『天真爛漫マカフシギ!』
米沢学園高等部学生寮、『徒然荘』。
一年前、彼女たちにここで出会った。
その出会いは衝撃で、その日常は塗りつぶしたキャンパスだった。
ぶつかって、傷ついて、離れて、近づいて、またぶつかって。馬鹿みたいに忙しい一年間は今に思えばあまりに短い。
惜しむことも、振り返ることも忘れて駆け抜けた高校二年の一年間だった。
新しい春を迎える今日、あの日々をまた開いてみようと思う。
俺は机の引き出しから一冊のノートを取り出す。
寮生日誌と題されたそれはこの一年でくたびれ、所々折れ曲がっている。労わるように指を添わせて表紙を捲る。
春にあの五人と出会った。生涯忘れることのない彼と、そして今はここにいない彼女らと過ごしたあの日々を、振り返ろうと思う。
さて悪いが、俺こと高倉青葉の一人語りにちょっと付き合ってくれよな。なに、長い話だが退屈はしないさ。俺がこの一年間そうだった。
けれどもどこから話したものか。やっぱり一番初めの俺がこの徒然荘に来たところからか。
……いや、ここは俺たちの紹介を兼ねて小さな日々の、なんてことない話から入ろう。
なんだかそのほうが俺たちらしい。
じゃ話していこうか、徒然荘の徒然なる日々を――。
自己紹介代わりの日常閑話。
○王蘭花 ――ワン=ランファ――
徒然荘には海を越えて来た面々が多いが、王蘭花、彼女もその一人だ。
東の海を越え、中国から遥々やってきたランファ。スラリと女性にしては長身の背丈にショートでそろえた亜麻髪。所々カタコトの喋りに、枯れない笑顔がチャームポイントの元気っ子だ。
まずは彼女との日常から。
空高く、馬肥ゆる秋の昼下がり。徒然荘の徒然なる日々は今日も廻る。
201号室の少女はチャイニーズガールだ。
「アオバアオバー、コレ、ちょーカワイイ!」
古い床板を遠慮なく鳴らしながら駆け寄ってくる。
「オゥ……、ランファ、その手に持ってるのは何だ」
「ちょーかわいいー!」
傷のない手にガッチリと握られているそれは、紛れもないタワシであった。
「どっから持ってきたんだよ」
「んとネー、お店行ったらなんかくれた」
おそらくスーパーかホームセンターで客に無料配布でもしていたのだろう。
嬉しそうに亀の子タワシをグシグシと握る。
「そんなに珍しいものか? ランファの母国にもそれくらいあっただろ」
「ウンあったー」
なら、どしてそんなに気にいったんだよ。
「でもこのカタチ、初めて見るヨー!」
「そうかそうか良かったな。大事にして家宝にするんだぞ」
「ウンするー!」
そういってまた床板(築45年)を踏みしめながら部屋に戻っていった。
相変わらず変なもんを気にいる奴だな……。
――その日の夕食。
「ホラ、かめ子~、御飯だヨ~」
「…………」
夕食の席にまでタワシを持ってきていた。
そしてなぜかタワシ風情に食事を用意している。メニューは猫缶。猫だったのか。
タワシにキャットフードを与える少女の図。シュールだ。
「ターンと食べて大きくなるヨ~」
「…………」
奇妙な晩餐はこうして幕をおろし、いや、幕を開けた。
――翌日の夕食。
「ホラ、かめ子~、モリモリ食べるヨ~」
今日も食卓には無機物が列席していた。
俺がチキンソテーを食べる傍ら、ランファはかいがいしくタワシにドックフードを与えていた。
「好き嫌いはダメあるヨ~」
好き嫌い以前にタワシは物を食べんよランファさん。
でも何も言わないことにしよう。やさしく見守るのが吉だろう。きっと文化の違いなんだ。うん。
――三日目の夕食。
「今日はかめ子のために頑張ったヨ~」
「…………」
なんだか段々とタワシと腰を並べる食事に、慣れてしまっている自分が怖い。
夕食の当番がランファだったので今夜はチャーハンを食べている。旨い。さすが本場仕込みは一味違う。
「食べたらチャント歯ー磨くネ~」
ちなみに今夜のかめ子の夕食は猫まんまだ。だんだん手が込んできたな。
――五日目の夕食。
「かめ子おかわりいるカ~?」
夕食は回鍋肉。旨い、絶品だ。この味付けは一日二日で身に着くものではない。さすが中国三千年の歴史。奥が深い。
横目にかめ子の食事を見る。
回鍋肉。
「たーんと食べるネ~」
食事が、タワシと、同じ。
なんだか無性に惨めな気がした。
――一週間がたった夕食で。
「かめ子! 食事中にハシャイじゃだめヨ!」
!? タワシがはしゃぐって何だよ!?
かめ子の席(なぜか上座)に驚いて顔を向ける。
「ガツガツガツ」
オゥ……、東洋の神秘……。
ちなみに俺の夕食はチンジャオロース。かめ子の夕食は上海ガニの姿茹で。
無機物に劣る食事。
涙は塩辛かった。
――十日目。
今日はランファはアルバイトで遅くなる。
食卓にはかめ子と俺のふたり。
俺はカップ麺をズルズルとすする。やっぱりランファの手料理と比べてしまうと何枚も劣るな。食べながらそっとかめ子を見る。
「くにゃ~ん」
どうやら腹を空かしているようだ。
しかし畜生に、もとい無機物に分ける飯なんて、飯なんて――!
「くにゃ?」
顔を向けずにすっとカップ麺を渡した。
「か、勘違いすんなよ! お前が飢えてたらランファが泣きわめいてうるさいからな。だからだ!」
「きゅにゃ~~ん!」
嬉しそうにガツガツと齧り付くかめ子。
「節操がないな。これだから畜生は――」
「くにゃ!」
かめ子はカップ麺についていたナルトを一枚こちらに向けている。
これはまさか、俺の分ということなのか?
何とも言えない気持ちのまま割り箸でナルトを口に運ぶ。
特にうまくもないが、なぜだかいつもと違う味がした気がする。
「くにゃん!」
……まったく、たわしのくせに……!
そして時間は流れ――。
月末。今晩はいったいどんな夕食が出てくるのか、腹を空かせながら楽しみに待っているのだが、いつもの時間になっても厨房にランファは現れない。
部屋にはいるはずなのだが、何かあったのだろうか。
呼びに行こうか考えていると、トボトボとランカが歩いてきた。今日は床が鳴り響かない。
「どうかしたのか?」
ランファは伏せた顔を上げ、手に持っているソレをこちらに見せてくる。
「アオバぁ」
目には涙が溢れんばかり。可愛い顔が悲嘆に崩れている。
その手のひらにはタワシが、いや、かめ子が乗っていた。
「かめ子、死んじゃったヨ~~!!」
泣きながら、その場に崩れるランファ。俺も泣いた。肩を寄せて泣いた。頭の中には走馬灯のようにこの一カ月のかめ子との日々がよぎる。一緒に食事を食べ、ときには庭でじゃれあい、ときにはゲームをして遊び、ときには喧嘩もして、けれども最後は枕を共にした日々が矢のように過ぎ去る。
かめ子、無機物の癖に死んじゃうのかよぉ!!
日が沈む前に二人で庭に墓を作ってあげた。墓にはかめ子が大好きだった満漢全席をお供えした。悲しいけど、別れを乗り越えて人は成長する。ランファも俺も、今日、また一つ大人になったのだ……。
陰る夕暮れに、瞬く一番星が強く胸に刻まれた。
翌朝。
「アオバー! これ貰ったヨ~~!」
いつものように床板を容赦なく鳴らしながらランファが寄ってくる。
「どれどれ、なにをもらったんだい?」
「これー」
突きだす手のひらには金束子。見つめる表情は天真爛漫。
「また育てるネ!」
俺は差し出すカナダワシをしっかりと掴んで、
大きく投げ捨てた。