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異世界エース  作者: 兄二
Interrupt,リメンバーオペレーション
94/195

88話 エースの追憶

 エースとは。

 人にそれを問えば、様々な名前が帰って来るだろう。

 その基準は様々だ。親交があるとか、同じ戦場に立ったとか、自国のエースだからとか、敵として有名だからだとか。

 だが、エースにその質問を投げかければ、多くは口を揃えて一人の名前を口にする。

 望月虎鉄。

 エースのことは、エースがよく知っている。エースのことは、エースにしかわからない。

 だからこそ、エースは決まって彼の名前を出す。

 九条寺尋十郎も、その一人である。





 火星と地球間の戦争中期から、後期に入る間際のこと。

 その時、一つの大規模な戦闘があった。

 開戦当初は資源、人材等量に勝る地球側が優勢で、そのまま決着が付くかに思われた。しかしこの戦争は量を覆す火星側のエース達によって大きく想定から離れることとなった。

 物量に頼った地球の勢力に対し、エース達は破竹の勢いで快進撃を続け、今度は地球側が地球へと押し込まれる形となる。

 だが、地球側にもエースが現れるにつれてその戦力差は追いつきつつあり、少しずつ、地球から火星軍の勢力は姿を消していく。

 そんな中、地球に残る火星勢力を一挙に掃討せんと一大反攻作戦が発動する。

 尋十郎がコテツと出会ったのはその戦いの中だった。


『火星人共を宇宙に叩き出してやれ!!』


 管制官が士気高揚のため荒々しい言葉を吠え立てていた。


『ありったけの弾を吐け! ここで勝てなければもう後などないぞ!! 出し惜しみするなよッ』


 その言葉に答える兵士達も威勢よく、思い思いに返していく。

 これまでじわじわと押し返す体勢だった状況が、一息に津波のように押し返すものに変わったこの状況。士気が上がらないはずもなかった。


『尚、繰り返して言うがこちらの作戦に従事するエースは二名! 偶然にもどちらも日本人だが、日本にはこういう諺があるそうだ。餅は餅屋に。つまりエースはエースに、専門家に任せておけということだ! 各員我が軍の化け物共に感謝しながら自分の仕事をこなせ! くれぐれも、まともにエースの相手などするなよ!』

『イーグル1、フォックス2!!』

『命中確認、一機撃墜!』


 そして、尋十郎はといえば、この騒がしい戦場を駆け巡りながら、遊撃を行なっていた。

 この戦場にいた敵エース機は三機だが、既に二機が撤退している。一人一機ずつで二機撃退。

 そして、残る一機は現在尋十郎ではない方のエースが相手をしている。


「救援いるか?」

『問題ない』


 日本人だというもう一人のエース、望月虎鉄に通信を送るが、返って来たのはつれない返事だ。

 火星はエースの消耗を抑えるため容易にエースを撤退させるため、楽なのは確かである。彼の返事も強がりの類ではなく、じきに撃退してくれるだろう

 エースの希少性と、戦力を考えれば火星のその方針は確かに間違いとは言えない。

 地球は余裕がないからエースにも無茶をさせるだけで、地球も余裕があるならばエースに無理や無茶は要求しないだろう。


「ま、あいつらちょいと追い詰めたらすぐ帰っちまうもんな」

『そういうことだ』


 無愛想な声は、コクピットの中に冷たく響く。

 それきり通信を切って尋十郎は愛機マサムネを飛行させながら敵を切り裂いていく。

 手には刀。時代錯誤の最新兵器は光さえも斬って散らす。


「エース機だ! 当たると痛ぇぞ!!」


 現状は、圧倒的に地球側が有利だった。

 そもそも、作戦に対する姿勢が違う。

 地球側はこれが一大反攻作戦。これからの反撃に向けた最初の一撃だ。雌伏の時を耐えてきた、念願の一撃。

 だが、対する相手は一旦押し返されても火星まではしばらくあるという余裕なのか、勢いが大きく劣る。

 結果は、一歩踏み込めば相手が一歩後ずさるような状況。火星軍の地球全面撤退も時間の問題かと思われた。


『最後の敵エース機の撤退を確認。この戦、勝てるぞ。ただし、これで油断して死ぬような間抜けは我が軍には要らん、最後まで気を抜くなよ!』


 それを裏付けるようにいつの間にか、虎鉄がエース機を撃退していた。

 更に、友軍は勢いづく。


(にしても、手応えがねぇ。相手のエースはさくっと帰りやがったな……。完全にこの戦闘は諦めて撤退戦の流れか?)


 尋十郎の予想では、相手のエースとの戦闘はもう少してこずるはずだった。

 というより、敵もエースなのだ、圧倒できるわけもない。

 確かに、火星の性質上不利を悟らせれば撤退すると踏んではいたが、あまりにあっさりしている。


(火星はエースを温存したい。こっちは追っかけまわしてでも撃墜してやりてぇが……、余裕がねえ)


 尋十郎は浮かんだ下手な考えをすぐさま打ち消した。

 すべき事をしっかりと弁えなければならない。

 今回の戦いはエースを落とすことではなく、地球から火星の勢力を追い出すことだ。

 尋十郎たちの仕事はその円滑化であり、エースがいるならエースの相手を。いないならば、友軍の援護を。

 苦戦しているところを見つけては援護し、押し返したら再び別の場所へを繰り返す。


「ま、でも、こりゃ時間の問題だな……、ん?」


 だが、ここまできたらエースが手伝わなくとも、味方の勢いはもう雪崩だ。もうこの勢いを止めることはできないだろう。

 エースに続いて一般兵までもが撤退し始めるのは時間の問題と言えた。そうなれば、状況は追撃戦に切り替わり、できるだけ敵の戦力を削るまでの話。

 きっと尋十郎だけでなく、誰もがそう思っていただろう。

 しかし、そう思った矢先に、戦局は動いた。。


『各機に通達! 上空に大規模熱源反応!! 警戒せよ! 繰り返す! 各機に通達! 上空に大規模熱源反応!!」


 それがなんだったのか。すぐには理解できなかった。

 ただ戦場に威容が現れた。

 それだけしかわからず、友軍は沈黙していた。


「……おい、なんだありゃ」


 言葉で言い表せぬほど、巨大。

 どこに視点の中心を据えるべきか分からない程の巨体だった。


「まるで独楽みてぇな」


 あるいは傘か。上方は広がっていて、下方に至るにつれ細くなっていくその姿。

 白く、神々しさすら垣間見える。正に、空に浮かぶ要塞。


「一体ありゃ……、っ!!」


 見上げる最中、背筋に緊張が走る。

 何か来る、そう思ったときには既に機体は動いていた。

 咄嗟の姿勢制御。機体が宙を泳ぎ。

 尋十郎が目にしたのは、光の雨だった――。


「なっ……!?」


 その時の尋十郎に知る術はないが、その空中要塞に搭載されたレーザー砲二千八百門、五百ミリ榴弾砲千八百門の一斉射撃であった。

 その、たったの一撃にして、味方の四分の一が消えた。


「おいおいおいおい、なんだよありゃあッ!! ラスボスは最後の最後に出て来いよ!!」


 少しばかりの愕然とした動揺の間を経て、戦場が一瞬にして混乱の渦に飲み込まれる。


(やられた! まったくっ、手応えがねえのはただの時間稼ぎで、とんでもねぇ隠し玉を持ってやがった……ッ!)


 度肝を抜かれて無言だった戦場が突如として罵声が飛び交うようになった。


『管制官! 状況を報告しろ!! あれは何だ! 教えてくれ!!』

『わからん! アレが危険な敵ということだけはっきりしている! 全機撤退!! 全滅は避ける!!』

『全滅を避けたって、あれはどうすんだ!? 他方面から援軍は!?』

『粘り強い抵抗に遭い、こちらに回す余裕はないとの事だ! とにかく撤退しろ! どうにか態勢を立て直すッ!!』

『態勢を立て直すつったって……、こんなもんどうしようもないだろ!』


 確かに、体勢を立て直した程度でどうにかなるような相手には見えない。


(しかも、手応えのねぇ相手に俺達は調子に乗って踏み込んじまった。やばいぞこりゃあ!)


 そもそも、自分達は一度逃げた後、あれに立ち向かえるのか。


「くそったれ! 冗談じゃねえぞ!! どうかしてやがる!」


 宇宙は完全に火星に主導権を握られている。それが災いした。こんな巨大なものを察知できないほど、地球に追い込まれていたのだ。


「やってられっか!」


 あの、弾幕密度、尋十郎もあれに二度も三度も晒されたくはない。

 あんな少し間違えただけで蜂の巣になるような状況は沢山だ。


『何故発見が遅れた!!』

『原因は究明中だがそれを考えている状況ではない! 相手は宇宙においては何枚も上手ということだ!!』

「くそ、宇宙は向こうさんが主導権握ってっからな……!」


 第二射はまだない。

 連射は利かないということだろうか。それとも、他に何かあるのか。

 何はともあれ、この間にできるだけ距離を取る。

 尋十郎も含め、兵士達は蜘蛛の子を散らしたように撤退を始めた。


『エネルギー反応増大! 来るぞ!! 各機回避機動を取れッ!!』


 そこからが、本当の地獄だった。

 連射が利かないなどとはとんでもない。あの間は、第一射の誤差の修正か、あるいは上層部に報告し、次の命令でも待っていたのか。

 絶え間ない雨が、戦場に降り注いだ。


『ダメだ、避けられないっ、うわぁあああっ!』


 悲鳴や怒号が飛び交う。

 先ほどの不意打ちじみたものではないし、もとから射程範囲外にいる機体もあるため、即座にもう半分とは行かないが、恐ろしい速度でレーダーの光点が消えていく。


(体勢を立て直す……? 立て直したとしてどうする? 精々足止めが限界、それで時間を稼いでエース全機で攻略するか? その間の被害は? そもそも耐え切れるのか?)


 幾つもの疑問が浮かぶ。


『第二部隊部隊、安全圏に退避! 次の指示を待つ!!』

『第三部隊、残ったのは、俺だけか……!』


 次第に、射程圏を越えた部隊が集結していき、それらが空中に浮かぶソレを見守る。

 尋十郎も、射程を抜け、そろそろその部隊に合流しようかというその時だった。


『射程圏外への退避は概ね終了したか!』

『むしろ、これ以上中に残ってる奴が生きてるはずもない。早く撤退の指示を!』


 レーダーを見る限り残った味方の反応はもう全て相手の射程の外にいる。

 ただし、あの空中要塞も少しずつ動いている。

 後はもう絶望的な撤退戦を行なうだけ。


『わかった。このまま後退……』


 管制官も同意し、それを始めようとした。

 しかしその彼が、何かに気が付いた。


『――いや、待て。まだ残っている奴がいる』


 その言葉に反応し、尋十郎もレーダーを見る。

 ――いる。

 敵の爆心地で飛び回る光点。


『これは……、コールサイン、ネメシス1……』


 本作戦における尋十郎のコールサインはネメシス2である。

 そして、それ以降のナンバーはない。この戦場に二機だけのコールサイン。


『――エースか!』


 その言葉に、尋十郎の背に緊張が走る。


『まだ、戦っているのか……! ネメシス1応答しろ!』

『こちらネメシス1、なんだ』

『撤退命令が出ている、貴様も……、いや』


 言いかけて、管制官はその言葉を飲み込んだ。

 そして、出てきた言葉は、きっと先ほど言いかけたものとはまったく違うものだったのだろう。


『やれるのか?』

『問題ない』


 どくん、と尋十郎の心臓が高鳴った。


(俺は、エースだ。他とは違う特別な兵器(モン)を貰って戦ってる)


 震える手で、操縦桿を握り締める。


(それが、一般兵士と一緒になって腰抜かして、逃げ回る?)


 それは羞恥か、あるいは怒りか。


「流石にそいつは……、いかんだろ!」


 一旦撤退し勝ち目があるならばいいかもしれない。

 無理や無茶をしても得るものがないなら撤退すべきだと尋十郎は思う。

 しかし、逃げても状況が良くならないとすれば。


『ネメシス2、どうした』

「行くぜっ!」


 機体が反転する。

 そして、輝く雨の中へ、マサムネは飛翔した。


『ネメシス2、応答しろ。何のつもりだ』

「俺はエースだ。エースなんだよ。だから、あれの相手は俺と虎鉄でやってやる」


 そんな彼へと送られてくる、望月虎鉄からの通信。


『君まで付き合う必要はないぞ。単機でも問題はない』

「うっせーよ。尋十郎だ」

『知っている。それがどうかしたのか?』

「こういう時はな、名前で呼ぶか、頼むぜ相棒って言うもんなんだよ!」

『では、よろしく頼む。尋十郎』

「任せろ! こうなりゃお互いが囮だ。半々で担当して、上手く行った方が決める!」

『了解した』

「おう!」


 一足飛びに尋十郎は射程圏内へ。

 光が降り注ぐ間隙を縫って接近を続ける。


(ちっ……、思ったより近づき難いな。あいつの判断は的確だったってことか、情けねぇ)


 一旦離れてから再び接近するのは苦労する。それ故に、最初から離れない。

 それを一切迷わなかったことは、羨ましい。

 だが、それでもエース。近づいていくにつれ、戦うもう一人のエースの姿が見えてきた。

 彼もまた、レーザーを回避しつつ、砲撃を行なっている。弾の切れた銃器は片っ端から捨てて、避けては撃つ。だが、いかんせん火力が足りないようであった。

 早く近づいて攻撃に参加したいが、そう簡単に行く相手でもない。

 光の雨の隙間を縫って、少しずつ近づいていく。


『聞いたか、皆。あの化け物の相手はイカレたエースがやってくれるそうだ』


 そんな中で管制官の声が響いた。


『その隙に、腰抜けどもは撤退しろ。ただし――』


 正しい判断である。とにもかくにも、成功しようが失敗しようが時間稼ぎにはなるはずだ。

 撤退した後何ができるかと問われれば疑問が残るがそれは尋十郎の領分ではない。

 ただ、現時点で最も堅実でベターな選択だということだけは確かだ。

 だが、続く命令は。


『イカレた馬鹿野郎共は進路反転ッ! 馬鹿二人の援護!!』


 応、と男達が吠えて答える。

 レーダーの光点が、突如として逆方向へと動き始めた。


『これより、我々はコードネーム"アンブレラ"の破壊を行なう! いいか馬鹿野郎共、今から予測される奴の射程範囲をレーダーに表示する。下手に接近しようだなんて思うなよ! 貴様らの役目は(デコイ)だ!! 射程範囲ギリギリで回避行動を取れ、砲台の一本でも釘付けにしろ!』


 その動きに迷いはない。

 全員がわかっているのだ、撤退したとしても勝ち目は薄い。少なくとも、自分たちに明日はないと。


『いいかデコイ共、無駄死には許さん。貴様ら一人一人に軍が幾ら金を掛けてると思っている』


 次々と、味方が引き返してくる。


『貴様らは人間じゃない。死ねと言われれば喜んでと答えなければならない軍の備品だ。持ち出した備品は本人が責任を持って基地に返却しろ。代理は認めん』

『へーへー。管制官は気楽でいいねぇ』

『ふん、私がいなくては帰って来たお前達を誰が誘導するんだ。滑走路に降りれなくて餓死する貴様の姿が目に見えるようだ』

『どうせなら美人に出迎えて貰いたいねェ。ま、仕方ない。……頼むぜ』

『任せろ、健闘を祈る!』

『応!』


 少しだけ、尋十郎に降り注ぐ光の圧力が減る。

 味方が、いくらかの砲台を引き付けている。

 命がけのアシストだ。応えなければ男が廃る。


「……このまま、抜けるぜ!」


 確かに少なくなったと言えども少しの差だ。

 だが、その少しの差が、尋十郎にとっては大いなる差だ。


(砲撃に当たった瞬間、体勢を崩して後はレーザーの餌食ってか……。ワンミスも許されねぇ、ちょっときつ過ぎるぜ)


 踊るように、マサムネがレーザーの隙間を縫って掻い潜る。


「だが、それがいいッ!」


 脳内麻薬が溢れ出てるのが自覚できるほどに、興奮して、獰猛に笑いながら切り抜ける。

 少しずつ虎鉄の元に、要塞の元に近づいていく。


「後、もうちっとだ!」


 世界が遅く見えるほどに集中して、飛翔。

 極限状況で感じる全能感。全てが見える。全てが読める。

 尋十郎はこのまま目的地に到達するのではないかと思われた。

 だが、敵もさるものであった。

 暴れるように飛行する尋十郎のマサムネを、ついに砲弾が捕らえる。

 実弾が一発、腕をもぎ取って行く。

 体勢が崩れた。

 まるで空を泳ぐように、その手が中を掴む。

 そこに、降り注ぐ光。

 それを、


「なんとォーッ!!」


 尋十郎は切り裂いた。

 無理矢理に姿勢を制御し、腰の刀を即座に抜刀。

 光に刃を合わせることで、最新技術で幾枚にもコーティングされた刀身が光を散らした。


「よし抜けた! 抜いてやった!! このまま押し切る!」


 切り抜けた先は空中要塞直下。

 真下は流石に弾幕は薄い。多少ではあるが。

 そして、そのすぐ近くに、虎鉄はいた。

 彼の当時の機体はブレイブスワロー。巨大な翼が特徴的な藍黒色に白と赤を乗せた機体で、圧倒的な空戦能力を持つ。

 しかし、その武装は全て使い尽くしてしまったようで、ただ、その手にはまだ刃を出していないビームソードがあるだけだ。


「受け取れ!」


 そんな機体へと、尋十郎は二本ある刀の内片方を投げて渡した。


『む……!』

「時代遅れと侮るなかれ! 鍛冶屋と武士の魂に、切れないものは何もないぜ!」


 この時代に実体の近接武器など時代錯誤で酔狂としか思えないはずだが、刀は違う。

 レアメタルを使用し、幾千ものコーティングを重ね、光の束とて斬ってみせる刀は、最新鋭の塊だ。


『恩に着るっ』

「いいってことよ! さあ、大和魂見せてやんな!」

『期待に添えるかわからんが、善処しよう……!』


 二機が下方から上へと上がっていく。

 砲撃は激しさを増し、コテツ達の動きも激しくなる。


「さあ、行くぜぇええッ!」

『行くぞ……ッ!』


 まだ戦闘の終わらぬ空に、二本の刃が煌いた。










「うーん、懐かしい話だ」


 昔話を語って、尋十郎はそう呟いた。


「しかし、ギルドの受付嬢って奴は冒険者の詮索までやってんのかねっと」

「いやね、ジンジューロー。ただの興味よ、うふふ」


 もちろん、詳細は語らずこの世界において荒唐無稽なことはぼかしておいたが。


「それで、結局どうしたの?」

「最終的に、コテツが隔壁ぶった切って侵入して中にいた操縦士を止めて終わったよ」


 流石に破壊するのは骨が折れるために、人が入っているであろう付近を決め打ちして片端から切り裂いていった。

 最終的に艦橋に当たる部分を見つけ、鎮圧し、決着が着く。

 驚いたのは、あの要塞を動かしていたのが年端も行かぬたった一人の少女だったことだ。

 特異な教育、あるいは人体実験か、薬物投与か。空中要塞に脳でアクセスし、一挙に掌握する。

 成功率は低く、幾千幾万の屍の上に立っているだろうと研究者は言った。

 少女は、そういうエースだった。通常なら耐え切れないような脳接続に耐え、システムを掌握し膨大な敵を打ち倒した少女もまた一つのエースと言えるだろう。


「ま、なんつーか、楽しかったんだよな。あいつのいる空は、騒がしくて」

「だから、追いかけてるのね?」

「まぁな。一周回ってエースの中じゃ常識人みたいなフリしてる割に、いつも大騒ぎのど真ん中。あれにくっ付いてるのは、楽しかった」


 エミールやターニャほど子供ではなかった尋十郎は一度諦めた。だが、今は。


(あの馬鹿騒ぎの空をもう一度。エースなら誰しも考えたことだろうよ)


 思ったよりも子供臭くて諦めの悪い自分に、尋十郎は溜息を一つ。

 あの空の中心は、今どこにいるのだろうか。


「そ、わかったわ。面白い話を聞かせてくれたお礼に、彼について何かわかったら教えてあげる」

「ああ、頼むぜ、まったくよ」


























「ポーキュパインで無理やり行ったらたぶんコテツが怒るから……」


 城の中にいるコテツに近づくには。

 それを、取った宿の一室でターニャは考える。


「忍び込もうかなぁ……、それも困るかなぁ」


 忍び込むのはいいが、そもそも城の中のどこにいるのかをターニャは知らない。

 そうなると、騒ぎになる前に会うにはいささか分が悪いだろう。

 騒ぎになってしまえばコテツはきっと困る。

 それはターニャにとっても困ることだ。


「んー、じゃあ頑張って会えるようにお話しようかなぁ」


 門番に粘り強く説得を続ければ会わせてくれるだろうか。

 それも少しわからない。

 コテツはこの国の中に権力は持たないが権威がある。彼ら門番にコテツに対しどうこうする権限があるのかは疑わしい。


「うーん、じゃあ、ずっと門の前で待ち伏せ? お城の外に、ちょっとくらい出るよね?」


 だが、世話になった老夫婦、あるいは道中、街中で聞いた限り、今回のエトランジェ、つまりコテツは遠方への任務に出る事もあるらしい。

 となると、その時期と張り込む時期が重なると厳しい。

 それに、そういう受身なやり方は、生来苦手だ。


「んーと、じゃあ……」


 そんな中、浮かんだ考えが一つ。















「よろしくお願いしますっ」


 ぺこり、と勢いよくターニャが頭を下げた。

 周囲にいる人物がかわいい、だとか、随分小さいのね、だとか呟いているが、ターニャはそれに笑顔で応える。

 そんな彼女は今、メイド服に身を包んでいた。


「正直、助かるわ。人手は足りないけど、今は状況が状況だから、不用意に人も雇えないのよ」


 彼女が選んだ手段、それは城で働くことだった。


「状況?」

「あなたも知ってるでしょ? お隣の式典の騒動。その関係で当然、城に出入りする人のチェックも厳しくなるわ」


 よく知らないが、とりあえずターニャは頷いておいた。

 そんな警戒の厳しい城に入り込めたのは、ターニャが世話になっていた老人の口添えがあったからだ。

 現役時代騎士だったという老人は、前の世代の戦争を生き延びた人物でもあるそうだ。

 地位がどれくらいのものだったのかターニャはわからないが、忠節を尽くす人物だったのか、あるいは手柄を立てたのか、なんにせよある程度名を知られ、信頼のある人物だったらしい。


「というわけで、今日からよろしくね」

「はいっ!」

「じゃあ、しばらくは基本的に二人一組で仕事を先輩に教えてもらってちょうだい」

「わかりました!」

「じゃあ、お願いね」


 侍女達のための休憩室のような部屋から、メイド長と呼ばれる人物が去っていく。

 年若い割りに貫禄のある人物だった。

 そうしてから、一人のメイドがターニャへと近づいてきた。


「じゃあ、今日は私が教えるから、付いてきて」

「はーい」


 メイド長に続くように、その侍女と二人で廊下へと出る。


「オール・ワーク志望って聞いたけど、大丈夫? 辛いわよ?」


 そして、気遣わしげにそのメイドはターニャに問う。


「大丈夫、体力には自信があるのです、えっへん」


 対するターニャは、薄い胸を張って応えた。

 オール・ワーク。本来の意味では一人で全ての家事を引き受ける侍女を指すのだが、規模の大きいこの王城においては、専門分野を持たずに全ての業務をこなす侍女のことだ。

 本来であればハウスメイドと呼ばれる分類だが、ハウスメイドは廊下の掃除だけで手一杯。

 必要とあらば各職務に回されるため、人手が足りないという現在においてはとても忙しい役職ではあるが、ターニャはそれを好都合と捉えた。

 各職務に回されるということは動き回る範囲が広いということだ。そうなれば城内にいるコテツに遭遇する可能性も高くなる。


「そう、じゃあ頼りにさせてもらうわよ」


 そうして、ターニャはいきなり廊下の途中で掃除用具、はたきと箒を渡された。


「とりあえず、私達の仕事は忙しい所、手が回らない所の応援だけど、残念ながら、他の時は休憩してていいってわけじゃないわ」

「ふむふむ」

「私達の仕事は掃除に始まり掃除に終わる。要するに、汚れを見つけたら片っ端から掃除よ」

「はいっ」


 元気よく返事し、手慣れた様子のメイドに習ってターニャは掃除を始める。


「まあ、王宮だからって掃除に変な作法はないわ。普通に磨いて掃いてをしてれば問題なし、でもたまにちょっと変わったものがあるから、そういうのは覚えておくように」

「はーいっ」

「"はい"は短く!」

「はいはい!」

「一回で」

「はいっ!」

「よろしい! じゃあ行くわよ」


 こうして、ターニャ・チェルニャフスカヤの侍女としての仕事が始まった。
















 掃除すべき場所への移動中の廊下。

 ターニャに仕事を教えている侍女は、ちらりと視線をターニャの方に向けた。


「ところであなた、どうして王宮に奉公に来たの?」


 元騎士の紹介において体力、身体能力共に良好と断じられている新人への興味は少なくない。

 何故なら、文武共に優れた誇り高い騎士が体力、身体能力を良好などと記すことは極めて稀少な事例だからだ。

 礼儀作法の方はさっぱりのようだが、そういう応対専門の侍女が人手不足になることは少ないし、なったらなったで、人が一人加わった程度でどうにかなるような問題でもない。

 それよりも、大量の洗濯物や料理に使う食材の入った木箱、文官の使うインク壷などを持ってあちこち走り回っても疲れない人材が欲しいというのが本音であり、この新人が紹介の通りになら実にありがたい。


「お城に、どうしても会いたい人がいるから」


 はにかむように告げた少女の姿は可愛らしい。

 色々と着せ替えたりして遊んでみたいが、今は仕事中だと、彼女はその考えを振り切り質問を続けた。


「誰かしら? 憧れの騎士様でもいる?」

「えっと、コテツっていう……」


 人に会うためにそこまでする、健気な話だと彼女は感心するのだが、しかしその名前は、些か予想外だった。


「……コテツ? エトランジェ様?」

「うん」


 どこぞの村娘であろう彼女が出す名にしては些か権威がありすぎた。

 少しの緊張が、侍女を支配する。

 このタイミングでエトランジェを名指しで会いに来たとなれば、暗殺でもしようというのか。そんなことを疑ってしまうのも無理はない。

 この状況では身体能力が高いという情報も暗殺者であるが故ではないかという疑いの的になる。


「……どういう関係なの?」


 だが、次の言葉で、そんなものはあっさりと霧散した。


「昔、助けてもらったの……、だから」


 頬を染め、語る姿は恋する乙女と言うに間違いなく。

 女の勘もこれは演技の類ではないと決めた。


「そう……。まあ、長く働いていれば回される場所が違っても会うことはあるでしょう」


 この侍女もまた、今代のエトランジェのやんちゃぶりは耳にしている。

 あちこちに出向いては降りかかる火の粉を払い、出入りする人間に対し警戒するようになった原因の騒動においても鎮圧に至ったのはエトランジェの尽力あってこそ、とアンソレイエの方から明言して来た。

 侍女は、この少女はそういったエトランジェが関わったトラブルの中で、エトランジェに助けられた少女なのだろうと判断する。

 救われ、感謝の念は絶えず、せめて近くで働き、少しでも恩を返せれば、と。

 そう考えると健気な少女ではあるまいか。


「そっか……」

「ま、頑張んなさい。そしたらきっと、色々融通も利くでしょ、話くらいはできるかもね」

「んっ、頑張りますっ」


 ぱたぱたと、ターニャがはたきで埃を落とす。

 それを微笑ましく侍女は見守る。

 そんな中、本来あるべき職務がやってきた。


「すみません、オールワークの方ですね? 少し手伝ってもらえませんか?」

「あら、どうしたの?」


 部屋内部の整備を担当する、所謂チェインバーメイドと呼ばれる役職の侍女が、何か困ったらしく二人に声を掛けてくる。

 ちなみに、役職が見ただけでわかるのは、制服の違いだ。

 部屋内部の担当ということで裏方に回る彼女らの制服はあまり凝ったものである必要はないため、動きやすさの方を重視している。。

 逆に、城内をうろつくことの多いオールワークは仕事も様々であるため動きやすい必要もあれば、人目に付くことも多いので見た目もある程度のものが必要になる。

 接客を専門にするパーラーメイドは見た目の華やかさが重要だ。と言ったように、それぞれの制服に違いがあるため同じ侍女同士であれば見分けるのは容易い。


「実は、少々荷物を三階へ運ばないとならないのですが、一人では少し……」


 やってきた侍女に案内させ、後ろを付いていく二人に、説明よりもわかりやすい現物が見えた。

 大きな壷だ。なるほど、一人で抱えて運ぶには、些か重い。


「そうですね、これは一人で運ぶのは無理そうです。ターニャ、一緒に持ってあげて」


 身体能力、腕力には自信があるということで、試しも兼ねて頼もうとするが。


「一人で持てるよ?」


 あまりにもあっさりと、身長の半分ほどもある壷を彼女は持ち上げていた。


「三階まで、走れるよ?」

「こら、メイドはお淑やかに。スカートは翻してはだめよ」


 腕力には少し驚いたが、これは使えそうだ。

 侍女たちは働いているため多少の筋肉はあっても本職の軍人のように鍛えているわけではない。

 荷物を持てば動きは遅くなるし、疲れるのも早い。

 敬語が安定しないのが玉に瑕だが、女性というより小さく可憐な少女という外見である程度はどうにかなってくれるだろうし、ちゃんと教育できればかなり有用に動いてくれることだろう、と侍女は微笑んだ。















 そうして、初日の職務を終えて、ターニャは自らのベッドに飛び込んだ。

 侍女用の宿舎の、二人部屋である。二段ベッドに作業用の机が二つと、部屋の中心にテーブルが一つに椅子二つ。

 これでも、忙しい役職のため部屋は優遇されているそうだ。


「ふにゅ……」


 枕を抱きしめて、ターニャは目を瞑る。

 噂に違わぬ激務だった。東に呼ばれれば赴き洗濯物を運び、西に呼ばれれば家具の模様替え。

 体力的に大したことはないが、精神的には若干の疲労を感じていた。

 腐ってもエース、もの覚えは悪くないし、体力、身体能力共に申し分ないが、家事は何分初挑戦である。

 研究所で育ったターニャには、エースになる前の普通の生活というのが、存在していないのだ。

 何もない部屋で出された食事を食べて、訓練に従事するだけのこと。家事という概念そのものがターニャの世界には存在しなかった。

 エースとなって戦場を飛び回るようになってからも、食事は軍の配給だし、エースに与えられる戦艦の個室にも私物はほとんどなかったから掃除の必要はきわめて薄かった。

 それに火星ではエースをできるだけ丁重に扱うという方針もあり、部屋に帰ってきたらいつの間にか綺麗になってベッドメイキングもされているのが普通だった。

 地球に寝返ってからもやはり私物は少なかったし、埃が多少積もったくらいで参るほどエースは柔ではない。

 とりあえずそこにコテツがいれば十分だと思っていたのだ。


「早く会いたいなぁ……」


 彼女にとって、コテツが世界の全てだった。

 過去の彼女にとっての世界とは真っ白だった。何もない部屋に一人、が最初の記憶。

 それから顔も知らない誰かに指示を出されて血反吐を吐くような実験と訓練の繰り返し。

 それを終えて一人エースとして戦う日々。顔も見せないような誰かに指示されて、ただ的を刈り取って行くだけ。

 人に会うこともなく、戻ってくれば綺麗になった部屋があるだけだ。

 そんな中、初めてターニャは戦場に色を見つけた。他の鉄の塊と違って、避ける、反撃してくる、ついてくる。

 塗装もされていないポーキュパインに対し、真っ黒な機体。

 これまでも稀に、そんな相手はいた。だが、それらはターニャとの戦いを厭うように戦場を去ってしまう。

 目の前にいる機体だけが、真摯に、真っ直ぐに受け止めてくれた。

 ターニャはその時知らなかったが、当時のターニャとポーキュパインはエースの中でも上位に位置したのだ。

 故に、交戦時はとにかく逃げと時間稼ぎに徹して作戦成功までエースが保たせるというのが通常の戦術だった。

 それをコテツが初めて、正面から相手をした。

 そして、全力でぶつかり、ターニャは敗北を喫した。そこで初めて、あの鉄のヒトには、自分と同じモノが乗っていると、知ったのだ。

 それから捕虜となり、大量のモニタに囲まれて言った言葉を今でも覚えている。


『あの人は、いるの? 私、あの人に会いたい』


 どの陣営も、エースは喉から手が出るほど欲しい。

 ターニャはコテツと同じ部署に配属されることとなった。これは上が配慮したというより、不審な行動を取った場合コテツに殺させるためだろう。

 それから、エースであるせいで敬遠されがちではあったが、少しだけ友人もできた。おいしいお菓子の存在も知った。

 人の顔を見て話すのは楽しくて、休日に布団の中でごろごろするのも大好きだ。

 だがそれは、全てコテツから派生したものだ。全ての基点はコテツにあって、ターニャの世界はそこから派生する。

 全てコテツが引き合わせてくれた。ターニャの世界の中心は、望月虎鉄という男なのだ。


「……コテツ、誉めてくれるかなぁ?」


 ぽつりと、ターニャは呟いた。

 そのコテツを探す手段であるこの仕事だが、衣食住が揃って金も貰える非常に都合の良い仕事だ。

 そして、それに付随して更に、家事も覚えられる。

 常識がなくて、呆れさせてしまったことも少なくないコテツに、上手くトラブルを起こさず出会って、そして料理洗濯掃除もできるようになっていたら彼はどういうリアクションを取るだろうか。

 その先を想像して、ターニャはしまりのない顔で笑った。


「かわいい……!」


 そんな中、ふと背後から声が聞こえて振り返ろうとした時。

 既にターニャは抱き付かれていた。


「にゃあっ! あ、危ないよ!」


 思わず暴れそうになって自制し、ターニャは寝転がってる上から抱きついてきた女性を確認する。

 これでも戦闘訓練は受けている。"ファーストには操縦技術しか付けなかったのが仇となった"からだそうだが意味はよく知らない。

 ただ、反射的に無力化しそうになる。流石に危ないと思って自制したため、ターニャは小さく愛らしく暴れることとなった。


「ターニャちゃんよね!? 新入りのっ」

「う、うん」

「私、ヨハンナ。これからよろしくねっ」

「うん、よろしく」


 同室となる侍女相手に、若干置いてかれ気味でターニャは挨拶を返す。


「やー、初のルームメイトなんで色々あるかも知んないけど、その辺はゆっくりやっていこっか」

「ん、私も、結構世間知らずだから」

「そーなんだ。じゃあ、まあ、それにつきまして……、恋バナしよう!」

「ふぇ?」


 にこにこと、茶髪のメイドが楽しそうに告げた。


「だって、ターニャちゃん恋する乙女っぽいし」

「えっと……、うん」

「で、誰が好きなの? 騎士の誰か? 兵士の人?」

「コテツだよ」

「コテツって、エトランジェのコテツ様?」

「うん」


 頷くと、ヨハンナは驚いた顔をしたがすぐに納得したように頷き始める。


「そっかそっか……、うん、身分違いの恋、いいね!」

「ん……、じゃあ、ヨハンナは?」


 問うと、露骨に彼女は顔を横に逸らした。


「……どうしたの?」

「……三日前にフラれました」

「ごめん」


 自分から振ってきた癖に藪蛇だったらしい。


「それよりも、男の人って、家事が出来ると喜ぶのかなぁ」


 ターニャはそれ以上はいけないと、話題を変える。


「そりゃあ、大好きよ。帰ってきたら部屋が綺麗で洗濯してあって、ご飯が用意してあって、待ってる人がいる。これで落ちない男なんていないわ! 昔から胃袋からって言うくらいだもの」


 そう言われて、ターニャは首を傾げた。

 そのような扱いであれば、ターニャは火星にいた頃受けていたはずだ。

 その経験とも照らし合わせ、どうだろうかと自分に当てはめてみる。

 帰ってきたら掃除がしてあったとして、別に嬉しくない。

 服だって新品同様どころか下ろし立てのものが置いてあったとして、喜ばしいとは思えない。

 ご飯が用意してあっても、なにも楽しくない。

 じゃあ、コテツが待っているとすれば。コテツが世話を焼いて、家で待ってくれているのならば。

 それは良いかもしれない。

 ぎゅ、と枕を抱きしめた腕に力が篭る。


「うーん、でも、そうすると強敵がいるのよねぇ」

「そなの?」

「エトランジェ様には、専属の侍女がいるのよ」

「専属?」

「そう、エトランジェ様の身の回りの世話を全部担当してるから、家事の披露は難しいかも。ていうか近づく方法から考えないとなぁ」


 その言葉に、ぴくりとターニャが反応する。


「私もなりたいっ」


 エトランジェの専属になれば間違いなくコテツに会えるし、一緒にいられる時間は間違いなく多い。

 できることなら今すぐなりたいくらいだが、ヨハンナは首を横に振った。


「ダメね。結構、優秀らしいから、そう簡単にはいかないと思う」

「そなの?」

「だって、亜人なのにエトランジェ様の専属を許されてるのよ? よっぽど凄いんでしょうねぇ」

「亜人?」

「そ、多分狐」

「そーなんだ」

「しかも、エトランジェ様本人が言ったそうだけど、迷宮の探索とか、任務とかに役立つような身体能力がないとダメなんだって」


 亜人については、実際見たことはないが知ってはいる。


(動物っぽい人だと、お料理に毛が入りやすくなっちゃうから本当はだめなのかなぁ?)


 ただ、聞いただけで差別について詳細に理解できているとは言いがたかった。

 そもそも、ターニャにとっては他人の区別そのものが曖昧である。数少ない友人とエースと、それ以外程度の区分しかない彼女は、敵味方にすらあまりこだわりがない。

 だからこそ、差別について上手く実感できない。


「でも、私も身体能力ってやつには自信があるよ?」

「あー、そっか。紹介状に体力、身体能力共に優良って書いてあったんだっけ。推薦した元騎士の人も、結構凄い人なんでしょ?」

「そーなの?」

「そーなのって……、先輩から聞いた話じゃ自分にも他人にも厳しい鬼隊長で忠義の人って感じ? 前の戦争でそういう逸話もあるらしいよ」

「そうだったんだ……。普通の優しいおじいちゃんだったけど」

「でも、そんな人に優良って書かれたなら相当でしょ? もしかしたら機会はあるかも」

「ほんと!?」


 ただの足がかりと思っていた侍女の職務が思わぬ方向に進みそうだった。

 専属になれれば公に一緒にいられるし、家事も習いたい。こんな好条件、早々ないだろう。


「となれば、頑張らないとね。エトランジェ様の専属なんて、早々なれるもんじゃないわよ?」

「うん、がんばる」


 となれば、その専属侍女というのはライバルになる。


「会ったら、とりあえず宣戦布告すればいいのかなぁ?」

「宣戦布告、いいねっ、亜人から栄えある専属侍女の座を奪っちゃえ!」


 そうして、夜は更けていく。















 こうして始まったターニャのメイド修行は、当初の予定を外れて、酷く真剣に行なわれることとなった。


「お洗濯っ、お洗濯っ」


 大量の洗濯物が入れられた籠を持って廊下を走るターニャ。

 この仕事に就いてから五日間が経った。

 元々、物覚えは悪くないターニャである。仕事を覚えてはおり、忙しくなれば一人で仕事を任されることもある。

 その体力を生かした仕事ぶりは一目置かれており、周囲からの評判も悪くはない。

 有能さに嫉妬するには十代前半にしか見えない少女は愛らしく、尊敬するにもやはり若すぎる、というのはある意味丁度良かったのかもしれない。


「にゃっ!?」


 ただし、物覚えは悪くなくても、初挑戦の家事は少々彼女を手こずらせた。

 毛の長い絨毯に取られる足、倒れこむ体と舞い遊ぶ洗濯物。

 むしろ、家事というよりも戦争続きだったおかげで日常そのものが初挑戦と言ってもいい。

 窓の外に鳥が飛んでいるだけで気になるし、目の前に大きな荷物があれば足元がおろそかになるということもよくわかっていない。


「あうー……」


 うつ伏せに地面に倒れるターニャ。


「……大丈夫ですか?」


 そして、そんな彼女へと手を差し伸べる影があった。


「え? あっ、うん、だいじょうぶ……」


 その手を取り立ち上がるターニャ。


「……あれ?」


 そして、その手の主を見てふと気付く。

 耳がある。当然だが、そのままの意味ではない。

 狐色の髪の、同じ侍女である女性の頭には、狐のものと思しき耳が付いていた。


「わ、わ」

「ど、どうしましたか?」


 初めて見る亜人。


「狐さんだー」


 思わず手を伸ばす。身長差で届かないが、親切心からか、戸惑いながらも相手は頭を下げてくれた。


「ふさふさ」

「えっと……、はい」


 そうして、満足して手を離し、ターニャはまじまじとその女性を見つめた。


「んー……、専属のひと?」

「え、はい。そうですよ? コテツ様の専属のリーゼロッテです」


 この人が。ターニャはじっとリーゼロッテと名乗った女性を見つめる。

 この女性こそが目下最大の敵であり、ターニャが目指すべき地点だ。

 ターニャは負けまいと睨み付けるようにするが、気付いてもらえなかった。


「えっと……、あ、そうだ。急いでいる気持ちはわかりますけど、あまり廊下は走っちゃいけませんよ? 私も、よく転んじゃいますから」


 そう言って彼女は苦笑した。

 そうしてから、彼女はいつの間にか集めていた零れ落ちた洗濯物へと視線を向ける。


「ところで、これはどこまで?」

「んとね、一階の洗濯担当さんまで」

「わかりました。私もご一緒しますね」

「え? いいの?」

「はい。私もそちらに用事がありますから」


 そう言って彼女が笑った頃には、ターニャはすっかり毒気を抜かれていた。

 並んで、抱える洗濯物を折半しながら廊下を歩く。


「ねね、なんて呼んだらいい?」

「リーゼロッテでも、なんでも。好きに呼んでください」

「じゃあ、リーゼさんね。私はターニャだよ」

「わかりました」


 頷くリーゼロッテをターニャはずっと見ていた。


「いいなー」


 柔らかい物腰、仕事ができそうな雰囲気。


「えと、何がでしょう?」

「リーゼさん、仕事できる?」

「失敗ばっかりですよ。ご主人様を困らせてばかりです」


 まず、その苦笑しての謙虚な受け答えそのものが仕事ができそうな雰囲気だ。少なくともターニャにはそう見えるし、自分ではできない。


「うー、いいなー」

「あはは……、ターニャさんは変わってますね」

「そなの?」

「亜人を羨ましがる人、あんまりいませんよ?」

「んー? こんなにふさふさなのに?」

「ええ」


 そうこうしている間に、二人は目的の場所まで辿り着く。


「ここですね。はい、どうぞ」

「ありがと、ちょっと待ってて!」


 そう言い残すと、ターニャは駆け足で部屋の中へと入っていった。














「むー……」

「ど、どうしました?」


 部屋から出てきたターニャは、肩を落として不満そうにしていた。


「リーゼさんいい人だよって言ったのに、信じてくれなかった」


 リネン室内にいた侍女に、扉の前で待っている人間は誰かと問われたのが、つい先ほど。

 会話が漏れ聞こえていたらしく、その侍女も単なる興味で聞いたのだろうが、正直に答えを返すと彼女は露骨に嫌そうな顔をした。


「ふさふさだし、優しいよって言ったのに……」


 聞く耳は決して持ってはくれなかった。

 それを聞いてもリーゼロッテは困ったように笑うだけで、それが何故だか寂しい。


「うー……」

「そんなことより、大丈夫ですか?」

「ふぇ?」


 話題を変えるような問いに、ターニャは首を傾げた。


「少し、疲れた顔をしています。ちゃんと、休みはとらないと……」

「ん、どうしてわかったの?」


 確かに、ほんの少しだけ疲れを引きずってはいたのだが、ほんの少しだったのでそれを表面に出した覚えはない。

 本人すら意識していないくらいにいつも通りのターニャでいたはずだ。

 不思議そうにするターニャに、リーゼロッテは少しだけ考える素振りを見せ、答える。


「すぐに無理をする人と、ほとんど表情を変えない人と長くいるからですかね? なんだか、わかっちゃいます」


 そうやってほんのりと笑われて、寂しげな顔でターニャは彼女を見上げた。


「こんなに優しいのに……」


 誰も信じてくれない。粗野で野蛮だと疑わない。


「優しくなんて、ないかもしれませんよ?」


 だが、冗談めかして彼女は言う。


「あなたのことも、頭からばりばり食べちゃうかもしれません」

「うー……」


 困らせている。それはターニャにもわかった。そんな困ったような笑顔が見たいわけじゃないのだ。

 だから、これ以上この話題を続けることはしなかった。


「ねね、リーゼさん」


 リーゼロッテの袖を引っ張って、ターニャは笑う。


「お友達になろうよ」


 そう言われて、リーゼロッテは驚いた顔をした。

 そして、すぐにその表情を戻して、口にする。


「いいですけど、やっぱり変わってますね、ターニャさん」

「よく言われるから、問題ないよ!」


 ターニャはリーゼロッテの手を取ると走り出す。

 どこに行くかなど考えてもいなかったが、そんなものはどうでもよかったのだ。












「……あ、コテツのこと、聞いておけばよかったかなぁ」


 それに気が付いたのはリーゼロッテと分かれた後のことだった。

想定外に長くなりすぎた上に合流まで辿り着けませんでした。

エミールは一回休み。ターニャの合流は次回のインターラプトに回します。


それでは皆さん、今年は拙作に付き合っていただきありがとうございました。

来年もよろしくお願いします。

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