45話 アンダンテ
「これでどれくらいの距離だ?」
「目的地までそう遠くはない、思ったより早く着きそうだな」
もう日も暮れた森の中、焚き火の燃える音だけが響いている。
「お尻が痛いです……」
「右に同じです……」
SHに乗り慣れていないリーゼロッテと、長距離行軍は初めてであるエリナは少しだけ顔色が悪そうだった。
「だらしない」
そう言ったソフィアの顔はいつものように涼やかで。
「お姉さま、むしろ年柄年中アルトのシートに座って過ごす上に元から強く創られている私たちとは違うんですよ」
「まあ、いずれ慣れるだろう。リーゼロッテも、コテツのメイドならば今後もこういう機会がある。慣れておけ」
「は、はいっ、でも、どうすればいいんでしょうか……?」
「日ごろから、コテツの膝に乗って訓練というのは……」
「ダメダメ、だめでーす! そんな真似は私の眼が黒いうちは許しませーん!」
今日も一日機体に乗り歩き続けたというのに、あざみもまた元気なもので、シャルロッテとリーゼロッテの会話にぐいぐいと割り込んでいく。
「むしろ私が座りたいですから!」
「そうすると、動かせるのか?」
ふと気になったコテツの問いに、あざみが肩を落とす。
「……無理です」
「所詮私たちはできない運命……」
なんだか、エーポスの二人が暗い空気を出していたが、それをコテツは黙殺する。
「……明日も早い。寝るとしよう」
そうして、コテツは座った体勢のまま目を瞑ったのだった。
旅も半ば、そろそろ国境を越えようかという頃。
困ったようなこともなく。
先のプリマーティ以外にトラブルも起きず、旅は進んだ。
大型の魔物なんてそう会うものでもなければ、小型の魔物は近づいても来なかった。
それ故にただ機体を歩かせるだけで、ここまで来ることができたのである。
翌日。
いつも定時に起きる身体だが、今日はいつもより早いようだった。
「……環境程度で睡眠時間を左右されるほど柔ではないつもりだったが」
まだ、薄暗い森の中で、焚き火がほとんど残り火となって燃え尽きかかっている。
生活リズムをこうも簡単に崩してしまうなど惰弱の極み、などと考えかけて、コテツは違和感に気が付いた。
「……君たちか」
あざみがコテツの首に腕を回し、エリナがコテツの胸に寄りかかるようにして寝息を立てている。
特にあざみの腕はきつくコテツの首を締め上げていた。
(気が付かなかったのも些か気が抜けているのか)
それとも、彼女らが予想以上にコテツに馴染んできているのか。
起こさないように腕を外し、二人を地面に横たえてコテツは立ち上がる。
体が凝っている自分を確認して彼はごきごきと関節を鳴らす。
「結界とやらは便利だな」
そして、コテツはぼそりと呟いた。
ここに火の番寝ずの番を立てず全員が寝入っていたのはその恩恵である。
そもそもの侵入を防ぎ、それを破って押し入ってきたら術者が起きる。
それでもシャルロッテは警戒しており、眠りも浅いようだったが、それはコテツも同じ。
むしろどちらかと言えば、エリナやリーゼロッテなどのそういった活動に慣れていない者のための結界といってよい。
エリナ辺りは特に、コテツやシャルロッテが番を行なうと言えば自分もやると言い出すだろう。
リーゼロッテもそうだが、彼女らは厚意に甘えることを図々しいと捉えるタイプだ。
だから、結界を張って皆で寝ることにした方が都合が良い。
「若いうちにあまり夜更かしをするものではないからな」
そう言った声は焚き火を挟んだ向こう側、シャルロッテからのものだった。
「起きていたのか」
「いや、今起きた」
「起こしてしまったか?」
「なに、大丈夫だ。お前のせいじゃない。どうも私も、緊張しているらしくてな」
そう言って、焚き火の向こうで彼女は苦笑する。
コテツは、わずかに怪訝そうに表情を変えた。
「緊張?」
「このようなメンバーで式典に参加するのは始めてでな。ここまでそうそうたる面子だと王女騎士団長という肩書きが矮小に見えてきてならない。せめてアマルベルガ様がいれば様になったんだろうが」
確かに、エトランジェもエーポスも世界的に有名だ。
そして、エリナの家は有名らしい。ホワイトクレイターが戦争で活躍したとすれば父、祖父の世代になるだろうので彼女は英雄の娘、ないしは孫になる。
「騎士団長もなかなかだろう。国一番の強者と聞くが」
「魔法も剣術もそつなくこなせるだけだ。大したことはない、というか……、お前を見ているとどんどん自信を喪失する」
「……すまない」
「謝らないでくれ、悲しいから」
再びすまないと言いかけて、コテツはその言葉を飲み込んだ。
その隙に、シャルロッテがさらに言葉を投げかける。
「そういえば、コテツとこうして話すのは久しぶりだな」
「そうだな。お互い忙しかったからな」
騎士団長の仕事と、コテツの旅が重なって、中々話す機会もない。
召喚当初はそれなりに話もしたものだが。
不器用に、シャルロッテがコテツに問う。
「とはいえ、話すことも中々ないな……。趣味は?」
これと言ってない、と答えるわけにはいかないことはコテツにもわかった。
思案し、コテツは口を開く。
「……ふむ、強いて言うなら読書か。あるいは、操縦訓練だ」
が、その返答は如何にも色気がないと言う外なかった。
男女という壁があり、しかも色気とは対極の位置にあるシャルロッテとは話が合う筈も無い。
「おお、わかるぞ。SHに乗ると楽しいからなっ」
かと思われたが、しかしそうでもなかった。
「機動兵器を動かしているのが一番落ち着く」
「そうだな、たまに夢中になりすぎて朝になってしまうからな」
そう言ったシャルロッテの言葉には、コテツにとって心当たりがありすぎる。
「俺だけかと思っていたが、君もだったか」
「ほほう、お前もか。中々だな」
「まともな趣味とは思えんが。それより君は、恋人や友人との付き合いといったものはないのか?」
「う、お前はどうなんだ?」
彼女にしては珍しく、その声はどこか詰まるような感じがした。
「俺に恋人はいないし、友人との付きあいもないが」
「あ、アルベールがいるじゃないか」
「アルと外に出ると疲れる」
「そうなのか?」
「女と見れば声を掛ける。正直付いていけていない」
「……そうか」
いたたまれなさそうにシャルロッテは言う。
確かに、前にアルベールに誘われ出かけたことはあるのだが、彼の出かけるとコテツの出かけるは激しく食い違っていると、コテツは気が付いたため、それ以来アルベールとは外を出歩いていない。
そんな事情を軽く口にして、次にコテツはシャルロッテに矛先を向けた。
「そちらは?」
「……いない」
「は?」
「恋人も友人もいないと言ったんだ……」
そう言ってシャルロッテはそっぽを向いた。
「……クラリッサは」
「慕ってくれてはいるが友人付き合いのような真似はしていない」
「人望はあるだろう?」
「むしろ騎士団長にもなれば、同僚や同業者が気後れしてくれるぞ」
コテツは、困ったように眉間に指を当てる。
コテツのコミュニケーション能力では……、いや、誰だってこの状況でいい言葉は出てこないだろう。
「明日がある。元気を出せ」
思わずコテツが不器用な慰めを放つ程度にはいたたまれず。
「……ああ……」
そんな不器用な慰めで癒されるほど浅い傷でもなかったようで。
「いつの間にかリーゼロッテが起きているな」
コテツは聞かなかったことにした。
そして、いつの間にやら身を起こしていたリーゼロッテにわざとらしく視線を向ける。
そんな風に視線を向けられたリーゼロッテは、コテツ達に気が付いているのかいないのか、なにやら、ふにゃふにゃと上半身を左右に揺らしていた。
「……ふにゅ」
更に、寝ぼけたような、気の抜けた声も付いてきた。
そうして、ゆらゆらと揺れ続けるリーゼロッテをコテツとシャルロッテは見つめていたが、次第に耐えられなくなってコテツはリーゼロッテに声を掛ける。
「リーゼロッテ?」
「……にゅ?」
声を掛けられて、寝ぼけ眼が本来の光を取り戻して行き、――目を見開くに至った。
「え、あ、あああ、ごめんなさい! すみませんすみません! 寝坊しちゃいました!!」
「……いや、まだ早いが」
「……え? え、あれ……?」
未だによく分かっていないリーゼロッテはきょろきょろと辺りを見回して、状況を確認する。
音もない森の中は薄暗く、コテツの感覚が正しければ、朝の四時と言ったところか。
「君が身を起こして揺れているから声を掛けて見ただけだが……、亜人の習性かなにかか?」
「え、えっと、そのう」
コテツの素朴な疑問は、赤く染まった頬を以って返された。
「私、寝起きが悪くて、ですね。一時間くらい早く起きて座りながらゆらゆらしてないと上手く起きれなくて、その」
言いづらそうに、言葉を連ねていくリーゼロッテに、コテツは頬を掻いて口を開く。
「別に責める意図があった訳ではない。安心してくれ」
「は、はい」
「少し、散歩に行って来る。すぐ戻る」
どうせ、しばらく暇だろう、とコテツは思い、そのばから歩き始める。
それを、リーゼロッテが見送った。
「はい、お気を付けて」
そうしてコテツは、そのまま歩きだして、少し開けた場所に置いてあるディステルガイストのコクピットへと入っていった。
現在は、シュタルクシルトも外に置いてある。
盗賊対策でもあるらしい。あえて出してSHを置いておくことで敵に規模を知らせて下手に手を出させないようにしているのだ。
(あざみもいないのにディステルガイストに乗るのは初めてかもしれないな)
何も起動していないコクピットは薄暗かった。
コテツは、そんなコクピットに明かりを灯してみようとコンソールに指を這わせてみるが、反応は得られない。
「やはり無理か」
分かってはいた。半ば確認作業のようなものである。
エーポスのいないアルトに乗った場合どうなるのか。
考えられるケースは幾らかあった。システムだけ起動する、あるいは酷く制限された低スペックで動く、もしくは起動しない、と言ったように。
正解は、最後の起動しない、であった。
そうして、コテツはシートに座って息を吐く。
つまり、エーポス無しではアルトはまったく動かないということだ。
その事実を確認してコテツがしばらく黙り込んでいると、にわかにコクピットが明るくなった。
『おはようございます。パイロット、コテツ』
「……む?」
声はどこからか。コンソールからだ。
機械的な女性の声は、AIを彷彿とさせ、実際、AIのものであろうとコテツは判断する。
『何か、御用でしょうか』
「いや、待って欲しい。君は何か、一応聞かせて欲しい」
『私はディステルガイストのサブAIです。あなたがコクピットを離れないので何か用だと判断しました』
「メインAIはあざみか」
『はい』
「あざみがいないから、君が起動したのか?」
『その答えには、ノーを返します。エーポスがいても私はこれまでもずっと起動していました』
「では何故?」
『私が、自意識を持ち、こうして会話ができるようになったのはつい最近です』
「ふむ」
ここまで高度なAIの相手は初めてである。違和感なく、会話を繰り広げる相手はただの機械とは思えない。
あざみをAIだとするなら話しは別だが、構造がどうなっているかも知れたものではないあざみは、また別だ。
『エーポスに個性があるように、我々サブAIにも個性があります。その個性は、パイロットとの経験によって学習構築されていきます』
「そして最近、会話ができるほどの経験ができた、と」
『はい』
つまり、パイロットとエーポスで育てていく、ということなのだろう。
しかし、決まったパイロットが今までいなかったため、まっさらだったと言うことだろう。
とすれば、シュタルクシルトにもサブAIがいるのだろうか。
考えながらも、コテツはAIへと言葉を向けた。
「なら、すまなかったな。大した用があるわけではない。一人でディステルガイストに乗った場合どうなるのか確かめたかっただけだ」
『問題ありません。尚、その疑問については、私ではディステルガイストを稼動させることはできませんので、私と会話する以上のことはできません』
「そうか」
『お役に立てず、申し訳ありません』
「いや、動かないことが分かればいい」
結局、エーポス無しでは動かせないということがよく分かった。
つまり、有事の際にあざみがいないのにディステルガイストのコクピットに逃げ込んでも無駄ということだ。
予期せぬ出会いがあったが、知りたいことは皆知れた。
コテツは、コクピットから出ようとする。
そして、コクピットから半分出かけたコテツの背へと、声は掛かる。
『マスターコテツ。私のエーポスは、長い時間マスターを待ち続けていました。一人で』
「ああ」
『どうか末永く、お付き合いを』
「できうる限りは」
それだけ言って、コテツは機体を降りた。
皆の下に戻ると、エリナやソフィアが起き出している。
「あざみ。あざみ、起きろ」
そんな中寝こけているあざみへとコテツは声を掛けた。
「……なんですか……ぁ、ご主人様……」
寝ぼけた声は、如何にも間抜けで、コテツはそんなあざみに半眼を向ける。
「起きろ」
「ご主人様がキスしてくれたら……、起きます……」
「……ディステルガイストに転がしておけばいいか」
もしかしたら、あざみを置いてさえおけばサブAIの方で動くかもしれない。
そんな益体もない考えがコテツの中に浮かんだ。
「名前が必要かもしれんな」
サブAIでは呼びにくいだろう、と考えてコテツは呟く。
「え? なんのですか?」
あざみは不思議そうにコテツを見ていた。
それからの旅は何か変わったこともなく、順調に進むこととなる。
早くも遅くもなく、彼らは適正な時間をかけて、彼らはアンソレイエに辿りついた。
正確にはその首都だが、穏やかな気候に、豊富な水資源によるものか、大きいものは川ほども、小さいものは溝くらいまでで、あらゆるところに水が流れている。
水の都、呼ぶべきか。その都は来るべき祭りに備えて、外から来たばかりの者にも分かるほど、活気付いていた。
「つつがなく終わればいいが」
そう言った、コテツの呟きは喧騒の中へと溶けて消えた。
と言うことで06開始します。
よろしければまたお付き合いください。