普段は怪我をした騎士や診察を受けに来た患者で賑わっている。だが今は早朝ということもあり周囲に人影も見られない。
実は扉の前には"診療時間は8時~15時まで。時間外の来院者は裏門からお入りください"という案内の札が掛けられていたのだが、残念なことにテイオは字が読めなかった。
それでも普段ならば院内にいる誰かが気が付いただろう。しかし窓から飛び出したお転婆姫を追いかけて、少ない人員をさらに減らしていていたために現在医療院には殆ど人が残っていなかった。
「ったく! しょうがないな!」
テイオは既知の騎士がいる騎士団寮へと向かうことにした。
近道しようと近衛騎士団本部の庁舎の裏にある細道を抜けた時だ。ちょうど通りを歩いていた人間にテイオはぶつかってしまう。
「きゃっ!」
「うわっ!?」
相手は10代半ばくらいの少女だったが、体格差から跳ね飛ばされて転んだのはテイオの方だった。
「いててて」
「あら、ごめんなさい! 大丈夫?」
王国では珍しい小麦色の肌に、濃紺のエプロンドレス姿の少女は、鳶色の瞳をテイオに向けて心配そうに声をかける。
その少女はハーモニア子爵令嬢こと、王宮侍女シナリィだ。
「いや、俺が慌ててたから」
「やだ、肘擦りむいてるじゃない。ちょっと待ってね」
シナリィはテイオが怪我をしたことにきがつくと、傷を洗うため持っていたバスケットから水筒を取り出す。
「いいよ! こんなのいつものことさ。なんともないよ」
別に強がりというわけではない。子供ながら厩舎で働いているテイオはにとってその程度の傷は本当に慣れっこだ。シナリィにしてもかすり傷ひとつで大騒ぎするような箱入りに育ったわけではない。むしろ庶民として生きていた時期があり、小さな傷で誰かに構われるのが鬱陶しいという少年の気持ちも理解している。しかし、それでもテイオの手当を止めようとはしなかった。
「ふふ。君は強いんだね。でも駄目よ。子供に怪我をさせてそのままにしたと知れたら、私は王様に怒られてしまうわ」
「王様って大げさだな」
「そうでもないわ。私は王宮に努める侍女だもの」
「王宮!? まじで?」
目を丸くして驚くテイオ。その顔の変化が可愛くてシナリィは小さく笑う。
「ふふ、驚いた? そうよ。私は王宮で侍女をしているシナリィ・ハーモニア。君は?」
「俺はテイオ。厩舎の寮に住んでるんだ。ねぇ、お姉さんは王様とお話ししたりするの?」
「ええ、そうよ。ねえ、テイオ君。王様はとても優しいお方だから、子供に怪我をさせたと知ったらきっと私はお仕置きされてしまうわ。だから君の手当をさせてほしいの。ね? お願い」
「う、うん」
テイオは大人しくシナリィに傷を見せた。シナリィは水筒の水で傷口を洗うと、そこにそっと手を添えてまじないを唱える。
「痛いの痛いの、姫様のところに飛んでいけ~~」
「なんだよそれ? 熱っ……」
傷口が一瞬焼けるように痛んだ。でもそれは一瞬で、痛みが止むと傷口は血が止まってかさぶたが出来ている。
シナリィはその上に奇麗なハンカチを巻いて結ぶ。
「これでよし! テイオ君の痛みは姫様のところに飛んでいったわ。だからもう痛くないでしょう?」
「本当だ痛くない! 姫様すげぇ!」
「秘密のおまじないだから誰にも言っちゃだめよ? 他の人に知られたら怒られてしまうかもしれないわ」
不敬罪で。
「わかった。言わないよ。ねえ、今の聖炎だろ? 聖炎ってそんなそんなこともできるんだな。ちぇっ、厩舎の人達、今まで俺が怪我しても誰も治してれなかった……」
城の厩舎には、馬好きの元騎士や元兵士が集まっていると聞いたことがある。だが彼らは聖炎は使えても他人の怪我を癒すことはできなかったのだろう。
聖炎は現在みっつの階級が確認されている。
第1段階の勇者級。自分自身だけに有効な聖炎で、他人に影響を与えることが出来ない。加護持ちの大半がこれだ。だが女神に加護を与えられること自体が素晴らしいことであり、最下級のその他大勢と卑下する者はいない。現国王や次期国王の王太子でさえこの階級なのだ。
第2段階の天使級。他人の身体にも効果を与えることが出来るレア種であり、シナリィはこれに該当する。王宮周辺だと第2王妃ネリスも天使級だ。
第3段階が救世級。他の加護持ちの聖炎を増大させる力を持っていて、過去に聖女や聖者と呼ばれた者がこれに当てはまる。
もしかするとエリュシアリアも救世級なのかもしれない。昨夜シナリィも城から上がる炎を目にして自分の聖炎が高ぶるのを感じた。
陛下達も同様なようで、おかげで明け方まで頑張っていたようである。
「他人の怪我を治せる人は少ないの。だから皆が意地悪していたわけではないのよ」
自分のせいで少年と厩舎の人との仲がこじれないようにとフォローするため、シナリィは加護持ちの中でも天使級がいかに少ないかを少年に説明する。
天使級大体1000人にひとりくらいであり、救世級はもっと少ない。現在ハーベルが認定している救世級はたったひとりで、30年間新たな救世級を発表していない。
「そっか、お姉さんすごいんだな! いいなあ。俺も早く聖炎が使えるようになりたいな」
「君は強い子だからきっとすぐに使えるようになるわ。でも焦って無理をしたら駄目よ? タグマニュエル様は自分の身体を大切にしない人は嫌いだからね」
「そっか。うんわかった」
「君は強い子だから、きっとその時がくればタグマニュエル様は加護を授けてくれるはずよ」
「そうかな?」
可愛いお姉さんに褒められてちょっと嬉しそうに鼻をこするテイオ。
テイオの手当を済ませたシナリィはバスケットを持って立ち上がる。
「さてと、私は行くね。テイオ君もこれからは気を付けるんだぞ?」
「うん! ありがとう! お姉さん!」
シナリィはテイオが来た細道を行こうとすると、それをテイオが呼び止めた。
「お姉さん医療院にいくのか? あそこ今誰もいないぞ?」
「あら? そうなの? おかしいなぁ?」
テイオの言葉に小首をかしげるシナリィ。確かに朝早い時間だが、常に入院患者もいるはずだから、医療院が無人になることは無いはずだ。
「そうなんだよ! それで俺騎士の人に助けてもらおうと思ってたところなんだ」
「あら、何があったの?」
急患だろうか? 何か力になれるかもしれないとシナリィは尋ねた。
自分の用事は医療院に預けられているエリュシアリアに着替えを届けに来ただけだ。侍女長に早く行って様子を見てこいとせっつかれて朝早くから出てきたが、最悪帰る時間に間に合えばいい。
自分は王宮に使える侍女だ。困っている人を放置したとあっては王家の名に泥を塗ることになる。
「空から女の子が降ってきたんだよ! それでその子、腹減らして倒れちゃったんだ」
「は?」
テイオの言葉が理解できずに笑顔のまま表情を張り付かせるシナリィ。
「待って? 空から降ってきた女の子ってどんな子なの?」
「金髪ですげー奇麗な子だった! その子が医療院の寝間着を着てたから医療院に伝えて来いって親方に言われたんだ」
金髪で奇麗な子。空から降ってきた? まさか……
金髪で綺麗で、何となく空から降ってきても不思議じゃなさそうな人物の顔が頭に思い浮かび、もしかしたらとシナリィは質問を続ける。
「へー、歳は? 幾つくらいかな?」
「俺と同じくらいだと思う」
「テイオ君は幾つなの?」
「6歳だよ」
「ほうほう」
やはり間違いない。空からというのも聖炎を得て浮かれていたならば十分あり得る話だ。
身体強化をかけてはしゃぎまわった挙句、飢餓状態に陥った経験はシナリィにもある。これはもはや通過儀礼のようなものだ。
だが、見ず知らずの人の元にいるとなると不安だ。城務めの人間ならば身分ははっきりしているだろうが、一刻も早く連れ戻さなければ……
「その子私の知ってる子かもしれないわ。今その子は親方さんって人と一緒にいるの? テイオ君は厩舎に住んでるんだよね? 親方さんもそこの人?」
「うん。厩舎長だよ。親方は元近衛騎士なんだ。馬に乗ってるとことかすっげーかっこいいんだぜ! 口は悪いし、すぐ殴るけどな」
元近衛騎士ならば、滅多なことは無いだろう。
テイオもその厩舎長の事が好きなようだ。
だけど、男は狼なのよ! 可愛い姫様を見たら食べてしまいたくなるに決まってる! この人だけは大丈夫だなんて絶対信じては駄目なのだ!
シナリィはテイオの肩をがしりと掴む。
「テイオ君。お姉さんをその人のところへ案内してくれるかな?」
顔はほころばせたまま、だが強い力で肩を掴まれて、テイオは逆らってはいけない事を悟った。
読んで頂きましてありがとうございます<(_ _)>
シナリィちゃんのお父さんは子爵で外交官。赴任先で出来ちゃった娘という設定です。
因みに作中の世界では肌の色で差別はありません。
あとエリュシアリアは救世級ではありません。もうちょっと上です。
よろしければブクマとか評価とかお願いします。