―トロイメライ No.1―
「ねえ、おじいちゃん話の続きは?」
少女が安楽椅子に座る老人に声をかける。老人は白髪を揺らし、うーんと思い出すような素振りをしていた。それが本当に思い出していたのかどうか、少女は未だにわからない。思い出すより、思いつくまで時間を稼いでいたようにも見えた。
「そうだね、その後は…おじいちゃんにもわからないね」
「えー!なにそれ!人形さんとお兄ちゃんは結局結ばれたのー!?」
「さあさあ、もう寝ないとムッティに叱られるよ」
「おじいちゃんのケチ!」
祖父らしき老人は少女の頭を撫でながら宥め、ゆっくりと椅子から立ち上がる。途端、よろけてしまうのを少女が優しく支えた。
「大丈夫?」
「ああ、少し疲れてしまったみたいだ」
老人が苦笑いすれば、少女は口をとがらせ俯いてしまう。ベッドに寝かせるのを手伝う最中でさえ、その表情は曇ったままだ。
ああ、どうやら話を急かしすぎたと後悔しているのか。
老人は小さく口元に笑みを浮かべて少女の額に口付けを落とす。「おやすみ、ユリアーナ」そう優しい声音で言えばようやく少女の顔に笑みが戻った。
「おやすみ、ユーリウスおじいちゃん」
これは、少女たちに襲いかかる運命と奇跡の物語である。
しかし断定しよう。
”この物語に出る人物は皆幸せになれない”と――。
「ルチル」
その一言でルチャーナの意識は覚醒した。顔をあげると眩しい日差しが、そしてそれを遮るように座る少女の姿があった。
栗色の髪が艶やかになびく。目を細めて、手を顔にかざすと少女の顔が明らかとなった。
「ユリアーナ、どうしたの」
「どうしたのじゃないよ、僕の話全然聞いてなかったでしょ」
「ああ、ごめんなさい。それで?」
「もう、ルチルの馬鹿」
ユリアーナは頬を膨らませ、橙色の目を伏せると大きく息を吐いた。
子供のようなその仕草に、ルチャーナは表情を変えないまま首を小さく傾げる。1つ年上とは思えない、と心のなかで悪態をついた。
「それでね、その人…僕にこういったんだ」
「『大丈夫か、フロイライン。すまない、大きな世話かもしれなかったが、助けずにはいられなかった』…でしょ」
「ありゃ」
「その話、もう何回も聞いたわよ」
ルチャーナは呆れたため息を漏らす。整った眉を潜めて、黒檀の髪をかきあげる。癖のある髪が指に絡みつき、乱暴に髪ごと払い解いた。
カフェテラスの一席に髪の毛が幾つか散らばる。白いテーブルに黒髪はあまりにも不気味で、急いで払い除けた。
ぬるい紅茶が小さく揺れる。
ああ、せめてパラソルか屋根のある席に座ればよかった、とルチャーナは後悔した。眩しい上に紅茶が微妙なぬるさになって気持ち悪い。
けれど気持ち悪いのは自分の物覚えの良さだ。そう己に悪態をつく。
「まさかセリフ覚えるまでとは…ルチルそんなに僕の話真剣に聞いていてくれたの?」
「あなたが何度も何度も話すからでしょ」
「だってだってだって!その時のアベルくんかっこよかったんだもん!」
彼女の話すアベル、というのはユリアーナが出会った男性だ。ルチャ―ナは何度もその話のあらましを聞いている。
2ヶ月前、大通りでユリアーナが盛大にコケたところに手を差し伸べたのが出会いのはじまり、だそうだ。
綺羅びやかな金髪に碧眼という理想の王子様像は、夢見がちなユリアーナにとって大層素晴らしい出会いだったに違いない。
「住所を教えてもらったけれど、手紙のやり取りだけでまだ進展してないんでしょ」
「…うん、だってアベルくん…軍のお仕事で忙しいし」
しおらしくうつむき加減にユリアーナは漏らす。水色のニットの袖を口元にやり、もごもごと言葉にならない言葉を零したまま終いには何も言えなくなっていた。
「はぁ」と本日二度目のため息を漏らした。
ルチャーナは愛くるしい彼女の横顔を眺めながら、頬杖をつき、目を閉じ始める。
浮かんでくるのは彼女の幼少の姿、そして己の惨めな姿だ。
惨めなのは今も変わりない。
喪服に身を包み、たたんだ日傘を軽く蹴り、雄弁に語るユリアーナを軽く見やる。月と太陽のような互いは決して交わることはないだろうと、ルチャーナは自嘲気味に笑みを浮かべた。
「いい加減会いに行けばいいのに」
「なっ、そんなふしだらなことできないよ!」
「馬鹿馬鹿しい」
真っ黒い衣装に身を包んだルチャーナはひらひらと喪服の裾をはためかせ日傘を差した。
白いズボンに包まれた足を組み、ユリアーナはその背中を見つめる。
何か思案するように視線を上げた後に、アイスティーを一気飲みすれば立ち上がって背中を追った。
そう、これは誰も幸せになれない物語