87話 釣り
「よーし、ダンナ、出掛けようぜ」
「……どこにだ」
午後の練兵場には、暖かな日が差し込んでいた。
そこに、訓練を終えた男が二人。
「どこにって、街にだよ。ナンパしに行こうじゃねぇの」
「俺のいないところで頼む」
「そう言わずに、な、ダンナ」
笑いながら肩を組んでくるアルベールに、コテツは心中で溜息を返す。
「何故俺を連れて行こうとする」
こんなのは毎度のことだ。
だがしかし明らかに愛想とは縁のないコテツは、自分がそういったことに向いているとは思えない。
「いやぁ、ダンナがいると違うんだよ。真面目っぽい面子がいると、軽さが薄まるんだよねぇ」
「成功率は一割を切っていると思うが」
コテツの言葉に、アルベールが苦しげに声を上げた。
「うぐっ、まあ、それは置いといて」
コテツがいようがいまいが、アルベールのナンパの成功率は極めて低い。
極稀にお茶を共にすることもあるが、所詮それだけだ。そこから先に繋がる事はなかったし、アルベールに繋げる気があるかどうかもわからない。
「とりあえず街に行こうぜ。ずっと訓練じゃ息が詰まるって」
アルベールの言葉に、コテツは返答を返さない。
確かに、今日の訓練は午前中までの予定である。
今回の訓練はアルベールを付き合わせた形になる、少し特殊なもので、負い目というほどのものでもないがそれ故に少し断り難かった。
半ば引きずられるようにして、コテツはアルベールの隣を歩く。
そんな中、歩きながらふと、アルベールが練兵場に立つ一機を見上げた。
「それにしても……、これが、ねぇ。乗り心地はどうよ、ダンナ」
「多少下方修正されているが、問題ない」
「ふーん? にしても、取ってきたあの腕まで付けちまうかぁ……」
リペイントされた機体は、色を変え白と黒に。
コテツが使っていた頃とは色々と様変わりしたが、愛機の感触は大きく変わってはいない。
シバラク。あるいは、シバラク改、だろうか。性能は低下しているが。
「とりあえずは問題なさげだから、この後は実戦テスト?」
「ああ、そうなるな」
今日の訓練はシバラクの試験運用も兼ねての訓練だった。
幾度か行なわれているが、現状経過は良好。
後は実戦投入によるテストが残るだけだ。
とはいえ、そう都合のいい実戦が転がっているわけもなく、適当に何らかの依頼を受けることになりそうだ。
「にしても、細くて華奢だな」
「機動力重視だからな」
アルが機体を見てもらした感想に、コテツは簡単に答えた。
こちらの世界に比べると、コテツの世界では機動力重視の機体が多いように感じられる。
対するこの世界は、騎士や貴族に関しては装甲を固めたがる傾向があるようだ。
それはきっと、操縦レスポンスの良し悪しや、少々装甲を固めたくらいではどうにでもならない高威力の光学兵器の存在などが影響しているのだろう。
「前とは随分変わったんかね?」
「とりあえず、前戦闘でブースターをパージしたためオミット。武装はレーザーブレード以外を捨てたため、三本の刀とライフル二丁、シールドを失った。代わりに間に合わせでディステルガイストに格納された刀を一本装備」
元々のシバラクその物はかなりコンパクトに纏まっていて、余計なものを省いたスマートなデザインだ。
シバラクは、各種ハードポイントにオプションを取り付けることによって戦局に対応する。
最終決戦の時は、速度のための大型ブースター二基と、制圧力のための多連装ミサイルポッド、遠距離戦を想定してのライフル、突破力のための大型多重シールドが装備されていた。
最終決戦のためのフル装備と言ってもいい。
「随分減ったね、ダンナ」
「仕方あるまい。今後に期待しよう」
その悉くをコテツは捨てたのである。それだけ、余裕のない戦いだった。
敵の群れを越えたかと思えば、後のなくなった月が用意したのは、手術や薬物投与による即席のエースとも言えるような者達の軍勢だ。
寿命と正常な思考の代わりに普通とは一線を画す戦力達に、流石に余力を残すことはできなかった。
今となっては、それは遠い昔のことのようだ。
歩きながら、当時を回想し、元の世界を想う。
(思えば、元の世界からの因縁はこれだけか)
そう思うと、元の世界で乗っていた愛機が異世界の技術で修理される、というのは不思議な気分だった。
「うーぃ……」
肩を落としたアルベールと、街を歩く。
「まさかビンタまでもらうとはなー……。思ったより効いたんだけど。脳が揺れた」
「傍から見てても見事だった。首が折れるのではないかと思ったぞ」
アルベールの頬には、赤い紅葉がはっきりと残っている。
相変わらず、ナンパの成功率は零に等しいようだ。
「それで、続けるのか?」
コテツが問うと、アルベールはしばらく黙り込んでいたが、コテツの視線に耐え切れなくなって遂に頭を振った。
「ええい、やめだやめ! もっと別のことしようぜ!」
「何をするつもりだ?」
「そうさなぁ……。休日の過ごし方と言えば、釣りとかどーよ」
「道具は持っていないぞ」
「俺が持ってるよ。それとも、狩りでも行く? 肉でも取って帰ってなんか適当に食うとか」
「釣りでいいだろう」
狩りをして干し肉を作るというのも魅力的ではあるが、それよりも今日は穏やかに過ごしたいとコテツは思う。
それに魚とて保存食には十分使える。
「おっけ。じゃ、竿取ってくるわ。ダンナはここで待っててよ」
そう言ってアルベールは走り出し、コテツは何も言わずにそれを見送った。
路地の中、道行く人々にまるで取り残されるようにして待つことしばし。
やがて、釣竿を持ったアルベールが走ってくる。
「お待たせ、ダンナ」
「いや、では行くか」
「おう」
二人は歩き出すとそのまま街を出て、森へと入っていった。
鬱蒼と、と表現するには些か明るい、木漏れ日が差し込み、暖かな森だ。
王都に程近いこの森は野生動物はいるものの、魔物の類は見かけない。
近いだけあって、厄介な魔物が住み着かないように定期的に騎士団が見回りをしているだけのことはある、と言ったところか。
「ふむ……、しかし、どうやって魔物と通常の動物を見分けているんだ?」
ふと心中に思い浮かんだ疑問をコテツは口にした。
「あ? なんぞいきなり。あれだぜ、魔物は魔力放ってるからある程度魔術使えりゃ見りゃわかるってさ」
「なるほど。俺にはわからんな」
魔物と言えば、魔力ありきの異常な進化、あるいは発達を遂げた動物である。
それが、巨体であるとかならば、わかりやすい例だ。通常自壊してしまうような巨体でも魔力で支えることができる。
空を飛んでいるというのもわかりやすい。明らかに飛べそうもないものが空を飛翔していれば魔力が関与していると見ていい。
だが、妙に賢い、とかになれば話は別だ。見た目が大きく変わらない、あるいは特殊能力の類もあまり目立つものではなく、通常の進化であってもそういう変り種もいるだろうか、というレベルのものだった場合コテツが見分ける方法はない。
「ま、俺にも知らない奴はわかんないよ。でかいヤツは魔物、二足歩行のヤツは怪しい、無駄に賢いヤツも多分黒ってとこかね」
そんなことを言いながらも、コテツ達は川へと出る。
乱反射する川、そのせせらぎの中、アルベールはコテツへと釣竿を渡した。
「ほいよ。ついでにエサはここに置いとくぜ」
渡された竿を掴み、コテツは河原に置かれたエサを釣り針へと付ける。
見た目はエビ、コテツの知る内では特にオキアミに近い。
本当にオキアミなのかもしれないし、この世界特有の何かかもしれない。
「活きエサがよかったらその辺で調達したらいいよ。エビとかカニとか、そういうの」
「ああ」
とは言えど、コテツに違いがわかるわけではない。
幾度か、サバイバル生活を余儀なくされたこともあったが、任務中に釣竿など持っているわけもなく、魚を取るときは川に入って直接か、ある時は生きていたDFの電源を使って感電させたくらいで、釣り人から見れば邪道も邪道、特に感電の方は誉められたものではない。
しかし、今は本来の釣りの時間だ。とにもかくにも、コテツは釣竿を振る。
「ダンナは釣りは慣れてんの?」
「素人だ。こちらに来てから一度護衛の途中に行なったきりだな。こちらに来る前は友人に付き合わされたことはあるが、どちらも釣れていない」
「ダンナって友達いたんだ」
「君は俺を何だと思っているんだ」
アルベールのイメージを反して、人付き合いはほとんど無くても皆無ではない。
コテツを釣りに付き合わせた男、オペレーターのグリフィスは釣りの時に限っては熱くなる男だった。
「ダンナはー……、まあ、もうダンナっていう生物だよね」
「なんだそれは」
アルベールもまた、コテツの隣に座って糸を垂らす。
魚に嫌われているのか、まともに一匹も釣ったことのないコテツだが、こういうのは嫌いではなかった。
釣りが、というよりは、ただぼんやりと水辺に糸を垂らしているのが、だ。
緩慢に進む時の中に身を委ねる。目まぐるしく凄まじい速度で過ぎ去る世界で戦うからこそ、こういう時間は気が楽だ。
「っとと、今日はそこそこ調子いいな」
隣ではアルベールが竿を引いている。
早くも一匹釣り上げ、針を外してバケツの中へと入れている。
「……君は器用だな」
「そうかい? んまぁ、大抵のことはできるようになったけどさ」
コテツがぽつりと漏らした言葉に、アルベールは再び水面に糸を垂らしながら答えた。
「羨ましいかい? ダンナ」
「少しな」
「ま、そりゃお互い様だ。俺はダンナが羨ましいからね」
「そうか」
「色々できても、全部二流だからねぇ。本物に会えば、負けてばっかりだぜ?」
そう言ったアルベールの心境はどうだったのだろうか。
それはコテツに理解し得ないものだろう。
「負け犬根性染み付いちゃってさ。ヤバイなって思うときゃんきゃん吠えるんだよ。それで逃げたら、命は助かるけどね」
コテツの知る人物にも、そういう人間はいた。
負け戦の気配を感じると背筋にちりちりと妙な感覚が走ると言った男がいる。
つまり勘がいいだけなのだろうが、そういったものは馬鹿にならない。今まで命を救ってきた実績があるならば、その嗅覚は確かなものだ。
「いやー、実際さ。ダンナとやりあった時はそろそろ潮時かなと思ったんだよね」
「死ぬ気だったのか」
「結果はこれだけどね。騎士見習い、兵士、冒険者、盗賊と来て、次どうすんの、って思ってさ、じゃあいっそ一流さんに玉砕覚悟で、って考えたんだよ」
魚をまた釣り上げながら、アルベールは笑った。
「そしたら今度はエトランジェ直属だ。面白いね、人生ってさ」
コテツの釣り針には何か掛かる様子もない。
アルベールの釣りとコテツの釣り。果たして何が違うのか、コテツにはわからなかった。
「そうだな」
それきり、言葉を交わさず、コテツはただ黙って糸を垂らし続ける。
緩慢に、時間は流れていった。
如何ほどか時間が経ちはしたが、アルベールがいくらか魚を釣り上げてもコテツの針に獲物が掛かることはなかった。
(……こういう休日は久々かもしれんな)
だが、それが問題だとはコテツは考えない。
昔からは考えられないほどコテツの周囲には人が集まって騒がしくなった。
悪いことだとは言わないが、こういった穏やかな時間とは縁が少なくなったのも事実だ。
「……ダンナ、ダンナー」
「む」
ふと、ぼんやりとしていることに気が付き、コテツはアルベールに意識を向ける。
どうしたのかと彼の方を見れば、彼はコテツの意図の先を指差した。
「引いてるって」
「何がだ?」
「糸」
「……む」
遅かった。
一切の抵抗なく、針が引きあがり。
そこに魚の姿は存在せず、水に濡れた針だけが光に照らされ輝いている。
「餌を取られてしまったようだ」
真顔で呟くコテツを、楽しそうにアルベールは笑った。
「あっはっは、仕方ないなぁ、ダンナはさー」
そして、彼は一歩コテツに近寄ると針を取って、器用に竿を保持しつつも、餌を付ける。
「エサの付け方にもコツがあるんだって、ほら」
「ふむ、なるほど……」
やはり、コテツが刺したものとはどこか違う。ただし、どこが違うのかが理解できるほど、彼の経験は深くなかった。
渡された針を見つめ、コテツは再び糸を川へと没入させる。
そして、今度はなんとなくアルベールとの会話を試みた。
「アル、君は何か趣味はあるのか?」
「ナンパ」
「それ以外で頼む」
自分の参考にしてみようかと聞いたが、即答で返って来た言葉にコテツもまた即答で返すことになった。
「んー、今やってる釣りとか、狩りもやるよ。まあ、体動かすのは好きかねぇ」
「なるほど」
「後村のガキと遊ぶのは結構楽しいぜ。ダンナも今度来る?」
「……考えておこう」
果たして自分に子供の相手が務まるのかとコテツは思うが、避けていても上達するわけではない。
結局返したのは中途半端な答えだったが。
「しかし、君は村の人間とは会っているのか?」
コテツは話題を変えるように言った。先ほど聞いた言葉で気になっていたことだ。
村とは、アルベールが昔救われた村のことであり、後に食うに困り盗賊団を立ち上げた面子でもある。
今はコテツ達により捕縛され、名目上アルベールの人質ということになっている。
「おう、何ぞ知らんけど皆の間じゃ出世頭ってことになってるよ」
「状況は説明したのか?」
「いや、したけどさ」
一応、アルベールを従えるための人質ではあるが、彼らは現在城下町に住み、思い思いに暮らしているらしい。
「ダンナのせいで大変よ? ガキ共んなかじゃ、王女騎士団長以上の実力者ってことになってんだから」
「そうか。それは大変だな」
「まったく、他人事みたいによー。ダンナもガキん中じゃ結構アレだからな、今度揉みくちゃにされればいいんだ」
そう言ってアルベールが苦笑したとき、今度は注視していた竿の先と糸が揺れた。
「む……!」
今度は、即座に反応することに成功。そして、相手も大物ではないため、駆け引きが必要な相手でもなく。
コテツの腕力と反応速度がほとんどノータイムで魚を水中から引き上げた。
「おお、ダンナ、やった……、へぶっ」
ただし、その魚は放物線を描いてアルベールの顔に直撃したが。
「……すまん」
「いや、まあ、いいけどさ」
跳ねた水はコテツの服も濡らしている。
まるでコップをひっくり返したかのように、胸元はびしょ濡れだ。
「ほい、ダンナ」
そんなコテツに、アルベールは顔からずり落ちた魚を渡した。
「ああ」
コテツはそれを受け取り針を外そうとする。
が、ここで魚が暴れ、するりとコテツの手を抜け飛び跳ねた。
そして、頬に尾びれで一発。
「……」
良い音が鳴り響き、そのまま偶然バケツの中へと入った魚を見て、アルベールは笑いを堪えきれずついに吹き出した。
「ぷっ、はははっ、ひひっ、ダンナ、フラレちまったね!!」
「……そうだな。君と同じだ」
「ふーっ、いやー、ダンナといると飽きないわ」
楽しげなアルベールに、コテツは肩を竦めて答えた。
そして二人はまた、川へと糸を垂らし始める。
川と共に、沈黙の時間が流れ。
「なぁ、ダンナ」
アルベールの声に、コテツは彼のほうを見た。
「ま、あれだ」
彼は、ただ立って水面を見つめている。
「ダンナのできないことは全部俺がやってやるよ」
魔術以外に苦手なことの方が少ないのではないかと思えるこのアルベールなら、実際にやるのだろう。
これまでの付き合いの中で、コテツは素直にそう思う。
「代わりに、ダンナはやりたいことと、ダンナにしかできないことをすりゃあいい」
「では、ノエルに恋を教えてやってはくれないか?」
「そりゃ無理だ。そいつぁ、ダンナにしかできねーって」
「冗談だ」
「わかんねーって。真顔じゃ」
「しかし、俺にしかできないのか。それは」
「あたぼうよ。多分、意外と簡単だぜ?」
「そうか」
水面から立ち上る糸が陽光を受けて煌く。
コテツはぽつりと溢した。
「君には世話を掛ける」
「いいって」
何でもなさそうに、アルベールは言ってのけた。
日が暮れるまで釣りを続けた、それだけの一日の出来事である。
結局、一匹しか釣れなかったが、コテツの釣りとは、それでいいのだ。
オマケ
「ご主人様ー、ご主人様の好みのタイプってなんですかー?」
「特にこれと言ったこだわりはないが。しかし、俺と付き合っていくのは困難を極めるだろう。そういう意味では理想の相手というのはいるのかもしれないな」
「あー、そういう方向で攻めてみます?」
「現状俺にはこの世界の常識がない。故に、常識を持った人物が望ましいな」
「あ、それ言えてますね」
「先ほどの条件と似ているが、俺には不得手な分野が多すぎる。習うにせよ、ある程度してもらうにせよ幅広くそつなくこなせるといいだろう」
「なるほどー、私も知識だけなら多少は、なんですけどね。如何せん実践が……」
「そうか」
「あ、後ご主人様は無茶ばっかりしますからね。窘めつつもなんだかんだ付き合ってくれるような面倒見の良い人がオススメですよ」
「だが、理想ではあるがそのような都合の良い人物はいないだろう」
「ですよねー」
「それに、そんな器量の良い人物が俺に構う理由があるまい」
もしかして:アルベール
お久しぶりです。
無事内定が取れました。応援してくださった方、心配してくださった方にお礼申し上げます。
あとは車の免許さえ取れれば卒業までゆっくりできそうです。
しかし、なんで久々の更新なのに男二人で釣りなのか。