80話 朝食
「……なぁ、やったよ。やったよ俺は。殺した、殺せたんだ」
戦いを終えた虎鉄の元に、その男は現れた。
「そうか。やったな」
また、話を聞いて欲しいと。
虎鉄は断らない。断るなら、一番最初の時に既に断っている。
結局最初の時のように部屋に招きいれ、虎鉄は話を聞く体勢に移行する。
すると、出てきたのが先の言葉だった。
「家族をヤった奴を遂に殺した。俺の復讐は終わったんだ」
彼は笑っていた。
「すっきりしたよ。すげーすっきりした」
朗らかに笑って虎鉄に伝えてくる。
「まるで、マスかいて寝た後の晴れた日の朝みたいに爽やかな気分だった――」
だが。
「――まあ、それだけだった」
彼は疲れた顔をしていた。
「それだけだったんだよなぁ……」
それきり、笑みはなりを潜めて、その目は救いを求めるように虎鉄を見つめる。
「俺の復讐は、その程度でしかなかった。そりゃそうだ。客観的にみりゃ俺は人を一人殺しただけ。何が変わる? なにも変わらん」
返す言葉もない。
黙りこくる虎鉄に、男は言葉を続けた。
「これなら風俗に行ったほうが数段マシだ。十年掛けて追いかけてこれじゃ、手頃な女抱いてへらへら笑ってた方がマシだった。ああ、くそ」
ベッドに座った男は手を組んで俯いた。
「復讐が終われば俺の人生は薔薇色に変わると思っていた。俺は復讐に何を求めていたんだ。所詮自己満足でしかないのにいつの間に夢なんて見てた。なあ、エース」
ただ、返事を求めることなく彼は心中を吐露する。
「……もっとでっかい復讐がしたかったなぁ」
その言葉は、空しく溶けて消えた。
寂しげに、空しげに、大きいくせにどこまでも小さく、その男はそこにいる。
「すればいい」
そんな男に、虎鉄はそれだけ返した。
「……もう終わったんだよ。エース。殺しちまったんだ。どうやって続ければいい」
「自己満足だと君が言った。君が納得するならどんな形でも構うまい」
その言葉を聴いた男は、どんな顔をしていたのか。
俯いていたから、虎鉄には今でもわからないままだ。
朝、定刻通りに目を覚ますと、背後にソフィアが寝ていることを思い出した。
背を向けて寝ることにしたコテツに対し、後ろからぴったりくっついてくるソフィア。
彼女曰く寒いから、らしいがコテツですらそれを信じることはできない。
身を起こしてコテツはソフィアを起こさないようにベッドを出た。
そして、机に置いてあった軍服の上着を取り、袖を通す。
一日で帰るということで、下着は替えたが、寝るときは着ていたズボンそのままだった。
上はタンクトップで、すぐさま活動できるような格好だ。
そして、背後を振り向けばいつの間にかソフィアが体を起こし、ぼんやりとコテツを見ていた。
「起こしてしまったか?」
「いい。大丈夫」
彼女の体を隠す布団が彼女を離れる前に、コテツはその部屋を退散することにする。
「キッチンで待っている」
「ん」
扉の向こうに声を掛け、コテツはそのまま一階へ。
木の階段を軋ませてそのまま目的まで歩く。
そして、キッチンで待つこと少し。
着替えを終えたソフィアが現れる。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
忘れていた挨拶の後、コテツ達は朝食を作ることにした。
「材料を出して欲しいのだが」
「ん」
短く答えると同時、何もない空間から調理台の上に料理の材料が載せられる。
「火は私が使うから、マスターは野菜を切って」
「わかった」
コテツが調理用のナイフを手に取るように、ソフィアもフライパンを持つ。
本当はフリントと呼ばれる火打石のようなものを使うのだが、それを使うような動作もなく、フライパンの下には炎が上がる。
「魔術か?」
「そう。たとえ専門じゃなくても、何個かこういうのは覚えておくもの」
確かに、便利だろう。引き出しは多いに越したことはない。
そんなことを考えながらコテツは手を動かしていく。
つぶれないようトマトを切って、名も知らぬ葉野菜を食べやすいように切り整えて皿に載せる。
そして、手慣れた様子で人参に手を伸ばし、するすると皮を剥いていった。
「……手慣れてる」
「ナイフはな。何かと世話になる」
朝食ということで、コテツが作っているのはサラダ。
ソフィアが作っているのは、とコテツが彼女の方を見たところで、彼女の指先が黄色い物体を掴んで差し出していた。
「味見」
卵焼きだ。コテツはそれに応えて一口齧る。
「どう?」
「ふむ、中々。美味い」
「ならよかった。久しぶりだから」
残ったもう半分を自分で食べて、彼女は呟いた。
「ふむ、こんな所か」
卵焼きにサラダ。豪華とは言えないが、旅先で作る朝食ならば上々だろう。
流石にパンを焼くまではできないので、そちらは元々持ってきたもので賄う。
そして、それらをテーブルに並べたあたりで、ポーラが眠い目を擦って現れた。
「……んん、なんか、いい匂いが……」
「君か。朝食ならできているぞ」
コテツが言うと、彼女は不思議そうな顔をする。
「私の?」
「ああ」
「頼んだ覚えはないわよ?」
「頼まれた記憶はないな」
確かに頼まれた覚えはないが、自分達だけで食事をするというのも気分が良くない。
それだけの話だ。
「……なんか、悪いわね」
そんなコテツ達に対し、ばつが悪そうに、彼女は席に着いた。
「いただきます」
コテツが両手を合わせ、食事が始まる。
「ところで、サラダは分かるけど、これはなに?」
「卵焼き。厚焼き卵とも言う」
ポーラが問い、ソフィアが答えると同時に、コテツに疑問が浮かぶ。
「卵焼きは、そういえば和食だったか。この世界では一般的ではないのか」
「そう。何人かのエトランジェが残したレシピから、口に合えばと思って日本人のものを探してきた」
どうやらそういうことらしい。
(……気を遣われたようだ)
わざわざ和食を覚えて来てくれるとは、随分手が込んでいる。
「わざわざすまないな」
「所詮付け焼刃だから、こちらが申し訳ない」
「あーあー、お暑いことね。ま、でも中々いけるわ」
コテツとソフィアを呆れたように見つめるポーラ。
一日置いたせいか、それとも食事の成果か、彼女の刺々しい雰囲気は少しばかりなりを潜めている。
「あんたら、夫婦で冒険者してるわけ?」
「そう」
「違う」
「……どっちよ」
ついこないだも、こんな問答を別の人間とした気がすると思いつつもコテツは半眼になったポーラを見つめた。
結局彼女はどちらかを信じたという風でもなく、適当な返答を返す。
「まあ、どっちでもいいけど。大切にしてやんなさいよ。後になってから後悔しても遅いんだからね」
それは、経験則だろうか、と問う不粋を、コテツは控えることにした。
「肝に銘じておこう」
それから、しばしの時間を使って、彼らは食事を終える。
そして、食器を片付けようかと思った矢先、俄かに村が騒がしくなった。
「なんだ?」
「……おかしいわね、何かあった?」
村出身のポーラに心当たりがないとすれば、なにか起きた可能性がある。
コテツ達は家を出て、声のする中心、村の入り口の方へと向かっていった。
そうして判別できたのは、村長の声と、最近聞いたような若い男の声。
「臨時徴収だと言ってるんだ。悪いが領主様が決めたことで、大人しく差し出すしかない」
「そうは言っても、ない袖は振れない。これ以上差し出しては来年の農耕にも支障がでる可能性が」
「これは領主様が決めたことだと言っている」
ポーラと戦っていた兵士だ。声に聞き覚えもあるし、顔もあちらは通信に映っていた。
「あいつら……!」
思わず駆け出そうとするポーラを、コテツは腕で制した。
「君が出て行くと声でばれるかもしれないし、一時的に追い返してどうにかなるものでもあるまい」
「……っ」
この場はどうにか追い払っても、数を増やしてすぐ戻ってくるだけだ。それに、見れば背後に三機ものSHがある。
下手な真似をすればあれが動くことになるだろう。
そして、それ自体はポーラにも分かっているらしく、彼女は簡単に引き下がった。
悔しそうに、彼女は肩を落とす。
そんな中でも、兵士と村長の会話は続いていた。
「しかし、それでは我々は次の冬を越すことができん。今日は帰ってくれまいか」
「できない相談だ。黙って渡せ」
毅然と対応する村長だが、兵士も引く様子はない。
膠着した状況。そこに、コテツは近づいていくことにした。
「ふむ、騒がしいようだが」
「冒険者殿……!」
「む、あんたは」
先日ポーラと戦っていた兵士はコテツの姿を見て驚いた顔をする。
そして、他に控えていた兵士が怪訝そうな顔をするのに、その兵士は言葉で制した。
「先日、賊を討伐するのに協力してくれた冒険者だ。そちらは、依頼遂行中か?」
「ああ。そちらは立て込んでいるようだな」
「見ての通りだ」
「村側には払う余裕はないようだが?」
「だからと言って持っていかなければ、今度は俺達が路頭に迷う」
どうやら問題の根は深いようだ。
「ふむ、とは言え。話は長くなるようだ。室内でゆっくり話してきたらどうだ」
せめてもの援護として、コテツはそう兵士に勧めた。
少なくとも、外で兵士に囲まれて話すよりは、自らの家で話した方が落ち着いて交渉できるだろう。
多少なりとも、強く出られるはずだ。
「……仕方ないな。話は長くなりそうだ。案内しろ。お前たちはここで待機」
「了解です」
兵士達がそう答え、村長が歩き出す。
どのような結果になるかわからないが、これがコテツにできる限界とも言えるだろう。
確かに、コテツがエトランジェであることを明かして無理な徴税はやめろと言えばきっと彼らは帰るだろう。
だがそれをしてどうなるだろうか。その場はやめてもやがて彼らは戻ってくるだろう。
ならば、領主の館まで行って武力と権力を背景に脅迫を行なうか。あるいは力尽くで片を付けるか。
だが、それはあまり望ましくない一手だ。
気に入らないことをしている貴族に対してはすぐにエトランジェが武力によって介入するという噂が立つのは困る。
こういう貴族は少なくないため、王女とそういう貴族達との間に軋轢が生まれてしまう。
そして、今の王女の勢力で貴族と対立するのは望ましいとは言えないだろう。
そのリスクを負ってまで果たす義理はこの村に存在していない。
この村とは、手紙を渡し、返事を受け取って帰るだけの間柄だ。
コテツが行うべきは精々がアマルベルガに情報として伝えておくくらいだ。
そもそもコテツの役目は武力だ。政治ではない。政治的な部分が関わる以上、アマルベルガが判断し、対策を行うことだ。
(今日の夜にでも通信を行なっておこう。彼女の心労を増やすのも心苦しくはあるが)
それに武力が必要だというのならば、コテツが出るまでの話。
政治は押し付ける代わりに、必要ならばどんな戦場にも赴き、勝って帰る。
アマルベルガとコテツの関係はかくあるべきだ。
そのため、コテツは黙ってその行く末を見守った。
「どうなったんだ?」
と、そこでどこに行っていたのか、一人の兵士が村の入り口へと歩いてきた。
中年らしい年季の入った顔が、兜の隙間から覗いている。
「隊長が今交渉中だ。向こうも渋ってきてるから、長くなるかもな」
一人だけ遅れてきたのは用を足しにでも行ってきたからだろうか。
気軽に遅れてやってきた中年の兵士に、涼しげに返すもう一人の兵士。
なんの変哲も無い光景であったが、コテツは異常を感じ視線を動かした。
「……ポーラ」
その異常の正体は、他でもない、隣の女性である。
そして、その口から漏れ出た声からは、殺意が漏れ出ていた。
「あいつ……!」
返答は寄越してきたものの、その目が異常だった。いや、異様だったというべきか。
憎しみの色の濃い瞳。戦場で幾度か見たことがある。完全に冷静さを欠いた瞳だ。
その結末と言えば、常に無謀な突撃と玉砕だ。
現にあの兵士が現れてからポーラの様子がおかしく、今にも会話を続ける兵士へと斬りかかっていきそうだ。
いや、間違いなく押さえきれずに飛び出していく。
そう予測したからこそ、彼女が走り出そうとしたその瞬間に、コテツは彼女の腕を掴んでいた。
「待て」
一歩踏み出そうとしたその瞬間、腕を掴まれて彼女は振り向いた。
「何よ!!」
声を荒げる彼女にコテツは冷静な声を返す。
「村に迷惑を掛ける気はないのだろう?」
村に迷惑を掛けないというのは彼女自身が言った言葉だ。
だが、ここで兵士を害せばどうなるか。
村ごと咎を負うことになりかねないのは誰から見ても明らかだろう。
「ぐっ……、離しなさいよ」
「それは推奨できないが」
「いいから。分かってるわよ、なにもしないわ」
彼女に冷静さが戻ったのを見て、コテツは手を離した。
ポーラもまた、そこから駆け出すようなことはなく、黙って兵士を睨み付けていた。
(復讐の相手でも見つけたか)
あえて口にすることはせず、コテツは彼女の視線の先を確認した。
やはり、先ほど現れた中年の兵士だ。
兵士全体が気に食わないようではあるが、明確な対象は、と言ったところだろうか。
そうして、彼女はしばらく兵士を睨み付けていたが、やがて踵を返し歩き出す。
コテツも彼女を追って歩き出した。
「……なに着いて来てんのよ」
「君の家にソフィアを残している。それに、この分では手紙の返事はしばらく貰えないだろう」
「勝手にしなさい」
正午までと言いつつも、この分ではどれほど掛かるか。
まだ手紙を書いていなかった場合はもうそれ所ではなくなってしまうかもしれない。
(……まあ、依頼はついでのようなものだ)
そもそも外に出る口実のようなもので、特別な意味は無い。
最悪の場合は直筆でサインだけでもしてもらうしかないだろう。
それで事情を理解した上で依頼者が達成と取るかどうかは分からないが。
どうしようもなかったら諦めよう、などと考えてコテツは水戸を歩いた。
そうして、ポーラの家へと戻ると、それをソフィアが出迎える。
「お帰りなさい」
「ああ、今戻った」
コテツはソフィアに応え、手近な椅子に座った。
ポーラはと言えば、我関せずと部屋へと戻ってしまう。
「何か、あったの?」
「税の取立てだそうだ」
「こんな時期に……?」
「ああ。バウムガルデン伯のいい噂を聞かないということは、つまり、そういうことなのだろう」
そう呟いて、コテツはぼんやりと中空を見つめる。
結局、村長と兵士の話し合いは平行線で、決着が付いたのは夜に程近くなってからだった。
あまり話が進んでませんが、次の区切りが長いので一旦ここで切ります。
明日も更新予定です。