第百四話
翌日、疲れ果てて柱にもたれるようにして眠っていた俺はゆっくりと背伸びをしつつ目覚めた。膝の上には小さな布が掛けられていて、寒くないように配慮してくれたのが一目で分かった
疲れ果てるまで刀を振り続けたせいで腕は上がらなくなり、手にも血豆が出来ている。だと言うのに……黒いモノはまだ残っていた。まるでガムのように心にへばり付き、俺の精神を揺さぶっている
「くそ、なんなんだよ……」
顔を洗ってスッキリ──とはいかず、まだモヤモヤしながらも朝食を取るため居間へ。既に妖夢と幽々子が食事をとっていた
幽々子は俺に気づくとおはようと、妖夢はチラリと俺を見ただけで黙々と食べ進める。仕方が無い事だ、俺が悪いのだから……どうしてイラつく?
思わず出た舌打ちに、妖夢の手が止まり立ち上がる。幽々子が止めようとするもその前に、妖夢が俺の前に立つ
「……何か?」
「一瞥しておいて、何も無しか妖夢? 挨拶すら出来ないのかお前は」
「此方の事など微塵にも気にかけないお前に、する挨拶など無い。本来なら食事すら惜しいが幽々子様がどうしてもと仰ったからな、感謝しろ」
「はっ、頼んでもいない事をして感謝しろってか。勝手なこったな」
──止まれ、止まれ止まれ止まれ! 違うだろ、そこは素直にごめんだろ! なんで……妖夢にケンカ腰なんだよ……悪いのは俺だろうに……なんでだよ……
「……表に出ろ、一度その根性叩き直してやる」
「言うねぇ、いいぜ相手になってやるよ」
「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて! 妖夢お願いだから止めて? 悠哉も少し待って──」
喋り続ける幽々子を無視して庭に向かう。お互いに真剣を取り出して構え、それを見た幽々子の顔色がさらに青白くなる。そりゃあそうだろうさ、竹刀での模擬とは違い当たれば怪我どころの話ではない
「……謝るなら、今のうちですよ悠哉さん。お願いですから、引き下がってください」
「断る。怖気づいたか妖夢、ほら来いよ」
「そう、ですか……仕方ありませんね。では──魂魄妖夢、参るっ!」
……結果は圧倒的だった。いや、寧ろ分かり切っていた。致命傷こそ無いが文字通り斬り傷だらけで立つことすら出来ない俺と、静かに冷たく見下ろす無傷の妖夢
「お分かり頂けましたか。これが……今の貴方と私の差、 振るう刃に乗せた覚悟と想いの差です。貴方の刃は前に比べて軽過ぎる、想いは何処へ置いて来てしまったのですか悠哉さん……」
「……っくそが……やるならやれよ。手も足も出ない人間一人見下して満足か……?」
「…………悠哉さん、もういいです。私の知る貴方はもう亡くなってしまったのですね。残念です……」
刀をしまって歩き出す妖夢。入れ替わりで幽々子が走り寄って来た。あちこち身体を見ながらボロボロ涙を流し、それでも俺をしっかりと見ている。それが何故か、とても不快だった……
「大丈夫……ではないわよね。すぐ手当てを──」
「……いい、放っておいてくれ……」
「何を言ってるのよ、早く手当てしなきゃ悪化するわ! ほら、手を貸して──」
「……いいって言ってるだろっ! 離してくれよ!」
惨めで自分勝手な今の自分をこれ以上見てほしくなくて……これ以上幻滅してほしくなくて……俺は幽々子の手を払い除け、突き飛ばした
あたりの突き飛ばしの強さに俺は反動から来る痛みを歯を食いしばって耐え、幽々子は尻もちをついたまま呆然と俺を見つめている。それすら嫌で悲しくて虚しくて、砂を掴んで投げる
「頼むからこれ以上、俺を見ないでくれ……! こんな惨めな俺に……情けない俺に、これ以上関わらないでくれっ……!」
「……悠哉……」
立ち上がり、何度も振り返りながら行ってしまった幽々子を見送り──嗚咽を堪えきれなくなる。どうして、こんな筈じゃなかったのに……ただ紫のそばで幽々子のそばで居られるよう強くなりたかっただけなのに……
──突然、白玉楼に雨が降りはじめた。どうやら冥界にも雨は降るらしい。降りしきる雨の中、俺は泣き叫んだ。己のした事を後悔し、己の思いすら抑えきれない事にイライラし幽々子や妖夢に当たった事実に愕然とし……
雨はそのまましばらく振り続けた。俺の精神を落ち着かせるように、ナニカを洗い流すように。でも、もう遅い……俺は確かに今大切なナニカを失ったのだから──




