57話 いい夢を。
王都の外。
ナタリア・クレープキーはそこに有る。
そこに居るのではなく、ただ、有り続けるかのように立っている。
光の下、彼女は笑っていた。
「あらおはよう。あの人はどうしたの?」
その目に知性も理性も存在はしない。
硝子球のような瞳でやってきたコテツ達を見つめていた。
「彼は死んだ」
そんな彼女へと簡潔に、コテツは事実だけを伝える。
そしてその返答もまた、簡素。
「そう」
ただ、その顔は晴れ晴れしそうに見えて、少しだけ、寂しそうでもある。
一つだけ確かなのは、彼女が笑っていることだ。
「寂しいのか?」
「そうかも。そうかしら? 長い付き合いだったものね。ふふふふふ」
いまひとつ上手く感情の読み取れない笑顔で、彼女は言う。
コテツの隣に立っていたあざみは、そんな彼女を見ながら口を開いた。
「お姉さまは、あの一瞬だけ正気に立ち返り、彼に手を貸しましたよね?」
コテツは頷いた。自分にも心当たりがあったのだ。戦闘の途中、ずっと黙っていたナタリアが不意に、理性を伴った声を上げたのを、しっかりと覚えている。
「どうしてなんでしょうね。あのタイミングで何故彼を助けたのでしょう」
質問に、ナタリアは答えてくれなかった。
ただにこにこと笑って、空を見上げている。
「死んだのね。なら私は自由なの? 自由……、でも私は何処に行けばいいのかしら? 分からないわ、あのお花畑はどこ?」
張り付いたような笑顔がそこに有るだけだ。
代わりに、コテツが可能性の一つを唱える。
「ストックホルム症候群か」
「人質が、長い共同生活で犯人に情を覚える、ですか。ありそうですけど、その言葉は風情がないですね」
そして、もう一つ。
「あるいは、哀れな男への、最後の手向けか」
「……どうなんでしょうね」
「さてな」
答えは目の前の虚空を見つめる彼女にしか分からない。
答えの追求を諦めて、あざみはポツリと呟く。
「これからお姉さまは王都に送られる、ですか」
二人のすぐ横には、来るときから一台増えた大型トレーラーが存在した。
ヘンカーファウスト移送のために急遽送られてきたそれに、既にヘンカーファウストは積み込まれている。
「そして療養と言ったところか。あの花畑と状況がそう違うとは思えないが……」
コテツが言い、そして、少しの間が空いて、ナタリアとあざみの視線がかち合った。
「いや……、君達がいるか」
「あら、あざみ? あざみかしら、あざみだわ、あざみでしょう?」
はっきりとその瞳は、あざみを捉えている。
「はい、そうですよ、ナタリアお姉さま」
「おひさしぶり、元気してた? ねえ、泣き虫のアマルベルガは元気? 強がりのシャルロッテは? いつも静かなソフィアは今も静かなの?」
「そうですよ。皆、元気ですから。お姉さまも帰りましょう」
あざみが、優しく微笑んだ。
「……まあ、お姉さまは大丈夫でしょう」
その言葉は、コテツへ向けてのものだろう。
「あの時、一瞬だけ意識が戻ったということは、もしかしたら少しだけ、お姉さまの精神は生きているのかもしれません」
「そうだな」
「大丈夫ですよ、きっと。人と違ってエーポスは寿命で死にませんから。この先の時間は、無限に有るんです。私達のことだって分かるなら」
「時間の解決を待つ、か」
「はい」
あまりにも無責任な言葉、しかし、信頼できるとコテツは受け取った。
どうせ、突如として状況が今より悪くなることはないだろう。
ならばあざみの言うとおり、気長にやっていけばいい。
ある日ふっと元に戻るかもしれないし、戻らない方が彼女にとって幸せなのかもしれない。
どちらにせよ精神の問題は急いだところで碌なことになるとは思えない。
「そうか。では、出立だ」
機体の中へと戻っていくナタリアを見送って、コテツ達もまた、自らの機体のコクピットへと入る。
果たしてコテツ達はいつまでアンソレイエに居るのか。
それは正に今日まで。
「そういえばご主人様、ご主人様が捕虜にしたアレが色々と吐いたみたいですよ」
すぐに居なくなるというわけにもいかないが、ずっと居るのもおかしい話だ。
後始末が済んで、事件が終息したと判断されたら帰るのは道理と言えるだろう。
「下っ端だから、ろくな事知らないみたいですけど。ライン・イレーサーとか名乗って漁夫の利狙いのせこい輩だそうです。今度会ったら正攻法で頑張れば? と言ってやりましょう」
「そうだな」
「まあ、詳しいことは更に尋問が進めばアンソレイエから報告がくるでしょうね」
そうあざみが締めくくる中、突如通信が入る。
モニタの向こうには、女王の姿があった。
『まだ、本拠地も規模も分かりませんが、必ず見つけ出して倒して見せます』
「モニカ、か。聞いていたのか」
「別に聞かれても問題ないでしょうし、関係のあることですから、先に開いちゃいました」
『あの人たちが現れたら言ってくださいね。私達も、できる限りのことをしますわ』
「よろしく頼む」
たとえどんな相手でも、戦争がしたいというのならコテツの敵だ。
たとえ世界が変われども、何が起ころうと、それだけは変わらない。
「さて、ではそろそろ行く。色々と世話になった」
コテツはいつもの顔で、モニカは笑顔で別れの言葉を交わす。
『こちらこそ。またその内、遊びに来てくださいな。歓迎しますわ』
「機会があればな」
『今度はただ、遊びに来てくれるといいなって思います。仕事とか、事件じゃなくて』
「ああ、そうだな」
『では、また』
「ああ」
短く切って、コテツは機体の足を動かした。
他の面子もまた思い思いに機体を動かし始める。
「終わりましたねー、色々と。疲れました……」
「そうだな。だが、城に着くまでは……」
「気を抜くな、でしょう?」
「……ああ」
「おっけーです、じゃあ、帰りましょうか」
こうして、長いようで短かった旅は終幕を迎えた。
晴れた街道が視界の向こうを何処までも続いていく。
ソムニウム、城内。
最近クラリッサが、そわそわしている。
そして、自分もまた、その時を待っているのだ、と自覚している。
アマルベルガは城の管制室で暇そうにしていた。
実質は暇というわけではない。今回の件の余波はここまで届いている。
だが、その仕事を急いで片付け、少しの間隙を縫ってここに居るのだ。
『到着した』
エトランジェを誰より先に迎えるために――。
「もう少し気の利いた言葉は無いのかしらね」
『すまないが持ち合わせていない』
いつもの融通の聞かない対応が何処となく落ち着く。
「まあ、そうでしょうね。ここであなたが気障な言葉を放ってきたら舌を噛み切って死ぬわ」
『……そうか』
あまりにいつも通りな反応に、アマルベルガは思わず笑みをこぼした。
「まあ、お疲れ様。よくやってくれたわ。ほんとは手放しで誉めてあげたいんだけど、あなたと私じゃ様にならないものね」
まだ年若い未熟な駆け出しの王族と、既に円熟した強さのエトランジェでは箔が違う。
周囲からの評価や、本来の地位は違うこともあるかもしれないが、自分がコテツを一方的に誉める、つまり上からコテツを見下ろすというのには違和感があった。
「今日は、休んでていいわ。さすがに何かさせる気はないから。ゆっくり休んで」
『分かった』
そうして、アマルベルガは満足した。
さあ、これからまた仕事だ。
外交に関しても色々根回しをせねばなるまい。
色々とすることを頭の中で書き出して、アマルベルガは管制室の椅子から立ち上がっる。
そしてふと、思い出したかのように、マイクへと、通信の向こう側にいる相手へと語りかけた。
「おかえり――」
『……ああ、今帰った』
微笑んで、歩き出す。
そして執務室に戻って、あれこれと必要な書類をしたためる。
戦争が起きていたら今頃こんな風に気楽に書類仕事をこなす暇はなかっただろうと思いつつ。
コテツの頑張った分くらいは精力的に働いたってばちは当たらないだろう。
「……まあ、示しが付かないものね」
そんなことを呟きながら、アマルベルガは精力的に仕事を続けるのだった。
書類を確認し判を押す作業、あるいは書類を書いて遅れるように形を整える作業。
山ほどある仕事をアマルベルガは全身全霊で片付けていく。
(今頃、部屋に着いたかしら。話がしたいわね。仕事はいつ終わるかしら)
そうして時計の針は進み続け、仕事からアマルベルガが解放されたのは太陽が赤くなってから、夕暮れ時になってからだった。
いつもよりも精力的に行なったせいか、いつもより少しだけ早い時間だ。
「これなら、大丈夫でしょう」
執務室を出て、廊下を歩く。
彼女は一点を目指し、歩き続けた。
「邪魔するわね」
そして、とある部屋へと彼女は入っていく。
そこは。
「あら?」
コテツの部屋だった。
「……寝てる」
だが、その状況に、アマルベルガは少しだけ驚いた。
コテツが、部屋のベッドで寝ている。
布団も使わず、ほとんどそのままベッドの上に乗っているだけだが。
「あなたでも、こんな風に眠るのね」
呟いた言葉に、不思議な気分になった。
些か機械的なこの男。眠りもせずに働き続けるんじゃないかというイメージがある。
だが、人間ではあるのだ。少なくとも生物なのだ。
それを今実感した。
「それとも、休んでって言ったから律儀に寝てるのかしら」
それなら、彼らしいとも言えるだろう。
目を瞑り、規則的に寝息を立てるコテツ。
それが微笑ましくて、アマルベルガはベッドに座ってコテツの前髪を撫でた。
夕日に照らされたニホンジンの黒い髪が揺れる。
初めて振れる家族以外の異性の髪は、自分より何処となく硬い感触がした。
と、そんなときだった。
「……何か用か」
ぱちり、とコテツの目が開く。
それを見て、アマルベルガはとりあえず謝ることにした。
「起こしちゃったかしら? 悪いわね」
しかし、コテツは気にした風でもない。
「それは構わないがなんの用だ?」
先ほどまでとは打って変わり、ベッドから降りてアマルベルガを見ながら問うコテツ。
対照的にアマルベルガはベッドに座りながら答えた。
「感想を聞きに来たのよ」
「感想?」
「そう。どうだった? 初めての外国は。アンソレイエはあなたにとってどう映ったの?」
そんなアマルベルガの言葉に、コテツはしばしの思案という返答を返した。
そして、それをやめたと同時に口を開く。
「悪くはなかった。思うところはあるが、基本的には良い所だっただろう」
「そう、あなたにとってはそう思えたのね」
「ああ」
その頷きに、少しの不安を覚え、
「……実は向こうに残りたかったとかないでしょうね」
そう言って、アマルベルガは半眼を向けた。
コテツは涼しい顔でそれを受け流す。
「俺は、当面の上司が君でよかったと思っている」
その言葉は素直に嬉しい。
嫌われていない、どころか少しだけ評価されている。
それが嬉しくて頬が緩みかけるが。
しかし、聞き捨てならない言葉が一つ。
だからアマルベルガは肩を竦めて半眼になり、それに応える。
「当面の、なのね。ここで生涯を通して忠誠を誓う相手は、とか気の利いた台詞は出てこないのかしら」
自分がそれに足る人物ではないと思いながら、冗談めかして彼女は言った。
「持ち合わせて居ないな。だが、君と俺が決定的に道を分かつまでは君を上司と仰ごう」
「まあ、丁度いいかもね。私が所構わず戦争するようになったらばっさり殺してちょうだい」
「そうする前に、理由くらいは聞いておこう」
言外に、それくらいの信頼はあると、彼は語っていた。
「あなたにしては優しい対応ね」
「君は中々得がたい上司だ。それに、逆もまた然りだろう」
「あなたが暴れるようになったら止めろって? 無理、嫌だわ」
いつになく、アマルベルガは即答した。
「エトランジェの手綱を握るのが、王の仕事だろう」
「当のじゃじゃ馬にだけは言われたくない台詞だわ」
「これでも協力的なつもりだが」
「じゃあ協力的なじゃじゃ馬ね」
その言葉に、コテツが黙り込む。
会話は途切れ、一瞬の間が生まれた。
そんな間へと、アマルベルガはその言葉を差し込んだ。
「まあ、でもそうね。確かにあなたの手綱を握るのが私の仕事だわ。なら、あなたは寝なさい」
そうして、アマルベルガは微笑むと、コテツの手を取り引っ張った。
コテツは、下手にアマルベルガに当たらないように動きを制御するだけで、それ以上の抵抗はしない。
結果として、コテツはベッドに倒れこみ、彼の頭はアマルベルガの太股の上へと収まった。
「適度に休ませるのも、褒美を取らせるのも、手綱を握る仕事の内だと思わない?」
「これが褒美か」
「王女様の膝枕がご不満?」
「一般的には価値があるのだろうが」
「酷いのね」
そんな台詞を吐きながらも、アマルベルガは笑っている。
「結構恥ずかしいのよ?」
「ならやめればいい」
「いやよ。寝るまでは、こうしているわ。始めちゃった意地があるのよ」
「……もう何も言うまい」
「だから、早く寝ることね」
「そうさせてもらおう」
そう言ってコテツは目を瞑った。
アマルベルガはそんな頬に触れて、呟く。
「お疲れ様、お休みなさい――」
二人だけの空間を、夕日だけが見つめていた。
というわけで、今回も終了です。
いつも通り、短いエピソードを少し挟んで、次の話に入ります。
キャラとして完結してない今回のナタリアや、前回のプリマーティについても色々触れていきます。