34話 アーティフィシャルディザスター
「……困るわね」
執務室でぽつりと、アマルベルガは呟いた。
仕事は尽きないばかりか、増えていく。
エトランジェの必要性と、コテツの有用性について。
フリード・エンリッヒの上申を却下するのに必要な書類をしたためる必要があった。
国を守るに、そこだけは、コテツだけは譲れない部分だ。少なくとも、アマルベルガの手札には、それしかない。
「また、負担を強いることになりそうだわ……」
コテツは、そこにいてくれるだけでいいと思っていた。
見せ札なのだ。実際に切る必要はなく、手札にあることをほのめかせておけば、相手が勝手に勝負に出ることを躊躇うという代物。
初期は、色々と危うかったが、盗賊の討伐の件で十分に足元を固めてくれた。故に、後はそこにいてくれれば役目を成す。
これ以上の負担を強いたいとは、アマルベルガには思えなかった。
だが、この様では、また、何かしてもらわないといけないかもしれない。
そう思うと、勝手に溜息が漏れ出る。
(彼に、私は好かれていないし……。これ以上、関係を悪化させたくはないのだけど)
彼を拉致し、労役につかせた主犯、そういう人間であるということはアマルベルガにも自覚はある。
それでも、どこか嫌われたくないと思うのは、彼しか縋るものがないからか。
城の中のどこにも、味方がいない。フリードはもちろん、宰相だろうが、大臣だろうが、己の欲を芯に動いている。
政治においては腹心も、部下もいない。仲間がいるとすれば、子飼いの騎士団のみ。その騎士団は役柄上政治の中枢までは食い込めない。
他の権力者からしてみれば、アマルベルガなど王位継承権を持つだけのただの小娘だ。
神輿として担ぐなら最適だが、しかし、その神輿は小ざかしい知恵を以って口出ししてくる。故に、誰もアマルベルガにはつかない。
手札は、エトランジェだけ。
味方は、コテツのみ。
「本当に、頭が痛いわ……」
こめかみを押さえて、アマルベルガは立ち上がった。
信用できるのは、この執務室に呼べる人間しかいない。
城内に、味方を増やすことは難しい。アマルベルガ、彼女の手腕は決して優秀ではないのだ。
勤勉さと、必死さでどうにか及第点を保つことができる、本当に、ただの小娘でしかない。
そうして、自嘲気味に窓の外を見た瞬間。
一人の兵士が、執務室へと転がり込んできた。
「何事かしら」
兵の様子は明らかに只事ではない様子だ。
息も絶え絶え、ノックする余裕すらないようだ。
そんな兵は、室内に入ってアマルベルガの存在を確認するなり、叫んだ。
「王女様にお伝えします! 王都を、多数の大型魔獣が取り囲んでおります!!」
思わず、アマルベルガの思考が止まる。
「……なんですって」
そういうレベルの、異常事態だった。
思わず崩れ落ちそうになるのを、彼女はどうにかこらえる。
「詳しく説明して」
「はっ。つい先ほど、付近の森などから突如として身を潜めていた大型の魔物たちが姿を現し、瞬く間に王都を……」
「相手の規模は?」
「百やそこらでは利かないほどに! 更に後続が迫っています」
「どうしてそんなことになるまで気づけ……、いえ、言ってもどうしようもないわね」
放り投げてしまいたい、とアマルベルガは思う。
現在稼動可能な保有SH数は八十二。
そして、大型の魔物の相手は基本が三対一。そこからの単純計算であれば、戦力差は三倍以上ということになる。
だが、アマルベルガは王女だ。まだ女王ではないとは言え、政治の全権を握っているのだ。
責務を胸に、どうにかアマルベルガは思考をめぐらせる。
「騎士団は?」
「配備が終わり、待機しています」
「どうして戦闘を開始していないのかしら。それだけの権限はシャルロッテにもクラリッサにも与えたはずよ」
その対応に責めるような声をアマルベルガが発したとき、伝令の兵はさらに衝撃的な言葉を、その口から放った。
「――これが、フリード・エンリッヒ卿の仕業だというからです!」
「……説明なさい」
まるで、後頭部を何か硬いもので殴られたかのよう。眩暈で膝をつかなかった自分を褒めてやりたいくらいの心境だった。
そう。ありえない、ありえないはずだが、しかし。
フリード・エンリッヒは陸の守りに何か秘策がある、と言っていた。
ありえないはずなのだが、もしもこの包囲がフリードの思い通りならば、確かにこれは、秘策となる。
「フリード卿から通信が入っております! こちらへ」
伝令の兵に連れられ、部屋を出る。
そして、通信設備のある部屋へと赴けば、その部屋の機材には、初老の男の姿が映っている。
『どうもごきげんよう、王女様』
「……最悪な気分だわ」
どうこらえても、不快感を隠すことはできなかった。
笑うフリードを、如何様に見てもハッタリや虚勢を見て取ることはできない。
つまり、この状況は彼の思い通りということだ。
「この周辺に、ブランサンジュを引き入れたのは、あなただったのね」
『まあ、そうですな。少々テストを行わせていただきました』
「テスト? 人を襲わせるのが?」
『いえ、それは手違いでして。どれほどの距離までなら、彼らを操れるのか、試していたのですが、おかげさまで』
やはり、とアマルベルガは心中で呟いた。
彼らは、魔物を操る術を得ている。
「テストが終わった、というわけね」
皮肉気に、アマルベルガは口を歪めるが、状況は一切笑えない。
――クーデターだ、これは。
「でも、そんなつまらないことを言いに来た訳じゃないでしょう?」
一難去ったと思えばまたこれだ。
やっとの思いでエトランジェを召喚して、やっと安定してきたと思ったのに。
こんな状況、どうやって覆せと言うのか。
『ええ、伝えておきたいことがありまして』
「聞かせてもらうわ、遺言として」
『おお、怖い。それでですな。実は、貴方様には死んでいただこうと思っておりまして』
真顔で、フリードは言った。
決して、嘘や冗談などではない、とその表情が証明している。
「そう」
それを、動揺などおくびにも出さず、アマルベルガは聞き流した。
『おや、意外と冷静ですな』
「……一応、理由を聞かせてもらえるかしら。どうせ、答えなんて読めてるけど」
『ふむ、そうですな。では、まずは私の狙いから。一つ目はご存知の通り、エトランジェの廃止。もうひとつは、王家の血を絶やすこと』
「まあ、あなたの言うことを実行すれば自ずとそうなるわね」
王位を継承する権利のあるものは、アマルベルガしかいない。他は先の戦争で逝ってしまった。
それ故にアマルベルガが政治を受け継いだのだから。
『この国は、歪んでおります』
怒りもなく、一切の笑いもなく、ただ、フリードは言い切った。
『一つの所に権力が集中するというのは、初動の速さを始め、色々利点もあるでしょう。王が優れているときは、特に素晴らしい。しかし――、優れた権力者が続くわけではない。そのたった一代で国が滅びかねない』
アマルベルガは何も言い返さなかった。
言い返せなかった、とも言う。
『エトランジェなど。エトランジェなど輪をかけて手に負えない。暴力を自由に振るえる権力者、それが彼らの姿。殺戮の限りを尽くしたもの、贅を尽くし、国庫を空にした者も確かにいるのです。それを、誰も止められないのが、問題なのです』
そのことは既にアマルベルガにも理解できているのだ。
だが、それを実行できるだけの手札がなかったがために、どうすることもできず、将来的な方向性の一つでしかなかった。
『……いえ。もう、過去のことなどどうでもいいのかもしれません。ただ――』
前方をしっかりと見据えながら、フリードは言った。
『――個人が全てを左右する時代は終わりにしましょう』
「ならば、誰が国を動かすのかしら」
『人の群れが』
「そのために私とコテツは邪魔なのね」
『ま、そうですな』
「そう」
『死んでいただけますかな?』
「随分急ぐのね」
『老い先短いですからな。私の他に、誰も歪みに気づかぬのなら、私がやろうではありませんか。私しかやらぬのならば、死ぬ前に』
王政は勿論、エトランジェも、国民や政治に携わること者にとって当然のこと。これに疑問を抱くものは少しもいない。
そんな歪みに気付くことのできた二人が敵同士という関係は、皮肉としか言いようがないが。
『これより一週間後、王都に総攻撃をかけます。それまでに住民の避難を。せいぜい、抵抗してください』
「そう。あなたのことだから、無抵抗で明け渡せと言ってくるのかと思ったわ」
『信用できるはずがないでしょう? 貴方も、私も、この力が国の守り足りえるのか』
「私はあなたの試金石?」
『逆かも知れませぬぞ』
「買い被らないで。私はただの小娘だわ」
百の魔物を切り倒せるだけの手札があればとうに切っている。
『その小娘が、ここまで政治を回してきたのです。悪くない政治だったと思いますぞ。奇をてらわず、無難な道を追求していくのは』
「だったら、見逃してもらえないかしらね、あと五十年くらい」
冗談めかして、アマルベルガは言った。
『今日、無難な政治で安定を取り戻しても明日は? 生まれてくる貴方の御子は優秀ですか? もう、土台を作り直すしかありますまいよ』
アマルベルガに返答はできなかった。どうしようもない。王政の弱点だ。
そして、国は今何よりも安定を求めているのだ。独裁の成長性よりも、安定を。
そのための、クーデター。
『それでは、また一週間後に』
確かに、無抵抗と言うわけには行かない。いかに大法螺を吹かれようが、見もせずに任せていいなどとは思えない。
ぷつりと切れる、通信。
アマルベルガは、逃げるように、その部屋を後にした。
「……伝令、王都の民を避難させるよう動きなさい。私は、考えをまとめるために部屋に篭るから、しばらく誰も通さないで」
兵の返事を置き去りに、アマルベルガは執務室ではなく、自室へと戻った。
フリードの言葉を信用するならば、決戦の日は、一週間の後。
戦わねばならない。全てを受け渡した後、フリードの切り札である魔物たちが実はまったく使い物にならず、木偶の坊でした、じゃあ話にならない。
だが、それを証明するのに消えていくのは、兵の命。
自室の椅子に、倒れこむように座り込み。
ただ、縋るようにアマルベルガはとある魔術を起動した。
薄い緑の半透明の板が、アマルベルガの前に現れる。
「コテツ、聞こえる……?」
『こちらコテツ・モチヅキ。聞こえている。何か用か』
聞こえてきたのは、鋼のように重く、固く、冷たい声。
――助けて。
その、悲鳴のような言葉はちっぽけなプライドで飲み込んだ。
「王都で問題が発生したわ。クーデターよ。魔物が百単位で王都を取り囲んだわ」
『……何?』
一瞬、その眉が歪んだ気がした。
『いや、なるほどな。こちらからも報告が一つ。ブランサンジュを再び見る羽目になった。この件に関することだろう』
「そうね。手の回る限りは私達が魔物達を駆除してるから、遠方から魔物を引っ張ってきたんでしょうね、……というか、随分落ち着いてるわね。私としては、魔物を操るなんて前代未聞なんだけど」
『魔術があるなら、何でもあり、という心境だ。こちらの技術でも、脳を改造すれば不可能ではあるまいし』
「そう」
『しかし、王家にクーデターなど、上手くいったとして国民は許すのか?』
「大義があれば、許すでしょうね。先王はよくやったけど、祖父王は駄目だったから王家への信頼は微妙だもの」
国を救ったのも傾けたのも王族だ、と考えてみれば確かに、フリードの言うとおり勝手な話だ。
『大義は、あるのか?』
「ええ。私、即位してないもの」
アマルベルガは、王女であって、女王ではない。
本来は先王が死に、王女が戴冠式を行うその日まで、代理を立てるべきだった。
しかし、彼女の周囲には信頼に足る貴族が、大人がいなかった。それ故に、彼女が無理を言って自分で国を回してきたのだ。
これは、そのツケだ。
「即位していない、王足らぬ身で政を行った王女に鉄槌を。それだけで十分よ」
そう言って、彼女は自嘲気味に笑った。
『それで、俺は今すぐ戻ればいいのか?』
「……いえ」
こみ上げる不安に、飲み込んだ言葉が出かけて、尚、それを彼女は呑み下す。
「間違いなく、こちらは負けるわ。だから、選んで。来るか、来ないか」
『俺はエトランジェのはずだ』
行くのが道理だ、と続くであろう言葉を、アマルベルガは強引に断ち切った。
「この戦が終わればエトランジェじゃなくなるわ」
『だが……』
「何言ってるのよコテツ。あなたは、自由になれるのよ。国の犬じゃなくなるの。望むところでしょう?」
勝手に呼んで、勝手に働かせ、勝手に戦わせた、が、アマルベルガはそれ以上の我侭を、望まない。
一緒に滅べなど、言えるはずがない。沈む泥舟に乗ってくれなどと。
『……そうだな』
「そういうことよ。返事は、一週間後までにお願いね。その日から、王都は戦場になるから」
『ああ』
「それじゃ、切るわね」
そう言って、通信を切ろうとするアマルベルガを、コテツは引き止める。
『では、二度と聞けなくなる前に、聞かせてくれ』
「何?」
引き止められて、首を傾げるアマルベルガに、彼は、予想外の質問をした。
『俺と君の祖父は、そんなにも、似ているのか――?』
どきり、と、鼓動がなる。
一瞬、心臓が止まるかと思うほどに、彼女は驚いた。
何故ならそれは、正に彼女の思うことだったのだから。
「ええ、似ているわ。だって、あの人が愚王と呼ばれているのは、横暴を働いたからじゃなくて――」
似ている。この男は。
だからこそ、祖父と違う道を歩んで欲しいと、心のどこかで思うのだ。
「――何もしなかったからなんだもの」
こっからはハイペース更新で行きます。
少々、お付き合いください。