79話 ランプの灯
空も暗くなってきた頃。木造の雰囲気に、ランプの色が暖かく部屋を照らしている。
「マスター。あなたは復讐の経験が?」
ベッドに座るソフィアと、置いてあった机とセットになった椅子にコテツは座っていた。
そんな中でソフィアの問いは些か不躾ではあったが、別に気分が悪くなるような問いというわけでもない。
「何故だ?」
「彼女へ与えた言葉が嫌に、"分かっていた"気がしたから」
そういう風に聞こえたのだろうか、と思いつつもコテツは否定を返した。
「いや。確かに、仲間の命を奪った相手を撃墜した経験ならあるが、復讐を意識したことはない」
結果的に敵討ちになった時はある。
ある時出会った敵が偶然仲間を殺した相手だった時や、仲間が撃墜された際に、その場で反撃を行なった時。
だが、それを殺した大半の理由は敵だったから撃墜しただけで、何割かは弔いの念があったかもしれないが、復讐のためだった試しはない。
相手を追いかけようと思ったこともなかった。
「敵を恨んだことは、ないの?」
コテツは、その言葉に今までの戦場を想起する。
確かに、仲間は何人も死んだ。
「恨むには、殺しすぎだろう。俺は恨まれる側だ」
だが、敵もまた数え切れないくらい殺している。
「もしかして、だから、今は殺さないように気をつけている?」
「……ふむ、確かにこちらに来てからは人の命はあまり奪っていないな」
ではこちらに来る前は、と問われれば。
まるで息をするように、と答えただろう。
今でこそ、コテツは敵であろうとできるだけ殺さないようにしているが、今が平時だからで、殺す理由が特にないだけだ。
平時には、法と道徳がまかり通る。盗賊だって、緊急性や必要性を感じないならばむしろ法に任せておけばいい。
「殺すのはわりと面倒だ。その人間だけを綺麗に殺すのは難しい。いつだって、余計なしがらみがついて回る」
その線引きは、どこまでも際限なく殺せるエースだからこそ重要なものだ。
だが、戦時は違う。生かして返せば銃を持って再び現れ、その銃弾は味方に被害を生む。
そして、戦いは泥沼と化す。戦いは、敵が死ぬまで止まらない。
それは、十分な理由になる。
今だって、必要性を感じたなら容赦はしない。
「じゃあ、話を戻すけど、あなたは復讐をしたことがない」
「ああ」
「ではマスター、コテツ・モチヅキにとって、復讐とは間違い? あるいは、無駄なこと?」
「随分、聞いてくるな」
「興味がある。嫌なら、いい」
そう言って彼女はコテツを見つめてきた。
(彼女にも、何かあったのかもしれないな)
ソフィアにも昔の主がいただろう。
その全てが寿命で円満に別れを迎えたなどという推測ができようはずもない。
アルトは兵器で主は兵士。そういうことだ。
「私は、答えが出る前に終わってしまった。私は、長生きしすぎて理屈っぽくなってしまったから。でも、他人の答えには興味がある」
なんでもないように吐き出された言葉は重い。
コテツは、恨む側としての考えは理解できない。それ故に、コテツとしての答えを返した。
「必要なら、すればいい。正当性も大義も必要あるまい。感情だけで十分だろう。殺した側には、恨まれてやる義務がある」
コテツにとって、殺せば恨まれるのは当然のことだ。
恨まれたくないなら始めから殺さなければいい。正統性を主張したいなら始めから理を説いて説き伏せるべきだ。
それができないから理屈を捨てて人を殺す。
だというのに自分は理を説いて復讐はお門違いだと喚きたてる。それこそ、理屈がおかしい。
「そして、例え復讐しても死人は帰ってこないとしてもだ。ただ一人の人間を殺すだけの行為だとしても、感情とはそういうものではないだろう。心が理屈で片付けられるなら、世界はもっと平和に満ちている」
コテツと相対した復讐者は、様々だ。
途中で彼を許した者もいれば、呪詛を吐きながら死んでいった者もいる。
ただ、どの時も感じたのは、溢れるような感情の濁流だ。
だからこそ、コテツは復讐をそういうものだと受け止めた。
何かを求めることなく、まるで愛のように、無償の憎しみを注ぐこと。
やりたいからやる、それだけで十分なのだ。
むしろ、本人にはそれだけで十分に、意味がある。理屈で片付けられない心が満足し、納得するなら、それでいい。
「君の参考になったかはわからないが」
「……ありがとう。参考には、なった」
「ならいいが」
ソフィアの疑問には答えられたようだ。
参考になったなら幸いだとてコテツは席を立つ。
「そろそろ休む」
それに対し、ソフィアが小首を傾げた。
「どこへ行くの?」
返答は短く、簡潔に。
「リビングだ」
部屋は二つしかない。そして、ベッドもだ。
その一つはポーラが使っている。
もう一つはソフィアに、となればコテツはリビングの椅子ででも寝るべきだろう。
ソファなどではなく、ただの木の椅子だが、外よりはいい。
「このベッドを使えばいい」
「すると君のベッドがなくなってしまうが」
「一緒に寝ればいい」
「それは問題があるだろう」
「マスターは、私を襲う?」
「そのつもりはないが」
「なら、大丈夫。そして、私は万が一そうなっても問題ない。つまり、マスターには断る理由がないということ」
どうにか辞退しようとするが、すかさずソフィアは追撃をかけてきた。
「兵士なら、許されるならば可能な限り休息を取るべき。瑣末事を気にする場合ではない」
「……む」
「私は許した。倫理は、あなたが手を出さなければ、問題ない」
どうやら、逃がしてくれないようである。
これを説き伏せるにはコテツの語彙は少々貧弱であろうし、説き伏せるために一晩使えばそれこそ本末転倒だ。
(引き際なのか……?)
「引き際が肝心」
「……」
まるで心を読んだような言葉に、コテツは諦観を覚えた。
沈痛そうに目を瞑り、コテツは椅子に座りなおす。
そして、その代わりというように、ソフィアが立ち上がった。
ただし、その目的は退室ではなく。
「着替えるから」
「外に出ていよう」
「見てて」
「退室させてくれ」
あんまりな言葉にコテツは即時撤退を選択した。
なにか追撃される前にに有無を言わさずコテツは部屋の外に出る。
薄い扉の向こうから、衣擦れの音が響く。
そして、少し無言で待てば、中から声が聞こえてきた。
「終わった」
「了解。入るぞ」
そして、扉を開ければ。
ネグリジェ姿のソフィアがいた。
「露骨に目を逸らすのは失礼かと思うのだけど」
ただしそれは、着る意味を問いたくなるほど薄く、透けていた。
「だが、直視するのも問題がある」
コテツの視線は見事に九十度右へと曲がり、ソフィアを視界から外す。
肢体を扇情的に見せる黒いネグリジェは、彼女の白い肌、触れれば折れそうな細い体と相まって、まるで視線に晒すことすら罪であるような背徳感を纏っている。
「私が許している」
「俺の倫理が許さない」
さすがにこれは襲わなければだとか性的な目で見なければとか言うレベルの話ではない。
その身体は自分の視線に晒されるべきものではないと彼は判断を下した。
だが、それだけでは終わらない。
「なら、こうすればいい」
視界の外で、足音が聞こえたと思えば、彼女はコテツの背後へと回る。
そして、後ろから彼を抱きしめた。
「……何をする」
「こうすれば、視界に入らない」
確かに後ろにいるならば、視界に入れることは難しい。
だが。
(どう考えてもこれはおかしい――)
豊満な胸を押し付けられて、コテツは人知れず、だが果てしなく困りながら夜は更けていく。
夜中。泊まっている冒険者達の声も聞こえなくなった頃。
ポーラはまだ眠ることもなく、ただ椅子に座っていた。
彼女の顔は、いまだ晴れていない。
それは、明日、再びいつ終わるとも知れない復讐を再開するからではない。
この村には、愛機が壊されてしまったからやむなく立ち寄っただけだ。
それさえなければ寄り付こうとも思わなかった。復讐をすると決めた時点で、たった一人どこまでも険しい道を行くことを覚悟している。
かといって、村長の言葉を気にしているわけでもない。
意味がないことも、不可能に近いことも、なにもかも承知の上で、だが感情が納得しないのだ。
どうしようもないほど、狂おしいほどに、心は体がなにもしないことを許してくれない。
では、何を気にして彼女の顔は晴れないのか。
それは、コテツ・モチヅキとかいう冒険者の発した言葉だった。
復讐は『とてもすっきりする』。あの男はそう言った。
彼女を止める言葉はたくさん掛けられた。意味がない、無理だ、殺された者は喜ばない。
飽きるほどに掛けられたその言葉に、彼女はお前に弟の気持ちが分かるものかと心中で叫んできた。
だが、あの冒険者の言葉は、今までのどれとも違う言葉だった。
それが、彼女の顔を暗くさせる。
「……私は間違ってない」
彼は初めてポーラを肯定した。
だがしかし。
あの男の言った『とてもすっきりする』という言葉は。
復讐の結果を端的に表したその言葉は。
「でも、まるで……」
まるで、自分の復讐が、たったそれだけのようで。
彼女の心中に、一石を投じた。
「それじゃ、安っぽすぎるじゃない……」
復讐することに迷いはない。
だが、別のところに迷いが生じた。
これが復讐でいいのかと。
「あーもう、ムカつくわね……!」
ポーラは頭を振って思考を打ち切った。
「もう、文句の一つでも言ってこようかしら」
彼女は立ち上がり、部屋を出て冒険者達の寝ている部屋の扉を開けた。
ノックもなにもしていないが、
(まあ、家主だし、一応)
そう考えて自分を納得させ、はたと気付く。
(そういや、寝てるわよね。さっき、声も聞こえなくなったんだし)
あんたに言われなくても勝手にする、と憎まれ口を叩こうかと思ったのだが、部屋が真っ暗ということは寝ているのだろう。
それをまったくもって失念していた。
それを失念するほどに、考え事に集中していたわけだが。
「……って」
そんな中更に気が付いた。
というよりは、忘れていたのである。自分の家にベッドが二つしかなかったことすらも。
色々とありすぎて余裕がなかったことを考えれば一概に責めることもできないが。
(私が悩んでるのに何こいつら乳繰り合ってんのよっ!)
女の方が、後ろから男に抱きつく形で、二人は眠っている。
女の方の、布団からちらりと見える肩は白く、細く、艶かしい。
それが、ポーラに性的なことを想起させ、頬を赤く染めさせる。
(悩んでたのが阿呆らしくなってきたわよ馬鹿野郎)
起こして文句の一つでもと思ったが半分くらいは自分の落ち度ということにして、やめた。
なんとなく、女の方が幸せそうで引き離すのも、憚られた。
「寝よ」
結局彼女は何もせずにすごすごと帰っていったのだった。
お待たせしました。今回の話が完成しましたので、これから更新期間に入ります。
今回の話は多分あと四話か五話くらいだと思います。更新する段階で切りのいいところで分けて一話にしてるんで正確にはわかりませんが、多分そんなところかと。




