28話 Standby Ready?
そう、旅は順調だった。
最終日の、目的地に着く正にその時までは。
剣戟鳴り響く、その瞬間まで。
「いやぁ、疲れましたねー。今回のお仕事は」
街の前に到着したのは、すでに夜。煌々とした満月が照らす夜だった。
その夜の闇の中、コテツ達は、街に入っていくエリナ達を見送っていた。
もう彼らと会う機会はないのだろうが、既にエリナやリヒャルトと別れは済ませてある。
屋敷までついていくことにならなかったのは、これから宿を探したり、ギルドに寄ったりとやることがあるのだろう、と判断したリヒャルトの厚意だ。
コテツは、それを受けることにして、去っていく馬車を見送っている。
「でも、楽しかったですね、エリナさんも、素敵なお嬢様でしたし」
リーゼロッテも同じように馬車を見送りながら、そんな感想を溢した。
そのエリナは、一番前の馬車にいることだろう。
左右に数機のSHを付けて街へと入ろうという馬車は、見るものを圧倒するものがある。
ちなみに、そのSH達はルー達冒険者の持ち物である。旅の途中で、念のためにと合流した五機だが、活躍の機会はほとんどなく、目立った損傷はない。
「そうですねぇ……。妹みたいで可愛かったと思いますよ、私も」
あざみがリーゼロッテに応えて呟くも、コテツは黙って、その光景を眺めていた。
「ん、どうかしたんですかご主人様」
「いや……」
そして、コテツがそう呟いた瞬間、馬車の動きが止まる。
「あれ? どうしたんでしょうか」
リーゼロッテの呟きの通り、馬車の周囲は違和感のある光景となっていた。
突如、慌しくなり、男の悲鳴が聞こえた、と思ったらエリナが馬車の外へと出る。
そして、SHの一機が手を伸ばしたと思えば、エリナはそれに拾われるようにしながら、コクピットの中へ入っていった。
「一体何が……」
そして、突如方向転換をし、走り出した機体へとあざみが呟いた正に、その瞬間。
――爆音と同時に、走り出した機体の足元が、一発の砲弾に穿たれた。
『それ以上の前進は許さない! 機体を停止し、操縦席を降りるんだ!』
颯爽と現れたのは、SHの部隊だ。五機のSHが、冒険者のSHの前に立ちはだかっている。
そして、その一機から響き渡るクラウスの声。
『いやよ。もう始めちゃったもの』
そして、返されるのはルーの声だ。
「ご主人様っ、一体何がっ!?」
置いてけぼりにされたコテツ達を他所に、冒険者達のSHが動き出す。
クラウス達、兵士のSHもまた、それを通さぬとばかりに立ちはだかり。
両者は睨み合う形となった。
そんな戦場と化した門付近を、コテツは黙って見つめていた。
その異常に、あざみが気づく。
「もしかして、ご主人様……。あなたは、知っていたんですか?」
コテツは、一文字に引き結んでいた口を、少しだけ開いてあざみへと、伝えた。
「ああ、つい先日、エリナ本人から、な――」
時は一日巻き戻る。
旅、六日目。旅は、順調だった。
……表面上は。
コテツは、この旅が始まるとき、ある種のきな臭さを覚えていた。
何らかの違和感と言うべきか。
それは、エリナやリヒャルト、また、エリナの幼馴染であるルーや、イクール家に仕えるクラウスに会って話を聞いた今、尚。
ついぞ消えたことはない。
(エリナは言った。父との関係は良好だ、と)
ただ、エリナの家を継ぎたくないという願望に賛成するものと反対するものがいるだけのこと。
だから安心して構わない、とエリナは言った。
だが、しかし。
ならば。
(ならばルーは俺にどちらに付くのかを聞いたりするのか――?)
そこだ。そこに、違和感が残る。
何故コテツを、敵か味方のどちらかだと、ルーは考えたのか。
ただのお嬢様の夢を応援する者と、反対する者が居るだけならば、外から来た冒険者は敵でも味方でもなかったところで、おかしくはないだろう。
だが、ルーは、彼女はコテツを関係者だと踏んだのだ。
(つまり、彼女には俺が敵か味方か断定する必要があった。その上、敵の可能性があると知って尚聞かねばならない理由が)
沈み行く思考の果て。
答えに、指先が掠めている。
あと数センチ腕が伸びれば、答えに手が届きそうな。
「……もしや」
明日は、目的地に辿り着く予定の日。
そんな今日に至るまでに、いくらかのヒントとなる出来事も、あった。
それは、四日目の昼のことだ。
その日、コテツは馬車の中で荷物を整備していた所、
「……っ!!」
突如馬車の中に飛び込んできた人影へと、コテツは剣を抜くこととなった。
甲高い音が響く。座り込んだ体勢のまま、若干仰け反りつつもコテツは振り下ろされた剣を防いでいた。
そして、その一撃を防いだコテツは、まるで溜息でも吐くように呟く。
「……一体何の冗談だ」
襲撃者はといえば。
彼女は、悪びれもせずに、笑っていた。
「意外とやるじゃない」
「ルー、君は」
冒険者、ルー。彼女はエリナの友人でもある。
「試してみただけよ? あなたの力を。曲がりなりにも、エリナを預けてるわけだし?」
そう言って、彼女は武器を仕舞った。
腰の鞘に収納されたショートソードがかちりと音を立てる。
「……それで君は馬車に飛び込むなり大上段から剣を振り下ろすのか」
「防いだんだから問題ないでしょ?」
コテツは、その物言いに少しだけ目を細める。
それを知ってか知らずか、彼女はにやりと笑って聞いた。
「でもあなた、本職はSH乗りでしょ?」
「わかるのか」
確かに、コテツも人型機動兵器に乗る人間の雰囲気は判る。彼らは、総じて動きが小さい。コクピットの中でほとんど動かないし、最小の動作で最大の効果を得ようとしだすのが、SH乗りの考え方だ。
しかし、胡坐をかいた状態から剣を受け止めるまでのモーションに、そのような空気が見て取れただろうか。
そんな疑問に、あっけらかんとルーは答えてくれた。
「剣が素人臭いもの。反射神経と動体視力、それと勘で戦ってる感じ。ついでに体がついてってない空気。SH乗り特有じゃない?」
「なるほど。確かにこういう剣は素人だな」
ルーの言葉にコテツは納得を覚えた。
確かに、機動兵器に乗れば、後は音速の世界だ。しかも、音速の世界で自分の身体を動かすわけではないから、反射神経、動体視力が鍛えられていく。
しかし、実際動かすのは機械の体であるため、意識と動作が噛み合わないように見受けられるのだろう。
「かくいう君も、SH乗りのようだが」
「あら、わかるのね」
「身軽な動きと、動作のコンパクトさでな」
「そうね。いつもわざわざワイヤー垂らして搭乗なんてできないものね」
「戦闘ともあれば、すぐさま機体に乗り込まなければならないからな」
パイロットは、余裕がない時は装甲を駆け上がり、すぐにコクピットに入り込まなければならない。
SH乗りは、それ故に、山猫のようにしなやかな立ち居振る舞いをすることが多いのだ。
たとえ2メートルを超える巨漢であろうが、動きは俊敏でしなやかであったりする。
ルーは、そんな機動兵器乗りなら当然の問いを放った。
「それで? あなたのSHは持ってきてないの?」
「ああ。この場にはないな」
あっさりと、コテツは真実を告げるのを止めた。
ディステルガイストは隠しておきたい。状況が不透明だからだ。
「ふーん? エネルギー効率が悪いのかしら、あなたのSH」
「そんなところだ」
「なら仕方ないわね」
しかし、SH乗りがSHに乗らずに旅をすることは別に珍しくもないらしい。ルーから深い追求はない。
楽でいい、と心中呟きながら、コテツは用はそれだけか、と黙ってルーの言葉を待つ。
ルーは、先ほどから一転して、心配するような顔でコテツに聞いた。
「それで、あの子はどう? 元気にやってる?」
「ああ。こちらの二人とも溶け込んでいる」
「ふーん? でも、よく考えると、亜人のメイドに、女の子と、男一人のパーティって珍しい組み合わせよね」
「そうなのか?」
疑問符を付けて言葉を返したコテツに、ルーは呆れた顔をした。
「まずメイドって時点で何がなんだか。メイド連れてる冒険者なんて余程の物好きか金持ちだわ」
「そうか」
「まあ、そんなパーティだからあの子を任せられるんだけど」
そう言って彼女は肩を竦める。
コテツは、それから少し間を置いて、口を開いた。
これほどフレンドリーなら、やはりエリナの件に関してかなり深いところにいるだろう、と。
「君は、エリナが冒険者になりたいことを知っているのか……、いや、知ってるんだな?」
「ええ。あなた、話してもらったの?」
「ああ」
「随分懐かれたのね」
「君は、エリナの希望についてどう思っているんだ?」
探りを入れるように、コテツはルーへと問う。
座っているコテツに、ルーは立ったまま、返答を返した。
「素敵だと思ってる。あなたは、そうは思わない?」
そして逆に聞き返されるが、コテツは返答を返さなかった。
ただ、無言で、口を一文字に引き締める。
答えを返さずも、ルーは先を語った。
「私は生まれた時から色んなことが決まってるなんておかしいと思う。人は、自由であるべきだわ」
「そうかもしれん」
「だから、私はエリナを応援してるの。というか、うちのパーティ皆でね。皆、あの子のこと妹か娘みたいに可愛がってるから」
「彼女のためなら、命くらい張れる、か?」
「ええ、そうよ。冒険者なんて皆そんなもん」
彼女は、茶化すでもなく、真顔でそう答えた。
答えを、手繰り寄せる感覚。違和感が、確信に変わる予感。
(……もしかすると)
「じゃあ、私行くわ。途中で合流した仲間とも打ち合わせしなきゃいけないし」
去っていく彼女を見送って、結局コテツも馬車の外に出た。
考えをまとめてしまおう、とコテツは外の空気を吸おうとする。
のだが。
そこで、またの来客。
「コテツ殿、お嬢様の調子はいかがでしょうか」
鎧を着込んだ茶の髪の男、クラウス・ピート。彼が、コテツの元へと歩いてきていた。
そして、着くなりエリナの調子を聞くのだから随分と、エリナは様子を気にされているようである。
「悪くは無いようだ。今はうちの面子と散策に行っている」
「ついていかなくてよろしいので?」
「必要ない程度には、彼女らは強い」
エリナの剣技自体は中々の冴え渡りであるし、リーゼロッテの身体能力は高い。
更に、あざみがそれなりの威力を出すつもりで魔術を使えば、今まで倒してきたような相手では話にならない。
それ故のコテツの言葉だが、クラウスの顔には、不安が浮かんでいた。
「……そうですか」
「しかし、随分と気にされているんだな、エリナ・イクールは。先ほどもルーが来ていた」
「ルーがですか?」
「ああ。そちらとも知り合いなのか?」
「子供の頃からの付き合いですが」
「なるほど」
どうやら彼ら三人は、昔からの馴染みであるようだ。
一人は貴族、一人は兵士、一人は冒険者という、妙な組み合わせだが。
「しかし、君はエリナに一生を屋敷で幸せに過ごして欲しいと思っているんだな?」
と、そこで、エリナを森で助けたときに、クラウスから聞いた話を思い出す。
クラウスは、コテツの言葉に一瞬不可解そうな顔をしていたが、すぐに得心が行ったと表情を戻し喋りだした。
「一体なにを……、ああ、なるほど、お嬢様に聞いたのですか。お嬢様の夢を」
「ああ、君は反対しているんだろう?」
クラウスは、前回出会った時に、エリナに家を継いで欲しいと言っていた。
その通りに、クラウスは肯く。
「はい。冒険者が悪いと言うわけではないのですが。しかし、冒険者というのは何かと大変でしょう? 少なくとも、女性の身で、こういっては難ですが、お嬢様は育ちのいい身。あの中で暮らしていけるのかと問われれば私は首を横に振りましょう」
「だろうな」
コテツも、それ自体には同意する。彼女の細腕で、荒くれの中に入っていけるかどうかは疑問だ。
「お嬢様には、父上の後を継いでいただくことが一番の幸せ。そして、その幸せの道へと導くのが、大人の仕事でしょう」
そう言って、クラウスは笑みを浮かべた。女性に好かれそうな、爽やかな笑みだった。
「さて、では私はこれで。あなたには、勝手な願いかもしれませんが、お嬢様を楽しませてやっていただきたい。お嬢様が満足できるように」
「善処しよう」
再び去っていった来客を、コテツは胸にわだかまる何かと共に見送った。
そして彼は再び思考へと沈んでいく。
(状況を整理しよう。まず、この件はエリナを中心にしている。リヒャルトとエリナではなく、エリナを、だ)
エリナを中心に、彼女が冒険者になることへの肯定派と反対派が存在する。それがまず最初の前提。
肯定派は、今回の旅に参加した冒険者、八名。
反対派は屋敷に属する人間であり、中でもこの旅に参加している兵士は五名。
と、それだけならいい。
だが。
それだけなら、初日にルーが敵か味方かなど聞いてくるわけがない。
なにせ、無関係である可能性が高いのだから。
しかし、彼女は聞いた。
推測だが、聞かなければいけないほどに切羽詰まっていたからだ。
では、何故そこまで切羽詰まっているのか。
情報を総合して、一つだけ、コテツの胸に浮かび上がるものが、確かにあった。
目的地は、国境に程近い。そして、集まりだしたSH。
答えが、見えてきていた。
そしてコテツは、六日目の夜その時に、答え合わせをすることに決めたのだ――。
夕食も終え、ふらりとコテツが散歩へと歩き出した時、エリナもついてくると言い出し、おあつらえ向きに彼らは二人きりとなった。
そう、コテツは答えをエリナ本人に聞こうと決めていたのだから。
「今日の夕飯も美味しかったです。リーゼロッテの料理の腕は流石ですね」
「そうだな。俺もそう思う」
にこにこと笑いながら、エリナはコテツの隣を歩いている。
コテツはそんなエリナの様子を伺いながらも、問いを放った。
まずは、当たり障りなく。自然な質問を。
「君の故郷は、どんな感じなんだ?」
「父の領地、ですか?」
「ああ」
「そうですね……、私が言うのもちょっとですけど、いい街だと思うです」
言いながら、彼女はその笑顔をコテツへと向けた。
「国境が近いから、貿易が盛んですし、旅人とか、色んな人が入ってくるです。だから、活気があって」
だからこそ、冒険者に憧れるのだろうか、とコテツは心のどこかで考える。
「そうか……。――では、街に着いたら君に街を案内してもらっても、いいだろうか」
そして、何食わぬ顔でコテツは尋ねた。
エリナ、彼女の気性は優しい。そして、この旅で少なからず恩義を抱いてくれている。
普通なら、断らない。
「……っ。……ごめんなさい、長旅で疲れてるですので……」
普通なら。
やはり、とコテツは確信を得た。
普通なら断らないであろう提案。それを断るということは、その日に常ならぬ何かがあるということ。
そして、情報を総合して予想を立てるのなら。
「理由は、建前か」
「な、なにを言ってるですか?」
「これから先の言葉は、単なる妄想として聞き流して貰っても構わない。どういう反応を返すのかも自由だ」
コテツのたどり着いた答えは一つ。
コテツは、自分の考えを口にする。
「――君は明日、ルー達冒険者と共に国境を越えるつもりだな?」
びくり、とエリナの肩が震えた。
確定か、とコテツは心中で漏らす。
「しかも、それを兵士達に気取られているのだろう?」
あざみがぴりぴりしていると評したのは、何も冒険者達だけではない。
イクール直属の兵士達も、なのだ。
そう、エリナと冒険者達はこの旅のまま国境を越える計画を立て。
そして、兵士達は確証があるかどうかは知らないが、それを気取り、不穏な動きがあればすぐに取り押さえようとしていた。
そう考えれば、ルーがわざわざコテツに敵味方を聞いてきた理由に説明が付く。
片一方は作戦開始を今か今かと待ち、片一方はいつことが起こるかと警戒を続けていた、そんな中に現れた冒険者がコテツなのだ。たとえ無関係であっても、なにか関係があるように見えただろう。
それ故にルーは多少のリスクを負っても、反応を見て敵か味方かはっきりさせたいと思った。
仲間が呼んだ助っ人か、兵士側が呼んだ助っ人か。コテツの反応を見て見極めようと思ったのだろう。
「……気づいて、しまったのですか」
そして、意外にもあっさりと、エリナはそれを認めた。
「簡単に、認めるのだな」
「もう、兵士にも気取られかけてるですから」
「俺が言いふらしても関係はないか」
「……はいです」
こくり、とエリナは頷いた。
どうやら、計画は本物のようだ。確かに、そう、エリナが冒険者になるならば、国外に出るしかないだろう。
少なくとも、ギルドに登録した時点で国内ではすぐに場所を知られてしまう。
「この旅は、茶番です。兵士の皆さんも、私達が良からぬことを考えてるのはわかってるです。だけど、護衛という名目に自然な流れであれば、どんなことも許可せざるを得ないです。だから、茶番です。その茶番で、私たちは戦力を集める事ができたです」
「だから、この旅を決行の日に決めたということか」
「はいです。現に、こうしてルー達のSHが終結していますが、兵士さん達がそれを止めることが出来ないです。王都付近で大型魔獣が出たのは、嬉しい誤算でしたです」
普段なら止められる戦力集結も、護衛のための一点張りで通ってしまう。そういうことなのだろう。
そうして、エリナは言葉を一旦切り、大きく息を吸い込んだ。
「そう。私達は明日、国境を突破して、この国を、去るです。兵士さんたちが立ちはだかるでしょうけど、その時のための戦力なのです。武力を持って、――切り抜けるです」
コテツの常識では、エリナはまだ焦るような年齢ではないと思う、しかし、この世界では十五を超えれば大人と呼んでもいい空気だ。
だから、このタイミングなのだろう。
このタイミングでなければ、ならなかったのだろう。
「……愛されているな、随分と」
この状況に、コテツはそんな感想を漏らした。
片一方は共に国外へ逃亡する覚悟、もう片方は全力でそれを止める。
そしてその二つの勢力は、エリナのために存在しているのだ。
「そうかも、知れないです……」
「しかし、出発を明日に控えていて、君は表情が優れないようだが」
エリナの顔は、お世辞にもいい顔をしているとは言えないような表情だった。
不安や悲しみが入り混じったようなそんな表情。
「それは……、私が迷っているから、だと思う、です」
エリナは、表情が優れぬままにそう言った。
「未だに、か」
コテツは、既に明日に出発を控えている状況であるにも関わらず、迷っているというエリナに、そんな言葉を返す。
そして、もっと早くに覚悟を決めておかねば元も子もないだろう、と言い掛けて、この年齢では無理からぬことか、と口を噤んだ。
エリナは、言葉を漏らす。
それはまるで泣いているように見えて、まるで嗚咽のようで。
「だって……、まだ、わからないですっ。家を捨てて自由になるのと、家を継いで自由はなくとも不自由せずに生きる事……、どちらが幸せな道ですかっ……?」
その二択は。十三歳の少女には、酷すぎる――。
究極の選択とも言える二択を迫られた少女のそれは、まるで慟哭だった。
どちらかを手に入れれば、どちらかが手に入らない。それは、十三歳でぶち当たる現実には、あまりに酷すぎる。
コテツには、答えを返すことが出来なかった。
「わからない。俺には、貴族として安定して暮らすべきだという言葉も、望まぬ未来は蹴って、冒険者として生きるべきだという言葉も理解できる」
一長一短とでも言えばいいのか。多面的に見ればいいところも悪いところもある。
そして、どちらが良いかなど、コテツには判らない。この世界の常識や基準がわからないからでもあるし、そもそも幸せそのものがどのようなものか、その答えすらも持ち合わせていない。
なにせ、コテツすら、それを探している最中なのだから。
「……コテツは、冷静な人ですよね。冷静にものを見てくれる所は、好きです」
そう言う割には、彼女は悲しげで、苛立たしげだった。
コテツは、黙って言葉を待つ。
「コテツは。コテツは優柔不断ですね。……そういう所」
今になって、コテツは考え直す。果たして何を言うべきだったのだろうか。
ベターな答えとは何だったのだろうか。
「――キライです」
嘘でも。
嘘でもどちらかが幸せだと言ってやるべきだったのだろうか。
そうして、エリナの国境突破は始まった。
そして、剣戟響く今。
先日、エリナと話してから、コテツはエリナと会話をまともにしていない。
精々、先ほど別れる前に、意味深に「さようなら、では行きます」と告げられただけだ。
「……ご主人様。それで、私達は見ているだけなんですか?」
始まった戦闘。剣戟と銃声が響く戦場の傍で、あざみは攻めるでもなく、問うた。
「……さてな」
ただ、コテツは冷めた瞳で戦場を見つめている。
いつの間にか、そのままの突破は不可と考えたのか、エリナはルーのSHから下ろされ、コテツ達と同じように戦況を見守っていた。
コテツは、未だにエリナへ渡せる答えを持ち合わせていない。
問いへの答えは、未だに指先にも掠っていないのだ。
ただ、腹の底に黒い何かが溜まっているだけ。
まるで、タールのような何かが、腹の底に溜まっている。
(ベターな選択肢とは、存外難しいものだな……。む……?)
そんな中、コテツはふと、同じように戦場を見つめるリヒャルトを見つけた。
なんとはなしに、コテツはリヒャルトへと近づいていく。
「おや、何かようですかな」
コテツが近づくと、紳士は困ったように微笑んだ。
「貴方は、アレに混ざらないのか?」
リヒャルトの前に立つなりそう言ってコテツは戦場を指差した。
リヒャルトはたった一人でそこに立っていた。誰に属するでもなく、一人でだ。
だから聞いた。だが、彼は困ったように笑うだけだった。
「私は……、やめておきましょう」
少し遠くでは、マズルフラッシュが煌いて、スピーカーを通した声も聞こえてくる。
『君たちは愚かだ! お嬢様を連れて逃げようなどと!! 冒険者が苦労するのは君たちが一番わかっているだろうに!』
『冒険者を舐めないで! それに何よ、人を屋敷に押し込めて、デスクワークを押し付ける! それがあの子の幸せなもんですか!!』
戦っているSHの後方には、SHに乗ってない構成員も控えている故のスピーカーだろう。
だが、リヒャルトは、その二つの勢力を、まるでコテツのように冷めた目で見つめていた。
「結局、リヒャルト・イクール、貴方は自分の娘にどうなって欲しいんだ?」
わからなくて、コテツは聞く。この男は、慌てることもなく、応援することもなく、ただ、戦場を見つめているのだ。
その男は、しばらくの間を置いて、口を開いた。
「……幸せになって欲しいのですよ、私は」
「ならば。ならばこれを認めるのか? 国外逃亡を」
「それが娘の幸せならば」
一陣の風が草を揺らし、リヒャルトははっきりと言い放った。
「貴方の傍で成長し、立派に伯爵になるのが一番の幸せだとは、思わないのか?」
コテツが聞くと、紳士は笑う。
「それは、私の幸せでしょう?」
「……そうなのか?」
「ええ、そうでしょう。娘が傍で成長し、立派になる。親としてはこの上ない幸せですが。しかし、それを娘に押し付けたくはない」
そして、リヒャルトは笑いながらにして、こんな言葉をコテツの胸に残した。
「それに。娘が本当の幸せを掴む事こそが、私にとっての最高の幸せですよ。例え、これが今生の別れだったとしても――」
果たして、二択のうちどちらが幸せか、コテツには未だ答えが出そうにない。
むしろ、これは自分には答えが出せないのかも知れない、とコテツは思う。
「ああ、そうか」
だがしかし、腹の底に残る黒い何かが、澄んだような気がした。
リヒャルトの言葉はコテツにとって、別の答えをもたらしてくれた。
だからコテツは、戦場へと歩き出す。
「ご主人様ー? 何してるんですか?」
コテツを見守っていたあざみが、彼を追って小走りになる。
そんな彼女を振り向くと、コテツは簡潔に答えた。
「行くぞ」
あざみは、そんな言葉に一瞬目を丸くし、すぐににやりと笑う。
「はいはい来ました行きましょう。どこへなりともあなたとなら」
そして、何もない虚空から、空間を割る様に紫電を纏って相棒が現れた。
「リーゼロッテ、君はそこで待っていてくれ」
「はい、お気をつけて!」
コテツは、リーゼロッテに声を掛けながら、機体を上り、コクピットへ滑り込む。
続いて、あざみもコクピットへとやってきた。
二人、シートに座り、ハッチが閉まる。
「……しかし、意外ですね、ご主人様」
「何がだ」
「ご主人様のことですから。俺には関係のないことだ、キリッとか言うものかと」
機体を起動させつつ言うあざみに、コテツは至極真面目に返した。
「無関係ではない」
「そーですか?」
「ああ」
何故なら。
生きる理由を探すなら、幸せとは避けられない命題だから。
「ここで逃げるようでは永遠に辿りつけそうにもない――」
伝えに行かねばならない。コテツがこの世界で生きようと真剣に思うなら。
先ほどのリヒャルトの言葉から得たものを言わぬままここを立ち去って、いいはずがないのだ。
伝えられる言葉を伝えないでいる人間が、まともに幸せなど掴めようもないはずなのだから。
「ディステルガイスト、起動。いけますよ」
機体が動き出す。
機体の調子を確かめるように、コテツは操縦桿を動かした。
半身になり台地を踏みしめ、機体が構える。
そして、モニタに文字が躍る。
それと同じ文字の羅列が、今回はあざみの光魔術ではなく、腕の文字が書き換わるようにして表示された。
『Standby... Ready?』
答えは一つしかあるわけない。
「イエスだ。行くぞ――」
まずは、そう。
エリナに本当に冒険者になりたいのか聞きに行こう――。
テンポが悪い気がしてならないのは気のせいじゃないと思います。
読み返したりもして、色々と未熟を感じながら現在も推敲中。
書き溜めても推敲が間に合わない状態だったりしますが、なんとなく楽しいです。