感涙
「お待たせしました、幕の内弁当です」
席の一つに座っていたら、時間の流れを感じさせない早さで二重の重箱が運ばれてきた。黒い革手袋(あの車掌や兄弟は白い手袋を嵌めていたので、奇妙に感じられた)に包まれた料理人少年の両手が、蓋を取って料理の説明を始める。
「本日の握りはイクラと鮭を入れています、おかずはー」
僕は少年の説明を聞いているふりをして、視線のみ上に向けて彼を観察した。ふりを入れたのは流石にこの若い料理人に対して失礼だと感じたからである。でもこの少年やこの列車の秘密を少しでも知りたいという己の好奇心も無視できなかったのだ。
少年はこう言ってしまえば無礼だが、やはり慇懃な態度とは不相応にこの洗練とした場には不似合いな印象を外見から与えていた。欧州人のような華美で肩にかかった金髪、流行というわけでもないのに綺麗に整えられたコーンロウ、どこかおぼこな笑い方…もしかしたら先刻の叫びが僕に先入観を与えているだけかもしれないが。でも好印象を持てなくもなかった。
「冷めないうちにお召し上がりください」
失礼します、そう言い残して少年はまた奥へ引っ込んでしまった。その背中が見えなくなるまで見届ける。観察対象がいなくなったので、一先ず箸を持った。これまた高級そうな箸である。最初におにぎりを一つ割って、口に運んだ。美味しかった。無意識の内に唸っていた程に。次は煮物を摘まんだ。これも美味しい。連日コンビニ弁当だった胃に染みわたった。もう自制できず、弁当を掻き込んだ。喉を詰まらせないために水を飲むのも忘れていた。
「松田様、」
夢中になっていたところ声をかけられて、僕は自分が今どういう状況であるのかを知らなかった。いつの間にか、車掌(確か津島とか言った筈だ)が僕に向かって頭を下げていた。上げられたその顔はやはり無表情。そして彼は後ろで組んでいた両手の内、右手を差し出してきた。その手には白いハンカチが乗っていた。
「差し出がましいかもしれませんが、よろしければお使いください」
その時、初めて気づいた。己の眼球が熱かった事、視界が霞んでいた事、自分がー泣いていた事。
「…、ありがとうございます」
自分よりも一回り若いであろう少年の前で涙を見せていた事を、恥だとは思わなかった。それは僕の心の限界を示していた。
「お食事を、ご一緒しても構いませんか?」
津島車掌が左の掌で向かいの席を示した。「ご心配なく。当列車の従業員はたいへん優秀ですので、車両が落下する恐れは一切ありません」冗談なのか、本気で言っているのか、僕には判断できなかった。
「どうぞ」
「ありがとうございます。失礼します」
車掌はゆっくりと席に腰を下ろした。身体の重みをまるで感じさせない、羽根が落ちただけのようにしか感じなかった。次に彼は制帽を取って卓上に置いた。その際に乱れた髪を耳にそっとかける。その一連の動作でさえも他人を見入らせて止まなかった。