69話 デッドマンズプール
そうして、ミカエラが落ち着いたのを確認して、コテツ達は再び活動を始める。
「ええ……、まあ、私は隠蔽魔術が得意ですわ」
と、そこでコテツの耳に風切り音。
先頭を歩くコテツは首を逸らしながらミカエラに答える。
「レーダーに映らないあれか?」
そして次の一歩でカチリ、と音が響き、コテツは今度は体を反らす。
遅れて風切り音が響くが、彼は無視した。
「え、ええ、そうです。魔力や熱の隠蔽。短期間、小サイズに限定されますが、透明化もできますわ」
「それは凄いのか?」
カチリ。コテツは一歩前に早足で踏み出す。
今度はクラリッサがコテツの問いに答えた。
「派手さがない割りに影響の高い魔術は総じて複雑な傾向にあります。分かりやすく言えば、適当に火の玉出している方が簡単ということですね」
「なるほど、ではその逆になるわけか」
そして、また例の音が響く。
コテツは一歩左に逸れて、そこで再びカチリと響いた。
「あのですね――」
首を後ろへ反らして風切り音が通過して行き、その時に一歩後ろに下がった左足が更なる音を上げ。
「――罠は避けて行くものですわーッ!」
耐えられなくなったミカエラが叫んだのだった。
「避けているだろう」
コテツが答えたのは、横から飛来した矢を左手で掴み取るのと同時だった。
「……いえ、そういう避けるじゃなくでですね。もっと大きな意味で避けるというか……」
「大差あるまい」
「問題ないと思います。現に進めていますし」
何を馬鹿なことを、とミカエラを見つめるコテツとクラリッサに、ミカエラは一人肩を落としたのだった。
「何で私がアウェーなんですの……?」
そんな彼女を余所に、気にせずコテツは歩き続ける。
「そもそも、他に道がないのだから仕方あるまい。幸い、矢くらいならば避けられる」
確かに、壁などの痕跡を注視して矢くらいしかトラップがなく、しかもリロードに時間が掛かると見たのはミカエラ本人なのだが、理不尽を感じて仕方がない。
他に道がないからと、強行突破とは。
「まあ、それは、そうですけれども。これはちょっと……」
「当たらなければどうということはない。合理的ですね、コテツ」
脅威の反応速度で飛来する矢を避ける、掴むが容易いコテツを先頭に、剣で切り払う位は難しく感じないクラリッサ。
そこに越えられない壁を挟んで一般人のミカエラだった。
「いえ、でもしかし、罠を舐めて掛かると――」
と、その瞬間。再び音が響き渡り、今度は今までの矢を飛ばすトラップとは違うものが現れた。
突き当たりの壁から現れたのは、黒い拳大の砲口。
――ああ、言わんこっちゃない! そんな風な台詞をミカエラが吐こうとするより先に、硬質な鉄が振動する音が響き渡った。
「問題ない。無力化できたようだ」
音を出した本人は、何でもないように言い切った。
砲口が現れた瞬間の一瞬の間もなく、自らのロングソードを投擲した体勢で。
今では、ロングソードが砲口に突き立ち、砲口からは煙が上がっている。
「……なんかもうどうでもよくなってきましたわー」
そして、振動していたロングソードを引き抜き、歩みを進めるコテツと、何事もなかったかのように続くクラリッサ。
それを呆れながらも、ミカエラが追う。
そんな三人ではあるが、なんとか順調に迷宮内を進んでいた。
コテツの反応速度と身体能力によるごり押しと、クラリッサの剣と魔術の器用さと、ミカエラの冒険者としての勘と隠蔽魔術等が上手く噛み合った形である。
「小型が来ましたよ、コテツ」
「群れか。ゴブリンだな。対応はどうする」
前方から迫る小鬼の群れを見て、クラリッサは事も無げにこう言った。
「下がっていなさい。魔術で焼き払います。あなたは残った敵を」
「了解した」
クラリッサが剣を横に構え、言葉を紡ぐ。
「……略式詠唱」
その時点で既に、風が吹き、クラリッサの髪が舞う。
急激に空気が温まったのをミカエラは感じた。
その熱によって空気の流れが生まれたのだ。
そして、魔術発動のトリガーを、彼女は引く。
「――燃えなさい」
瞬間、目の前が炎で埋め尽くされた。
暗い緑の体表を焼かれ、小鬼達が喚きだす。
(……略式詠唱、そして自分の魔力だけでこの威力。私には真似できませんわね)
自分の体内の魔力だけで行なう内成魔術。それをほとんど詠唱なしで行い、辺り一面を埋め尽くす炎を放つ。
内在魔力の少ないミカエラにはできない芸当だ。
と、そこで更に、クラリッサはダメ押しにもう一度。
「手順をトレース。リブート」
範囲や狙いまでまったく同じ設定で、まったく同じ魔術を使う手法。
イメージや脳内での術式組立ての時間を無くし、魔力を消費するだけで魔術が発動する。
意外と最近の技術で、先代エトランジェが編み出した秘法『コピー&ペースト』である。
編み出されて五十年も経たないこの技術がソムニウムで浸透しているのには、単純な理由がある。
「手順をトレース。リブート」
ただ単純に、強いのだ。
「手順をトレース。リブート」
唱えるたびに、激しい炎が相手を焼き尽くす。
まったく同じ設定の魔術しか放てないため、術者は一歩も動けず、狙いも変えられないが、魔力の続く限り連射が続くというのはあまりに大きな利点だろう。
「手順をトレース。リブート」
五回目の地獄が生まれ、そこでやっとクラリッサは口を閉じた。
「残った敵など一匹もいないが」
「もしもの時という奴です。小型の十や二十で苦戦していては副団長など名乗れませんよ」
終わった後に、動く敵の姿は残っていない。
ただただ、いくらかの焦げ痕が残るばかりだ。
「まあ、それでも威力より範囲を優先したせいで五回も使用することになりましたが」
「十分でしょうに。敵が片付いたなら問題ないですわ。それより、魔力の方は大丈夫ですの?」
「あなたに心配されなくても、大した消費じゃありません」
「あなたも大概化け物ですわね……」
「私など、団長に比べればまだまだですよ。さ、道を急ぎましょう」
謙遜しつつ、クラリッサは歩き始めるのだが、彼女のタフさにはその当の団長ですら舌を巻くほどである。
『彼女は恐るべき脳き……、いや、体力とタフネスを持っている。迷宮に連れて行くなら十分に役に立つぞ』
というよく部下を理解した台詞を、ミカエラは聞いてはいないが、こうして実地で理解するに至るほどだ。
「見えたぞ、階段がある……」
そうして、ひとしきりミカエラがクラリッサに驚嘆を覚えた後、コテツの視線を追う。
通路の終わりに大き目の部屋があり、その向こう側に階段が見える。階段はかなり大きく、両端は人が通れるようになっていて、そこから内側は、SHサイズの巨大なものになっている。
落とされた時の天井の高さから推測するに、この階段を上がった階で丁度合流できる可能性はある。
と、しかし。
「……トラップか」
上の階のことを考えるより先にやることがあるようだった。
部屋の中に入った途端、背後に鉄格子が下りる。
そして、広い部屋の中に、黒いもやのようなものが立ち込め始めた。
『……ォ、ォオォ』
それは嘶きにも似た何か。まるで空気が悲鳴を上げているかのような。
黒いもやは幾つもの塊となり、人影のようにそこにぼんやりと立つ。
「死霊です! 気をつけなさい!」
「死霊?」
聞き返すコテツに、クラリッサが叱咤する。
「死者を分解し再利用して作り出す、魔力素の塊のようなものですっ!」
死霊。死者を分解し、そこから残留した魔力素を取り出して作り上げたモノが、目の前のそれだ。
動きは鈍く、固体の戦闘力はあまりないが、この状況にとっては厄介と言える。
「む……?」
その理由はゆったりと迫ってきた一体をコテツが切り裂いたことで知れた。
死霊は、その斬撃をあっさりと受け入れ、真っ二つになり断面を晒す。
『ォオ……、ォオオオ』
だが、すぐにそれは一つになり、斬撃などなかったかのように元通りになってしまった。
「物理攻撃は効きませんよ、コテツ!」
「なるほど。とすると俺は役立たずのようだ」
そう、問題点はそこだ。物理攻撃が効かない。水を切るようなものだ。流体のように分かたれても簡単に一つに戻る。
倒すのは容易ではない。だが、隙間なく取り囲むようなそれを撃破せずには、階段に辿り着けそうもなかった。
「参りましたね……! 私には苦手分野です、ミカエラ、あなたは?」
「そこそこ、ですわ。何とかしたいところですが時間がかかります」
「分かりました、援護はしましょう」
これを倒すには、特殊な手段をとる必要がある。
ミカエラは、できるだけ後ろに下がり、鉄格子に背を付けて、言葉を紡いだ。
「光よ――」
今から放つのは外成魔術。周囲の魔力素を取り込んで放つ魔術であり、内成よりも制御が繊細で難しい。
それを詠唱の補助無しで撃てるほど、ミカエラは外成魔術に精通していない。
威力や効果が高くても、結構な時間が掛かる。
「コテツ、私達の仕事は時間稼ぎです!」
「ふむ、どうするか」
とりあえず、とばかりにコテツは剣を群れに向かって振るう。
威力としてはまったく通らない無駄な斬撃ではあるが、それでも少しの足止めにはなる。
「白く染めよ、輝き塗りつぶせ――」
ミカエラが詠唱を続ける中、クラリッサは剣を振るいながらも、別の敵へと魔術の矛を向けた。
「略式詠唱! 座標指定、標的設定、氷結っ!!」
それは黒いもやの下半分を氷漬けにし、動きを止める。黒いもやは漏れ出すようにそこから動こうとするが抜けきるまではしばらく掛かるだろう。
「動きは鈍いですが纏わり付かれないように気をつけなさいコテツ! そのまま窒息まで持っていかれますよ!!」
「了解した」
と、二人は奮戦を続けるが、如何せん数が多い。群れを二人で相手し続ける、それ自体は良くても、相手が減らないのでは限界がある。
そんな最中で、遂に、漏れ出した一匹がミカエラへと牙を剥いた。
『ォォォオォ……!』
「其は白、其は太陽――ッ!」
視界が黒く塗りつぶされる。まるで、夜が迫ってくるかのようだ。闇が、ぽっかりと口を開けて待っている。
体は強張っても、詠唱を止めないことだけが抵抗だった。
一度纏わり付かれた場合、今行なおうとしている方法以外で取り除くことは難しい。掴んで引っ張ったところで、もやのほんの一部が千切れるだけだ。
だから、あとは、圧殺されるか、窒息で死ぬか。
(誰か――っ!)
今にも纏わり付かんとする死霊たちに目を見開いたその時。
その死霊を殴り飛ばしたのは、コテツだった。
鈍い音を立てて、死霊が吹き飛んでいく。
「ふむ、ダメージは通らなくても、物理法則には従ってくれるようだな」
「コテツっ、一部纏わり付かれてますよ!」
「承知の上だ。すぐに害がないならば、彼女が詠唱とやらを終えるまで保てばいい」
クラリッサの言うとおり、コテツの腕にはいくらかのもやが纏わり付いていた。
だが、足止めの方法に適すると気付いたのか、遂にコテツは死霊を殴り倒し始めた。
(ま、まあ、確かに、衝撃を与えるというのは死霊対策の一つでもありますし……)
確かにまあ、あれらの質量が低いことを利用して、風を起こす魔術で一気に吹き散らす、などのやりようはある。
今回は室内という性質上吹き飛ばした結果上から降り注ぎかねないのでできない芸当だ。
(で、でも……。突っ込みたい、突っ込みたいですわぁっ!)
確かに剣は効かない。だが、だからと言って殴る馬鹿がどこにいる。
(剣が効かなかったからって拳で殴るって馬鹿ですの!? お馬鹿さんですの!?)
普通、殴った結果纏わり付かれることを恐れるし、そもそも、普通大部分が吹き飛ぶような勢いで死霊は殴らない。
『……ォオ』
どことなく、殴り飛ばされ地面に叩きつけられた死霊の声も恨めしげだった。
「ふむ、意外となんとかなるものだ」
コテツは、体のあちこちにもやを纏いながらも呟いた。
(突っ込みたい……! 突っ込みたいですけど、それは後回しですわね)
ミカエラは益体もないことを考えながらも、その脳裏には必要な術式が組みあがっていく。
「輝け――」
詠唱も止まってはいない。本職ほど極めてはいないにせよ、冒険者として、意識していなくても発動できるように鍛えた努力の賜物だ。
確かに、本職の研究者のように、詠唱を省略したりはできない。
だが、戦闘の最中、動揺しないこと、ミスしないこと、何があっても発動させること。つまり、冒険者としての魔術の扱い方ならば、幾らでも訓練してきたのだ。
「"イルミネイト・フレア"!!」
最後の起動ワードが響き渡り、魔術が発動する――。
現れたのは、まるで太陽。
頭上3メートルほどのところに、突如として光り輝く球体が現れる。
そして、近づこうとしていた死霊が、動きを止めた。
「ふむ、終わったのか?」
「そうですね。これで終わりでしょう。後は待つだけです」
剣をしまわぬまま、コテツとクラリッサが後ろへ数歩下がる。
「ミカエラ、これはどういうものなんだ?」
そして、コテツは上に光る小さな太陽を指差して問う。
そんな問いに、ミカエラは何食わぬ顔で答えてやった。
「ただの照明ですわ。明るいでしょう?」
すると、いつもと表情は変わらないくせに、どこか怪訝そうなコテツ。
それがおかしくて、ミカエラはようやく一矢報いた気分になった。
そう、上に浮かぶのはただの照明。光るだけで、見た目に反してほとんど熱も放っていない。見た目だけ神々しいただの張りぼての太陽だ。
「言いませんでしたか? あれは魔力素の塊だと。そして、外成魔術は周囲の魔力素を取り込んで放つ魔術ですのよ? それと、ああいう大量生産系は対魔力操作が掛かってませんから」
してやったり、といい気分に任せて、ミカエラは饒舌に語る。
「ほら、始まりましたわ」
そして、その言葉と同時に。
『……ォ、……ォォ』
まるで霧が晴れるように。
黒いもやが霧散していく。
「つまりこういうことですわ」
外成魔術は空気中の魔力を取り扱う魔術。それならば、魔力の塊である死霊達も、だ。
「なるほどな。あれを直接取り込んで上の光に変換しているのか」
「ええ、そういうことです。持続する適当な燃費の悪い外成魔術を使えば勝手にいなくなってくれますのよ?」
ミカエラが歩き出し、近づくと、死霊たちが霧散していく。
彼らの構成に必要な魔力だけでも奪ってしまえば後は自壊するだけなのだから、話は簡単だ。
頭上の太陽は、狙いを付けたように濃い魔力から吸い上げていく。つまり、魔力素の塊である死霊たちからだ。
いとも簡単に、闇が溶けていく。
「お眠りなさい。もう出てくることはありませんわよ?」
『ォォォ……』
闇が溶け切って、部屋に静寂が戻った頃、ゆっくりと光が消えていく。
「ああ、それとあなた」
「なんだ?」
「死霊はああやって対処するものじゃありませんわーっ!」
ずっと我慢していた台詞である。
「ふう、すっきりしましたわ。先を急ぎましょう」
「……君がいいならそれでいいが」
「これは何かあると突っ込まずにはいられない体質ですか。いい加減慣れると思うのですがね」
歩き始めて、そんな会話をする二人を、ミカエラはくるりと振り返る。
「いいですか? 私は絶対そちら側には回りませんからね! 絶対に回りませんわ!!」
そして、叫んでずんずんと大股で歩き始めた。
「まったく、苦難の連続ですわ。こんなことで生きて帰れるのかしら」
「ふむ、苦労を掛けているようだな」
「……まあ、私があなた達の後ろに付こうだなんてしなければ良かったのですが。殺されても文句は言えませんものね」
ミカエラは、そのまま階段へと向かう。
「それより、ディナーの件、忘れていませんわね? こうなったら、なんとしても一級品を食べさせてもらいますわよ」
「覚えておこう」
「まあ、生きて帰れたらですけどね。生きて帰れるのかしら……」
結構長い階段を見て、溜息を吐くミカエラ。
だが、そんなミカエラに、コテツは何気なく返す。
「いや、どうやらそれほど心配する必要はないようだ」
「へ? どういうことですの?」
意味が分からず振り返ったミカエラに、コテツは階段の上を指差した。
そして、闇の向こうからぬらりと姿を現したのは。
『あっ、そこです、いました! いました、ご主人様です!』
『おおっ、ダンナぁー。探したぜ、ダンナァー』
二機のSHだった。
そろそろ今回の話も大詰めです。




