55話 本物の空
「死ねぇッ!」
今更、知性など。今更理性など。
一体どうして必要あるのか。
溜め込んだ物を、押し込めた全てを、今は開放してもいい。
獣のように暴れ狂って構わない。
飛び回って逃げるディステルガイストを追い、コルネリウスはヘンカーファウストを操作した。
そして、追い回るうちにやってきたのは、城内であった。
中に入れば普通の大きさなのだが、入り口はSHを迎えることもできるようにかなり巨大に作られている。
そしてそこから、そのまま格納庫に進むことが可能である。
しかしエトランジェはここを戦場に選んだ。
「なるほど……、柱が乱立しているここならば我が機体の動きを制限できる、と」
確かに、小回りという観点では向こうが勝るだろう。しかし、パワーで勝るこちらが押している。
ならばこの選択肢は悪い物ではない。小回りが生かせて、相手の動きを制限できるならば、ベストの選択肢と言える。
「だが甘いとしか言いようが無いな、浅知恵だ、エトランジェ!」
確かに、ヘンカーファウストは相手に比べれば小回りが利かない。
しかし、この程度の柱で動きが制限されるほど、アルトは甘くないのだ。
柱の合間を縫って、突進。
すぐさま距離は零に等しくなり、コルネリウスは黒い機体に拳を放つ。
殺った。そう思った。
しかし、するりと抜けられた。
「……ん?」
相手の動きが変わった気がした。
今まで距離を取るように逃げ回っていたのに、今度はむしろ、近づくように。
――接近されている。
「くっ!」
その事実に気が付いて、コルネリウスは取り繕うように拳を放つ。
相手は左にずれるように避けた。
(距離を取れない……!)
幾ら弾幕のように拳を放っても。
相手はぴたりとくっついたまま離れてくれない。
その状況が焦りを呼んだ。
そんな中、相手は何も言わない。
感じるのは底冷えするような恐怖だ。
その恐怖に、思わずコルネリウスは機体を後退させていた。
ここに来て初めて、コルネリウスは機体を下がらせてしまった。
そして響く、冷たい声。
『あざみ、仕留めるぞ』
まるで、心臓を鷲づかみにされるような。
このままではまずい。
呑まれる。
(まだだ、装甲がある、力負けはしていない、勝てる……!!)
自分をどうにか奮い立たせ、コルネリウスは敵を睨み付けた。
「む!?」
睨み付けた、はずだった。
「いない!?」
ディステルガイストが消えていた。視界のどこにもいない。
思わず背後を振り向いたその視界の端にちらりと影が映って、思わず拳を放った。
振り払うようなその拳。
それは黒い機体に――、当たらない。
消えた。忽然と、それは姿を消した。
そして今度は逆方向に。
上下を反転させた体勢で中に浮かび、それはそこにいた、はずだった。
「そこか!」
手応え、なし。
今度は正面から現れた。
だが……、消える。
「なんだそれは! どうやって消えている!!」
音も無く、動き続ける。
それが速度によって行なわれた物ならば、スラスターなどの音が聞こえるはずだった。
しかし、相手はまるで軽やかに、無音で消えていく。
(何故……! どうやって! 機体にそんな機能が付いているのか……!)
コルネリウスには他の答えを出すことはできない。
だがしかし、エトランジェはまるで簡単なことのように言い放った。
『無意識に視線が向く方向と逆に動いているだけだ』
ぬっと、眼前にディステルガイストが現れている。
「っ!?」
思わず振るった拳にやはり手応えはなし。
まるで幽鬼のように、ぬらりと現れては消える。
コルネリウスは、恐怖を覚えていた。
たしかに、レーダーを頼りにすれば、ちゃんと正しく動きを示している。
ただ、コルネリウスが目で追えないだけなのだ。
しかし。
「どこだっ!」
『ここだ』
背後。まるで死神に鎌を突きつけられているかのよう。
幻影をかき消すように、ヘンカーファウストが腕を振り回す。
決して当たる事は無く、むしろ慌てれば慌てるだけ当たりはしない。
(これがっ、エトランジェの……、本物の本気ということかっ……!)
コルネリウスは本気で恐怖した。
濃密な死の気配。死ぬ。
まだ、死にたくない。生きていたい。
そう恐怖して、しかしふと、コルネリウスは立ち返った。
「今更何を恐れる……。何を恐れることがあるっ!」
今更死を恐れる理由などどこにある。
『なら来い』
答えたのは、どこまでも冷静沈着な男だ。
口の端を歪ませて、コルネリウスは機体を走らせる。
死は既に恐るるに足らず。
後顧の憂いは断ち切れ既に無い。
ならば後は思うがままに暴れればいい。
「役立たずめ! 役立たずのモニカめ!! 役立たずが最後に化けたか!!」
分かっていたのだ。力に魅了された時点でこうなる定めだったのだと。自分が愚かなことをしていると。
だから娘が後を継ぐと言って、納得したのだ。自らが死んで責任を取ることが、国を守ることなのだと。
ならば最後に、死に花を咲かせるのが。
「……後を頼むぞ」
『お父様……!?』
それが最期を飾るに相応しい。
相手はエトランジェ。不足は無い。
待ち受ける姿は正に威風堂々。これ以上ない相手。
彼我のその距離は零に縮まり、コルネリウスは拳を放つ。
吹き上がる炎によって加速した拳。それをエトランジェは首を捻ってかわして見せた。
(見事……!)
だが、まだ。
拳はもう一つある。
殴る。避けられる。繰り返して加速する――。
「当たらぬ……! 当たらん!!」
殴る、避けられるを繰り返して、速度を上げ続け、しかし当たらず。
それでも尚がむしゃらに。
思考など放り捨てて。ひたすらに。
「……そういえば、お主にも多大な迷惑を掛けたな。ナタリア・クレープキー。だが、もう少し付き合ってもらうぞ」
ちらりと背後を盗み見て、コルネリウスは彼女を気遣った。
今回の一番の被害者は、彼女だ。
そして、それで尚付き合ってもらうのだ。
「幸い、あれらにはお主を傷つけずに我を殺す術があるらしい。後のことは、安心せよ」
そうして、自らの敗北を半ば確信したような台詞に自嘲する。
――たった一度の間違いだったのだ。たった一度の過ちだった。
しかしそれは死に至る病でもあった。ただ強く、そういう、男にならあって当然の思いが死を運んできた。
これが力に魅了された報いかと。
彼は諦観を覚えていた。
しかしそんな彼へと。ずっと黙っていたはずのナタリアが。喋る余裕など無いはずの彼女が、微笑みかけた。
「可哀想な人。押さえつけられて、夢さえ潰えた哀しい人。あなたに、力を貸してあげる」
驚いて、思わず振り向く。
彼女の瞳に理性の光が現れ、消える。
それきり彼女はなにも言わない。まるで夢か幻のようだった。
しかし、背後に四つの魔法陣が現れ、先ほどのことを事実と肯定していた。
コルネリウスは振り向かずに背後へ呟く。
「……主に感謝を」
その魔法陣から現れたのは一体何か。
それは、腕だった。二対の、拳だった。
宙に浮かぶ拳が敵を向く。
「往くぞ――」
合わせて六の拳で放つ乱打。
まるで嵐のように、叩きつける豪雨のように、濁流のように。
『六本しかないはずなのに、攻撃が同時に十個以上存在してますよ!? ご主人様!!』
相手のエーポスの驚いたような声が聞こえる。
いい気味だ、とコルネリウスは口の端を歪めた。
だが。
『質量付きの残像とでも表現すればいいか?』
こんなときでもこの男は冷静なのか、と。
『あー……、それでいいんですか? ご主人様』
『慣れたぞ。この世界は魔術で説明すれば大概どうにかなるだろう』
『……変に慣れましたね。っていうか避けれるもんなんですね、これ』
拳は激しさを増す。無視してくれるなと。
こちらを見ろと。
だが、嬉しくもなった。
本物はここまで強いのかと。その姿は若かりし頃の夢と一致した。
強い力による奔放さは、彼に強い憧れを感じさせていた。
憧れへと向かってひたすらに挑んでいくその行為に心が躍る。
拳の連打は鳴り止まない。
「おぉおおおっ!」
そうしてやがて。
乱打が止まる。
「……やはり」
手応えは、無い。
敵は、無傷――。
『終わりか』
「終わりだ」
『万策は尽きたか』
「尽きた」
『了解した』
目前に立つ、モノクロームの巨人がその瞳を輝かせる。
そして、その両手の鎖鎌を大きく引いた。
「む!?」
轟音を立てて、柱が折れる。天井の一部が崩れる。
瓦礫が視界を埋めようとする中、それは煌いた。
一体それは何か。
鎖だ。
幾本も、幾本もの鎖が、周囲を取り囲むように浮いている。
「柱に掛けていたのか――!!」
ここに誘い込んだのは小回りのことを考えていたからではない。
今気が付いた。今、全てがわかった。
敵はこの中を動き回り、仕込んでいたのだ。
ヘンカーファウストの周囲を取り囲むように、鎖を。
こうしてヘンカーファウストを捕らえるために。
気が付いた時にはもう遅い。
鎖が、機体を捕らえる。
音を立てて、周囲の鎖が自由を奪い去っていく。
腕を、足を、胴を絡め取って雁字搦めにする。
「見事……!」
腕の一本も、もう動かすことはできなかった。
最大出力を以ってしても、微動だにしない。
相手が、今一度鎖鎌を引く。
無理やりに機体が引きずられ、向きを変えた敵機と背中合わせになる。
そして、ディステルガイストは宙へと舞い上がった。
決着だ、とコルネリウスは理解した。
「……エトランジェよ」
『まだなにかあるのか』
「いや、今となっては王ではなく、只の逆賊。エトランジェ殿よ」
『……なんだ』
「……娘を。この後の国を頼めないだろうか」
『ソムニウムと敵対しない限りは』
「真面目だな……。ならばこそ、安心できる」
そう言ったなら、この男は本当にソムニウムと敵対しない限りはやってくれるだろう。
真面目な男だ、と奇しくも同じ男に娘と同じ感想を漏らしてコルネリウスは大きく息を吐いた。
では後は。
機体が、動き出す。
宙を、滑空し始める。
「我は幼き頃、騎士になりたいと思っていた」
死出の旅路の始まりに、ぽつりと、コルネリウスはこぼす。
「直接的に国を守るのが好ましいと思っていてな。しかし、我は王族。所詮夢は夢よ」
戦場を奔放に駆ける。それは敵わぬことだった。
だが、最期に、戦士のように戦場を駆けることができた。
「魅せてくれ。本物の空を」
そして今から、本物の戦士の駆ける空を見ることができる。
『了解――』
鋼のような冷たい声。
機体が加速していく。
身体に掛かる圧力が上がり、段々と苦しくなってくる。
そして、次の瞬間。
景色が目まぐるしく変わる。まるで世界が回転しているかのように。
己を中心に、自分が世界を振り回しているかのように。
なんと素晴らしい世界か。
「……ああ」
コルネリウスの意識は泡のように弾け、そして消えた。
次回は消化試合のようなものをして、戦闘終結、そのままエピローグです。