幽霊と呼ばれた少女
柚ノ森学園高校には前髪が異様に長い少女がいる。その長さは前髪の髪先が鼻の頂点にかかるほど。
よって当然のことながらあだ名は「幽霊」「貞子」など。
クラスメートだけでなく他の生徒達や先生からも疎んじられ距離を置かれていた。
彼女にとってそれは中学の時からの日常茶飯事。侮蔑的な目で見られるのも、毎日話しかけてくる人がほとんどいないに等しいのもいつものことだった。
唯一の例外と言えるのが、常にまとわりついてくる見た目おとなしめな雰囲気の女子生徒のみ。
彼女ぐらいしか普通に話せる人がいないため、生徒や先生から彼女への連絡事項がある時は、決まって彼女を通して行われる。
正直、少女はこの女子生徒のことを煩わしいと思っていた。
なぜ自分に話しかけてくるのかは知らないが、恐らく無駄な正義感から一人にするのはいけないと思ったか、先生や生徒から自分と行動するよう役目を押し付けられたのか、はたまたその両方ではないか。断じて友情やそんなものからではないと結論づけられる。
それもあってか、少女は自分からその女子生徒に話しかけたことは一切無く、笑顔になったことさえない。
ひたすら女子生徒が彼女に擦り寄ってくる、その形しか二人の関係には無かった。
勿論、彼女が女子生徒のことを友人ではなく、ただの知人、もしくは役目を押し付けられた可哀想な子と認識していることは言わずもがなである。
そして、もう一人、少女に臆することなく話しかけてくる生徒がいる。
それは先日、彼女が図書室をいつものように利用していた時。
普通彼女の周囲に座る勇者などいるはずもなく、自習用の一人机が空いていない時は周囲に人の少ない席を見つけて座る。テスト週間前の部活停止週間は人気が多いため、帰る。
教室を使うのはそれこそ残っているクラスメートからの早く帰れな視線が煩わしいため論外。
そしてその日も周囲に人の座ってない席を見つけ座る。
そして、勉強道具を広げ暫く勉強していると、珍しく前の席に人の座る気配がある。
こんなこと中学も合わせて今まで一度も無かったのに、と驚いて視線を上げると、正面に座った男子生徒と目が合う。
顔立ちは整っており、所謂イケメンという雰囲気の彼は少女にニコリと微笑みかける。
大抵の女子はその笑顔で赤くなったりと反応を見せそうな完璧な笑顔だが、そのまま彼女は視線をノートと教科書に戻す。
彼女が顔を上げたのは座ったのが誰か確認したい気持ちもあったが、何より顔を上げて自分のことを認知してもらいすぐに別の席に移動してもらうためだった。
自分の顔をさっき見たのだから、十中八九すぐに席を立つだろうと少女は思ったのに目の前の彼は一向に席を立たない。
もう一度と考え顔を再び上げると、彼は頬杖をついてニコニコと彼女を見ていた。本を読むでもなく、勉強をするでもなくただ見てるだけ。
少女にとっては鬱陶しいことこの上ない。
「すみませんが、私に何か用ですか?」
いい加減痺れを切らした彼女は苛立たしげに彼に問いかける。
視線はノートに釘付けだ。
「ううん、ただ君のこと見てるだけ」
「変な趣味をお持ちなんですね。いい加減鬱陶しいので止めてくれませんか?」
彼女が話しかけたのが嬉しかったのか笑顔のままとんちんかんな回答をする彼に苛立ちを隠すことなく吐き捨てる。
それでもただじっと見つめてくる彼に呆れ、少女は彼を無視することにした。
それこそ、この前髪で自分の手元に目が行っている間は彼の姿は目に入らない。
暫くそうしていたが、ふいに彼が彼女のノートをとんとんと指先で叩いた。彼女はそれを無視する。
彼は今度はねえと呼びかけながらノートの上で手を振る。彼女はそれも無視する。
今度は教科書とノートを自分の手元に引き寄せる。やっと少女は彼の方を見た。
「やっと見てくれた」
「一体なんなんですか。教科書とノート返して下さい」
睨みつける彼女をまあまあと宥め、彼は嬉しそうに質問する。
「君、名前なんて言うの?」
「あなたに答える筋合いはありません」
「学年は?」
「あなたに教える理由がありません」
「なんで前髪そんなにのばしてるの?」
「あなたの質問に応答する義務はありません」
こんな不毛なやり取りを片方は嬉しそうに、片方は苛立たしげに行う二人は他人から見れば相当滑稽だ。
イケメンと幽霊が会話している時点でおかしいのだが。
そして、彼女は彼から教科書とノートを隙を突いて取り返すと、再び勉強をする幽霊をイケメンが見つめるという構図に戻る。
果たしてこの二人は自分達の異様さに気が付いているのかいないのか。
そして、これは図書室が閉まる時間まで続いた。
少女と彼が会ってからの次の次の次の日。再び少女は図書室を利用しに訪れていた。
いつもは毎日利用しているのだが、彼と会うなど言語道断。そのため、やむなく日にちを空けたのだ。
そして、今日は一人でゆっくりできると勉強道具を広げるとまたしても前の席に人が座る気配がする。
言わずもがな彼である。
今日は少女と同じように勉強道具も持ってきているようで、いそいそと筆箱を取り出す。
少女はすっ、と立ち上がりキョロキョロ周りを見回して勉強道具を持って移動する。
そして、斜め向かいに人が座っているのも気にせず座り勉強道具を再び広げる。
彼も人目があるところで見つめてくるなんて馬鹿な真似はしないだろう、斜め向かいの生徒には悪いが特に気にせず、というより本に丸々集中力を向けているようなので、気にせず勉強をやろう。
とそこに、今度は少女の隣の席に彼が腰掛けた。
そして、先日と同じように、興味津々で彼女をチラチラ見ながら勉強をしている。
何か自分は彼にしたかと思い返すも、彼と話すことはおろか、目を合わせたことさえ先日が初めてだ。
なのに彼は周囲を気にすることもなく自分のノートと彼女を見ている。
やがて彼女も面倒になり、自分の勉強に集中した。
何分経っただろうか、彼がまたふいに彼女の肩をとんとん叩いた。勿論彼女は無視。
すると、今度は彼女のシャーペンを取り上げた。すぐさま彼女は別のシャーペンを取り出す。
それも取り上げると今度はバッグからもう一本シャーペンを取り出す。
彼は笑いながらやはり最後にノートと教科書を横からかっ攫った。
「教科書とノートとシャーペン返して下さい」
「ていうより、何本シャーペン持ってるの」
「筆箱に二本と盗られた場合の二本で計四本です」
「いやっ………そんなに………ふふふ」
彼は抑えきれなくなったのか、声は落としているものの、お腹を抱えて涙目になって笑っている。
「笑われるのは心外です」
「いや用意万端過ぎでしょ」
「備えあれば憂い無しです」
笑いを堪え切れていない彼を睨み口をへの字に曲げて彼女は言う。
昔から少女はシャーペンや筆箱を隠されたりゴミ箱に捨てられることが何回かあったため、勉強の支障にならないようシャーペンだけでなく消しゴムやペンも何個か持っている。
「それで、何ですか。勉強したいのですが」
「ああ、ごめん。分からないところ教えて欲しくて」
「却下」
「頼むよ、明日発表しなくちゃならなくて」
この通り、と手を合わせて拝む彼にやれやれと首を振り問題を訊く。
このまま放置してもしつこい彼はまた話しかけるに違いないと少女は割り切る。
了承してくれたのが嬉しかったのかここのこれなんだけど、と彼は説明を始める。
少女は程なくして問題の解説を始め、彼は相槌を打ちながら少女の解説を聞く。
「ああ、そうか。やっと理解出来たよ、ありがとう」
「どういたしまして、で教科書とノートとシャーペン返して下さい」
「ねえ、君が良ければさ、俺と友達になってくれない?」
やっと勉強出来ると安堵していたところに不意打ちの友達なろう発言。
案の定彼女は口をぽかんと開けている。
それでもすぐさま立ち直り口をへの字に戻す。
「却下。教科書ノートシャーペン返せ」
「冷たいなぁ。でも、そういうところも面白くていいと思う」
「気でも狂ったか、さっきの問題でキャパオーバーしたのか、今すぐ帰れ」
「酷いなぁ。それと、そんなすぐキャパ超すほど俺馬鹿じゃないよ?」
「じゃあアホか変人だな」
少女の毒舌にクスクス笑いながら返答する。
ちなみに、敬語が飛んでることから、少女もおかしくなっていることには気づいていない。
「純粋に反応が新鮮だから興味が湧いてるんだよ?ダメかな?」
「そんなに罵って欲しいなら自分はMだと言えば………」
「いやいや、俺正常だよ?」
「幽霊と友達になりたいなどキチガイとしか言えんだろう」
彼女と普通に押し問答していた彼は幽霊発言から、笑っていた顔を真顔に変える。
少女にとっては初めて見る表情で、思わず彼を凝視する。
「君は幽霊なんかじゃない。生きてる人間じゃないか」
「でも、普通に見れば私の姿は………」
「誰が何と言おうと、君は幽霊じゃない。この学園に通う女の子でしょ?」
違う?と問いかける彼に、とうとう少女が苛立ちを爆発させた。
「下らん正義掲げて、所詮お前も私が可哀想と思うヒーロー気取りなんだろう?そんなもの………うんざりだ。吐き気がする」
そして勉強道具を彼から奪うと少女は図書室を飛び出した。
今まで中学でも少女を可哀想と気遣ってか話しかけてくる奴らが何人かいた。
しかし、そいつらは皆少女へのいじめが始まった途端、掌を返したように距離を置き遠ざかっていった。
少女は自分にとって信頼できる奴など一人もいないとこの時確信した。
自分は所詮気味悪がられる幽霊なのだと。
そのまま少女は帰ろうとしたところで、持って帰るはずの体操服を教室に忘れてきたことに気が付いた。
そして、進行方向を靴箱から教室に変え歩いていった。
少しして、教室に着くと、何やら声が聞こえる。
思わず立ち止まったのは、話の内容が自分についてだったのと、話相手が自分にまとわりついてくる女子生徒だったから。
「ねえ、**さんいい加減あんな幽霊とつるむの止めた方がいいよ」
「そうそう、不気味だし何考えてるか分かんないしさあ」
「ホント不気味だよねー、あれじゃない?3D貞子」
「言えてるわー」
話しているのはクラスの中心に近いギャル達。
陰口をしてくる筆頭である。
クスクスと笑いながら彼女達は少女への悪口を口にする。
そんなことなど彼女には慣れたことだ。今更傷付く訳もない。
傷付く筈がないのだ。たとえ、
「ううーん。確かに気味が悪いよねー」
自分と行動する彼女がそう口にしたとしても。
ならば、この胸の痛みはなんなのか。ああ、きっと体調でも悪くなったのだろう。
涙なんて流す理由がない。
そして、少女は体操服を見捨てて踵を返し、女子生徒達が談笑する教室から遠ざかった。
翌日、靴箱を覗くと自分のスリッパがないことに気づいた少女は学校のスリッパを借りて教室に向かった。
そこで待っていたのは「トイレの手前から二番目の個室を覗いてごらん」という文とそれを囲むように書かれているいつも言われている悪口。
トイレへ向かうと、案の定便器の水にぷかぷか浮いた自分のスリッパが。
仕方なくあらかじめ用意していたビニール袋にスリッパを入れ、手を洗って教室へと戻り何も入れていないロッカーにそれを入れる。
ロッカーの中に虫の死骸が入っていたが、それも放置しておいた。
授業が始まっても露骨な嫌がらせは続く。
今までは陰口だけだったのが、かの男子生徒が自分と話していたのが気に食わなかったのか、今まで一緒にいた女子生徒が離れたからなのか、両方なのか。
女子生徒は今までとは違い、彼女を避け、ちらちら気まずそうに遠くから見るだけだった。
それでも、少女は何一つ言わず、また始まったのか、と呆れた気持ちで過ごした。
それが何日か続いた頃、昼休み少女が弁当を食べていると(弁当はゴミ箱に廃棄されたため、購買のパンだが)例の女子生徒達が近づいてきた。
「ねぇ、幽霊さん。あなたに贈り物あげる」
と五人一斉に少女に投げつけたのは塩。
「幽霊は除霊しないと成仏出来ないものね」
クスクス笑う彼女達に視線を向けるでもなく、塩からのダメージは目が前髪でガードされたため、気にするでもなくパンを食べ続ける。
「ちょっと、何か言ったらどうなの!?」
と一人が少女の胸倉を掴むが、パンを食べるのは止めても言葉を発することはない。
発したところで気味が悪いと言われるだけでオチは変わらないのだ。
すると、一人の女子生徒が不敵に笑い、仲間に小声で話しかける。
それを聞いた他の女子生徒も笑って、二人が背後に、二人が真横に、胸倉を掴んだ一人が少女の正面のまま口角を上げる。
「ねぇ、話せないのは前髪のせいで私達が見えないからよねー?じゃあ………そんな前髪切ってあげるよ」
という言葉を合図に四人が一斉に少女の腕を掴み押さえつけ、顔を固定させる。
そして正面の女子生徒は筆箱からハサミを取り出し、チョキチョキと仕草をする。
ここで、今まで何も反応しなかった少女も悲鳴を上げ腕を解こうとするも、一対四で勝ち目などあるはずもない。
そして、目をきつく閉じ、助けてと少女が小さく口にした時。
周囲の、いや、クラス中の空気が止まった。
少女が目を開けると、目の前にはハサミを振りかざす女子生徒と、………その手首を掴むかの女子生徒の姿があった。
そしてそのままハサミを奪い取り投げ捨てると彼女は固まる少女の周囲の女子生徒達から少女を救出し、腕を掴んで飛び出した。
その腕は、微かに震えていた。
そのまま二人は屋上にやって来た。チャイムが鳴ったので、他の生徒達は授業なはずだ。
「あーあ、授業無断でサボっちゃったや。ごめんね」
と軽く話す女子生徒を少女は信じられないと言わんばかりに見開いて見ている。
「なんで………助けたの?」
「そりゃ友達だもの、助けてって言われたら助けるのが普通じゃない?」
「私とあなたとは友達じゃないじゃない」
「えー、酷いなぁ」
「さっきまで避けてたし」
「今行ったらむしろいじめ酷くなると思って、ごめんね」
「あなたも前にあの人達に漏らしてたじゃない、気味が悪いって………」
「うん、言った」
やっぱりあれは本心からのようだ。なら、やはりなぜ私を助けた?
「なら………」
「だって、あんな可愛い顔してるのに、そんな前髪勿体無いもの!」
「はっ………?」
可愛い顔?私はいつこの子に顔を見せたのだろう。
「前に屋上で昼寝してたとき、悪戯心で見て、なんで前髪で隠すの、勿体無い!って思ったのよ」
そういえば、以前はたまに屋上で昼寝をしていた。その時か。
「可愛いなんてお世辞はいらない。」
「そんなことないよ!絶対あの化粧キツイ女狐達には勝てるね!」
女狐とは恐らく先程の女子生徒達だ。
「醜いよ、だってこんな縫い痕があるのに」
彼女には二本おでこから耳元にかけての縫い痕がある。
中学生のとき、酒に酔った父親に酒の瓶で頭を殴られた際に出来たもの。
あれ以来父親とは会っておらず、元から母親も出ていってしまっていたため、養護施設から出てからは一人暮らしだ。
少女自身、この縫い痕がどんなことよりもコンプレックスだった。
それこそ、気味が悪がられても前髪で顔を隠したいと思うほどに。
「えー、縫い痕なんか気にしなくていいんだよ。絶対前髪切った方が可愛いもの!」
「でも………」
「よし、今度の休み髪切りに行こう!」
「なんであなたが決めてるわけ?」
「友達の特権!」
「だから友達じゃないってさっきから」
「今から友達さ!」
「言い訳がましいよ!」
いいのいいの、と笑う彼女を見ていると、なんだかこちらまでどうでも良くなってきた。
案外自分も友達が欲しかったのかもしれない。
「でも、考えさせて。結論出たら教えるから」
「早めにねー」
「はいはい」
と二人で笑いあった。
少女は久しぶりに友達を手に入れた。心から信頼できる友達を。
教室に戻ると、視線や空気は変わりなかく、冷たいものだった。
けれど、少女達二人はそれに怯えることなく、気にすることもなく、笑いあっていた。
月曜日、いつものように少女は図書室へと向かった。
座る席は例の彼の前。
彼は最初彼女を見て驚いた顔をしていたが、すぐに今までにない輝かんばかりの笑顔で
「元幽霊さん。俺と友達にならない?」
と少女に手を差し出した。
読んでいただき、ありがとうございました。