35話 Continue?
『――何もしなかったからなんだもの』
言葉が、胸に突き刺さるように感じたのは、初めてのことだったかもしれない。
コテツは、部屋の中、黙ってアマルベルガの声を聞いていた。
『ただ、貴族達の横暴を。国が崩れていく様を、ただ、見守っていたのが、私のおじいさま』
だから、歴史書に彼の記述が極端に少なかったのかと、コテツは思い至る。
『私にとっては、いいおじいさまだったわ。知性的で、博識で、紳士なおじいさま。とっても優しかった。でも、無気力だった。指をくわえて見ていることしかしなかった、できなかったおじいさま』
「その博識で知性的な祖父は、何故そこまで無気力に?」
『私のおじいさまはね、亜人の子が、好きだったのよ』
亜人が好き。異世界から来たコテツにしてみればいまひとつ理解しにくい部分があるが、しかしこの世界において亜人とは差別の対象。
つまり、その恋愛は、王族が行うには許されるはずのないものだ。
『まあ、ただね。おじいさまの好きだった彼女は病魔に犯されて、もう、死にそうだったわ。でも、祖父は彼女を愛していた』
「それで、か?」
その彼女の死が、祖父王から気力を奪ったのか、と。
しかし、アマルベルガは首を横に振った。
『いいえ。分かった上で愛したのだから、きっと本当は乗り越えられたはずよ。でも、祖父はちゃんと終わらせることができなかった』
寂しげに彼女は呟いて、続ける。
『死期が近いのを知って、おじいさまは結婚式を挙げることにしたの。非公式に、こじんまりとした。そして、彼女の余生を共に過ごして、ちゃんと終えるはずだったの』
はずだった、ということはそうはならなかったということ。
『式の前日に、彼女は殺されちゃったから』
あえて、まるで徹しているように、彼女は軽く言葉にした。
その言葉に、背筋に薄ら寒いものを覚える。
同じだ。祖父王とコテツ。祖父王は愛する人との日々を、コテツは、自分の戦争を、しっかりと終えることができなかった。
それまで全てだったものはぷつりと途切れ、それでも日常は続いていく。胸に残った何かが燻り続け、どうしようもない日々を送る。
『たとえ非公式であってもね、王族が亜人となどと、なんていうのはいたのよね。結果、祖父はそれ以来無気力になった』
アマルベルガは、きっと祖父が好きだったのだろう。その程度のことは、コテツですら分かった。
その祖父がいたから、きっと彼女は亜人にも優しく接することができる。
その祖父がいたから、役立たずと言われた頃のコテツを相手にも、態度を変えることはなく。
『それが、私がおじいさまとお父様から聞いた話よ』
そう、コテツが使えないと知っても、使えると知っても、アマルベルガだけは、一度も態度を変えなかったのだ。
ただ、それを受け入れて、できるだけ立場が悪くならないように。
優しいとは言えないかもしれないが、しかし、あっさりと放り捨てられる可能性すらあった中、あの処置は寛大だったと言えるだろう。
「そうか」
『聞きたいことは知れた? 一体どこのだれからそんなこと聞いたのか知らないけど』
「旅先で少しな。それと……」
コテツは、最後に一つだけ、聞いておこう、と口を開いた。
「その祖父王は、結局、失意のまま、死んだのか?」
ほとんど、分かりきったようなことだが、それでも問うた。
そう、それはコテツの末路でもあるのだ。
自分でもしかと把握した。コテツと、祖父王はよく似ている、と。
ぷっつりと途切れてしまい、何もかもなくなった日々。
一緒だ。見失った着地点。どこに足を下ろしていいか分からなくて、低空飛行を続ける日々。
もしも、祖父王にも胸に燻る何かがあったのなら。
同じ道を辿る、予感がした。
『――ええ、そうよ』
呟かれた言葉は、胸にすとんと落ちるように、収まる。
それは、低くない可能性で起き得るコテツの末路だ。
胸に何かを燻らせたまま、何にも馴染めず死んで行く。
『それじゃあ、返事、待ってるから』
切れる通信。
コテツは、少しだけ困ったような顔をした。
このまま死ぬのは困る。
何故かは分からないが、そう思った。
――ああ、困るな。
そうして、一つの思いが胸に去来した。
気付いた。気付いてしまったのだ。
――俺の戦争は、まだ終わっていなかったのか。
『答えは出た? ……まあ、聞くまでもないかもしれないけど』
それから三日経ち、再びアマルベルガから通信が入っていた。
「……」
コテツは返事を返さなかった。どう言葉にしたものか、分からないまま少しの時間が過ぎる。
『まだ迷ってるのかしら。こっちは別に、なんともないわよ? 両手を挙げて、歓迎すれば、命は助けてもらえるだろうし』
嘘か誠か、それはわからない――、否。心配させないだけの嘘なのだろう。
王女に鉄槌を。そんな大義を掲げるような状況で、王女が生き残れるなどという楽観は、コテツにはできない。
そんな中、王女は少しの逡巡の後、口を開いた。
『なら、もう一つ言わせて貰うわ。来ないで』
「……む」
『私は、誰でもいいのよ。この国に安寧をもたらせるならば、誰でもいいの』
「君じゃなくても、か」
『私より優れた人間がやると言うのなら。彼の言うことが本当なら、私よりずっと上手く国を守れるし、政治手腕はずっと巧い』
覚悟の決まった瞳。
『だから、……私の国のことを少しでも想ってくれるなら……、来ないで』
コテツは、答えないでいる。
すると、アマルベルガは、間を置いてから再び口を開く。
『……それと、向こうから期間の延長があったわ。二日ほど、猶予が延びたから。避難に手間取ってるからかしらね。それまでに、心の準備をしておいて』
「そうか」
『それじゃあ、切るわ』
「ああ」
切れる通信。
突然の通信にも、好き放題切ってくれる王女にも、いい加減慣れて来た頃だ。
「選択肢は二択。細かく分ければいくらでも出てくるだろうが、大別すれば結局二つだ」
「どちらを選ぶの?」
背後から、声が掛かる。
聞こえていたのだろう。当然だ、コテツは聞こえるように呟いたのだから。
平日、日中の図書館には人はほとんどいない。静かで、ただコテツとエスクードの声だけが聞こえてくる。
コテツは、座っていた椅子から立ち上がって、外を目指した。
突然の通信だから応対したものの、図書館であまり言葉を発するものではない。
「このまま逃げる。のが無難だろうな」
戦う以外の生きる理由を求めるのならば、王女の下にいるべきではない。
どこか遠くで、ただのコテツとして平和な生活を送るべきだ。
そもそも、積極的にこの世界の戦争に関わるべきではない、とコテツは考えていたのだ。
異世界人が踏み込んで戦局をエゴで左右しすぎるべきではない、と。自分の戦争は終わった、これは自分の戦争ではないのだからと。
だからこそ、攻めてきたら守る、王女の命令があるなら戦う、位に思っていた。
今回の王女の命令は、来るな。しかも、その方が国が良くなると、彼女は踏んだのだ。
行く理由が、見当たらない。
「そう」
エスクードが立ち止まる。それを置き去りにコテツは歩く。
「最後に一つだけアドバイス。生きる理由なんて、戦いながらでも見つかるものじゃない?」
「覚えておこう」
すると、少し向こうに、あざみが待っていた。
「行くんですか?」
「ああ」
あざみには、しっかりと事情は伝わっている。
エリナの元にも、手紙は残してきた。
「ちぇー。ご主人様との逃避行も悪くないと思ったんですけどねー」
拗ねたようにしながらも、器用にあざみは笑って見せた。
展開の都合上少々短いですが。
次回更新は明日か明後日に。