51話 紅の花弁
見取り図に描かれた隠し通路の場所を確認し、その見取り図を焼却して処分した後、交代の時間となってコテツは王城の廊下を歩いていた。
そんな時、擦れ違おうとした兵士の手の中にある紙が先ほど持ってきてもらった見取り図と同じものだと気がついて、コテツは彼を呼び止める。
「それは城の見取り図か?」
「はい、そうですけど、何か問題が?」
「いや、なんに使うのかと思ってな」
「ああ、これは新しい警備の配置ですよ。先ほど王も含め、会議をしましたので、これで警備は磐石です!」
「見せてもらっても?」
「はいどうぞ!」
気前よく、兵士はそれを見せてくれた。
規定に引っかかったりはしないのか、それとも信用されているのか。
それはさておいて、コテツは見取り図の内容に目を落とした。
(……ん? 王も隠し通路からの侵入を警戒しているのか?)
先ほど見た隠し通路の分布と人の配置。
あからさまではないが、重なっている。
(いや、待て……、これはどういうことだ?)
違和感を覚え、コテツは見取り図を注視した。その配置には、一つだけ違和感があった。
モニカをその部屋に入れて守るというその部屋に、隠し通路があるのだ。
相手が隠し通路を使うなら、それは直接部屋に敵が現れる可能性があるということであり、死に直結するはずだ。
「すまない、ありがとう。王はまだ会議室に?」
確認の必要が出てきたのを感じ、コテツは兵士に紙を手渡した。
「はい」
「わかった。では」
言って、コテツはそのまま王の下へと歩き出す。
会議室はすぐ目の前だ。
「おお、エトランジェよ、何か用か?」
「先ほど決まったという警備案を見させてもらった」
「そうか、どうであったか?」
「相手が隠し通路を辿って現れる可能性があるのに、地下通路がある部屋で護衛を行なうのは危険ではないか?」
その言葉に、想定外にもコルネリウスは疑問符を返してきた。
「隠し通路を辿って、だと?」
更に深く踏み込むとなると、報告していなかったことを報告しなければならない。
言うべきか、言わざるべきか。
コテツは悩んだが、ここで真意を問わないわけにはいかなかった。
「先日引き渡した男が居た周辺を探ったとき、隠し通路を使った痕跡が見られた。暗殺は地下から侵入しているのではないか?」
「なんだと……!? やつらが隠し通路の入り口を知っているというのか……!! ありえぬ! ……こうなってはあの男を拷問してでも……」
想像以上の驚きに、コテツの方はと言えば違和感を覚えていた。
(王は隠し通路から来ることは想定していなかった。ではこの配置は……?)
不可解である。
果たしてこの配置は誰がどのような思惑でこのようにしたのか。
コテツが考える中、コルネリウスは冷静に立ち返り、口を開く。
「……いや、しかし、逆にそこから出てくるのであれば迎撃も簡単なのではないか?」
「なるほど、あえて餌にすると? 確かに、そこから出てくるのが決まっているならば対処も簡単だが」
「そうでなかった場合は本来の逃走経路として使うが良い」
「了解した」
そうして、違和感を感じながらも、コテツはその会議室を後にした。
歩きながら彼は考え込む。
暗殺、そしてその読めない侵入経路、隠し通路から現れた緑の男。
地下通路の女。今回の配置。
(それではまるで、隠し通路から来る敵に警戒するのではなくて、隠し通路に入ろうとする敵を……)
と、そこで、コテツの思考を断ち切るような声が響いた。
「王! 大変です!! このような書状が!!」
駆け込んでいく兵士に、コテツは今しがた出た会議室へと舞い戻る。
一体どうしたのかと室内を眺めたときには、コルネリウスが、一枚の紙片を睨み付けて、握り締めた拳を震えているところだった。
コテツは、徐にそれに近づき、コルネリウスへと問う。
「書状を、見せてもらえるか?」
「む、ああ。すまぬ」
手渡された紙を、コテツは眺めた。
『準備はできた。場所も知れた。明日はお覚悟を。式典も始まる明日は、我々も派手に盛り上げて見せましょう』
そして。
ひらりと落ちる赤い花弁。
「……そうか」
ぬるりとした、背筋を這いずるような嫌な予感がした。
(大丈夫なのか……?)
「どうしたんですか、ご主人様、そんな深刻そうな顔して」
「そう見えるか?」
自室でコテツはベッドに腰掛けて、あざみと話をしていた。
「なんていうか、お疲れ様です、みたいな顔してますよ?」
室内には、話の邪魔にならないように控えるリーゼロッテの姿もある。
「これからよくない事が起こると思われる。しかも、想定の一段や二段上かもしれない」
「暗殺騒ぎですよね? お姫様が死ぬ以上によくないことってなんですか?」
確かに、現状ではそうなのだろう。だがしかし、状況的に本当にそうなのか。
「果たして、それだけで終わるのか?」
「どういうことです?」
「それだけで終わるには、手が込みすぎていないか? それに……」
不可解なことがいくつかある。
地下の女とSH。アレはアルトだと、コテツは半ば確信している。
今回の件と無関係なただの秘蔵の品だというのならいいのだが。
(繋がるとすれば一体どう繋がる……?)
それに、モニカを殺した所で一体何が手に入るのか。
美しく、民衆に人気のある姫が死ぬ。なるほど、だがそれまでだ。
「彼女が死んで一体誰が得するんだ?」
「そう言えば、誰でしょうねぇ」
「後継者争いは?」
「これがないんですよ。本当は第一王子と第二王子が居たんですが、謀殺し合って相打ちという間抜けな結果に」
「つまり彼女しか居ないと」
「いやあ、しかしですね、分家から持ってこようぜとか言い出したらそっちの男の方が優先されますから」
「なるほど、後継者争いになれば確実に負けるのか」
ならば暗殺などするまでもない。
よって、後継者関係は考慮に入らない。
「怨恨ですかね?」
「まあ、手紙で王の大切なものを奪うとまで言っているからな。王が悔しがる以外に結果が見出せん」
「確かに、やることみみっちい割りに、手口が非常に大掛かりですよね。力入りまくりです」
正直なところ、未だに何が起こるのか、コテツはわからないでいる。
それが悩ましいところだった。嫌な予感はするのに対処法が全く分からない。
「覚悟しなければなるまい」
「どこまで、想定してます?」
「最悪、国を揺るがす事態になると見ている」
「そこまでですか?」
コテツが不可解だと思っているのは、予告状もだ。わざわざ送ってくる意味はなにか。
囮なのではないか。
「最悪の場合だ。だが、それくらいは可能だろう? モニカに目を向かせてコルネリウスを襲うという可能性もある」
「そりゃ、自由に出入りしてますもんね、敵が。ほんとどうなってんでしょう」
その気になれば、内部に部隊単位で人を送り込めると言うことだ。
そうなれば、城の中は一気に地獄になることだろう。
敵が本腰を入れる明日は、そうなる可能性がある。
「明日は、何が起こるかわからないと思っていい」
呟いた言葉に、あざみは苦笑を以って返した。
最悪の事態を想定しているコテツに、しかしあざみは笑みを返したのだった。
「大丈夫ですよ。ぶっつけ本番、上等じゃないですか。混乱から逃げれなくても、混乱の中で上手く立ち回ればいいんでしょう?」
「簡単に言ってくれる」
「だって、超絶美少女で才気煥発な上に最強のアルトのエーポスで、最高の操縦士の相棒である私が付いてるんですから」
自信満々に言い切ったあざみに、コテツは心中呆れ気味に彼女に問う。
「その自信はどこから来るんだろうな」
だが、あざみは全く笑みを崩さない。
彼女は、自信満々に胸を叩いた。
「そんなの、私がそう決めたからですよ。私は超絶美少女で才気煥発な上に最強のアルトのエーポスで、最高の操縦士の相棒だって」
「自称、か?」
彼にしては珍しく皮肉気に問えば、あざみは自信満々に返して見せる。
「決めたなら、後は証明するまでですよ」
「そうか。……まあ、それしかないだろうな」
コテツは、その言葉に少しだけ笑みを乗せて頷いたのだった。
そして、立ち上がる。
何が分からなくとも、やることはある。
「どこか行くんですか?」
「少し、王に呼ばれていてな」
「なんでしょうね」
「話がしたい、だそうだ」
「まあ、そりゃ、明日になればそれどころじゃありませんしね。式典も始まるし、暗殺もやばいとくればゆっくり話せるチャンスは今日くらいかと」
「だろうな、では、行ってくる」
コテツはそう言って部屋を後にした。
「呼び立ててしまってすまんな、エトランジェよ」
「問題ない」
コテツはコルネリウスに呼ばれ、その寝室へと足を運んでいた。
小さなテーブルを挟んで二人、向かい合うように椅子に座っている。
そんな中、コルネリウスが、会話の口火を切った。
「いよいよ明日……、というのは囮かも知れんが。しかし、明日になってしまえばろくに話すこともできまいて」
たとえ暗殺者が現れなかったとしても、式典が始まればやはり王と話す暇もない。
納得して、コテツは頷いた。
「ああ」
「酒は飲むか?」
「いや、そう言ったものは嗜まない」
「そうか、だが一口も飲めぬというわけではないのだろう? せめて気分だけでも手伝ってもらえると助かる」
「それくらいならば構わないが」
コルネリウスは、既に用意してあったグラスに、高級品なのであろう酒を注ぐ。
色は透き通っていて、元より詳しくないコテツは、異世界の酒の事情は更に詳しくない。
それを見て取ったか、コルネリウスは、その皺の刻まれた顔を歪ませて、薄く笑った。
「蒸留酒は主の世界にもあるのか?」
「蒸留酒か。それならば知っている」
それなりに度数の高い酒だったはずだ、とコテツは少ない知識で思い出す。
「酒を嗜まぬ者に出すには些か適さぬのだがな」
そう言って、更に、コルネリウスはその顔を歪ませた。
「……そうか」
コテツはグラスを受け取って、中の液体を見つめる。
「さて、では……、語ろうではないか。エトランジェには、色々と聞きたいことがあってな。今宵が最後の機だろうと、呼び出したのだ」
そう言って、コルネリウスは酒を口に含んだ。
「了解」
コテツもそれに倣って酒を喉へと通す。
コルネリウスは美味そうに飲むのだが、コテツにはこの喉を焼く酒の感覚は慣れないものだった。
「そうだな……、主は、色々と活躍しておるようだな。先ほど、エリナと言ったか。イクールの娘と話す機会があったのだが、色々聞かせてもらったぞ。早くも武勇伝を作っているようではないか」
それは、コテツとしては肯定も否定もしにくい言葉だった。
自慢するのは柄ではないが、否定するには心当たりがありすぎる。
「国の危機を救い、盗賊団を壊滅させ、イクールの私兵と腕利きの傭兵団を同時に相手し圧勝し、数千を越える魔物と戦い勝利を得、そして、御前試合ではアインスで特注機を屠ったと、興奮気味にイクールの娘が語ってくれた。特に、召喚当初の戦争と、魔物の大規模襲撃は我も聞き及んでいる。元気で何よりだな」
はたして元気で何よりというのはコテツに向けたのか、エリナに向けたのか。
しかし、それよりもコテツの意識に入ってきたのは、数千の魔物の、というところだ。
どうやら、フリードの事件はそういう風に伝わっているらしい。
人為的ではなく、ただの災害として、周囲の国にも知らされているようだ。
「そんな主に、聞いてみたいこともあってな」
「機密に触れなければ答えるが」
「なに、そんなことではない」
確かに今の雰囲気から言っても決して生真面目な方向ではないのだろう。
それでも、椅子に座って不動を貫くコテツにコルネリウスは問いを差し向けた。
「主は、なんと言ったものか……。戦いの時に、恐怖を覚えたことは?」
「む?」
想定外の問いに、思わず聞き返す。
コルネリウスは、至極真面目な顔で、もう一度言葉を紡いだ。
「少し気になってな。戦い、敵が構えているのを前にしたとき、主のような操縦士は、何を考えているのか、と。残してきたもののことや、自分の命を心配することはないのかと、主の武勇伝を聞いていて思ったのだ」
その言葉に、コテツは少しの思案の後に答える。
「結局戦うしかないのなら、迷って動きが鈍った方が生存率は下がる」
身も蓋もない言い分に、なるほど、とコルネリウスは頷いた。
「割り切っているのか。操縦士らしい考えだな」
そもそも、生き残るために命を危険に晒して戦うという時点で戦場は矛盾しているのだから考えるだけ無駄なのだ。
考えるのは全て、生き残った後であるべきなのだ。
「ふむ、それにしても、何故そんなことを聞くのだ、という顔をしているな」
「いや……」
「否定せずともよい。エトランジェに、聞かせてみたいことでもある」
酒が回ってきたのか、少し赤くなった顔でコルネリウスは言葉を紡ぎだす。
「我は、幼き頃は、騎士になりたくてな」
「騎士に?」
「昔は……、城に引きこもって紙に判を押すよりも、直接的に民を守った方がいいと考えていてな」
あの頃は無鉄砲だった、とコルネリウスはその頃の自分を笑った。
「結局、夢でしかなかったがな。我がSHに乗って救える民と、政治をして救える民を比べてみればどちらを選ぶかは一目瞭然であった。所詮凡人ではな、救うどころか、戦場では自分の命すら守れぬ」
「そうか」
「そう思って、納得したのではあるが……。死期を悟ると、そういう遣り残したことばかりを考えてしまう」
「死期?」
「まあ、長くは持たんだろうと、思っている。自分の体なのでな。十年と持たんだろう、五年か、六年か、もっと短いか。もしかしたら明日にも死ぬかもしれんと恐々としておる」
「死期はいいが、跡継ぎの存在は?」
「それがないから困っている部分もあるのだ。モニカには王の在り方を教えておらなんだ……」
確かに、目の前の老人は決して若々しいとは言えない。
弱々しさはないが、もしかすると本当に、眠るように死んでしまうかもしれないとは思う。
「主は、恐怖や生のことなど考えず、とにかく行動する、と言ったが……、羨ましい考え方だ。年を取るごとに、余計なことを考えるようになってしまってな……」
「政治と戦場は考えるべきことが違う」
「そうだろうな。だが、それでも我は騎士になりたかったのだよ。だから、羨ましいのだ」
そう言って、コルネリウスは蒸留酒を煽った。
コテツは、その手のグラスを口に運ばず、ただコルネリウスを見る。
「せっかくだ、しばし語ってはもらえぬか? 主の駆けた戦場を。年寄りの慰みに、な。もちろん、明日に影響しない程度にだが」
そう言って、コルネリウスは酒臭い息を吐いたのだった。
「明日の件……、我も不安がないわけではないのだ。もしものことを考えなければならない。……だが、少し気を紛らわしたいのだ」
「……了解」
地下通路。
暗く湿ったそこで、きつい甘い香りが鼻に付く。
コテツの靴が、石造りの床を鳴らした。
「……開いていない、のか?」
コルネリウスから解放されたコテツは、何か起こるであろう明日を前に、今一度あの女性に会おうと思ってそこに来たのだが。
あと一歩踏み込めば花畑だというのに、しかし、そこには冷たい石の壁が横たわっていた。
「ふむ」
手で触ってみても何がある訳ではない。
どういう理屈で先日は開いていたのか考えてみるも、答えは出ない。
見たところ、魔術的な加工が施されているのだろうと、コテツは判断した。
この石壁は、まるで道を間違えたのかと疑うほど、違和感がないのだ。
扉のような繋ぎ目や隙間がまったくない。強い花の匂いがなければ、間違えて行き止まりに出てしまったかのようである。
ここに来て、不可解なことや科学で説明できないことは魔術のせいにしておけば大体間違いがないと学んだコテツだった。
それが可能か不可能かは後で専門家に聞けばいい。
しかし、これでは前に進めない、それが問題だ。明日出直すにも、明日には既に厳戒態勢が敷かれて地下に潜ることはできないだろう。
こうしてここに来たのだって、人の目を盗んできたのだ。
果たしてどうしたものか。コテツは壁に手を触れ考える。
「あら、誰かいるの?」
石壁の向こうからくぐもった声が届いたのはそんなときだった。
「コテツ・モチヅキだ」
「だぁれ?」
「先日会ったと思うが」
「そうだったかしら。そうだったかも。そうだったわね。コテツは男の子、ちょっぴりシャイな十三歳」
何を言っているのか、まともな会話ができるとは思っていなかったので、コテツは表情を変えることもなく言葉を続けた。
「そちらには行けないのか?」
「行けないわ。だって石の壁があるじゃない」
「開けられないのか?」
「開けられないわ」
「どういう条件で開く?」
「開けられないわ」
「……明日の昼は開いているのか?」
「ええ」
会話から、コテツはこの壁に関して考える。
「つまり、昼間は開いているのか?」
この扉は誰かの意思で開いたり閉じたりするものではなく、特定の時間帯に開くものだと考えた。
そして、それは的外れな考えではなかったらしい。
扉の向こうから聞こえて来たのは、肯定の言葉だった。
「あらら、よく分かるのねふふふすごい」
「詳しい時間は分かるか?」
「あら、明日も会いにきてくれるの?」
「ああ。暇があればな」
「嬉しいわ。嬉しいの、寂しいから」
「いつなら開いている?」
「分からないわ、分からないけど、お昼の三時二十分から二十五分までの間、か、も?」
随分と正確な時刻だ。彼女が適当なことを言っていないとも限らないが、他に手がかりもない。
「一度入ったら出るまで開きっぱなしだから、いっぱいお話しましょう? ここのお花が枯れるくらい、枯れるまで」
先日入ることができたのは随分運がよかったようだ、とコテツは心中で呟いた。
確かに、コテツ達が花畑に入ったのはそのくらいの時間ではあったから、完全にでたらめと言うわけでもない。
そのままコテツは、通路内の順路を調べつつ戻ることにした。
「……明日か」
予告通りなら、何かが起こるのは明日。
明かりが懐中電灯しかない通路の中、コテツはぽつりと呟いたのだった。
すみません、風邪でダウンしていました。
とりあえず、話的な峠は越えたので、更新頻度を上げる方向で行きます。
次回からは一気に話が進んでいきます。