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コンコンと軽やかなノック音を響かせ、返事を待たずにその人物はするりと室内に身を滑り込ませた。
その姿はしなやかで、名前のごとく豹のようだ。
「お待たせしましたー。もう、生徒会室抜け出すのに手間取っちゃいましたよ」
口を開けば、なぜか優雅さは消え去り、一気に軽薄になってしまう。悲しいかな、鎮目ヒョウとはそんな男だった。
「それは、お疲れ様です」
雪路が労いの言葉をかけると、それに飛びつくようにヒョウは言葉を重ねた。
「今、大変なことになってるんですよ。副会長があのもっさい転校生を生徒会室に連れてきて、会長がキレちゃって。
双子は転校生を大カンゲーでテンション上がって騒ぐ騒ぐ。いつもの倍うるさいです。凪は我関せずで、被害のないように隅っこで仕事してましたけどね。
俺は、あんなとこで仕事できませんよ。会長ってば俺のこと大好きだから、すぐ話振ってくるんだもん。返事返すと副会長はすっげぇ目つきで睨んでくるし。
どうにかしようとしても、どうにもなんないなっていうことにして出てきちゃいました。会長に怒られたら、慰めてくださいね」
慰めるとは何をすれば良いのか。好きなものでもあげようか。
「チョコレートで良いですか?」
「えー、そこは抱擁とかしてくれるところじゃないですかぁ? チョコレートは欲しいですけど」
「男同士で抱擁は暑苦しいですよ」
そういうことを聞くと、雪路は前世の記憶とか雨流が持ってる薄い本を思い出してしまうのですごく微妙な気分になる。顔も心なし引きつっていることだろう。
「ゆき先輩、綺麗だけど男の子ですもんね。やっぱ、女の子みたいにやわっこくないか」
「ええ、脱いだらすごいですよ」
「はぁ!? どんな風ですか?」
「腹筋割れてます」
うっすらだけども。頑張って筋トレしていたら割れましたとも。
男なら逞しく在るべきだ。
「うわぁ、思わぬ細マッチョ。ちょっと、聞きたくなかったかもしれない。でも、それはそれで良いような気も……」
「まあ、私の筋肉事情については置いといて、昼間の食堂の件について」
「そうでしたね。ゆき先輩の裸は次の機会ということで、昼間の件」
裸は次の機会って、何だ。見せるとは言ってないぞ。
面倒なので掘り下げないで、流すことにする。スルースキルは親友のお蔭で上がりました。感謝はしていない。
「どこまで知ってます?」
「大体のあらましは。まず、佐伯霧人と流鏑馬雷斗・雷火が空崎陽太を連れて特別席に座った。それに、怒った秋月霜弥と佐伯が口論となる。
口論はだんだんと論点がずれて、『男よりこういう女のほうが良いだろ』と秋月が手近な空崎春陽にキスをした」
それにヒョウは頷いて言葉を補足した。
「それで、春陽ちゃんがばっちーんって会長叩いちゃったから会長が怒ってあの女どうにかしろって俺に言ってきてます。ファンにも言ってます。
ファンはもちろんキスしてもらったこと羨んで叩いたことに激怒してるんで、やる気満々です。怖いです。女の子にはいつもかわいく居て欲しいと思いました」
最後の個人的感想いらなかった。
ことは雪路の予想内だが、良い状況とはいえない。
やはり空崎春陽には風紀委員を護衛につけなければいけないだろう。適任は空崎春陽と同じクラスの雅美ちゃんかな。
「まあ、大丈夫ですよ。きっと。俺は春陽ちゃんどうこうする気ないし、会長のファンクラブ長の宮崎さんは意外に慎重な人なんで集団リンチとかにはならないでしょ。囲まれて注意とかはされるかもだけど」
「それは、大丈夫な範囲に入らないでしょう。希望的観測で言わないでください」
「ゆき先輩心配しすぎ。理事長の姪ってことは公表されてるし、過激なことはされませんて」
ヒョウは楽観的過ぎると思うけれど、これはどちらかといえば風紀委員の仕事なので自分達が気をつけていれば良いかと雪路はその話を切ることにした。
「空崎陽太の方はどう思います?」
その言葉にヒョウは固まった。珍しく難しい顔をしている。
「あの子は……なんていうか、すごいですね」
「すごいとは」
「言葉にするよりも、近くに行って見てきたほうが良いと思います。でも、あえて言葉にするなら“キラキラしてる”ですね」
「キラキラですか」
「あっ、信じてませんね。でも、ホントですから。遠目で見るともっさい男子生徒ですけど、手の届く範囲で見ると他とは違うという感じがするんですよね」
「他とは違うとは、どんな風に?」
「さっきも言ったみたいに、キラキラして見えるんですよ。一人だけスポットライト浴びてるみたいに目を引く。
そして、妙な親しみを感じるんですよね。ろくに会話もしてないのに、何でも分かってくれそうな……俺を、受け入れてくれるような感じが、します」
説明する言葉は良いものなのに、声に不自然な硬さを感じた。おかしいと思い、カマを掛けてみる。
「それは、いい友達になれそうですね」
「無理です」
即答で返ってきた嫌悪を含ませた冷たい声に雪路は驚いた。
ヒョウは、少し気まずそうな顔をしてから、すぐにいつものようにヘラヘラと軽い調子で話し出す。
「すみません。あー、俺は追いかけられるより追いかけたいタイプなんで合わないかなって」
「恋愛じゃないんですから」
「友愛も恋愛も似たようなもんですって。独占欲も嫉妬もあるもの」
「深い友愛ですね」
「そりゃもう、海の底よりも深く凪とトーヤを愛しちゃってますから。先輩だって、りゅう先輩ラブでしょ」
「ライクです」
「照れちゃってぇ。まあ、良いですけどね。お話はこんなものですか、ゆき先輩。俺、そろそろ生徒会戻って仕事しないと凪と会長に怒られちゃいますから」
「そうですね。来てくれてありがとうございます。これでも、食べて頑張ってください」
雪路がカバンからチョコレートを出して渡すと、ヒョウは子供のように笑った。
「ありがとう、ゆき先輩。先輩も仕事頑張ってくださいね」
元気良く出て行ったヒョウを見送り、雪路もその部屋を出た。
風紀委員室に向かうために。
雨流、見てください」
バッ
いきなり部屋に来てワイシャツを肌蹴させた雪路に雨流は目を見開く。
「何をやっている」
「見て分かりませんか」
普通に考えたら誘っているのかと思うところだ。しかしながら、それはない。
雪路はBLが嫌いなのだ。親の敵かと言うくらいに敵視している。
それではこれはどういう状態なのか。
まず、雪路は嬉しそうで少し興奮した様子で部屋に入ってきた。
そして、ワイシャツを肌蹴ている。
ということは、雪路にとってかなり喜ばしいことがあり、その喜ばしいことは見せている上半身にあるということだ。
目の前に晒されている体を胸から下に視線をずらしながら観察する。
相変わらず白く滑らかな肌をしている。弛みもなくかといって細すぎるわけでもない。最近、筋トレをしていると言ったが少し引き締まったような気がしないでもない。
……それか!
「筋肉が付いてきたな」
少しだが。
「やっぱり分かりますよね! ついに割れたんです!」
嬉しそうに顔をほころばせる雪路に自分の答えは当たっていたことが分かったが、割れているとは何が。
目を凝らす。
……分からん。
「雨流、眉間に皺を寄せてどうしたんですか? あっ、私の腹筋が割れてきたから焦ったのですね。ふふ。時期に私も雨流くらい鍛えますから」
「やめろ」
反射のように出てしまった。言葉に雪路は目を丸くし、次いで唇を尖らせた。
「何故ですか」
明らかに不服そうにする雪路をどう言いくるめれば言いか。
幼い頃から、男は筋肉がしっかりと付いているほうがかっこいいと言っていたが、まさかその括りに自分も入れているとは思わなかった。
奴は自分の顔をちゃんと見たことがないのだろうか。
女顔ではないが中性的な容姿でどう考えてもがっしりとした体型は似合わない。
想像しただけでその姿はキツイ。凪沙など泣くかもしれないな。
ここはもう、ストレートに伝えるべきだろう。
「雪路、お前が筋肉隆々の男になったら、泣く」
「へ? そこまで、鍛えるつもりはなかったのですが……。そう、ですか。泣かせるのは嫌なので、ほどほどにしておきますね」
「そうしろ」
そこまで言って、俺は思った。
今の言い方だと、俺が泣いてしまうようではないか。
返ろうとしている雪路に「待て」と留まらせた。
「今のは、違うんだ」
「違いますか? 鍛えたほうが良いということでしょうか」
「そこは違わん」
「では、どこが」
「俺は泣かない」
「……分かっています。それでは自室に戻りますね。おやすみなさい」
生暖かい笑顔を浮かべて去った雪路に言いたい。
「絶対分かってないだろ」
呟いた言葉は、閉められた扉に消えていった。




