75話 温いコーヒー
ある日の午前中の事である。
「何の用だ」
アマルベルガに呼ばれたコテツは、執務室へとやってきていた。
そして、そんなコテツを見るなり、アマルベルガは微妙な笑顔を浮かべた。
「ねぇ、コテツ。今日は素敵な休日だと思わない?」
言われて、コテツは窓の外を見る。
空は晴れ間が広がり、空気が爽やかに澄んでいる。出かけるなら絶好の日和となる。外で食事をするだけでもいいかもしれない。
確かに、概ねその通りだとコテツは判断した。
「そうだな」
「でしょう? そんな休日に、私は書類とデートなのよ」
嫌な予感を、コテツは感じていた。
「……そうか」
「だから、あなたを呼んだのよ」
嫌に疲れた顔だった。そんな顔を見てから、コテツは目を逸らすことにする。
ふい、と九十度右へ逸れた視線。
「俺に政治は分からないぞ」
「別に手伝えとは言わないわ。ただ――」
その言葉に、少しだけ視線を戻すと、彼女は笑っていた。
どちらかと言えば、厄介ごとを運ぶ笑みで。
「少し、付き合いなさい。最低、コーヒー三杯分くらいは」
つまり、急いで帰ろうとすると水っ腹になる。
そういうことなのかと、コテツは諦めることにした。
「はい、どうぞ」
「……ああ、すまない」
「あら、王女の淹れたコーヒーよ。もう少し喜んでくれても構わないわ」
アマルベルガ手ずから淹れたコーヒーを渡され、コテツは笑みも見せない彼女に半眼を向けた。
「随分、手慣れているようだな」
一国の王女だと言うのに、自分でコーヒーを淹れるのに慣れている、というのも妙な話であるとコテツは思う。
それとも、コテツが知らないだけで、それがこの世界では普通なのか。
だが、アマルベルガの表情を見るに、そうでもないようだった。
「ふふ、心がある程度荒んでくるとね、誰にも会いたくなくなるのよ。メイドでもね。大体徹夜三日目くらいは目に隈がない人間は一通り憎いのよ。だからつい、お茶を淹れに現れたら意地悪したくなってしまうの」
「結果が、そこにある器具一式か」
「ええ、そうよ。街で買った安物だけど、重宝してるわ」
そう言って、彼女はその道具一式に目を向ける。置いてあるポットのような器具は、魔力を通して水を温めることもできる、そういう品らしい。
「では、俺も憎らしくなる前に退散しよう」
しかし、そんなコーヒーはともかく。
コテツは撤退の道を選ぶことにした。戦場で生き延びるコツは上手く逃げることだ。
どんな機体であろうと、腕があろうと、巨大兵器の直撃があれば機体は沈む。生存は絶望的だ。危険を察知し、そこから逃げることによって生存は成立する。
だが、既に時機は逸していた。
「あなたはいいわ。そこにいて頂戴」
逃げることに失敗したコテツは、黙ってアマルベルガの隣に控えることとなる。
「やっぱり、女の子なんかに意地悪すると良心が痛むけれど、あなたなら、問題ないものね」
そんな事を言いながら、アマルベルガは優しく微笑んだ。
「……何故だ」
「やっぱり、皆恐縮しちゃうのよね。面白い位おどおどしちゃって、そこまでされると心が痛むわ。でもあなた、元から私に敬意なんて持ってないじゃない」
残念ながら、否定はできない。
コテツにとってアマルベルガは君主とかではなく、厄介ごとを運んでくる困った相手だ。
上司であるとは思っているが、そこまでだ。
「ある意味、あなただけが私と対等に接してるのよ?」
「どうやら、これから態度を改めるか、真剣に考える必要があるようだ」
「要らないわ。現状がベストよ」
一刀両断され、コテツは黙り込む。
「ところで、コーヒーは美味しい?」
そして、問われて彼は手の中にあるコーヒーへと目を落とした。
「ああ。悪くない」
「そう、ならいいわ。他人に飲んでもらうのは、初めてなのよね」
「そうか。コーヒーの味など分からない身ですまないな」
「別に、私もそこまでこだわる訳じゃないから、不味くなければそれでいいわ」
そう言って彼女も、コーヒーに口を付ける。
「ところで、悠長にしていても問題ないのか?」
コテツは、疑問に思ったことを口にした。
先ほどから、一応書類に手をつけてはいるものの、そこまで進んでいるとは思えない。
「別に構わないわよ。実はそんなに急ぐほどの量はないの。ただ、本当に忙しい方がましということもあると思わない?」
言いながら、彼女は疲れた顔で笑う。
「このちょっと後を引いた程度の量で休日の七割が確定で消えるから憎らしいのよ、余計にね」
なるほど、それならば本当に忙しい方がいいかもしれない。
中途半端だから、余計なことも考えるのだ。ならば仕事に集中するしかないほうが気が楽だろう。
「さ、だから世間話でもして気を紛らわせましょ?」
そうやって、アマルベルガは気軽に言ってくれる。
「そうね……。ああ、そうだ、先に言っておくわね。建造中のあなたの機体のことだけど」
しかし、考え込む素振りを見せた割りに彼女が口にしたのは世間話というには些かずれたものであった。
「意外と近い内に完成するわ。ただし、性能は現時点では4割くらい落ちるんじゃないかって話だわ。あなたの求める操縦レスポンスに関しては、八割位は要求を満たしているって所だけど、正直一般の機体よりは何倍もいいでしょ?」
「そうだな」
八割も満たしてくれたならば、他の機体に比べれば十分すぎるほどだ。
「まあ、そうね、聞いた限りじゃ、生きてた腕と、左腕の反応は大体ばっちりで、右腕は少し出力が低下するだけ。足回りとブースター周りが大分劣化って事だけど、詳しくは整備班に聞いてくれると助かるわ」
元通りとは行かないのも元から覚悟の上である。それでも尚、性能は通常機を凌駕しているのだからこれ以上は望まない。
「というか、元が良すぎるのよ。元がアルト並みなのに、アルトが造れない私達じゃ再現しようもないのよね」
「いや、十分だ。それだけのスペックならば、そう簡単には負けん」
相手がエースでもなければ、と言ったところか。
「そ。なら、期待してるわ。きっと、整備班の彼らも楽しみにしてるわよ、あれを動かすの」
「ああ、ならば俺も、期待させてもらおう」
そして、一旦会話が途切れる。
二人の、コーヒーを飲む音だけが響く。
そんな中、アマルベルガの仕事ぶりを見ながら、コテツは口を開いた。
「現状、国内に差し迫った問題はあるのか?」
基本的に、アマルベルガは忙しそうにしている。ならば、その理由は一体何か。
聞いては見たが、そんな簡単なものじゃないだろう、とコテツにも予想はできる。
そして事実、その通りにアマルベルガは首を横に振った。
「それなら、その問題を解決するだけでいいんだけどね。今のところ差し迫ったと言えるかもしれないのは、テロくらいね。後は、慢性的で面倒くさい問題ばかりよ」
そう言って、彼女は呆れたような視線を紙へと落とす。
「税を下げろとか、上げさせろとか、治水工事を頼みたいとか、街道を整備とか、仕事はしないけど予算寄越せとか、働き口をくれとか、そんなのよ」
「大変そうだな」
「他人事みたいね」
「他人事だ。俺は政治に関わる気はないぞ」
きっぱりと言い切って、コテツはそのまま続ける。
「代わりに、君が必要だというのならば、地獄の淵まででも見に行こう。俺と君は、そういうものじゃないのか?」
エトランジェと王族の関係は、その代によって様々だ。
そして、今代、コテツとアマルベルガはどうあるべきか。
コテツは自分が政治に関わるべきではないと考えている。あまり政治に深く根ざすと、身動きが取れなくなる。
今代エトランジェ、コテツ・モチヅキはただの力として存在し、必要とあらば迅速に振るわれるべきだ。
「憎たらしいくらいその通りだわ」
溜息を吐きながらアマルベルガは返した。
「投げ出したい思ったことは?」
「あるけど、ないわ」
仕事を続けながら、アマルベルガは言う。
「結局、これが私の野望実現の無難な道なのよね」
「野望?」
そして、その言葉だけは、コテツの目を見て、言う。
「亜人差別の撤廃よ」
「ああ」
彼女は亜人差別が嫌いだと言う。それは、祖父が亜人を愛し、認められることはなかったからか。
亜人を好いた先代エトランジェの影響か。
「ただね、差別があると都合のいい部分もあるの。意外と人間自分より下がいると思えば安心できるもので、不満が吹き出難くなるのよね」
「差別がなくなると、暴動が起きると?」
「極端に言うなら、その可能性もあり得るってとこかしら。だから結局、国そのものを豊かにしていく地道な道しかないのよね。でも、悠長にしてたら亜人の方の爆発もあり得るし、困ったものだわ」
「険しくても、諦める気はないのだな」
「まあね。それにね、効率が悪いと思わない? 亜人を奴隷として使い捨てるのは」
それに、コテツは同意を示した。
確かに、能力は常人を大幅に上回る。
「それに、軍人だからこそ分かるでしょ?」
「ああ」
そてに、アマルベルガの言うように、育てる分のコストという奴が問題だ。例えばだが、軍人が訓練を受けて、一人前になるまで、結構な費用が掛かる。
特に、パイロットともなれば尚更に。兵士の命は消耗品であるが、高級品でもあるのだ。
ならば、使い捨てるよりもある程度大切に扱った方が結果的に効率は良い。
「育ててちゃんと使えば結構な利益が上がるわ。そのテストケースとしてうちが成功すれば、他の国にも影響が与えられるかもしれないわね。こっちは希望的観測だけど」
「そのために、今は国内整備、か」
「ええ、そうよ。戦争から大分経つのに、まだその辺りの問題は尽きないわ。戦争を理由に目を逸らしてた部分がどんどん出てきてる感じよ」
「戦争が続いていた方が楽だったかもしれない、か?」
「多分そうね。やりたくないけど」
そう言って、彼女は悪戯っぽく笑った。
「それともいっそ、私とあなたで世界征服でもしちゃう?」
「手っ取り早いかもしれないが、御免だな」
「自分で言っておいてだけど、同感ね」
彼女は、溜息を吐くと苦笑しながら言葉を続ける。
「ま、だから地道にやるしかないのだけど。まったく、自分の無能さが嫌になるわ」
そう言って自分を卑下するのは、前の世代が凄かったからなのだろう。
一代で国を立て直した男達を見てきたからこそ、下から見上げてしまうのかもしれない。
そんな彼女に、コテツは言う。
「そこまで、卑下することはないと思うが」
「コテツ?」
「俺の頼りない主観で悪いが、君はよくやっている」
そう言って、コテツがアマルベルガを正眼に据えると、彼女は自嘲気味に笑った。
「素敵な冗談ね。ありがとう」
だが、コテツはアマルベルガから視線を逸らすことはなく。
「俺は冗談は得意じゃない」
しばし、見詰め合うことになる。ただ、仏頂面で見つめ続けるコテツと、意地を張ったようにそれを見返すアマルベルガ。
結局、目を逸らしたのは、アマルベルガだった。
その頬は、いくらか赤い。
「……知ってる」
「そうか」
「でも、照れるから冗談ってことにしときなさい」
「そういうことにしておこう」
赤い顔を誤魔化すように、半眼でアマルベルガはコテツを見た。
「コーヒー、飲み終わったのね」
「ああ」
「今日のところは、一杯だけで勘弁してあげるわ。カップは、その辺に置いときなさい」
「そうか」
どうやら、解放してもらえるらしい。
コテツは、無言でコーヒーカップを置いた。
「次は、椅子を用意しておくわね」
「……次がないことを祈る」
「それと、別の機会にもっとゆっくりお茶でもしましょう」
そう言って彼女は、ひらひらと紙の一枚を振った。
「こんな不粋なものがない所でね」
笑いながら口にする彼女に、コテツは相も変わらず仏頂面を返すのだった。
「そうだな。そちらは楽しみにしておくとしよう」
アマルベルガに解放されてから、廊下を歩いていると次に出会ったのはフリードだった。
老いた外見とは裏腹に背筋は伸び、白い髪を後ろに撫で付けた老人は、コテツを見るなり表情を変えて彼の元へと向かってきた。
「おや、コテツ殿。奇遇ですな」
笑顔でやってきたフリードは、気さくに片手を上げてくる。
「ここで会ったのも一つの縁。よければ、そこのテラスで話でもどうですかな」
「仕事でもしたらどうだ」
「老体に鞭を打っても思うように動きませんでな。休憩がなければ非効率と言うほかありますまい」
アマルベルガの様子を見るに、フリードも暇なわけではないだろうと思うのだが、休憩に付き合えと言われれば断る理由もない。
フリードに付いて歩き、二人テラスに出る。
そして、どちらともなく置いてあった椅子に座った。
「それで、何か用でも?」
問うコテツに、フリードは柔らかい笑みを湛えて返答を寄越す。
「言った通り、話がしたいだけで、特に他の理由はありませんなぁ」
「そうか」
となれば、とばかりにコテツは聞きの体勢に入る。
今日は、よく話を聞く羽目になる日だと、コテツは諦めにも似た境地に達した。
「まあ、話したいこととは、他でもないノエル・プリマーティのことなのですがね」
そして、予想外の名を聞いて、コテツは聞き返すことになる。
「ノエルの事?」
「おや、既に名の方で呼ぶことを許されているのですか」
少し、フリードが驚いた顔をする。
特徴が一極化しているエーポスの初期型は役割を表す名称と、人らしい名前の二つを持っている。
エスクードならば盾、カーペンターならば大工の意味を持つ。
プリマーティは霊長類。彼女の機体はパワードスーツに近く、機体に乗るというよりも、人を強化するというようなコンセプトからだろう。
そして、そんな名の他に彼女らには女性らしい名前が贈られている。
ノエルやソフィアと言ったその名前は、親しい者にしか呼ばせないものだと、コテツも聞き及んでいた。
「一応な。だが、そちらから彼女の名を聞くとは思わなかった」
「彼女の前主とは、少し色々あったのですよ。まあ、色々と」
その時フリードの目に映る寂しさは一瞬であったが、コテツはそれを見た。
「それを思えば、ある意味、彼女は彼の遺したモノとも言えるわけですな」
(随分、親しかったようだな)
「まあ、そんなことはともかく。彼女は、何も知らないでしょう?」
確認するように、フリードは言う。
「そうだな」
今までのことを思い出せば、色々目が離せないと、コテツも思う。
「……まあ、半分はあの馬鹿がろくな事を教えなかったからではありますでな。しかし、まあ、その本人が責を負うにも死んでしまってはしかたありますまい」
「自分が背負うと?」
「なんのことやら。ただ、少し気にするくらいのことはしてやっても良いでしょうな」
フリードの視線が、コテツへと突き刺さった。問うような、値踏みするような目だ。
コテツは、その視線に対して答える。
「彼女のことは、悪いようにはしない、とは言い切れないな」
それを保障できるほど、コテツは人付き合いに自信はない。
だが、それを見てフリードは笑った。
「まあ、でしょうな。それほど器用でないと見受けられる。ですが、おかげで、騙したりできるほどあなたは器用ではないでしょう」
「……釈然としないな」
「どこぞの馬の骨に任せるよりかは、目に入る範囲である分ましなようです」
いい評価をもらえているとは思えない言いようにコテツは少し半眼になってフリードを見つめる。
「あまりお勧めできないがな。どうなるかは分からんぞ」
「色恋など、理想の相手に当たるほうが珍しいでしょう。それに、どの恋もどうなるかなぞ分からんものですよ」
フリードはそう言って、コテツの視線を受け流した。
「失恋も含めて、恋でしょう。彼女が選んだならば私に何か言う権利はありますまい。ただ、あなたなら早まった真似はしない……、できないでしょう?」
否定はしないが、悪い意味で信頼されているようであり、コテツはなんとも言えない気分になった。
だが、そんなコテツを余所に、フリードは言ったのだ。
「そして、こんなことは、あなたにしか頼めないのですよ――」
「……俺にしか?」
「エーポスは、人にとって特別すぎる。対等など、ありえませぬ」
長き時を生きた魔術の権威である。数少ない、龍に対抗するための至高の兵器の一部である。
国に手厚く保護され、有事の際には国の誇る強者と共に戦場に赴く。
そんな彼女らに対し、正体を知って尚おいそれと手を出すような真似が、普通にできるとはコテツも思わない。
崇拝や畏敬に近いものを抱くか、利用しようと考えるか。隠したところで、恋愛をするならいつかは話さなければならないだろう。
「彼女らの隣に立てるのは、彼女らの操縦士くらいのものでしょう。それがいない今、この国で別世界から来たあなただけが、彼女と対等でいられる」
「何が言いたい」
「私から言うことなど何もありませぬよ。ただ、知った上で、真剣に向き合うというのならば」
「否を返せば?」
「それができる程不真面目なら、苦労しないのではありませぬか? エトランジェ殿?」
にやりと笑われて、コテツは溜息を返した。
つまり、結果や選択は彼女自身の意思を尊重するが、コテツはそれに対して真剣に考えろ、と、わざわざ釘を刺しに、フリードはコテツをここまで連れて来たということだ。
「まるで孫娘を心配する祖父のようだな」
「……なんのことやら」
フリードはしらを切る。わざとらしく明後日の方を向いて胡散臭く笑って見せた。
「話はそれで終わりか」
これ以上はきっと疲れるだけだ、とそんなフリードを見てコテツは判断し、立ち上がろうとする。
そこに、フリードが声を掛けた。
「いえいえ、これだけでは些か味気なかろうて、ということで、コテツ殿は色々試行錯誤しているということを聞きましてな。これを」
そう言って、テラスのテーブルの下からごとり、とそれを取り出すフリード。
コテツはそれを見て、とっさにコメントが思いつかなかった。
「……これは」
「――盆栽ですな」
そう、正に盆栽である。
植木鉢に、蟠幹という樹形の、歪に曲がった趣のある松。
「私の趣味でしてな。あなたも如何かと」
どうせエトランジェの誰かが持ち込んだ文化なのだろう、そんな事を思いつつ、とりあえず盆栽を受け取ることにした。
フリードの言うとおり、そういったことも探していかなければと考えているのだ。
だというのに、それはちょっと、などと言っているわけには行かない。例えそれが分の悪い賭けでもだ。
(……どういうセンスだ)
だがその心の呟きに、答える者はいなかった。
「……ふむ、歩き難いな」
そうして、エトランジェが何故か盆栽を持って廊下を歩くという怪奇現象が発生した城内。
「え、エトランジェ様! その様なものは私達侍従がお持ちしますので!」
それを見かけた侍女が、コテツへと駆け寄ってきた。
エリナとの訓練で服を汚されたために上半身裸で城を歩いたときは目を合わせようとすらしなかったのだが、こうしてあからさまな荷物を持っていると話は別のようだった。
「いや、女性が持つには些か重いだろう」
果たしてフリードはわざわざ照らすまで運んだ上でこの盆栽をテーブルの下に隠しておいたのだろうか。
だとすれば、ご苦労な話である。結構盆栽は大きく、重い。
何が老体に鞭打っても、なのだろうか、と考えるコテツの脳裏に、いい笑顔のフリードが映る。
だが、何はともあれ、この盆栽は目の前の女性が持つには大きく、重い。
「そ、それは……」
万一落として破損した場合のことを考えてか、その侍女は口ごもる。
だが、一度手伝うと言って近寄ってきた以上すぐになかったことにはできない。
そして、困った末に、彼女はその問題の矛先をずらすような発言をすることにしたようだった。
「まったく、専属の侍従は何をしているのでしょう」
彼女は、不満そうに口にした。
専属の侍従、リーゼロッテのことだが、当然コテツは彼女と常に一緒にいるわけではない。
彼女には他の仕事もあるし、それに、おいそれと王女の執務室に連れて行くような真似をするわけにもいかないだろう。
「こういうのはあの子の仕事でしょうに。エトランジェ様はなにか苦労していらっしゃいませんか?」
「何がだ」
「専属が亜人であることです。やはり、所詮ケダモノですから、なにかと至らぬところもあるのでは?」
そう言って彼女は労わるような表情を見せてくる。
「言ってくだされば、すぐにでも代わりに私が――」
だが、そんなものはほとんど視界の端にも入らなかった。
そんなことよりも、廊下の向こうで、不意に隠れた見慣れた狐耳と尻尾の少女の方が気になったからだ。
だから、コテツははっきりと口にした。
「俺は彼女に満足している」
そして、驚いた顔をする侍女に、まだ弱いかと彼は続ける。
「……いや、俺は彼女を気に入っている」
その場しのぎの嘘ではない。少なくとも今は、他の人間よりは彼女がいいと思っている。
ただ、それを聞いて目の前の侍女はショックを隠せないようだった。
「えっ……、私なら、あれよりもお役に立って見せますよ?」
きっと彼女の常識では、コテツは頷いて亜人への不満を述べ、人の侍従を望むのだろう。
だが、そんな侍女の横を、コテツは通り抜ける。
「特定人物を追うことのできる嗅覚、遠方の足音を察知する聴覚、いざとなれば暗殺者へ蹴りを敢行する身体能力、最後に人柄。それらが彼女に勝ると言うなら一考させてもらおう」
そして、過ぎ去ろうとしたコテツに侍女は追いすがるように声を上げた。
「そ、それは、亜人の身体能力に敵うわけないじゃないですか。それよりも、家事ならきっとお役に」
「家事は最低条件だろう」
言い放って、コテツはそのまま立ち去った。
これ以上後腐れがないように、足早に振り切る。
そして、彼は狐耳が消えた曲がり角へと赴いた。
その狐耳は、何事もなかったかのように廊下を歩いている。
が。
「リーゼロッテ」
「ひゃいっ!?」
面白いほど肩が跳ね、尻尾と耳が天を指す
そして、振り向いたその頬は赤い。
「えっと……、コテツさん。その、あ、それ、お持ちしましょうか?」
「いや、それには及ばない」
「そ、そうですか」
結局盆栽を持ったまま、コテツはリーゼロッテの隣を歩いた。
リーゼロッテもどこか気まずげにコテツに付いて歩く。
彼女は、気まずげなまま、何も言わないでいる。
コテツも、何も返さず歩みを続ける。
だが、しかし耐え切れなくなったかのように、リーゼロッテは声を上げることとなった。
「あ、あのっ」
「なんだ」
コテツが返すのはぶっきらぼうな返答。
それに向けられたのは、感謝の言葉だった。
「ありがとうございます」
「何のことだ」
「その、上手く言えないんですけどっ、誰かに必要とされるってとても嬉しいことだと思うんです」
とぼけて見せたコテツへと、彼女は言う。
「お母さんが死んで、一人になったとき、私は凄く怖くて、街に降りてきて、でもやっぱり、誰も相手にしてくれなくて……。そこで、拾ってくれた人、お姉ちゃんがいたけど、その人もいなくなっちゃって……。そのあとアマルベルガ様に拾われて、エトランジェ様のお付になるって言われて、私、嬉しかったけど、怖かったんです。でも、今はそのっなんだか、幸せで――」
上手く説明できない彼女の声を遮って、コテツは口を開いた。
「リーゼロッテ。これまでの中で、君でいい理由は増えていない」
「……え?」
「だが、君がいい理由ならば増えた」
それは、彼女に限った話ではない。
(しがらみが、増えたな)
情が移ったとも言うのかもしれない。
「俺の侍従は、君でなければ務まらないだろう。危険もあるため強制はできんが、君がいてくれると助かる」
「は、はいっ! どこまでもお供します!!」
しがらみが増えて、来た当初とは随分と様変わりした周囲の光景。
一人機体を駆って戦い続けていた頃とも違う。
「それと、これから暇であれば買い物に付き合ってくれないか。取り合えず、じょうろが必要だと思うのだが」
だが、それもまたいいか、そうコテツは断じた。
「……えっと、それ、育てるんですか?」
「受け取った以上、一通りはな」
コテツもデレ期が来たかもしれません。
次の奴は長さが微妙だしオマケみたいなものなので今回は二本同時更新します。