剣聖
ようやく男子が登場し始めました。
星明りに照らされたセンチュリオン城から突然巨大な火柱が上がる。国王アルフォンス三世は王宮のテラスから3人の妻と共にそれを目撃することになった。
火の手が上がったのは近衛騎士団の本部がある北東の楼閣付近。今まさに愛娘のエリュシアリアが夢魔の試練を受けているはずの場所である。
だが心配はない。あれは普通の炎ではなく、女神から与えられた加護の力、聖炎だ。
それはエリュシアリアが試練を果たし、聖炎を得たに他ならない。
金色の炎は世界最大といわれるセンチュリオン城の尖塔を遥かに超える高さまで上がっている。
誰もが言葉を失いただ炎に見惚れていた。
これはエリュ……貴女なの?
エリュシアリアの母であるエルドリアもそのひとりだ。
雄々しく夜空を焦がす聖炎はかつて見たこともないほどに力強く、神々しい。自然と心が踊り胸の奥が熱くなる。
ああ、エリュ、感じるわ! 貴女の心を! 貴女は本当にこの世界が好きなのね! 最高よエリュ! 早く貴女を抱きしめたいわ!
やがて炎は消える。けれど胸の高鳴りは収まらない。
「おめでとう。エリュは見事試練を果たしたようね。素晴らしいわ」
「本当に。おめでとうエルドリア」
エルドリアに、ソフィアとネリスが祝福の言葉を述べる。彼女達も同じようにこの熱を感じているのだろう。
ソフィアやネリスにとってもエリュシアリアは我が子同然の可愛い娘である。彼女達はエリュシアリアの試練達成を心から喜んでいる様子だった。
「ありがとうございます。ソフィア様、ネリス様」
「いいのよ。エリュは私達にとっても娘なのだから。さあ、乾杯しましょう!」
第1王妃のソフィアが自ら3人分のグラスにワインを注ぐ。
「「「乾杯」」」
仲の良い王妃達の傍らで、アルフォンス三世はひとり中々ハンサムな顔を引きつらせていた。
彼は不思議だった。どう見たっておかしい規模の火柱が上がったというのに、どうして彼女達はこうも呑気でいられるのだろうか?
というか、自分を仲間外れにしないでほしい。
やがて火柱は消えたが、王都にいる多くの人が目にしたことだろう。
聖炎は神聖なものであり危険はないが、多少の騒ぎは起こるはずだ。
状況を把握するためにその場を立とうとしたアルフォンス三世をソフィアが諫めた。
「陛下。心配はありませんわ。どうかそのままで」
「しかし……」
「ソフィア様の仰る通りです。陛下」
「陛下。どうか今はお傍にいてください」
「う、うむ……」
ソフィア、ネリス、エルドリアの熱を帯びた視線に逃げられないことを悟ると、アルフォンス三世は自分の席へ戻る。自分でワインを注ぎそれを口にする。
私は苛めをうけているのだろうか?
「しかしだな……あの聖炎、ちょっと大きすぎやしなかったか?」
「それが何か?」
何でもないことのように、ソフィアは優雅にグラスに口をつける。
気品と貫禄に溢れた仕草にアルフォンス三世は動揺していた自分を恥じた。彼女は信じているのだ。エリュシアリアのことも、臣下や民のことも。
差し迫った危険が無い以上、王が率先して動くべきことは何もない。ここで堂々と自分の娘を誇っていればいいのだと、彼女は口に出すことなく自分にそう言っている。
王の器という点では自分はソフィアに敵わない。アルフォンス三世はそれを自覚している。だが、王は自分であり、その役目を放棄するわけにはいかない。
何度もぶつかり何度もやり込められて、それでも彼女を愛しこれまでやってきた。かけがえのないパートナー。それが彼女だ。
ソフィアの前で見栄を張っても意味がない。アルフォンス三世は思ったことを口にする。
「エリュシアリアが強大な加護を得たとなれば、ハーベルが神殿に差し出せと言ってくるかもしれん。周辺国への影響力を考えると同調する者も少なくないだろう」
聖女に選ばれることは名誉なことだ。アルフォンス三世は世論に押され、エリュシアリアを奪われることにならないかと危惧していた。
そんな王に応えたのはネリスだった。
「それを何とかするのが陛下の……いいえ、娘を守るのは私達、親の役目でございましょう? それよりも陛下。せっかくエリュが素晴らしい力を見せてくれたのですもの。今は喜ぶべきですわ」
「むぅ……」
一番上の娘と大して変わらない歳のネリスに、親として当然の理を諭されて、言葉に返す言葉もない。
僅か13歳で嫁いで来たときには大人しい少女だったが、いつの間にか強かな女性へと成長したものだ。
母になるとは、こうも強くなるものなのだろうか?
「ご心配には及びません陛下。その件は明日にでも枢機卿も交えて話をいたしましょう」
エリュシアリアの実母であるエルドリアもまた不安げな顔を見せていない。
聡明な彼女がエリュシアリアが聖女にされる可能性に気が付かないはずがなく、恐らく既に何かしらの手を考えているのだろう。
大きな力に怖気付き、思い悩んでいるのは自分だけだったようだ。
悔しくもあるが、頼もしい。
「わかった。枢機卿には明日の朝早く登城するように使いを出そう」
「お昼過ぎで十分ですわ」
「……いやしかし」
「「「お昼過ぎで」」」
3人の王妃の声が見事に一致する。
全く……敵わんな……
王は覚悟を決める。
今宵この身を妻のために捧げよう。女神よ、我に力を与えたまえ。
「わかった。では明日、私は遅れると城に伝えておこう」
ネリスにエルドリア、それにソフィアも王の言葉に満足げに笑みを浮かべる。
「今宵は前祝いだ。明日エリュシアリアを交えて改めて祝いの晩餐を行おう。それでいいな?」
「勿論」
「異論は」
「ございません」
「では、改めて乾杯としよう。もう私抜きは勘弁してくれ」
アルフォンス三世は新しいワインを開けると、それを王妃達のグラスに注ぐ。
「エリュシアリアに」
グラスを掲げるアルフォンス三世。王妃達もそれに倣う。
「「「「乾杯」」」」
長い夜が始まる。
✤✤✤
王宮でお父様が灰になって眠っていた頃、私は近衛騎士団本部の士官食堂で特製のシチューをご馳走になっていた。
はむはむはむ。
とろけるようなシチューをスプーンで口いっぱいに掻き込んで嚥下する。
はむはむはむ。
テーブルマナーや淑女の嗜みなど知ったこっちゃない。
マナーに厳しい侍女やお母様はこの場にいない。いたとしても今の私にそんな野暮なこと言いはしないだろう。
この国では王族でも兵と同じ釜の飯を食べ、酒を酌み交わすことは珍しいことでは無い。そんな場所でマナーを口にするのはマナー違反だ。
「良い食いっぷりだな。お嬢ちゃん。もう大丈夫そうだ」
目の前にいる男もそんなものを求めなかった。
男は50代半ばくらいで、黒髪に白髪の混じったナイスミドル。
この男に拾われて私は助かった。
彼は私が聖炎による身体強化の代償として陥った飢餓状態にあることをすぐに見抜き、この食堂へと連れてきてくれたのだ。
朝食には少し早い時間だったが彼が事情を話すとすぐにこのシチューを出してくれた。
身体強化魔法の使い過ぎによるスタミナ切れは騎士団では日常茶飯事だ。そのため常に用意されている特製シチューらしい。
やや味が濃いめの味に、消化しやすいように肉や野菜をとろとろになるまで煮込んだシチューは、身体に栄養が染み込んでいくかのように、体力を回復させる。
はむはむはむ。
「俺はボージャン・スタリオン。厩舎長をやっている」
男が名乗る。
ボージャン・スタリオン厩舎長か。後でお礼をしなくっちゃね。
「ん……私は……」
「おっと、食べてからでいいぞ」
「ん」
確かに今すぐ説明は面倒そうだ。私が王女と名乗ってすぐに信じてくれるとは限らない。
ん? でもスタリオンってどこかで聞いたことがある。確か……
私が思い出せずにいると、そこに騎士の一団が現れる。どうやら朝食の時間のようだ。
男性騎士が数人。その中心にいた長身の男が、ボージャンに気が付いて声をかけた。
「父上」
それは落ち着いたイケボで、大して大きな声ではないにも関わらず低く店内に響いた。
父上? どうやら騎士のひとりはボージャン氏の息子のようだ。
「おう。ゼファードか。なんだ今日は早いな」
「まあ、色々あってな」
「訓練場のあれか? 派手にやったなぁ」
「ああ。おかげで朝早くから駆り出されて後片付けだ」
えろうすんまへん。
「父上こそこんな時間に食事なんて珍しいな。いつもはもっと早いのに」
厩舎の朝は早い。騎士団にとっては早い時間でも、厩舎務めのボージャンにとっては遅い時刻なのだろう。
「ああ、ちょっとな」
「ん? その子は……え?」
父親の向かいに座る私をみて男の顔が固まる。かく言う私もスプーンを咥えたまま目をパチクリさせていた。
長く伸びた黒髪を後ろで縛った20代前半の男。極めて男前。これまで直接顔を合わせたことは無かったが、私はこの人を知っていた。
ゼファード? ゼファード・スタリオンですと!? 現剣聖様じゃないですか! もう、こんな格好でやだーー!
ここセンチュリオンでは3年に一度、世界中から腕自慢が集まって剣技大会が開かれる。剣聖とは大会の優勝者に与えられる称号だ。
ゼファード・スタリオンはゲームにも登場していたサブキャラクターのひとりだ。
長い黒髪の長身美麗な騎士団長。メイン攻略キャラのシグー・エグゼスに敗れるまで剣技大会で三連覇を果たした実質最強騎士である。
ゲーム中、そのクールな容貌と圧倒的な強さでファンが多く、かく言う私もそうだった。
だが攻略キャラでは無い。運営無能だろ。
ゲームでは近寄りがたい魔王みたいな雰囲気だったが、今はまだそこまでの貫禄無く優し気な印象を受ける。肩書もたしか副団長だったはず。
流石に彼は私のことを知っていた。
「……父上。この方が誰だかわかっているのか?」
「うむ。まあ、想像はついているよ。厩舎裏で倒れているのをみつけてな。放っておくわけにもいかんから、ここで飯を食わせてた。さっきテイオを使いにやったから、そのうち迎えが来るだろう」
なるほど。ボージャン氏は私が誰か気づかない振りしながら保護してくれたらしい。なんとも粋な事をするじゃないですか。
これがイケオジってやつだね。
私が生まれたことはお父様の意向で公表されていない。それも将来私の伴侶選びは、抜け駆けなしで公平にしたいという、どうしようもなくくだらない理由だったりするのだが、そんなこと知らないボージャン氏は気を使ったのだろう。
まあ、実際には公表してないだけで隠しているわけではない。ちゃんと公文書には王家の四女として記載されている。
でもウェンデリーナが生まれて世間的にはあの子が第4王女と呼ばれているから少しややこしいんだよね。
まあ、第1、第2って呼び方は便宜上のもので非公式なものだ。それで王家も訂正せずにいるのが悪いのだが……
さてどうしよう。王家の娘として、恩人と剣聖様に無礼は許されない。
だが、私が身に着けているのは寝間着と聖布の褌のみ。たった今までシチューをがっついていた私は口の周りがべとべとだ。
彼等の前で寝間着に擦り付けるわけにもいかず、私はテーブルマナーの大切さを理解する。
ナプキンが無いかときょろきょろしてたら、ボージャンが気を利かせてハンカチを貸してくれた。
流石剣聖様のお父上にして元近衛騎士。口は悪いけど中身は紳士だ。
ありがたく使わせてもらって口の周りを拭くと、私は席を立って礼をする。
「挨拶が遅れて申し訳ございません。センチュリオン王家の四女、エリュシアリア・ミュウ・センチュリオンです。スタリオン厩舎長。この度は助けて頂きありがとうございます」
「いえ、こちらこそご無礼の数々、どうかお許しください。こちらは我が息子、ゼファード・スタリオンでございます。どうかお見知り置きを」
私が立った時にはボージャン厩舎長を始め、その場にいた騎士の皆さん全員がその場に傅いている。
これが王家の威光であり権力だ。もう、背中がむず痒いったらない。でも彼等の忠誠を受け止めるのは王家に生まれた者の務めである。
スタリオン親子以外は完全に巻き込まれだ。
なんかいつの間にか結構数が増えている……っていうか、入ってくる騎士たちが、次々と巻き込まれているそんな状況。
さっさと終わらせよう。
「ゼファード・スタリオンでございます。この度はエリュシアリア殿下のご尊顔を拝し、大変光栄に思います」
私は剣聖、ゼファード・スタリオンへと向き直って、改めて礼をした。
寝間着姿では格好つかないが、彼は世界最高の剣の使い手である剣聖だ。王女といえど敬意を現さなければならない。
「お初にお目にかかります。剣聖様。騎士の皆様も、朝食の邪魔をして申し訳ありあませんでした。私のことは気になさらず、どうか普段通りにしてください」
「は。ではお言葉に甘えさせて頂きます」
やむを得ず名を明かしたが、本来望まない場であったことは彼等も理解している。ゼファード様はこちらの意を汲んでくれたようだ。
ゼファードが部下に目配せすると部下達は静かに立ち上がって、料理を取りに列を作る。この食堂はバイキング方式だ。
やがて料理を山盛りにした皿を手に騎士達は各々席に散っていく。
私もおかわりを貰うためにそれに混じって列に並んだ。
読んで頂きましてありがとうございます<(_ _)>
書き上げた自分へのご褒美に、苺クリームもちもち大福をいただきます。
はむはむはむ。