第百五話
「…………ん、んん……」
すっかり冷え切った身体で目覚める。眠ったと言うよりも落ちたと言う方がしっくりくるくらい、俺は身体も心もボロボロだった
まるで幽霊のようにフラフラしながら庭に有る岩の一つに背を預ける。ここ数日の間に起きた出来事を思い返し、自然と涙が零れ落ちた
「──此処に居たのか悠哉」
緩慢とした動きで視線を動かすと、憮然とした表情の藍と目が合う。何故、白玉楼に藍が……? 疑問に気づいたらしく、藍がしゃがみ込みながら続ける
「昨晩、幽々子様から紫様に連絡が有ってな。お前の様子がおかしいと、泣きながら話して来たそうだ。お前……何をした?」
「…………」
「答えたくないか、はたまた答えられないか……まぁどちらでもいい。ほら、行くぞ。引っ張ってやるからせめて立て」
藍の腕と尻尾に持ち上げられ、それから引きずられる様にして屋敷の一室へ。そこには、無表情の妖夢と目を赤くした幽々子に扇子で目元まで隠した紫が居た
俺をなんとか座らせた藍は、そのまま静かに紫の隣に陣取り俺をジッと見つめる。……どうやら、俺は落ちる所まで落ちたらしい。藍の観察する様な視線も、紫と幽々子から注がれる心配そうな視線も、妖夢の何ともない視線ですら──酷く煩わしく感じる
「幽々子から大体の話は聞いたわ。悠哉、貴方此処で散々迷惑をかけたみたいね。一体どういうつもりかしら? 私の顔に泥を塗った上、その様……」
「……疲れたんだよ、きっとさ……」
「何に? それを言わなければ、何も始まらないし終わらないわよ」
──コレは言うべきではない。言ってしまえば、全てが失われる。俺の決意も今までの日々も全てが無に帰すことになる。だが……今の俺には止めることは出来なかった
「……と…………事がだよ……」
「何?はっきりと喋りなさい、聞こえないわ。もう一度、言いなさい」
「……お前達と共に歩む事がだよ……」
時が、止まった気がした。あぁ、とうとう言ってしまった。もういいや、落ちたのだから。ならばいっそ、言い切ろう……隠す事など何も無いのだから
「な……どうしてだ悠哉! お前は、お前は紫様と共に生きると言ってくれたじゃないか! 幽々子様の事だって、あんなに悩んでその上で選ばれたじゃないか! なのに、どうして……!」
「……じゃあ聞くが、お前達は隠し事の一切を俺に話してくれたのか? 敵対する妖怪の事、文句を言ってる妖怪の事、俺と紫や幽々子の関係を快く思わない連中の事……何一つ詳しく教えてもらっていないぞ」
「そ、それは言う必要が無いと判断したからだ。私と紫様、それに幽々子様と妖夢の四名で既に対策を講じてある。だから今更言わずとも良いと……」
「それを聞いて判断するのは俺だろ? 何故、お前達だけで決めた。俺には意思が無いのか? 自分で決める事すら出来ないのか?」
黙ったままの紫達を一瞥して、震える身体で息を吐く。寒さからなのかなんなのか、分からない。ただただ震えているのだ
「──では悠哉。貴方は私達と縁を切るの?」
「どういう意味だ紫」
「そのままの意味よ。確かに貴方は私達と共に歩むと言ってくれた。だからと言って、全てを共有する必要は無い筈よ。秘密にしておきたい事柄の一つや二つ、貴方にも有る筈でしょう。でも、どうしても共有したいというのは困るわ。この幻想郷を守るためにも知られてはいけない情報も含まれるのだから」
「教えられない、だから嫌なら縁を切ると?」
「……そう、なるわね。さぁどうするの悠哉、残るのならまだ道は有るわ。でもそれすら放棄すると言うのなら……遠慮は要らないわ。此処から出て行って頂戴、そしてその時点で私達の関係もオシマイよ」
指差す先──白玉楼の門へ視線を向ける。なるほど、アレを越えたらその時点で……
「頼む悠哉、今の紫様にも幽々子様にもお前は必要なんだ。……行くな」
「もう……いいだろ。もう俺には自信が無いんだよ……皆のそばでまた笑える自信が、一緒に背中を合わせて戦える意思が。正直……お前達が怖くて仕方がないんだよ」
「こ、怖い……? 私達が、怖いと言うの?」
「そうさ幽々子、怖いんだよ。読めない表情に急に冷たくなる瞳、俺より強い力に賢い頭脳。果ては反則級の能力……どれをとっても、改めて思えば怖い所しか無いんだよ。それにさ幽々子……時々俺を死に誘ったろ?」
「え……」
「本気で殺されるかと思ったよ。あの時ばかりは、お前の笑顔が恐ろしくて見えなかった……紫だってそうだろ? 幻想郷の妖怪を食わせていくために、人間を餌として無縁塚へ放り込んでいる」
「……何故、知っているの。その事は黙っていたのに……勘違いされると思ったから伏せていたというのに……」
「人の口に戸は建てられないって事さ」
「……人里ね、迂闊だったわ。でもそれだって、外来人の貴方に知ってほしくなくて……」
「あぁ分かってる、だからこそ──悲しかったよ。それすら教えてもらえないのか、所詮俺はその程度なのかってな」
再び沈黙が部屋を包み込む。妖夢は下を向いたまま黙りこくり藍は表情を青くして、幽々子は泣き続けて紫は幾分眉尻を下げて──そんな中、俺はフラリと立ち上がる
「……行かないで悠哉、お願いだから!」
「幽々子……悪い、もう俺には……幽々子達の顔を真っ正面から見据える自信が無いんだ」
「自信なんてどうでもいい! 他がなんと言おうと構わないわ! だから……だからお願い、そばに居て……」
ゆっくり幽々子を離し、睨みつける妖夢と目を合わせようとして──逸らす。一瞬だけ見えた妖夢の顔は、何処か悲しげに見えた
「本当に、行くんだな? 覚悟は決めて有るのだろうな……」
「俺を、殺すのか藍。それもいいかもな……」
「……なんでそんな顔をするんだ、お前はっ! 戻れ、戻って謝れ! 紅魔館で私が言った事を忘れたわけではないだろう!? 此処でお前が行けば、私はお前を……!」
「手にかける、だったな。……バカな人間に付き合わせてしまって、本当にすまなかったな……」
「馬鹿者がぁ……! お前も私や紫様を裏切るのか……!」
「……すまない、藍」
最後は──紫だった。幻想郷に来るきっかけを作り、今日まで生きるための場を提供してくれた妖怪。そして──俺の最愛のヒト
「……行くのね、悠哉」
「……今までありがとう。寝首をかくのなら構わない、それだけの事をしでかしたんだと分かってるからな」
──紫の目から、涙が零れ落ちた。たった一雫、それでも泣いてくれたという事実が妙に嬉しく思うと同時にもう引き返せないのだと感じる。気づけば門前まで紫と歩いてきてしまっていた
「……それじゃあ、元気で。もう二度と、こんな最低な人間に引っかかるなよ? ……次からはもう少し、慎重に藍と相談して探せよ」
「……お元気で。次からはお互い他人ですわね……貴方の素晴らしい幻想郷ライフを、妖怪の賢者としてお祈りしておりますわ」
──翌日の文々。新聞を飾った一面の見出しには、大きくこう書かれていた
[妖怪の賢者と亡霊姫、遂に外来人との恋愛に終止符を打つ!]──




