27話 喜楽フィッシング
翌日からの旅の道程は、とても無邪気なものとなった。
果たしてエリナが参入したことによるものなのかはわからないが、とかくに明るい旅だった。
イクールの領地は、国境に程近く、それなりの距離はあるのだが、それまでに凶暴な魔物が発見される事例はほとんど無いと言うし、途中で更なる護衛がSH付きで合流するらしい。
そう考えれば、気楽なものなのである。
「コテツさん、釣りはどうでしょう」
そんな、二日目の野営地点で、リーゼロッテはそう提案した。
一息に森を抜けた辺りで、馬が音を上げたため、今日も早めの野営だ。
「釣り? 道具が見当たらないが」
「針と糸さえあれば、どうにかなりますよ」
「そういえば、君は森暮らしをしていたのだったか」
「はい、なので、簡易的な釣竿でしたら」
「魚も悪くないな。釣れるかどうかはまったくわからんが」
呟いて、コテツは立ち上がる。腐りやすい魚を野宿などで食べるには、やはり釣るしかない。
コテツも魚は嫌いではないし、それに、野営は暇なのだ。
野営は基本的に食事を済ませ、寝るだけだ。それ以外はまるっきりやることが無い。
寝具の用意に何時間も掛かるわけではないし食事だって準備から片づけまで二時間あれば十分すぎる。
手の込んだ料理を作れるわけではないのだから、そんなものだ。
ならば暇つぶしに本でも持ち込めばという話だが、それは荷物と相談した上で良しと判断できた場合だ。
荷物は軽いに越したことが無いし、それに、旅の半ばで読み終えてしまえばそれこそデッドウェイトだ。
「エリナ、君は向こうに行かなくていいのか?」
ただし、貴族ともなればまた違う。
それなりのテントが用意されるし、食事も野宿とはいえ悪くないだろう。
荷物が重くなろうが、貴族ともなれば我侭も通る。
のだが、エリナは首を横に振った。
「私は釣ったお魚が食べたいですっ」
「そうか?」
お嬢様というのはそういったものを好まないのではないかというコテツのイメージは、誤りのようで。
「お屋敷に戻ったら、こういうこと、もうできませんし。いろいろ経験してみたいですっ」
笑顔で言うエリナに、コテツが掛ける言葉は無くなった。
「リーゼロッテ、頼む。あざみもやるだろう?」
「はいはいやりますよー。流石に一人仲間はずれとかないですって」
「とすると、竿四本になるが、作れるか?」
最悪、作れるだけ作って一人二人は手伝いでもいいかと思ったがそれは杞憂で、リーゼロッテは笑顔で答えてくれた。
「大丈夫ですよ。じゃあ、その辺の木から、枝採ってくるので、ちょっと待っててください」
軽やかに、背後の森へ走り出すリーゼロッテ。コテツはそれを見送る。
そして、数分が経ち。
リーゼロッテが、軽やかに駆けて、森から馬車へと戻ってきていた。
「作ってきましたっ」
「早いな、というか、手伝うべきだったな、すまない」
「いえいえ」
笑顔で四本の竿、木の枝で作られた簡易的な釣竿をリーゼロッテは渡してくる。
そんな中、リーゼロッテを見ていたエリナが不意に声を上げた。
「ひゃあ!」
「どうした」
一体どうしたのかとコテツが聞くと、エリナがリーゼロッテの頭を指差している。
そこには、小さな紐状の虫がくっ付いていた。小さな芋虫だ。
「む、虫が……」
「ああ、虫が付いてるな」
髪の毛に虫を付けたままというのは愉快なことではないだろう。
ひょいとコテツは虫を手で掴むと馬車の外へと放った。
「あ。付いてましたか? ありがとうございます」
「む、虫を素手で……」
動じずのリーゼロッテと、戦慄するエリナ。
さすがにそれはお嬢様か、と逆にコテツは納得してしまった。
「とりあえず、エサの虫も採ってきたので、すぐいけますよ」
まあ、それはともかく、リーゼロッテは完璧に準備を終わらせて来てくれたようである。
内心感心しつつも、コテツは心中で呟く。
(流石元野生児、と言うべきか……、そしてこちらは流石お嬢様、といった所か)
そして、思いつつもう一人、彼はあざみの方を見た。
「あざみ、君は虫などは苦手か?」
純粋に気になったというのが半分と、旅をするにあたって知っておいたほうがいいだろう、というのが半分。
旅ともなれば、虫はもちろん、不衛生とも直面していく。
僻地に配属され、不衛生や、虫の羽音による不眠などによってストレスがたまり、体調を崩す軍人も、コテツは見てきた。
しかし、とうのあざみはけろりとしている。
「別に苦手じゃないですよ?」
「蛙であんなに叫ぶのに、か?」
聞くと、あざみは顔を赤くした。周囲は、コテツの言葉の意味がわからないようで、首をかしげている。
「そ、それは、まあ。その。背中にいきなり飛び乗られたらびっくりするじゃないですか……」
「そんなものか」
「そんなものです、ささ、釣りしましょう。夕飯が楽しみですね」
そう言って、一同は川へと歩いていったのだった。
「……しかし、長い川だな」
「んー、しばらく先の山まで続いてますよ。大陸でもそこそこでかい川ですよ、多分」
あざみの情報を信じるなら、大陸でもそれなりの大きさを誇る川は、野営地からさほど遠くも無いところにあった。
街道そのものが川に沿う様にあるようなので、当然だが。
「えっと、これ、エサです」
そう言って、リーゼロッテが葉を縫って作ったものであろう即席の袋を開く。
そこには、虫がびっしりと詰まっていた。
「……え、あ、あ、い、生きてるです、これ」
血の気の引いた顔でそれを見るエリナに、リーゼロッテは笑顔を向ける。
「はい。釣りエサは鮮度が肝心なんですよ? エビなんかは、死んでしまったものだと急に食いつきが悪くなるくらいですから」
「えあ……、はい」
「はいはーい、リーゼロッテ先生、エサはどうやって付けたらいいですかー?」
ショックから立ち直れていないエリナと、ノリノリで手を上げるあざみ。
コテツは黙って傍観していた。
「とりあえず、虫の頭のほうから、身体に通すように差してください。それで、途中でお尻の部分を垂らしてですね、長かったら切っちゃっていいです。人によってとか、魚の具合によって長さは変えたりするんですけど」
「ふむふむ、なるほど」
言いながら、あざみはエサである細長い虫を取り、針に刺していく。
コテツも、それに習い虫を針に刺しつつ、リーゼロッテへと声をかけた。
「詳しいんだな」
「え、はいっ。これでも昔はお魚とって食べてたんです。コテツさんは、釣りの経験は?」
「昔、友人に付き合わされたことはある。何度かな。その時は、ルアー釣りだった上、当然然程釣れてもいないから、素人と呼んでもいいだろう」
「えと、るあー?」
「魚の餌に似たもの、と言うべきか。金属や樹脂で出来ていて、使い捨てではない……、といっても詳しく知らんのでこのくらいの説明しか出来んが」
「エサなしでつれるんですかっ? あっ、でも、聞いたことあるかもしれません、どこかで木で作ったエサで魚を釣ろうとしてる人がいるとか」
「それが進化したら、ルアーになるのだろう」
コテツの世界でも、すでに中世と呼べる時代には、そういった試みがあったらしいから不思議ではない。
まだ、ルアーと呼べる物ではないにせよ、前身と呼ぶには十分だ。
「凄いですねぇ……、エサが要らないなんて」
「とはいえ、生き物のように見せかけてエサを動かしたり、部品の組み合わせに気を使ったりと、到底俺に出来るようなものではなかったが」
「難しいんですか?」
「俺にはな」
呟いたころには、エサを付け終わっている。
そして、すこしエリナの様子を見てみると、彼女は未だに、エサの前で戸惑っていた。
流石にお嬢様には辛いかと、コテツは彼女へと声をかける。
「無理なようなら、俺が付けるが」
「い、いえ、大丈夫、大丈夫です! 何事も経験、こういうことにも慣れておかなければならないですっ」
コテツなりに気を遣ってみたのだが、エリナは固辞して意を決したように虫を掴んだ。
「あう……」
そして、手を震わせながら、針に虫を刺していく。
「あうぅ……」
その感触に、肩まで震わせつつも、彼女は遂にエサを針に付ける事が出来た。
それを確認して、リーゼロッテが川の方を向く。
「では、後は川に垂らすだけですね」
「他にコツとかがあれば、先に言っておいてもらえると助かるが」
「えっと、特にないですかね。後は、勘です」
そう言って、彼女ははにかむように微笑んだ。
(野生の勘か……)
そんなものは無い、と若干困りつつも、コテツは川へと糸を垂らす。
丁度いい岩があったので、そこに座りながら。
ちらり、と横を見てみると、各々、好きなように糸を垂らしているようだ。
あざみは、楽しむように肩の力を抜きながら。
エリナは、真剣に、川を睨み付けながら。
リーゼロッテは、自然体でありながらも、動きがどこか玄人臭い。本気で夕食を釣り上げるつもりらしい。
コテツは、ぼんやりと糸を垂らした。
そうして、一番最初に動きがあったのは、やはりと言うべきか、リーゼロッテだった。
「あ、一匹釣れました」
一同が、リーゼロッテを見る。
「早っ、早いですよリーゼ先生! くっ、これが釣り経験者との差ですか。これでは、大量に釣り上げて、ご主人様に抱きしめてもらいながらなでなでしてもらう作戦が……」
「そんな景品は用意してないが」
大げさに悔しがるあざみだが、エリナもまた、それを見て息巻いていた。
「私とて、イクール家の娘ですっ、負けられないですっ」
「……元気だな」
コテツは呟く。
エリナも、意外とあっさりと溶け込んで、安心して釣りが出来そうだ、とコテツは水面を眺めたのだった。
「まあ、素人がそう簡単に釣れるものではないのだろうが……」
それからは、中々ハプニングにまみれた釣りとなった。
「あっ、あ、引いてるです! 来たです!!」
エリナが大物を引き当て、懸命に竿を引くのだが、中々釣れず。
(しかし、木の枝で作った即席の割りに、随分と丈夫だな。そういう木でもあるのか)
と、よくしなる竿を見ながらコテツが思索していると。
エリナの体は少しずつ前傾姿勢へとシフトして行き――。
「んん……!! あ、きゃああああっ!」
エリナ、川に落下。
「む、大丈夫か?」
「あう、大丈夫です」
浅めのところに尻餅をついて、ずぶぬれになったエリナは立ち上がるなり、いつの間にかエサが外され浮いていた竿を手に取り再び地面へと上がってきた。
「負けないです……!」
なんとも涙ぐましい努力。
「着替えるなり、服を乾かすなりしたらどうだ」
「問題ないです、魔術で暖めるです」
言って、すぐに彼女は釣り糸を垂らし始めた。
果たして温風を生み出す魔術でもあるのだろうか、と、眺めてみるが、コテツの目では特に何もわからない。
そんな中、運がいいのか悪いのか、再びエリナの針に、魚が引っかかる。
「きゃっ、また引いてるですっ、来ました!」
この辺りの魚はどれほど飢えているのかと思わなくも無いが、しかし、また結構な大物が引っかかったのは事実。
「ふっ、うっ、こ、今度こそ……!」
ただ、エリナは全力で引き上げようとしているが、やはり先ほどの焼き増しであるかのように、力負けしていた。
このままでは、結果も先ほどと同じになってしまうだろう。
が、しかし。
流石に二度目ともなれば、コテツが対応できた。
竿を岩場に置き、すぐさまエリナの元へ。
そして、背後から抱きかかえるようにして、彼女を支え、片手で、彼女の手に重ねるように竿を握る。
「竿が折れそうだな……!」
果たして、枝で作られた即席の竿が折れるのが先か、それとも魚が根負けするのが先かと言わんばかりに、竿がしなっていた。
「うう……! あと、もうちょっと……!!」
「あ、ちょ、後ろから抱きしめられて一緒に釣りとか、大物引っ掛けたらそんな特典付いて来るんですか」
あざみが何か言ってるが、気に留めている余裕は無く。
「そろそろ一気に行くぞ」
魚の疲労が見え隠れしたタイミングで、コテツは言った。
これ以上鎬を削りあっても、竿が折れるだけだとの判断。
「……は、はい、お願いしますです!」
「では、行くぞ」
「はいっ」
二人、背後へ倒れこむように、思い切り力をかける。
瞬間。
飛び上がる魚。陸地へと落ち、最後の抵抗に、地を跳ねる。
すぐさま、エリナはその顔に喜色を浮かべた。
「や、やった、釣れた……!!」
「楽しそうだな」
「あ、ごめんなさいですっ!」
コテツと一緒に背後に倒れこむようになったため、エリナは座り込んだコテツの膝元に収まっている。
彼女は慌てて立ち上がろうとするが、慌てたがために、中々上手くいかず、手が地面を探し、あわあわと彷徨った。
「いや、構わないから落ち着いてくれ」
仕方ないので、コテツはそのままエリナを抱きしめて立ち上がった。
ぶら下がる格好のエリナを、コテツは地面に下ろす。
それが恥ずかしかったのか、エリナは顔を赤くする。
「は、はい……、ありがとうです」
そして、赤いままの顔で彼女は礼を言うと、自らが釣った魚の元へ、ぱたぱたと駆けていった。
魚を掴もうとしては苦戦していたが、その顔はどこか楽しそうだ。
(濡れてしまったが、まあ、いいか)
その光景は、濡れてしまった服くらいの価値はあるだろう、とコテツは歩いて再び岩場に座り込む。
「あ、ご主人様っ! 掛かりました、掛かりましたよおっきいの! だから後ろから優しく抱きしめてくださいっ、それでうっかり胸とか揉んじゃったりしてそういうイベントをですねっ」
「……その様なサービスは行ってないので自慢の身体能力でどうにかしてくれ」
あざみの言葉を黙殺すると、しばらくして誰かが水に落ちたかのような音が聞こえてきたが、やはりコテツはぼんやりと釣り糸を垂らすのだった。
そうして、夜。
その日もまた、エリナと共に食事を行う。
無論、今日釣った魚がメインだ。結局、コテツの釣果は零だが、リーゼロッテは安定してほどほどの大きさの魚を大量に釣っているし、エリナは大物一匹を釣り上げている。
あざみは、小さな魚を二匹ほど。
「うーあー、まだ湿ってます」
あざみが嘆くように言うと、エリナもまた、それにうんうんと頷いた。
「はいです……」
そうして四人、焚き火を囲んで、魚が焼けるのを待つ。
「そろそろ、食べれますね」
リーゼロッテが呟き、火の中から串に刺さった魚を取り出した。
それと同時に、昨日と同じスープを渡し、それが今日の夕食となる。
「コテツ、コテツ」
「なんだ、エリナ」
「両手を合わせて、イタダキマスと言えばいいですか?」
「ん? ああ。俺の国ではな」
「では、イタダキマスです」
そう言って、エリナが両手を合わせて笑う。
「国柄だから別にすることはないが」
「こうして、皆と一緒のことをするのは、楽しいですから。だから、イタダキマスです」
「そうか。では、いただきます」
「じゃあ私も、いただきまーす」
そういうのならば問題ない、と両手を合わせるコテツにあざみが追従する。
続いて、リーゼロッテが両手を合わせた。
「いただきます」
そうして始まる食事に、最も最初に顔を綻ばせたのはエリナだ。
「おいしいです……。自分が釣った魚だと思うと、うれしいですねっ」
にっこりと笑うエリナへと、コテツは冗談を返す。
「それは嫌味か」
一匹も釣れなかったコテツが言う。
なんとなく、先日森で言われた言葉に掛けた意趣返しなのだが、エリナには、普通に誤られた。
「ご、ごめんなさいです」
「いや、冗談なのだが」
「真顔で冗談はどうかと思うです……」
「そーですよー、ご主人様。もっとにこやかに笑ってー」
「にこやかなコテツさんって、想像できないんですけど……」
リーゼロッテの苦笑に、あざみはうんうんと頷いた。
「さわやかにこやかなご主人様とか薄気味悪くて死ねます」
「君は俺に思うところでもあるのか」
「ありますよ。大好きです」
「……そうか」
そして、食事を終え、夜も更けてきた頃。
「眠れないのか?」
「え? あ、いや、別に、です」
寝ずの番をするコテツは、不意に、エリナへと語りかけた。
そして語りかけるなり彼は立ち上がると、まるで野生動物のように丸くなって眠るリーゼロッテに毛布を掛け直し、そもそも毛布を使わずに横になっていたあざみに、毛布を掛けてやった。
それが終わると、コテツは元の位置、毛布に包まり膝を抱えるエリナの隣へと座り込んだ。
「ただ、こういうの、たのしいな、って思って……」
「そうか」
「寝るの、なんかもったいないです」
はにかむ様に微笑んで、彼女は言った。
コテツは、エリナの方へと目を向ける。
「君は……」
そして、彼は彼女を見つめながら、一日共に過ごして気になったことを問うた。
「冒険者になりたいのか?」
共に過ごしていて、そのように思える。ただ、純粋な興味で聞いてみると、こくり、とエリナは頷いた。
「……はいです」
やはり、と思うと同時、何故、ともコテツは思う。
「そんなに、冒険者は魅力的なのか、それとも貴族の生活が面倒なのか」
「冒険者は、自由でいいです。……自分で何かするのは、大変ですけど、楽しいです」
「……そうか」
貴族というものは、その中でも子と言うものは、不自由なく暮らせて、幸せだというイメージが一般にも浸透している。
だが、だというのに、背を丸めた彼女の姿は。
「私は、黙ってれば気が付けば伯爵になってしまいます。家も使用人も兵士も、先の戦で武功を立てたお父様のものなのに」
とても、寂しげだった。
「そういうものだ。遺産とは」
「そういうものです。だけど、私は……」
複雑な思いを吐き出すように、エリナは溜息を吐く。
そして、今一度、口を開いた。
「……私、何も持ってないです」
寂しげな声。
コテツには、何も答えることができなかった。
「屋敷に着くまで、お願いするです」
「……ああ」
せめて、平穏無事に旅が終わればいい、とコテツは思う。
それは、最終日のその日まで、その通りにことは運んだ。
そう、旅の道程は無邪気で、順調なものだったのだ。
たとえ、いかに狼が群れで仕掛けてこようとも。
「エリナは撹乱、あざみは援護、リーゼロッテは状況報告と万が一の際に備えて待機。では頼んだ」
「はいですっ」
エリナが駆け、狼の群れへと突っ込んでいく。
「はいはい援護しますよー」
その背後から、あざみが指を差す方へ光の帯が飛んで行った。
「威力低め、ただの牽制ですが」
それが飛び掛る狼へと当たり、怯んだ隙に、エリナが剣を振るう。
そうして、叩き落された狼の元に、コテツがバルディッシュを振り下ろしていった。
胴を両断され、息絶える狼を払いのけ、コテツは更なる敵に止めを刺していく。
撹乱、援護、攻撃力、勘が良く、鼻の効く管制。このパーティは、上手く働いていた。
「狼の数残り七、エリナさん、右にいますっ」
リーゼロッテの言葉に応えて、エリナが剣を切り払う。
「はいですっ。コテツ! お願いします!!」
「了解」
飛ばされた狼へと、バルディッシュが振り下ろされる。
「数六ですっ」
「一気に沈めるぞっ」
コテツの声に、エリナが応えた。
「はいっ!」
そうして、狼の群れは次々と数を減らして行き、そしてその数はあっさりと零となる。
最後の一匹は、無常にもバルディッシュに叩き斬られ、断末魔も上げずに、事切れた。
「戦闘終了、お疲れ様でした」
そうして、リーゼロッテが戦闘終了を口にし、コテツはバルディッシュから血をふき取ると、あざみへと渡した。
「はいはい、お疲れ様です。格納しますね」
渡されたあざみは、まるで手品のようにバルディッシュを消して見せる。
それを確認してから、コテツはエリナの様子を見に、彼女の元へと歩き出した。
「戦闘終了だ。大丈夫か?」
「は、はいです。だいじょうぶ、いけるです」
エリナは、言葉の通り怪我もなさそうに元気に立っていた。
実戦経験が豊富ではないだろうし、連携などそれこそ初めてだろうから気に掛かっていたが、本人の言うとおり問題なさそうではある。
と、そこで、コテツは彼女の肘に赤い線が走っていることに気がついた。
切り傷の類だ。うっすらと血が滲んでいる。まったく深くはないようなので、気にすることはないかもしれないが。
「そうか。しかし、肘の所に傷があるぞ。リーゼロッテに手当てしてもらうといい」
すると、どうやらエリナも今気がついたらしく、肘を見て、少し驚いた顔をする。
「あ……、もう。私、無様です」
しゅんと肩を落とすエリナに、コテツは慰めるでもなく、いつもの調子で口を開いた。
「生きてる内の傷は勲章だ。致命傷は間抜けだが」
コテツは地球においてはもともと傭兵から功績を挙げての正式任官だ。
だから、そんな傭兵の流儀を知っている。
生きてる間の傷は、歴戦の証。死に至る傷は、食らった間抜け。
果たしてこの世の冒険者はどうなのか、コテツはまだ知らないが、似たようなものだろうと。
エリナへと、口にする。
「そうなのですか?」
「ああ。君が。君が自ら戦い、自ら得た、傷だろう。そういうものだ」
エリナは、そんな言葉に、にへらと笑う。
「えへへ、そうですか……!」
「ああ、そうだ」
コテツは頷いて、振り返ると馬車へと歩き出した。
「勲章……、ですか」
にやにやと、エリナはその腕を見ていた。
狼の爪が掠めたであろう、薄い傷。傷跡にはならないだろうが、直るまでは数日あることだろう。
彼女は今、充実感に溢れていた。
旅は、楽しい。
食材を探しに行ったり、皆で魔物と戦ったり、外で寝たり。
今まで、決してさせてはくれなかったことだ。なんせ、剣の稽古ですらやっとのことで勝ち取ったほどなのだから、まともに戦わせてくれるなんてあるわけがない。
彼女の人生を一言でまとめるなら、『まるで、お人形さん』である。
大切に育て上げられ、なにもさせてはくれない。別に周囲に悪気があるわけではない、むしろ慈愛を持って周囲は彼女になにもさせない。
だが、だからこそ、エリナはその手で何も手に入れることができなかった。
ただ、他人に担がれるがまま生きて、朽ちていく。それが、予測される彼女の人生だ。
黙っていれば、気が付けばイクールの当主となり、領地経営を行い、そして死ぬ。
父親の残すレールを辿るだけの生だ。
言われるがまま、されるがままに生きてこざるを得なかったこの十三年間が、それを物語っていた。
だが、この数日は。
エリナのこれまでの、人形のような人生の中で、この数日は眩しいばかりの輝きを放っている。
コテツ、リーゼロッテ、あざみ。彼らは、エリナを特別扱いしない。
「ふふっ」
リーゼロッテは優しいし、あざみは人を煙に巻くような態度をとることが多いが、面倒見がいい。
コテツは、冷たく、人間味が無い印象を受けるが、何だかんだ言って、少し遠くから見守ってくれる。
(とても不器用で……、どこか可愛らしいひとですけど)
そんな風ににこにこと笑うエリナはふと、近づいてくる足音を耳に捉えた。
誰か来た、と彼女は少しだけ、しまりない口元を引き締める。
「エリナ、調子はどう?」
「ルーですか。すごく、たのしいですよ」
「そう、よかったわね」
エリナの姉貴分は、そう言って笑った。
彼女とは、古い付き合いだ。父親が友人同士で、気が付いたころにはずっと一緒に遊んでいた。
五つほど年上の彼女は、いつもエリナを気にしてくれる。
「あら……。エリナ、怪我してるじゃない」
だが、そんな彼女は、エリナの肘の辺りを見て眉を潜めた。
その顔は、さっきと打って変わって不満そうに見受けられる。
「……ダメね、あいつら。私だったら、エリナに傷ひとつ付けさせないのに」
言われて、エリナは心にわだかまる物を感じていた。
姉貴分が、その傷を理解してくれないことに。
まるで、エリナを割れ物のように扱うことに。
「……どうしたの?」
いつもならば、それに対し、苦笑で返すところだったのだが、しかし、今日は何故だか。
聞かれて、エリナはそのわだかまりを、言葉にして吐き出すことができた。
「……勲章です」
「はい?」
「コテツは……、これを勲章と言ってくれたのです……」
悲しいのだ。この姉貴分が、理解してくれないのが。
それを、不器用に言葉にした。
「……そう、ごめん」
彼女は、とても優秀で優しく、エリナにとっても自慢の姉貴分なのだが、エリナに対し、酷く過保護なのだ。
エリナのルーへの、たった一つの不満である。
ただ、謝ってくれた以上はもう引きずらない。エリナは、寂しげだった表情を変え、真顔でルーに聞く。
「いえ、いいです。それより、私になにか用事ですか」
「ああ、うん。SHの受け取りが完了したわ。仲間も合流したし」
まるで報告するように、ルーは言う。
エリナは――。
少しだけ、眉を顰めて。
聞いた。
「怪しまれては、いませんか?」
「いいえ。大丈夫よ。こないだの王都付近の魔物出現があったから一応警戒しておくってことで、自然な流れに見えるわ」
「そうですか。なら、いいです」
「ええ、それじゃ、私は戻るから」
そう言って、颯爽とルーは去っていく。
そう、何もかも順調だ。
旅も、何もかも。
去っていく背中を見送って、エリナは寂しそうな顔で呟いた。
「楽しいです……。こんな日々が、ずっと続けばいいのに――」
旅が、長引けばいい。
だが、そうはならないだろう。
旅は順調なのだ。
問題などどこにも無く、日が伸びることも無く。
ただ、つつがなく。
旅は終わりを迎えてしまう。
次の次辺りでやっと戦闘突入の予定です。
ユニークPV十万突破しました。本当にありがとうございます。
このまま四章終わりまで気張っていきます。