63話 I like you
ディステルガイストを一日預けるとなれば、既にアカデミーにいる意味はなくなった。
故に、コテツはあざみと共に帰ることにしたのだが。
「それでだ」
「はい」
しかし、アカデミーを出てすぐのところ。
コテツの目の前には。
「これは何だ」
「代車だそうです」
パイプで作られたようなフレームに二つの車輪。
動力部はなくて、つまるところ人力であり。
要するに自転車だった。
「SHの代わりに自転車を寄越す文化があるのか、ここは」
「……ないですよ、多分」
「それで、これを使って帰れと?」
「そういうことらしいですね」
王都から、近くはないが、ディステルガイストで飛んで行けば遠くもない距離。
つまり、自転車で行くとそこそこ距離があるということだ。
「諦めて、行きましょうよ、ね?」
「だが、あざみ」
「どうしました? あ、もしかして自転車乗れないとか」
「いや、それは問題ないのだが、しかし」
コテツは、至極真面目な顔で言い切った。
「――二人乗りは犯罪だろう」
「そこですか!!」
極めて普通な自転車が、二人の横で鈍く光っている。
「っていうかご主人様の世界でも自転車って現役なんですか!」
「ああ。田舎では当然のように使われている。技術が急速に進んだから田舎と都市部の落差が激しいぞ」
「夢が壊れますね!」
「そうか」
「っていうか異世界まで来て道交法気にしてどうすんですか!」
「……それもそうか」
そうして、今まで踏んだことのない地上の道を、自転車が鈍く走り出すこととなった。
「そもそもこの世界にこのような自転車があるのが意外だが」
中世ヨーロッパにおける自転車のイメージとはずれた、大分近代的な自転車に、コテツはそんな感想を漏らす。
「これもエトランジェの好みか?」
「大分わかってきましたね。何代目かは忘れましたけど。ま、自分の好きだったもがなければ再現したくなる人のサガ、ですかね」
「確かに、無いと知れば欲しくなるものかもしれんな。しかし、街に出てもこれらを見ることはないが」
「好きな人が乗るくらいですかね。結構高いんで物好きのお貴族様しか乗りませんから、あんまり普及はしてないです。これは、お姉さまの私物らしいですよ」
「そうか」
「まあ、普及してなくて大量生産もできませんから。高いですよ」
コテツのすぐ背後のあざみは、横向きに座って、コテツの背に手を当てている。
「まあ、でもそんな自転車の話はどうでもいいですよ」
そんなあざみは、突然見も蓋もないことを言い出す。
確かにそうと言えばそうなのだが。
「そうだな」
「それよりもですね」
あざみの黒い髪が、風に靡いた。
「なんだ」
「あの子の名前を決めましょうよ」
「あの子とは」
「いやですねぇ、私たちの娘ですよ」
当然のようにそう言ってのけたあざみに、コテツはしばし目を閉じ、溜息を吐く。
「……君に腹案はあるのか」
しかしながら、娘云々はともかく、呼び名がないと不便なのは事実だ。
「ディス子でどうでしょう」
「却下」
コテツの返答は一瞬だった。
「スト美」
「却下だ」
そして、この女は本気なのかと、相棒の正気を疑うことになる。
「じゃあ、ミケで」
果たして、何処をどのようにしてミケなのか。
問題なのは言葉に茶化すような雰囲気一つ感じられないところである。
「本気か」
「ダメですか?」
「……君は止めておけ」
「いいと思ったんですけどねぇ」
どこがいいのかまったく理解できない。
(異世界の文化ということにしておこう)
さっくりとコテツは匙を投げた。
しかし、そうするとやはり、コテツが考えるしかないのだろう。
「彼女の名は俺が考えておこう」
「そーですか。でも、ご主人様のセンスは大丈夫ですか?」
「自信はない。だから他人に頼るか、あるいはもっと無難なところに収めるとしよう」
アルベール、シャルロッテ、クラリッサ、リーゼロッテ、この辺りの人間に頼れば十分力になってくれるはずだ。
最悪、本当にどうしようもなければ、昔どこかで縁のあった誰かの名を借りるというのもありだろう。
(どうせもう会うことも無いだろうからな)
前の世界の人間から名前を借りても、文句を言う者は文字通りこの世にいないのだ。
「じゃあ、お任せします」
「了解した」
肯定を返して、コテツは自転車を進める。
ディステルガイストに乗っていた時とはずっと遅い、ゆるゆるとしたスピードで、自転車は進んでいく。
訪れるのはしばしの無言だ。
ただ、温かい風を感じつつ昼の道を走り続ける。
そして、無言の時間を柔らかく断ち切って、あざみが声をあげる。
「ねえ、ご主人様」
中途半端に整備された道が、車体を揺らす。
「なんか、この自転車二人乗り、凄くロマンチックじゃないですか?」
「理解に苦しむ」
色ぼけたあざみの言葉に、簡潔にコテツは返した。
「愛してますよ。ご主人様」
「悪いが今現在、別に俺はそうでもない」
そう、唐突な告白ももう慣れたものだった。
「もう、相変わらずですねぇ。顔位赤くしてくださいよ」
あざみは最近何故か焦るように告白を口にする。心境の変化とやらがあったらしい。
だが、それに答えられない以上、コテツにとってそれは困った話だった。
ただ、何も考えていないわけではないのだ。現状地に足が着いておらず、すぐには何もできないだけで。
「全てが落ち着いた後可能な限り便宜を図ろうと思っている。だから、しばらく待って欲しいと思っているのだが」
だから、待ちに徹してそういったことは自重してくれると嬉しい、そういうニュアンスの言葉に、あざみは首を傾げた。
「便宜ですか?」
「婚姻関係であろうが、交際であろうが、君の望むようにしよう。それが、君に渡せる俺の対価だ」
コテツは、今後死ぬまであざみを付き合わせる。地獄のような戦場にも、一歩間違えれば死ぬかも知れない地獄にも。
だから、彼女が望むなら、とコテツは思う。
「それは、素敵ですねぇ。嬉しいです」
しかし。
「でも、そこに愛ってあるんですかね? あると嬉しいんですけどね!」
その言葉に、コテツは動きを止めた。
いつになく表情はこわばり、まさにぴたりと、微動だにしなくなった。背には汗が流れるほど。
「……愛がなければ結婚できないと言うのは、初耳だな……」
頭を抱えたのは、あざみである。
「そこが重要なんですよぉー! 一番大切なところなんですよぉー!」
「大きな誤算だ」
「私もびっくりですよ! いや、まあこんなことになるんじゃないかと思ってましたけどー!」
コテツは、沈痛な面持ちで呟く。
「そうか、不足だったか」
残った人生の全てでは、とコテツは呟く。
「むしろ一番欲しいところですよ、足りないの」
なるほど、心が欲しいと言われては、どうにも困る。
むしろ、コテツにとって自分の心のほうが思い通りになりやしないのだから。
「しかしそうすると困難だな」
「好きになってくださいよー! 器量よしの美少女ですよー!?」
「無理だな。別に君のことは嫌いではないが」
無論、好感を抱いてはいる。しかし彼女の望む好きではないだろうことはコテツにすらわかるのだ。
「うー……!」
拗ねたような声。
背後から回された腕に少し力が篭る。
「あ、でも、ご主人様、こないだ恋とかをどうにかするには相手に大きな負担が掛かるって言ってましたよね」
「ああ」
確かに言った。この間、ノエルが恋をさせて欲しいとやってきたときのことである。
「つまり何とかできるってことなんですか?」
それに希望を見出したのか、拗ねてた声はどこへやら。
いつも通りの調子で聞いてくる。
「可能性の話だ。賭けになる。割りに合わないかもしれないぞ」
「いや、でも、ほら聞くだけならタダですし」
「ふむ、そうか。ならば」
そう言って、コテツは考えをあざみに話すことにした。
「既に否定されたことだが、とにかく夫婦でも、恋人でも真似事をしてみればいいのではないかと思われる」
「それで?」
「その真似事に違和感がなくなれば成功ではないのか?」
コテツの出した結論だが、あざみは納得仕切れていない様子だ。
「……うーん。どうでしょう」
「逆に、それがないことに違和感を覚えるようになってしまえばそれはその人間を求めていると言えないだろうか」
「つまり毎日キスして、しなくなったら寂しく思えば大成功ってことですよね? 言われてみれば確かに。失念してましたけど結婚から始まる恋ってのもないことはないんでした。そしてご主人様にはそのほうが効果が高いかもしれません」
なるほどなるほど、とあざみは頷き、そして言う。
「つまりちゅーしろってことですね? 大胆です、ご主人様」
「何故そうなる」
「駄目ですか?」
「駄目だ」
「てか、だったらプリマーティお姉さまもそれじゃ駄目だったんですか?」
その言葉にコテツは難色を示した。
まず一つ目の理由は、コテツが男で、プリマーティが女だからだ。
男と女では失うものが違うのだ。
そして、もう一つ。
「目的が違う。彼女の目的は恋をすることだ。逆に、君が求める俺への目的は、俺が君を好きになることだろう?」
「……なんか、その言い方、どきどきしますね。好きになってくれるんですか?」
だが、その問いにコテツはわからんと答えた。
「正直誰にも勧められん方法だ。知りもしない土壌にとりあえず種を蒔くようなものだ。芽吹く確率は極めて低い」
「まあ、大変でしょうねぇ……」
「そこで大変なのは君の方だろう。肥料と水は君の負担だ。それで無理だったでは割りに合うまい」
つまるところ、リスクが平等ではない。それを強いるのは、望ましくないことだ。
だが、ただ一つ、それに対して異を唱える要素があるとすれば。
「いいですよ。好きになってくれるかもしれないなら」
余程の物好きが、背後に居ることなのだろう。
「愛は見返りを求めないんです。いや、やっぱり愛には愛で返して欲しいですけども」
「……物好きだな」
あざみは、体勢を変えて、背後からコテツの肩に顎を乗せる。
「やって後悔したほうがいいってところでどうでしょう?」
「……ふむ」
コテツは、今現在、彼女の思いに応える気はない。何故なら、彼女と同じ思いを彼女に抱いていないから。
今後のことを思ってもコテツがまともに恋愛ができる確率は高くないだろうと思っている。
だから、むしろ時間と共に諦めてくれないかと考えてすらいるのだ。
だがしかしそれでも、彼女が答えを求めるのなら。
真剣に向き合うことだけが、行き先が地獄であっても着いてきてもらうことになる彼女へのコテツにできる礼儀だろう。
「俺は君より先に老いて行くぞ」
「でしょうね」
「そして君を置いて逝く」
「だから、私が必死なんでしょう?」
あざみが、コテツの背に頬を当てて、呟く。
「考えを改めましたよ。まあ、フラれっぱなしの今よりはずっとマシじゃないですか、真似事でも」
「遠まわしに諦めろと言っているつもりなのだがな。今も、時間と共に諦めてくれると助かると思っている」
「恋する乙女舐めちゃいけませんよ。それに、言質とったようなもんですよ。私が同意すれば、結婚してくれるんでしょう? とりあえず、試しに」
本当に諦めが悪い、とコテツは心中で溜息を吐く。
「そういう意味合いの表現をしたつもりはないぞ。君も愛がないと意味がないと言ったばかりだろう」
「またまたぁ、分かってますよ。家とか、国内の情勢とか、色々落ち着かないとおちおち夫婦生活も営めないってことでしょう? それに、考えを改めたって言いましたよ?」
「……」
もうどうしようもない。諦めてコテツは何も言わないことにした。
「ま、幾らでも待ちますよ。なんせ、ご主人様が現れるまで随分長いこと待ったわけですから」
自転車がゆるゆると進んでいく。
二人しかいないそこから、王都はまだ見えなかった。
「……理解に苦しむな。俺から操縦技術を取ったら何も残らないだろうに」
そんな道の途中で、ぽつりとコテツは溢す。
すると、当然だと言わんばかりにあざみは言葉を返した。
「だからいいんじゃないですか。あなたが完璧超人だったなら、私はただのアルトの"パーツ"で十分でしょう」
果たして帰るまであとどれ位かかるのか見当もつかない。
だが、一人で何かしている時よりも。
「でも、そうじゃないから」
ただただ、背中が暖かい。
「私はあなたの"お嫁さん"になりたいんですよ――」
二人の立ち去ったアカデミー、カーペンターの研究室。
「でさ、君に聞きたいことがあるんだよね」
『私にお伝えできることがあるのならば』
「うん、お願い、聞かせて。なんで君が、ディステルガイストがこの世界に存在しているのか」
いつになく、真剣に、茶化した表情一つ見せることなくカーペンターは問うた。
『当機は初代エトランジェの建造したアルトの最終シリーズとして存在し、その存在はエーポスと共に在り、龍を倒すために在るものです』
「……うん、知ってる。それは全てのアルトに課された使命だよ。アルトを元に作られたSH全ての宿命でもある。だけど、聞きたいのはそんなことじゃないんだ」
『質問に、正確性を求めます。私にそこまでの柔軟な対応はできません』
そこで、カーペンターは逡巡を見せた。
(聞いたらダメかなぁ……、でも、聞きたいなぁ)
そう考えたのは一瞬で。
「ディステルガイストってさ、異常なんだよねー。んー、異常って言ったらダメか。変、異端、まあ、なんでもいいや」
『当機が特殊ということでしょうか』
カーペンターはあっさりと頷いた。
「うん、変。アルトは様々に特化してる。後期はある程度曖昧になってるけども、コンセプトありきでこれがしたいってなってる。でもね、君の特徴はなに?」
『数多の武器群によるあらゆる状況への対応です』
「そ。私は工兵向け。ソフィアは防衛向け、プリマーティはその小ささと突進力。ヘンカーファウストはできる限り武器に頼らない格闘力。君の近くではそんなもんかな? あとは狙撃とか、でっかい銃と剣の付いたスピードタイプとか」
『はい』
「それで、君は全対応型。でも、君は最後期型。つまり、大体全部に対応できるだけのアルトが建造されてから君は造られた。その目的は?」
『質問の意図が……、掴めません。正確な入力を』
状況に対応した特化型が出揃ってから、ディステルガイストは建造されたのだ。
一拍の間を置いて、カーペンターは問う。
「君は……。私達を全て破壊するために造られたわけじゃないよね――」
初代エトランジェは、様々なアルトを造りだし、そして龍と戦い、多くの龍は彼によって斃された。
ディステルガイストが造られたのは、丁度その後のこと。
カーペンターは思う。
全てのアルトは既に用済みなのではないかと。
多くの龍が滅ぼされた今、アルトの用途は既になく、ただ戦争の火種になるだけなのではあるまいか。
それを感じた初代が、全てのアルトの役割をこなせるディステルガイストを造りだし、他のアルト全てを破壊しようと考えたのではないかと。
先ほどの言葉は、当時の初代に、怖くて聞けなかった言葉。
「私たちはまだ、この世界に居ていいよね?」
その答えは――。
『私にそのような任務はインプットされておりません』
ほっとしたのか、なんなのか。
否定でも肯定でもないが暫定的に、まだ存在を否定されてはいないらしい。
「そっか」
『確かに、私にはまだオープンしていない機能もあります、全てが明確とは言えないでしょう。しかし、初代はエーポスを愛し、その身を案じていました。故にこそアルトが戦争に利用されることにいい顔をしなかったのだと思います』
コクピットの中、光る画面の中の相手は、いかにも人間臭い台詞を残してくれた。
『彼は貴方達を娘のように思っていたように見受けられます。娘を殺す父親がいるでしょうか』
「そだね」
そう言って、カーペンターは軽く微笑んだ。
『それに。全てを決めるのはきっと、私のパイロットでしょう――』
「それもそっか。ま、無用な心配だったのかなー? っと。うん、聞きたいことも聞けたし、よしっ、今日は一晩かけて君を磨いてあげようっ! ぴっかぴかにしてあげる!」
『感謝します。エーポス、カーペンター』
そんなカーペンターのことなど露知らず、少しずつ、自転車は王都へと近づいていく。
「愛してますよーご主人様」
「現状俺は君を好いていない」
「もう、そんなんでもしも他の女の子に告白されたらどうするんですか」
「そんな物好きは早々いるまい」
「ここにいますよ」
「一人で十分だろう」
「うーん……、まあいいですけどね。でも、お願いです。真面目に考えてあげてくださいね?」
「いいのか?」
「そりゃ、もったいないとは思いますけど。私を理由に向き合う前から終わってしまうのは私がヤです」
「君が?」
「格好付かないご主人様も好きですけど、そういう格好悪いのはダメだと思いますよ?」
「肝に銘じておこう」
「はい、お願いします」
そう言って、笑っているのだろうあざみに向かって、コテツは呟く。
「ふむ。今気付いたのだが」
「なんです?」
「思ったよりも、君はいい女なのかも知れないな」
「ふふふ、今更ですか?」
結局、二人は夜まで自転車で走り続けるのだった。
次回から大型の話に入ります。
それが終わったらストック切れとなるので、また書き溜めです。