恋する二人
ファニアの香油は、飲み物ではない。
しかも麻薬のように強い。
そんなものを飲まされたステファナは、吐き気は収まらず、胃洗浄までされ、
食べ物どころか水も受け付けず、死ぬかと思った。
「誰かが飲んだ」という前例はない。
「飲むなんて馬鹿でもしない」と皆は思っていたのでいるはずもない。
それで後遺症とか心配したのだけれど、
野山を駆け回る元気な娘なので、三日もすれば元気になった。
お腹が空き過ぎたステファナは、「おかゆから」と言われたのに、
どんどん馳走を持って来させ、もりもり食べて、皆を不安にしたり安心させたりする。
たらふく食べたステファナは、満足した猫のようにごろんと横になる。
そうして冷静になってみると、
やはり自分には結婚は早すぎると思ったのだ。
自分が感じたあの衝動は、ほれ薬の影響だったと分かり、
つくずく、そんなもののせいで結婚させられなくて良かったと思う。
とにかく、見合いから逃げられたのは良かった。
しかも怒られずにすんだ。
それどころか、今回は、誰も罰せられずにすんだのだ。
この騒動の発端は王様だったし、
知らなかったとはいえ、ほれ薬を持ってきたのもお后様だった。
国の最高指導者夫婦を裁く者は、ここにはいない。
ほれ薬を盗もうとした第五姫も危うかったけれど、難を逃れている。
あの日、第五姫は、
自分が持っている喉の薬を、香油と取り替えねばと薬部屋へ引き返した。
ところが中に人がいたので、しばらく待っていると、人々が騒ぎ出したのだ。
そして、ステファナが、喉の薬と思ってファニアの香油を飲んだのだと知り、
「大変なことになってしまった」と青くなる。
鞭打ちの刑は免れられず、下手すれば死刑になるかもしれない。
そこへ救いの王子が登場する。
彼は、その時は平民だったのだけれど、後に王子の位を授かっている。
そう、その王子こそ、あのゲロまみれになった見合い相手だった。
彼は風呂に入り、着替えて出てきた所を、おろおろしている第五姫に遭遇したのだ。
二人は見つめ合い、お互いの心に恋の矢が刺さるのを感じる。
もともと面食いの第五姫だから、一目ぼれぐらいするだろうが、
いかんせん、彼は金持ちではなかった。
これが普通の見合いなら、ちょっと考えたかもしれない。
十七歳とはいえ、現実的な姫でもあった。
ところが状況は切迫している。
自分を助け出してくれるハンサムさんなら誰でも良かった・・・と言えるかもしれない。
彼の方は、平民の自分がお姫様を嫁に、と期待してたら、
ゲロ奇襲をかけられ、ゲンナリしていたところに、見目麗しい別の姫とめぐり合う。
運命かもしれないと思った。
姫の瞳は潤んでおり、その顔には憂いがある。
彼は、「どうして、そんなに悲しそうにしているのだろう・・・」と心惹かれるのだが、
それが自分をひどい目に遭わせ、どんな罰を受けるのかと心配している姫だとは知る由もない。
彼女はステファナのように痩せておらず、ふっくらしていた。
運動量の多いステファナは、リーンな体つきをしている。
男としては、痩せた女を連れて歩くのはかっこいいのだけれど、
抱くのなら、クッションのように柔らかでふっくらした方がいい。
そんな抱き心地の良さそうなお姫様を見ているとムラムラッとしてくる。
「姫様・・・どうかそのような悲しい顔をするのはお止めください」
と彼は優しく言った。
彼女は、すすすっと擦り寄り、潤んだ目で彼を見上げ、震える声で哀願する。
「では、わたしをこの悲しみから救ってくれますか」
そう言った彼女の唇は濡れており、ぷっくりしている。
ああ、彼女をこの腕に抱き、その唇を自分の唇で塞ぎ、彼女の顔に笑みを戻してあげられたら・・・
「姫様、わたしがあなたの悲しみを無くして差し上げましょう」
彼が彼女に手を差し伸べ、そのふくよかな体を抱くと、
彼女は、彼の胸に顔をうずめる。
そして顔を上げ、彼の顔に近づけ・・・
「きゃあ~!」
誰かが叫んだ。
抱き合ってた二人も、「きゃあ~!」と叫び、慌てて離れると、
その先に、お后様と侍女たちが立っていた。
叫んだのは侍女の一人で、これ以上、二人を見てられなかったのだ。
お后様は、この哀れな被害者を見舞いに来たのだけれど、
彼は、すでに哀れな男ではなくなっていた。
いや、別の哀れな状況に陥っていたかもしれない。
平民の分際で、その日の内に、別の姫に乗り換えた不届き者として、
牢屋にぶち込まれる恐れがあったのだ。
二人はそのまま王様の所に連行され、尋問を受ける。
ところが彼らは、それどころでは無いらしく、
手を取り合い、お互いを見詰め合ったまま答えることなどしない。
第五姫は、彼のハンサムな顔に見とれ、
彼は、お姫様の美しい笑顔に釘付けなのだ。
しかも彼は、「この笑顔を取り戻したのは自分だ」と自負しており、
「姫様の笑顔のためなら、この身に罰を受けようとも構わない」くらいに思っている。
王様は、そんな二人を見て、
元々は自分が撒いた種だし、
「第五姫が片付くのだからこれで良いことにしよう」と許すことにした。
こうして二人は、めでたしめでたしとなったのである。
もちろん、「この恋は真実のものだろうか」とささやく声はあった。
二人とも香油の影響を受けていたからだ。
第五姫は、香油を小瓶に移す時に匂いを嗅いでおり、
見合い相手は、香油入りゲロの直撃を受けている。
第五姫の恋は、「面食いか、ほれ薬のどっちなのだろう」と面白半分に噂されるのだけど、
ハンサムな彼に舞い上がっている本人は、「嫉妬?」ぐらいにしか思わない。
彼が金持ちでなかった問題も、王子の位を与えられたことで解決している。
所詮、恋は盲目なのだし、二人が愛を育めばそれでいいのだ。
可笑し恥ずかしのきっかけはどうであれ、
この二人は、めぐり合えたのを幸せだと思っている。
ところで、ステファナのゲロの影響は、この二人だけに留まらなかった。
具合の悪いステファナを介抱した者たちから、掃除・洗濯した者たちにまで広がり、
王宮では結婚ラッシュが巻き起こり、
既婚者たちは、
そろって、九ヵ月後に生まれる赤ちゃんラッシュを迎えることになる。
恐ろしやファニアの香油、というところだ。