3話 無言の棺
その日の訓練を終え、コテツは王城の廊下を歩く。
「コテツ。お前もすこしはマシになってきたんじゃないか?」
シャルロッテが、言う。
「そうか?」
コテツが聞き返すと、シャルロッテは珍しく笑みを返した。
「まだ色々と粗末なものだが、しかしたまにこちらが驚くような良い動きをする。そういう奴は良い操縦士になれる」
顔には出なかったが、むしろコテツの方が驚いた。
まさか、この鉄面皮が笑みを向けて来ようとは。
少し、むず痒かった。
「しかし、それもこれからの訓練次第だ。さ、明日も頑張れよ」
「了解」
それを求められる場面ではなかったがコテツは敬礼で返した。
軍人時代の性、と言ってもいい。ただ、なんとなく敬礼で返し、シャルロッテは満足したようにコテツを見て、廊下の道を横に外れた。
そうして、去っていくシャルロッテを見送って、コテツは中庭に出た。
草原に転がって、目を瞑る。
思い出すのは、シャルロッテの『お前もすこしはマシになってきたんじゃないか?』という人を褒める言葉。
それともう一つ。訓練中にだが、王女騎士団副団長に言われた言葉がある。
『まだダメなんですか? 此度のエトランジェは本当に使い物になりませんねっ……』
コテツは、目を開いて空を見上げた。
(嬉しくも悔しくもないとは、随分末期だな……)
腑抜けた、と言う表現が正しいのか、日和ったというべきか。
褒められて発奮することも、罵られて悔しがることもない。
もし、そのどちらかの感情の動きがあるような状態なら、こうして中庭に寝転がっているわけもない。
そんなコテツに語りかける人影があった。
「あらら、また来たんですか貴方」
「悪いか」
「悪くありませんけど、珍しいですよ? 元々ここに来る方なんてほとんどですし。それに、エトランジェ様だからって特別扱いしませんし?」
そのあんまりと言えばあんまりなまっすぐな言葉に、コテツは久々に口の端を吊り上げて苦笑を作った。
感情を顔に出すのはいつ振りだろうか、と、基本的に凍りついたような顔の筋肉の動きに、コテツは内心で自重した。
「だから、いいんだ」
「はあ……?」
よく分かっていなさげなあざみに、コテツは続ける。
「その方が、気が楽だ」
だから、毎日のように訓練が終わればコテツはここに来るのだ。
あざみは、来たり来なかったりだ。
「あらあら、意外と繊細? そうは見えませんが」
「正直言って煩わしい」
はっきりと言うコテツにあざみは苦笑で返す。
あざみはコテツを特別扱いしない。期待もしなければ、エトランジェとして蔑むこともしない。
色眼鏡なしで操縦者としての事実を見ている。
「それをシャルロッテに言ったら最後ですよー?」
「それはぞっとしないが」
「足腰立たなくなるまで訓練させられる……、っていうか、王女に対しても不敬罪じゃないですか?」
「不敬罪で死刑か」
「前代未聞のエトランジェ様ですね」
そうして、二人は少し黙る。
その後、しばらくしてから、ふと、思いついたかのようにあざみは聞いた。
「で、結局、あなたはなにがしたいんですか?」
突然の質問だった。
ただ、あざみの顔は興味津々と言ったところ。
「なにを、とは」
「いえね? 今の心境をどうぞ、と。一部から期待され、多数からは蔑まれる現状に、望まずやってきた身としては」
楽しげに、聞いてくる。
なんとも悪趣味だったが、その気の遣わなさがコテツには好ましい。
「恨むとか、復讐してやりたいとかこれ拉致だろマジで、王家ぐるみとか何考えてんだ殺すぞとか、シャルロッテの胸に顔をうずめてすーはーしたいとかないんですか?」
そして最後に。
「それとも……、一念発起とか、しちゃったりします?」
その言葉に、コテツは一度あざみから視線を外し、中庭から見える空を見上げた。
一念発起できるなら、こんなところには来ていない。
今頃自己鍛錬を続けているだろう。
「何がしたいのかと問われれば、何もしたくない、だ」
正直に言えば、あざみは詰まらなさそうな顔をした。
「どうしようもないへたれですねぇ。何食べたらそんな無気力になるんです?」
首を傾げるあざみに、コテツは珍しく冗談で対応しようとする。
「大量の敵軍と、メインディッシュを食べれば、それは満腹に、……!?」
そんな時だった。
瞬間、大地が揺れる。
地面に寝転ぶ形だったコテツは跳ねるように身を起こした。
「まるで艦砲射撃……!?」
心当たりがある振動。
これは、艦の主砲クラスの一撃だ。
「……あらららら、これまずいですよ。宣戦布告も無しに奇襲? 一体守備隊は何をやってたんでしょうね?」
あざみの言葉を背に、コテツは中庭から廊下へ出た。
そして、空を見上げる。
その時、丁度のことだった。
その空に紫電が走り。
巨大な戦艦が空に現れたのは――。
「空中戦艦……、本気みたいですねぇ。あちらさんも」
「そう、見えるのか?」
異世界人のコテツには空中戦艦が来た所でどれくらいの意味があるのか分からない。
追いついてきたあざみに問うと、あざみは眉一つ動かさずに答えてくれた。
「視覚的ステルス、あのサイズ、外観から分かるSH搭載可能数からして、敵国旗艦の国宝級の戦艦でしょう。あのクラスじゃ最悪経費で国家が傾きますよ?」
つまり、国家予算クラスをもって起動させられる戦艦、と言うことらしい。
何にも気づかれずに敵国の喉元に食いつけると考えればそのコストは納得できる。
ただし、一度で決着が付かなかった場合、出費がかさむのだろうが。
「この国にはそれほどの旨みが?」
そして、それを覚悟しての電撃戦。確かに、戦争が長期化するよりかは必要な軍事費も軽くなるだろうが、それにしたって博打の要素が強い。
この国に一体何があるというのか。
その質問に、茶化す空気もなく、あざみは答えた。
「さて、私、とかどうでしょう? ね、別に茶化してませんよ? 初代エトランジェのいた国ですから、ハイスペックなアルトの保有数は最大です。最も、王都に保管してあるのはほとんどありませんけどね」
そこまで言われても、今のコテツにはピンと来なかった。
エースとその機体が時として戦場で脅威になることはわかってはいたが、しかし、アルトはパイロット不在。
はたしてそれだけの価値があるのか。そんな疑問に、あざみは口を開く。
「そもそもアルトなんてほとんど誰も使えないんですけどね。でもまかり間違って全部使えるようになっちゃったら困るでしょう?」
「ああ、なるほど」
コテツは少々の納得を覚える。敵は馬鹿ではないらしい。
技術は常に革新する。そして、今使えないアルトを使いこなせるようになったら脅威が過ぎる。
が、先代エトランジェは強かった。そう簡単に手出しは出来ない。
(見抜かれているぞ、王女……!)
故にこのタイミングだ。先代エトランジェから、今代へ。エトランジェがいない、もしくは慣れていなくて役に立たないこの瞬間にしかこの国を打ち倒せないと判断したのだ。
だから賭けに近い電撃戦に出た、という訳だ。
「それで? 君から見たらどちらが優勢だ?」
「うーん、こっちのぼろ負けですねぇ」
あっけらかんと、あざみは言った。
「何故?」
「余裕であの戦艦には50機以上のSHが積まれているでしょう」
「こちらにもSHはあるだろう? しかもここは本拠だ」
「いいえ。確かに数はありますけどね。常に全部動かせるわけじゃないんですよ。整備環境上、相手の半分動かせればいいほうです」
「……どうかしている」
「とはいえ、こんな奇襲想定されてないんですよ。型破りにもほどがあります。むしろ国境付近のほうがすぐ動かせるSHは多いですよ」
そうして、今度は質問の応対者が変わる。
「貴方は? どう思います?」
平然とあざみは聞いてくる。
コテツは、思ったことを答えた。
「……その戦力差ならまずいだろう。敵は有能だ」
「どうして判断できるんです?」
「現時点では、アルトがほとんど動かせないこの国はさほど驚異的ではない。しかし、それでも奇襲作戦に出たと言うことは、将来的な脅威、もしくはアルトを手に入れることによる利益を見ている」
「ははぁ。確かに私もちょっと自信がありますよ。最終的にアルトが全部動かせるようになれば驚異的でしょうね」
「だが、それを今の脅威ではない、と目を背けず、今この時が千載一遇のチャンスだと襲ってきた。相手は未来を見ている」
「その場凌ぎを考えて貴方を召喚したこの国とは格が違いますか?」
「君はこの国をどう思ってるんだか……」
あまりにあんまりな物言いに、逆にコテツのほうが微妙な気分になった。
「まあ、その場凌ぎに走らざるを得ない状況でもあるのです。この国も戦争を終えたばかりで弱っているのですよ。向こうも、その隙に付け込みたいのでしょうが」
だが。
「大切な国ですよ。いざとなったら私が守りますから――」
そう言って、彼女は笑顔になる。
気高い獣の笑みだった。
格納庫。
整備員が慌しく動き回るそこにコテツはいた。
そして、それを見つけたシャルロッテが、コテツに駆け寄ってくる。
「コテツ!!」
「ああ」
「よく来てくれた」
「呼び出したのはそちらだろうに」
にべもなく言うコテツは、そのままに続けた。
「それで、俺に出撃命令か? 役に立てるとは思えんが」
当初、コテツが考えていたのはそういうことだった。
人手が足らない。
ならばコテツの練習機も出せるだけ出してしまおうと思ったのだろう、と。
しかし、シャルロッテの返答は、実に予想外だった。
「……違う。お前に出撃命令は出ていない。私はお前に頼みがあるんだ」
「頼み?」
出撃前の兵士に頼まれることと言えば一体なんだろうか。
考えるコテツの肩に、シャルロッテは両の手を乗せて、まっすぐに彼の瞳を見た。
「これは私の個人的な願いだ。断ってくれても構わない。関係ない国のことだと逃げてくれても構わない」
「長い前置きだ。時間はないんだろう?」
シャルロッテがここまで言う頼みを、コテツは断ろうと思わなかった。
だから、先を促す。
すると、シャルロッテは、苦しそうに、辛そうにその言葉を口にした――。
「お前にはっ……。ここで王女様を守って欲しい!!」
そして、筋違いなのは分かっている、とシャルロッテは呟いた。
「前の敵は私たちが命を賭けて、意地でも倒す。絶対に、必ずだ。しかし……、もしも、万が一抜けた敵がいたならば」
その言葉を、コテツが遮る。
「期待に添えるとは思えんが。……努力は惜しまん」
真面目腐った顔のコテツに対し、シャルロッテは泣きそうな顔で破顔した。
「ありがとう……、では、私は行ってくる!!」
颯爽と駆けていくシャルロッテをコテツは見送り、自分も自分の機体の元へ。
「これが、俺の棺桶か」
感動もなく、彼はそれを見上げた。
青い、騎士甲冑のようなフォルム。練習機、名前をアインスという。
ここに来て以来、コテツが乗り続けた機体だ。
コテツは、その機体の胸にあるコクピットに乗り込もうと動き出し、声をかけられ振り返ることとなった。
「コテツさんっ」
「……リーゼロッテ」
メイド服と獣耳。遠目に見ても彼女はわかりやすい。
しかし、コテツは首を傾げた。
一体何をしにきたのだろうか、と。
その彼女は、しばらく、何か言おうとしてやめ、口を開け閉めすることを繰り返していたが、ついに、覚悟を決めたのか、コテツに言った。
「死なないでください」
簡潔な台詞。とてもわかりやすい一言だった。
しかし、出会って一週間あまり。それだけなのに、こうして有事の際にわざわざ心配して声をかけてくれる彼女は、大層優しい性分なのだろう。
コテツは、そんな彼女に笑いかけた。
「――約束できんな」
基本的にろくに動かないはずの顔の筋肉は、自分でも驚く程、酷薄な笑みを浮かべていた。
次回出撃と相成ります。