序章6 『剣聖再起』
「——ネアさんっ! リネアさん! ……だめ。リアの前からいなくならないで……!」
「——リ、……リ……ア?」
フィリアの懸命な想いが通じたのか、喧騒の中、リネアの目は今一度開かれる。ゆっくりと、少しずつ意識を取り戻していく。
「……リ、ネアさん………?」
つぶらな目を潤わせながら、フィリアは顔をさらにくしゃくしゃにする。
「リネアさんっ!!! ……よかっだ。ほんどうによがっだ。わだじっ、リネアじゃんんがいなくなっちゃうんじゃないかって、心配で心配でっ。……ぐすっ。ほんとうに、よかったでずっ」
倒れるほどの勢いで抱きつかれる。
「ちょっ、痛いからやめろっ……って、痛くない?」
リネアはフィリアの頭を撫でて返すが、違和感に気づく。
さっきまで全身を覆っていた痛みが完全に消え去っている。炎症も出血もしていない。
フィリアに抱きつかれても痛くなかったのはこのためだ。
「右手が……! いや、右足も……。…………戻ってる!?」
それどころか、かつて戦争で失っていた半身さえも綺麗に蘇っている。
どういうことだ?
試しに力を入れてみるが、問題なく動いた。むしろ指先、いやその先まで淀みなく動きを伝えられるような気さえした。それほどまでに体にしっくりきていた。
「リネアさん。その体……」
「ああ。戻ってやがる。……理由はわからんけどなっ」
横目で見ながらフィリアに返事をする。その間もリネアの右手は閉じて開いてを繰り返している。
そしてまた、リネアは異変を感じ取る。
「あれ? なんか視界が広い気が……」
そう言ってフィリアに向き直ると、今度は彼女の顔が驚愕の色に染まる。
「リ、リネアさんっ! その“眼”っ……!」
「ん? どうしっ——」
瞬間、ドゴォ、という衝撃音が近くで轟いた。
振り返ると、一際大きな魔族がこちらを睨みつけている。仲間を葬ったリネアを追って、ここまでたどり着いたのだ。その巨躯は怒りで震え上がり、荒い息を繰り返している。
フィリアは息を飲む。が、隣で魔族を見据えるリネアの両の目は燦然と輝く。
「上等だ……!」
完全に自分の体が戻った今、リネアの心に迷いはない。
どんな敵が来ようとも、リネアは止められない。
どんなに多くの敵が襲いかかろうとも、リネアの意思は揺るがない。
今なら全てを守ることができる。
これだけの自信が持てるのは、これまでリネアが実際にそれを成し遂げてきたからだ。
どんなに劣勢でも、絶望的でも決して諦めることはない。
その意思が、仲間を守る剣となる。
今までは、最強の騎士として。
そして今は、フィリアのたった一人の家族として。
悠然たる面持ちで、リネアはゆっくりと得物を引き抜いた。
「リア、ここで待っててくれ」
「はい」
「怖くないか?」
「はいっ」
「——すぐに終わらせる」
「はいっ! かっこいいとこ、見せてください!」
短い言葉を交わし、リネアは地を蹴った。
勇ましい背中を、フィリアは笑顔で見送った。
「さっきの、お返しだッ!!!」
一瞬で魔物の懐に潜り込み、左手の石剣を突き刺す。
急所を抉られ、身動きをとる間も無く醜い絶叫が響く。
『グギィィァ!!』
「よっ、と」
大角を生やした人羊型の魔物は、口から血を吹き出しながらも反撃を試みる。
が、リネアは軽快な動きで攻撃を全て往なし、逆に攻め立てる。
無数の剣戟が刻まれる。目でも追いきれないほどの剣舞に、人羊の魔族は肉片となって霧散した。
『ブゴォォッ!』
『コォォッ!』
『ビギィィィ!』
怒りに震える魔族が群れを成してリネアに襲いかかる。四方八方、漆黒の異形で覆い尽くされる。
数秒あって、奴らの口元から火花が迸る。リネアの体を掠めた魔力弾。それよりも強大な力が篭められた炎球が五つ、リネアに向かって放たれた。
「——遅いな」
炎弾が放たれた直後、リネアは跳躍し、奴らの上空につけた。
炎煙が上がり、元いた場所が炎弾によって抉られた。
魔族たちはリネアの無残な姿を期待し、赤い眼を妖しく光らせる。しかし、そこにリネアの姿はない。
「らぁぁっ!」
直後、上空から急降下し、群れの中央に降り立つ。
リネアは周囲をざっと一瞥し、得物を構える。
「うぉおおっ!」
白銀に煌めく剣先を導き、高速で薙ぎ払う。
剣線は魔族を切り裂き、その体を二つに分断させる。
響き渡る絶叫。その残響が消えぬ間に、同時に五つの死体が転がった。
リネアは手数を緩めることなく、次々と魔族の体を塵へと昇華させていく。
魔族の方も数の多さに任せて反撃を仕掛けるが、あと一歩、届かない。光の如き速さに、彼らの力をもってしても為す術がない。リネアは全ての攻撃を見切り、ぎりぎりでかわしているのだ。
無限に湧いてくるように思われた増援も、全て斬り伏せる。みるみるうちに数を減らしていき、今目に入るのはほんの数体だけだ。醜く笑みを浮かべていた魔族たちも、さすがに焦りの色を隠せない。
——まるで、昔に戻ったみたいだ。
両脚で地を蹴ることができる。右手も使える。加えて体が軽い。
明らかな変化を、リネアは感じ取っていた。
今までのブランクを感じさせることなく、その名に恥じぬ連撃で相手を仕留めていく。
その姿は、かつて【剣聖】と呼ばれていた時代の彼に劣らない。相手の攻撃を見切り、往なす。圧倒的な戦闘センスに加え、【神速】による魔族を遥かに凌ぐスピード。
オリヴィア王国を幾度となくピンチから救ってきた英雄の姿が、そこにはあった。
「うぉぉぉっ!」
閃光のような連続攻撃。
瞬時に【神速】で移動しながら斬りつける攻撃に、魔物たちは反応することさえ許されない。
残りは一匹。
「これでラストか。——!!」
残る1匹に狙いを定め、加速しようとしたその瞬間。
突如、上空から何かが飛来した。
轟く衝撃音とともに、爆風が夜空に舞う。
噴煙の切れ間から赤い闇光が覗き、リネアをその中央に捉える。背中から伸びる巨大な羽を広げ、風圧によって噴煙を吹き飛ばす。
リネアは右手を盾にして防ぎ、前方を窺う。
やがて、見えてきたのは黒い影。
魔族、なのだろう。しかし、今までの魔物とは一線を画す容姿に一瞬目を疑った。
人型。いや半魔といったほうが正しいか。全身を黒い皮膚で覆い、1Mにも及ぼうかという巨大な羽を持つ以外は人間のそれに近い。
初めて目にする、というよりも人型の魔族など聞いたことがない。
じりじりと感じる威圧感に、リネアは顔を引き締める。
「——ヲ、……セ!」
高さの違う音が幾重にも重なったような不快な声で何かを呟く。
耳に嫌な残響が氾濫し、リネアは思わず耳をふさぐ。
それによってリネアの注意が逸れた一瞬、半魔は消えた。
「——っ!」
直後、リネアに肉薄し鋭爪を振り払う。
ギィンッ、という音を響かせ、辛うじて剣で軌道をずらす。
が、一撃が重い。十分に受け切れず、リネアは少し体勢を崩した。
魔族はすかさず追撃を叩き込む。
「……くっ!」
リネアの顔が苦渋に歪む。どうにか剣で攻撃をずらし致命傷は避けているが、このままでは防戦一方だ。
飛びざまに大きく斬り払い、一旦魔族との距離を取る。
明らかにこれまでの奴らとは違う。
攻撃の重さ、速さ、戦い方。どれを取っても桁違いだ。
ただ直線的に突っ込むことはせず、相手の行動を読み、一気に仕掛ける。それをやってのけるだけの知能がある。人型なのは伊達ではないようだ。
こっちも最速でいくしかないか。
リネアはしばし思考し、再び得物を構える。
半魔の眼がこちらを捉えたと同時に、一気に加速する。
「はぁっ!」
懐に入り込み、得物を振り抜く。
確かな感触。しかし、奴の皮膚を少し傷つけただけだ。
防御の面まで上位互換。リネアは心の中で軽く悪態をつく。
「ふっ!」
体を反転し跳躍。真上から斬りかかる。
すぐに反応した半魔はこれを弾き返す。石剣が宙に舞った。
「——らぁっ!」
リネアは空中で回収すると、落下を利用して一撃を叩き込む。
頭部にもらった一撃に、魔族は初めて怯みを見せる。
その隙に着地し、再び距離を取る。
「何が目的だ?」
答えを期待しての問いではない。
リネアはその体躯を睨みつけ、覇気で相手を圧する。
正対し、徐々に加速体勢へと移行する。
その時、魔族の口が開いた。
「#$%&ノ……、…………ンハ、……ド…コ、ダ……」
「……」
不快音がひどく、しっかりと聞き取れたわけではない。
だが、最後の言葉。『どこだ』という言葉だけはリネアにも理解できた。
——奴ら。魔族は何かを探している……?
魔族が姿を見せた理由。封印されていたはずの奴らが、なぜ今になって地上に現れたのか。その仮説が一つ生まれた。
だが——
「——悪いな。これで“チェックメイト”だ」
リネアの姿が消える。
否、瞬時に魔族の後ろに回り込み、その体を捉える。
「ッ!?」
「はぁぁぁぁぁっ!」
【神速】による怒涛の連続攻撃。
魔族が反応するよりも速く、確実に銀閃を刻んでいく。
皮膚は剥がれ落ち、もはやその硬さは意味をなしていない。
最後の一撃を斬り上げ、半魔の目の前に着地する。
左腕を体の前に交差させ、上体を屈ませる。
握った得物は白く輝き、光の粒子を纏う。
雷鳴のような音を響かせながら、横一閃に振り抜いた。
「【斬撃】!」
横に薙いだ剣閃は魔族の体躯を斬り裂き、拡大する。
光はその体を呑み込み、塵へと変えていく。
響き渡る怪物の絶叫。
耳を擘くような吠声は、長く続いた戦いの終わりを告げた。
とりあえず、ここで序章本編は一段落って感じです!
長々と序章に付き合わせてしまって申し訳ありません.......。
あと少し後日談などを挟み、第一章に入っていこうと思います!
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