第八十七話
「ふぅ、すっきりしたね! やっぱり嘘には制裁が必要だよね……ねぇ紫?」
「ハ、ハイソウデスワネ……(痛かったぁ……)」
何処か満足気な萃香と額を抑えながら片言で返す紫。板についている様なやり取りに幾度となく行われた行為なのだろうと思う。まぁ、鬼相手に嘘を吐き続けてきたのは流石にどうかと思ったが……
ちなみに……藍は二人が戻る少し前に橙を連れて何処かへ行ってしまった。避難のつもりなのかもしれないが、スキマを扱う紫から逃げられるとは思えないが
──と、いつの間にか萃香が目の前で揺れていた。足元はおぼつかなく、だが視線と瞳に秘められた強い意志は確固たるモノとして俺に向けられている
「……どうか、したか?」
「いや、別にね。ちょっとうわの空だったから、どうかしたのかなって思ってね。さっきの話の続きだけれどさ……幽々子とも付き合ってるのは本当かい?」
「あぁ、不肖ながら付き合わせて頂いている。最も、今の所はどうこうなったとかはないし他人よりは好意的な程度だな。アプローチには気づく様にはしているし、まぁアレコレと考えてはいるけど」
「…………そっか。私はてっきりね──アンタが二人を誑かしたのかと勘繰ってたんだよ」
──俺のすぐ横を、圧倒的な圧力と質量をもったナニカが通り過ぎた。早い話が、目の前の萃香が右腕を正拳突きの要領で繰り出した。ただそれだけの筈なのに……まるで外の世界でよく見られる大型のダンプカーが、物凄い速さで通り過ぎた様だった
……あ、足が震えてきた。手汗もすごいし口の中が渇いて仕方が無い。萃香は相変わらず無表情でジッと俺を見据えている。もし俺が何かを言おうものならば……躊躇うことなく今度は直撃させてくるだろう
「──萃香、あまり私の大切な彼を虐めないでもらえないかしら? なんなら……私が相手になるわよ……?」
スキマから伸ばした腕を萃香の首元に掛け、静かに囁く様に話す紫。基本的に紫が大声をあげて怒る時は程度で言えばまだ軽い方だ。本当に怖いのは……彼女が静かに言葉を紡ぐ時なのだ
人里防衛戦の際に紫に暴言を吐いた妖怪が、満面の笑みを浮かべた彼女によって無言のうちにスキマで惨殺されたのを俺は知っている。この世界で声や表情に表れる怒りはまだ謝れば戻れるが、黙ってしまったならば……死を覚悟しなければならない
その戻れない怒りを今、紫は萃香に向けている。萃香もゆっくりとした動作で紫に向き直る。──お互いに笑みを浮かべて、ただただ見つめあう
「先ずは……悠哉に謝って頂けるかしら? 貴方の勝手な憶測のせいで彼の心に傷を付けた……その責任は勿論とって頂けるのでしょう?」
「生憎、信用ならない人間相手に簡単に頭を下げる様な安い意識は持ち合わせていないんだ」
「そう……なら、覚悟はよろしくて?」
「お、私とやりあうつもりかい? 正面からじゃあ太刀打ち出来ずにボロ雑巾の如く打ち捨てられるくせに? この鬼である私と戦うと、本気で言ってるのかい?」
「あら、誰が馬鹿正直に真正面からと申しましたか? 戦は搦め手を用いてこそ勝利を得るというもの……まぁ頭の固い妖怪には理解など夢のまた夢でしょうけれど」
……マズイ、非常にマズイ。売り言葉に買い言葉、で合ってるのか? 兎も角物凄い勢いで二人の纏う雰囲気が重苦しいモノへと変わっていく。このままでは、マヨイガが戦場になる。そうなったら……
「──表に出な、幻想の境界」
「──表に出なさい、小さな百鬼夜行」
とうとう庭の中央で睨み合う二人。止める事など俺には無理だ、だが止めなければマヨイガ諸共俺の人生終わってしまう……!
一か八か、走り出した二人の前に簡易スキマ符を展開──したつもりが間違えて足元に開く二つのスキマ
最早お互いしか意識していない二人は気づく筈もなくそのまま走って──あ、こけた。顔面からとか、アレは痛い……
……むくり、と起き上がり此方に向けられる四つの眼と殺気が一気に俺の身体を貫く。やっちまったなぁ、と後悔して──俺はとうとう意識を手放した……




