味噌汁
「ん…」
江戸から里に帰るという男は、飯屋の味噌汁を一口啜ったところで顔を上げた。
「うまいだろ。カミさんの手作りさ」
飯屋の主人が自慢げに腕を組んだ。
男は椀の中から、一つの野菜を掬い上げると、名前を確認した。
「よく知っているね。その通りだよ。向こうの里ではよく採れるそうだが、ここらでは珍しいんでね。お前さん、生まれはそっちかい?」
「ええ、まぁ。ご主人、どうしてこれを」
「…この前までいたうちの手伝いが育てたんだよ。好きだから、と言ってね。味が良かったからうちでも使ってるのさ。ほら、あそこ」
主人が示した先、窓際の花瓶の中には一輪の黄色い野菜の花が活けてあった。
「この前までいた、というのは?」
「流行り病で死んじまった。出稼ぎに行った男が帰ってこないってんで、追いかけてここまで来たらしいんだがね、銭が尽きてしばらくこの店で働いてたんだよ…可哀そうな子さ」
男は椀の中の汁を最後まで啜った。卓に椀を戻したとき、箸がぶつかって小さな音を立てた。
「墓はどこに?」
「この近くだが…お前さん、どうしてそんなことを聞く?」
「いや…これを、その人の墓に置いてくれませんか。もう要らないので。」
男は懐から簪を取り出すと、そう言った。
先に小さい黄色の花飾りがついた洒落た簪だった。
「いいのかい?随分と高そうじゃないか」
主人は飯の仕込みの手を止めて、簪を受け取った。
「ええ、私の田舎には、それを売るところもありませんから。」
男は、夕陽を受けて輝く花に一度視線をやると席を立った。
「勘定を」
「これでいいよ」
主人は簪を軽く振った。
男は静かに礼を返すと、元来た道を戻って行った。
「あんた」
奥から主人の妻が顔を出した。
「ん?どうした。」
「珍しくお客さんとたくさん話していたね。どんなお人だったの?」
「どんなって、いつもと同じだよ。ただの通りすがりだ。」
「そう。なんだか懐かしい気がしたのだけれど…」そう言って、女は俯く。
「大丈夫だよ。俺がいるじゃないか」
静かに視線を戻すと、妻は花瓶を日陰に移した。
「そうね」
主人は黄色い花の簪を背中の後ろで握りしめた。