33話 硝子一枚
意外と、ギルドには楽な依頼が多い。
「ご主人様ー腕が疲れましたー。あうあうあー」
ぼんやりと、コテツは畑に向かって、鍬を振り下ろしていた。
「無視ですかー、そうですかー。まったく、か弱い女の子にやらせる作業じゃないですよねー……、ってリーゼロッテはやけに手馴れてるし……」
同意を求めてあざみは隣を見るが、手馴れた様子で畑を耕すリーゼロッテにあざみは呆れた瞳を向け。
「別についてくる必要はなかったんだが」
「いえ、こういった民の暮らしを知るのも為政者の務めですっ!」
「エリナはやる気満々だし……」
コテツは、別に慣れているわけでもないが、腕力はそれなり、体力は職業柄底無しだ。
慣れがなくても、多少は強引にやれる。
「ご主人様ー」
「……ん」
「終わったらなでなでしてくださいよう」
「……ん、ああ」
「ご主人様、聞いてます?」
「……ん」
微妙に考え事をしながら、コテツは鍬を振り下ろす。
これまた、この上なく、分かりやすい労働だ。
畑を耕すこと。ちなみに、種植えなどの依頼もある。
「ご主人様ー?」
「……ん」
コテツは、異世界人であるが故に、できうる限り戦争に出て人を殺して、と言うのは避けるべきだと考えている。
エトランジェとして国から要請があるならともかく、というやつだ。
そうなれば、日常に馴染まなければならない。戦う以外のことを、覚えなければならない。
戦争のために生きるわけにはいかない。
の、だが。
鍬が、手に馴染んでくれない。
空が、やけに眩しく見える。どこかで、エミールが笑った気がした。
何を寝ぼけたことを、と、コテツは鍬を固く握りなおしてまた、振り下ろす。
最近、ずっとこうしてこういった依頼を受けているが、いつもこうだ。
どこか、馴染まない。違和感がある。
まるで、フィルタを一枚通しているかのように、鮮明にならない。
いつもどこでも、鮮烈にして明快なのは、コクピットの中――。
「ご主人様ぁ! あんまりです!!」
「……ん」
ただ、無心に、コテツは鍬を振り下ろした。
しばしの年月があれば、きっとこの違和感も消えてなくなることだろうかと。
こうしてイクールの街に滞在し、作業系の依頼を受けて過ごし六日が経った。
そして今日の依頼は珍しくも一人。誰かに手伝わせる内容ではない。
はずなのだが。
「楽しいのか? エスクード」
「それなりに」
森の木に腰掛けて、エスクードは木の実を取るコテツを見つめていた。
木の実の回収。それがコテツの今回の仕事である。
採っていくのは、リーゼロッテと前回採ってきたものと同じなため、手伝ってもらおうとは露とも思わず。
むしろ、これくらいの真似は一人でできねばなるまいと思っていた。
その結果が、何故だか街で会ったエスクードがついてくる結果となった。
「何故、あなたはそんなことをする?」
コテツが彼女から感じるのは好奇でもないなにか。
彼女は何もせず、コテツの背後から見つめるだけ。
まるで観測されている。
「どういう意味だ?」
「噂の腕前なら、機体に乗って狩りでもすればいいのに。どうしてそんな無駄なことを」
無駄なことを、とはコテツの手にある木の実のことを指すのだということに、気が付いた。
なりふり構わなければ、もっといい稼ぎがあるんじゃないのかと。
「いや、これでいい」
「本当に?」
「こうあるべきだろう。人というものは」
戦争が終わったのだ。
果たして、兵士から戦争を奪い取ったなら何が残るというのか。
「あなたのような兵隊から、戦いを取ったら何が残るの?」
わざわざ、彼女は聞いてくれた。
「人が、残らなければならない」
だから、これでいいのだと、コテツは言う。
戦争が終わって人が残る。ただの人は平気な顔で命を賭したりはしない。
ただの人は、生きる理由を見つけ、それなりに生きて朽ちねばならない。
「だから、こうして少しずつ錆付いていく?」
見透かされている、とコテツは思った。
「あなたは、着地点を見失ってしまったみたい」
冷たい瞳が、容赦なく踏み込んでくる。
「降りるはずの着地点が消えたから、ゆっくりそのまま不時着してしまおうとしてる。無様」
「君の知る祖父王と、俺はそんなに似ているのか?」
コテツは、木の実を取りながら問うた。
まるで、知っているかのような口ぶりは。祖父王と重ねてみているのだろうかと。
彼と自分はそんなに似ているのかと。
「似ている」
「そうか」
愚王と呼ばれた人物に似ていると言われて、嬉しいわけでもなく。
「あなたは、なんのために生きてるの?」
「今それを探している」
「今までの理由を、捨てられる?」
今までの理由。戦争のために生きていた。戦争を終わらせるために生きていた。
その戦争は終わったから、その理由は立ち消えたはずだ。
「きっとあなたは、生きる理由も死ぬ理由も見つけられない」
「何故、そう言える」
「祖父王が、そうだったから」
「なぜ、そう断言できる」
「あなたが祖父王と同じ道を歩んでいるようにしか見えないから」
ならどうすればいいのかと。コテツは彼女に問いかける気にはなれなかった。
ただ、黙りこくって木の実を採った。
実際、否定できないだけの要素があったのだ。
これまでの日々で、色々と試してみた。ギルドの依頼で畑を耕したり、木の実を取ったり釣りをしたり。
だが、どれもしっくり来ない。馴染めない。
まるで、フィルタを通したように、ガラス一枚を挟んだように、それらは馴染んでくれなかった。
まるで、やりたいことはそれじゃないと叫ぶように。
どうにも、上手くいかない。まだ、胸に燻るものがあるからだろうか、とコテツは考える。
その時である。不意に、影が差した。樹木の折れる耳障りな音がする。
「……こんなところには出ないんじゃなかったのか」
「そのはず」
白く巨大な狒々、ブランサンジュ。
それは、北のほうにしか出現しえぬ、大型の魔物のはずなのだが。
疑問を挟む余地もなく、狒々は拳を振り下ろしていた。
「障壁展開」
避けようと、コテツがエスクードの首を引っつかむと同時、コテツ達とブランサンジュの間に半透明のエメラルドグリーンの壁が現れる。
拳は壁に阻まれた。
それを見てから、コテツはこれらを行ったのがエスクードだということに気が付く。
「君は魔術師か。アレを倒せるような魔術を持っているのか?」
「答えはノー。私は防御特化」
その答えに、コテツは舌打ちすらすることはなかった。
判断は素早く。エスクードの首根っこを掴んだところから更に抱え上げるようにし、すぐさま走り出す。
もたもたしていると死ぬ。しかも森の中は避けにくい。
今回は立ち向かおうだなどとは少しも思わなかった。立ち向かう理由がないし、結局勝てはしないのだ。
「……速い」
「舌を噛むぞ」
コテツは、後ろを気にしつつも獣のように森を疾駆する。
どうやら、森がデメリットになるのは敵も同じようだった。
巨体ゆえに、移動速度が制限されている。
対するこちらは、機動力自体は削がれても、決して巨体ではないために、ある程度の移動速度は保障されていた。
そして、この森と街は程近く、街に近づけば警備のSHがすぐに現れることは知れている。
結果は、前回よりは断然楽に、コテツ達はブランサンジュから逃げ切ることができた。
「……またブランサンジュに出会うとはな」
「不思議」
逃走劇の後、間もなく、ブランサンジュは撃破された。
コテツが戦列に加わるまでもなく、数機で取り囲み、足止めを行い、魔術を放って片が付いた。
そうして、木の実を納品した後、コテツがやってきたのは図書館だ。
「ブランサンジュ……、やはり寒冷地に生息する、か。ここは寒冷地じゃないはずだな?」
「そう。むしろ、この国でブランサンジュなんて早々見ることはない」
「アマルベルガに後で報告しておくか」
言いながら、本棚へ本を戻すコテツ、そこに、エスクードからの声が掛かった。
「しばらく、ここにいる?」
「ああ、そのつもりだが」
「本、読んでる。行くとき、声かけて」
そう言って、彼女はふらりと本棚と本棚の間へと消えていく。
コテツは、特に言うこともなく見送り、自分の読むべき本を探し始めた。
おおむね、カテゴライズは歴史書。
いまひとつ勝手が分からないので、それらしきものを数冊抜いて、テーブルへと戻る。
そして、椅子に座ると、ぱらぱらとその本を捲り始めた。
「祖父くらいの年代だと、歴史書に載っているのか……?」
気になっているのは、祖父王のことだ。
ブランサンジュについて調べるついでに、それについても調べておきたかった。
あそこまで似ていると言われれば、気になると言うものだ。
大体五十年前辺りの比較的新しい年代のところを、ぺらぺらと捲っていく。
その辺りでぱっと見て一番目立つのはアマルベルガの父と先代エトランジェだろう。
今正に調べている祖父王が崩しかけた国を救ったという彼らはまるで英雄のように語られ、賛美されている。
そして、その次あたりに祖父王達の年代に入る。
そこには、いかにその時代酷い政策が行われたかが列挙されていた。
増税、地方領主の横暴、貴族の強欲。しかし、そんな中、ふと気が付く。
(祖父王についてが、妙なほど書かれていないな……)
横暴を働いた領主のその横暴などは事細かに書かれていながら、祖父王についてはあまりに書かれていない。
悪行として書かれているのは、亜人の娘を浚い、手篭めにしようとしたことだけ。
亜人と交わるなど王族にあるまじき汚らわしさだと、書かれている。
コテツは、その歴史書を置いて、別のものに手を伸ばす。
だが、どの歴史書を読んでも、さしたる情報が、手に入らなかったのだった。
「……無駄か」
もしかすると何かを秘匿しているのかもしれないが、そうすると、そういったことについて書かれている本があったとしても禁書として全て燃やされたことだろう。
得るものはない、とコテツは諦めることにした。
そして、本を置き、立ち上がる。
彼は、記憶にある通りに本を戻して、そして、エスクードに声を掛けることにした。
声を掛ける義理は無い気もしたが、声を掛けるだけなら大した手間ではないと、椅子に座って本に視線を落とす彼女に、彼は声を掛けた。
「エスクード」
「終わった?」
「ああ」
「……ん」
と、そこでふと、コテツは気が付いた。
彼女の視線が、本に残っている。
「……本、好きなのか」
問うと、ここに来て初めて、彼女は表情を変えた。
少しだけ、恥ずかしそうに、少しだけ、照れくさそうに。
俯いて、頷く。
「……うん」
「そうか」
結局、コテツは彼女の隣に腰を下ろした。
不思議そうに、彼女はコテツを見てくる。
「……いいの?」
「夕方までは俺もやることが無い」
「ありがとう」
彼女は、そう言って少しだけ微笑む。
「じゃあ、あと五分だけ」
「好きにしてくれ」
呟いて、ぼんやりとコテツは頬杖をつきながらエスクードを眺めた。
非常に、整った顔をしている、とはコテツも思う。
ウェーブの掛かった髪は、黒髪かと思えば、どうも少し青みがかっているように見えた。
「……なに?」
「いや、なんでもない」
どうやら視線に気づかれたようで、すぐにコテツは視線を逸らす。
すると図書館は、酷く静かで、妙に、嫌なほどに落ち着いた。
ぼんやりと、思索の海を漂うだけで、五分はすぐに過ぎ去った。
「終わった」
後五分、と言うのは、丁度五分で読み終わると言う計算だったらしい。
読み終わった本を戻してきたのを見計らって、コテツも立ち上がった。
そうして、二人隣合って、外へと歩いていく。
「……君の興味は、満たせているのか? 俺は」
ふと、気になってコテツは聞いた。
エスクードは、頷く。
「うん」
「俺のどこに興味がある?」
「妹が、あなたの事を好きみたいだから。どこがいいのか、気になって見に来てみた」
「それは、奇特な人物だな」
「そうかもしれない」
確かに、コテツは今、噂に事欠かない人物であるし、一応の実績もある程度出てきた。
となれば、ファンがつくようなこともあるのかもしれない。実際のコテツがどうであれ。
「こんどは、私が聞いても?」
「ああ」
エスクードの言葉に、別に聞かれて困るようなこともない、とコテツは頷いた。
すると、エスクードは、こんな質問をしてきた。
「エトランジェになる前のあなたは、何故戦っていたのか」
問われて、コテツは過去の戦いを思い出す。
果たして、何故コテツはエースとして戦場を駆けたのか。
そんな記憶を掘り起こした。
「あの頃は……、そうだな。平和のために、戦っていたはずだ」
「人類のために?」
「人類を皆殺しにすれば戦争は起きない。そういう類の考えだ。口が裂けても人類のためとはいえないな」
「じゃあ、何のために?」
「女のために」
「恋人?」
「いや」
「じゃあなに?」
「元上官だ。会ったのは一日だけだが」
昔を思い浮かべて、コテツはぽつりと呟いた。
「それに後を頼まれた。だから、目の前の敵を全て排除することに決めた」
「正気?」
「エースとはそういうものだ。」
正気かどうかと問われれば、コテツにイエスと答えることはできない。
ただ、コテツにとってそれは、戦うに足る理由だと思ったのだ。
「それで、作れた? その女性の願う平和は」
「……さてな」
それは分からない。平和になったのだろうとは思うが、しかし、コテツはそれを見ることは叶わなかった。
そんなコテツをどう思ったのか、隣を歩くエスクードはコテツを見て、口を開く。
「あなたは、無理をしていない?」
「……どういうことだ」
「日常に馴染もうと、焦っていないかと、聞いている」
言われて気が付いて、コテツは思考する。
確かに、そうかもしれない。エミールの幻影でも拝んだせいだろうか。
「そうかもしれん」
それとも、上手く馴染めないことを、認めたくないだけか。
「待ってくれたから、一つだけ、お礼」
彼女は、そんなコテツに、言う。
「無理に心の整理を付けようとしても無駄だし、焦る必要も無い」
年下であろう少女にそんな風に諭されて、コテツは苦笑した。
「どうせこの先数十年、あなたはあなたでしかないんだから」
「そうか」
少しだけ、心が軽くなった気がして、コテツは苦笑を深めながら、帰路を歩いていった。
再開。ペース上げていきます。




