25話 お嬢様と異邦人
旅は、今のところ順調に進んでいる。
出発前の不穏な空気はどこ吹く風、問題らしい問題は未だに起きていない。
「あざみ、バルディッシュを頼む」
「はいどうぞー」
現れる野生動物もまた、野犬や狼程度である。
現在コテツは、魔物と対峙してはいるのだが、前回会ったブラン・サンジュとは比べ物にならないほど小さい。たまに会う魔物すら、その程度だ。
狼を一回り大きくしただけのそれは、吠え立てて、コテツへと迫っていく。
対するコテツは、あざみが何もない空間から取り出した、斧に似た大型の刃を持つ鉾、バルディッシュを掴んで構える。
このバルディッシュは、コテツが再度選び直した、真面目に選択した武器だ。それにもう一本、腰にある何の変哲もないロングソードが、コテツの装備。
前回の反省点を生かした組み合わせだ。
取り回しやすいメインウェポンにロングソードと、強度と打撃力を求めた、バルディッシュ。2.3メートルの全長に、柄の半ばから90センチの刃渡りを持つ、武器屋に死蔵されていた品。
剣だけでは、大きな相手には向かないと判断した結果だ。
武装の重みや大きさと言った点は、ディステルガイストを呼び出すときのように、あざみが転送してくれるので、不便でもない。
「便利なものだ」
呟きながら、コテツがバルディッシュの柄を跳ね上げ、その柄尻は、あっさりと魔物の顎を捉える。
魔物である狼が悲鳴を上げ、首を仰け反らせ、そして、怯んだ魔物の頭に、真っ向からコテツはバルディッシュを振り下ろした。
切った、というよりはかち割った、というのが正しいだろうか。
巨大な刃は魔物の頭蓋を踏み砕き、脳髄を縦に割って、地面と熱い口付けを交わす。
飛び散る紅がその唇を朱に染め上げ、刃は地を離れた。
「向こうも、適当に対処しているようだな。手伝いは必要なさそうだ」
魔物の死を確認して、コテツは刃に化粧された紅を布で拭き取った。
進行方向の奥の馬車付近では、まだ戦闘が続いている。
が、支援が必要になることもないだろう、とコテツは判断し、街道に邪魔な死体を脇へと転がした。
周囲には、狼がちらほらと倒れている。全て、コテツのロングソードで切り倒したものだ。魔物だけ、ロングソードでは不利を感じたのでバルディッシュに切り替えたのだが。
ちなみに、あざみもリーゼロッテも手を出さなかったのは、ロングソードとバルディッシュの試運転のためだ。
結果は、この通り、上々だ。
「どうです?」
そして、そんな中後ろからあざみの声が掛かって、コテツは振り向いた。
そのまま、バルディッシュをあざみの手に預ける。
「上々だ。これなら、先日のブランサンジュ相手でも手傷は負わせられるだろう」
「それはよかった。まあ、でもあんまり無理しないでくださいね?」
あざみは、手品でもするように、何もない空間へとバルディッシュを仕舞い込んだ。
「ああ」
心配の言葉に対し頷き、コテツは馬車の中へと戻る。
「あっ、おかえりなさい、お疲れ様ですっ」
すると、今度はリーゼロッテがパタパタと走り寄って来て、白いハンカチを取り出して見せる。
そして、すぐさま彼女はコテツにそのハンカチを近づけた。
「怪我とか……、ないですか?」
「ああ、大丈夫……、なんだが」
どうやら、コテツの頬に血が付いていたようである。彼女のハンカチが優しくコテツの頬を拭っていった。
「些か……、恥ずかしいと思う」
「あ、動いちゃダメですっ」
一歩後ろに下がるコテツと、背伸びまでして彼の頬を拭うリーゼロッテ。
それだけならよかったのだが、コテツにとって不幸は重なり、突如、足場が揺れた。
「ひゃわっ!?」
「むっ」
果たしてなにに引っ掛かったか。動き出した馬車が大きく飛び跳ねた。
そんな突発的アクシデントにコテツは、一歩後ろに下がって体勢を立て直した、のだが。
「わふっ」
背伸びまでしていたリーゼロッテは、立ったままではいられなかった。
彼女は前のめりに倒れこみ、その顔をコテツの胸に埋める。
「ご、ごめんなさいっ」
「いや、事故だ、構わない」
慌ててリーゼロッテは顔を離す。
そして――、唐突にその顔を赤く染めた。
「こ、こてつ……、さん」
「なんだ?」
はたして一体どうしたのだろうか、とリーゼロッテの表情を覗き込むコテツへ、彼女は言った。
「その……、手が、えと……」
すごい勢いで、耳がぴくぴくと恥ずかしげに動いている。
コテツは、言われるがまま、自分の手の状態を確認した。
右手は、彼女の背に。左手は、彼女が倒れこむ衝撃を和らげるため、クッション代わりに巧く動かしたのだが。
問題は、その左手である。
左手にある、柔らかい感触。それは一体どこを触っているのか。
「すまん……っ」
思い切り、コテツの左手は、彼女の胸を、鷲掴みにしていた――。
コテツは慌てて手を離す。リーゼロッテは、恥ずかしげにくるりと後ろを向いた。
「えっと、その、いいんです、め、メイドですからっ……!」
メイドだから一体なんだというのか分からないが、どちらにせよもう、納得するしかない。
追求しても、やぶ蛇にしかなりはしないのだから。
そうして、あわや気まずい空気になりかける。
の、だが。
その空気を打ち破るというべきか、空気が読めないと言うべきか。
「あー! ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 私にもしてくださいよそういうの!」
あざみだ。
コテツ達の方を指差して、あざみは悲鳴のような声を上げた。
「何を言っているんだ君は」
「なんでリーさんとイベント起こしてるんですかー! やだー!」
「……」
コテツ、思わず黙る。
あざみ、構わず喋る。
「私とも起こしましょうよイベント、ねっ。間違いとかも起こしましょうっ、揉んだり吸ったりしていいですから!」
「揉まないし吸わない、遠慮しておこう」
「おおっと足が滑りました!」
そして、暴走は止まらず、跳躍してコテツへとダイビングを敢行するあざみを、彼はひょいと避け、地面や壁に当たらないように、服の襟を掴んでその動きを止めた。
そうして、コテツの手からぶら下がる形となったあざみが不満そうに声を上げる。
「……ご主人様はいけずです」
その呟きをコテツは黙殺した。
と、そんな折、馬車の揺れが止まる。
そして、停止してから、動く気配を見せない。
「止まったのか? 一体何故」
その言葉に答えたのは、リーゼロッテだ。
「多分、ここで野営の準備をするんだと思います」
「む? まだ昼だと思うが」
この世界の人間はあまり時間にこだわらない。
一応、時間は定義されているし、SHに乗れば正確な時間も分かるのだが。
しかしながら、時間が定義されても、時計が普及しなければ意味がない。
街を探せば中心部に大きな時計があり、アマルベルガも懐中時計のようなものを見せてくれたこともある。小型のものは高いのだとか。
それ故、限定された場所か、はてまた金があれば時間が確認できるのだが、いかんせん個人の一人一人まで、同じ時間を共有することはできないのだ。だから、この世界の人間は時間に対しあまりこだわりを見せない。
しかしながら、いくら時間に大雑把な部分があるとは言えども、まだ夕暮れまで二~三時間あるというのにこれでは疑問が残る。
その疑問に言葉を返したのは、いまだぶら下がりっぱなしの相棒だった。
「あと少し進んだら、森に差し掛かりますからねー。あれですよ、森の中を完全に手入れするわけには行きませんし、魔物も結構いるわけです。だから森で野宿はしたくないんですよ」
「ふむ、そうか」
あざみが言うにはどうやら、これから向かう森とやらはそれなりに長いらしい。少なくとも、今から日が暮れるまででは抜けられない程度には。それならば、ここで一度止まるというのも頷ける話だ。
そして、そうならば、少し馬車を動かしたのは魔物の死骸から遠ざかるためであろう。
血の臭いに誘われて獣が集まるなど、如何にもありそうな話である。
「と、すれば野営の準備か。俺達はどうすべきか」
「んー、基本アレですよ? することあったら向こうから言ってくるもんですし、私達は私達が寝るための準備をすべきでしょう」
「えと、食事は個人でなんでしょうか。食材と器具もあるんで、作れるんですけど」
「そうだな、少し依頼主に聞いてくるか」
コテツは、言いながら、馬車の後ろの幕を開けて外に出た。
「今日はここで野営か?」
「ええ、そうなるでしょう」
そして、御者に問えば、予想通りの回答。
「わかった」
「どちらへ?」
「依頼主に会ってくる」
「了解です。ではお気を付けて」
御者に了解を得て、コテツは、中間の馬車まで歩いていく。
丁度良く、そこには、馬車から降りようとするリヒャルトの姿があった。
「おや、どうしましたかな?」
「今日はここで野営か? それと、旅に出る前に確認しておくべきだったのだが、食事は」
「ええ、そうですよ。食事は各自でお願いします」
「そうか」
頷いて、コテツは一つ反省した。旅の予定くらい事前に聞いておくべきことだ、と。
簡単で、当然なことだが、しかし、上手く思いつかなかった。
考えて見れば、戦える戦えないはともかくとして、三人とも、この世界の旅については素人と言ってもいいのだ。
(学ぶべきことは多いか。でなければいつか痛い目を見そうだ)
まあ、それはともかくとして。一応の所、必要なことは知れた。野営と夕食の準備をしなければならない、と二人に伝えに行くべきだろう、とコテツは踵を返す。
そんな折、コテツへと、リヒャルトが問いを投げかけた。
「そういえば、私の娘を見ていませんかな?」
「娘? いや、心当たりはないが」
問われて、コテツは首を傾げてみるが、ここまで歩いて来るに当たって、女性の影すら見ることはなく。
「そうですか。いえ、うちのお転婆娘の姿が見えないもので。すぐどこかへふらふらと行ってしまう娘なのですよ」
「そうか」
「まあ、遠くには行ってないでしょうが」
「見つけたら報告しよう」
「お願いします」
そもそも、その娘とやらがどんな外見かも分かりはしないのだが。
しかし、見れば分かるだろう、とコテツは判断した。
冒険者の中に貴族の娘とあらば、どう頑張ったとしても異彩を放つだろう。そういう考えだ。
「ふむ、ともかく、一度馬車に戻るか」
まあ、見つけたら報告するとは言ったが、探すとも言っていない。
そう考えてコテツは、今一度馬車へと戻ろうとする。
そんな中、ふと。
「……む?」
ふと、振り向いた森の奥。
人影が――、動いた気がした。
「……行って見るか」
即断即決は戦場の常。そして、こういった細やかな可能性を潰しておくこともまた、生き残る方法の一つだ。
別に気のせいで、実は近場をリヒャルトの娘は歩いているかもしれない。
だが、そうなったときはそうなったときだ。一風変わった散歩を楽しんだと思えばいい。
これが、万が一の可能性に引っかかってしまった場合は、取り返しのつかないことになってしまうのだ。
だから、コテツは勘に任せて森の中へと入っていった。
「これで森に入るのは二度目だが……、大丈夫か」
伐採され、整地された街道を外れ、木々の間に身を入れると、途端に光は薄くなる。
鬱蒼とした森の中、警戒を深めながら、コテツはその足を踏み出していった。
「周囲に生き物の姿はない……、か」
森や山といった場所は、魔物や野生動物が多い。
森という性質上、危険な動物の駆除がし難いのだ。
それならば、すべて伐採して更地にしてしまえ、という言葉もあるのだが、自然保護のためそうも行かない。
自然環境の保護は、歴代エトランジェ全てが同じことを唱えたと言う。
(確かに、豊かな自然は財産だろう)
コテツの世界で宇宙に上がれば、途端に地球の緑が恋しくなる。宇宙に存在するのは、人工の自然などという、一皮剥けば鉄色が見える何かは、酷く不自然で嘘くさいものだ。
それに、コテツの関わった戦闘だって、地球の資源を食い潰しかけていたから、というのが発端のひとつでもあった。
大なり小なり、エトランジェの世界と言うのはそういうものだったのではないかと、コテツは推測している。
(大型機動兵器のある世界……、先代はどうだか分からんが、それほどの時代となれば、自然と共存している方が妙だ)
だから、エトランジェは皆口を揃えて言うのだろう。
『自然は大切だ』と。
(しかし、実際にその渦中に身を置くと、バランスの重要性を感じるな)
だが、いかに自然は大事だといっても、自然は人を殺す。
魔物然り、災害然り、だ。
(結局、欲しいのは人類に都合の良い自然で、その答えのひとつが、俺の世界の人工の自然、ということか)
考えつつ、コテツはしばらく歩く。
が、気配のようなものは感じられない。
気配。人であればどうしても放つ、獣とは違う異質な足音、衣擦れ、息遣い、そして、勘。
そのどれもが、コテツの感覚に引っかからない。
(あまり進みすぎるのも問題か?)
ミイラ取りがミイラに、というのはあまり洒落にならない。
いかにコテツの身体能力が高くても、知らない生物、それも魔物と言う更に多様性を持つ生物とあっては、涼しい顔で対応できるとは限らない。
戻るべきか、とコテツが考え始めた頃。
「……む」
自然の中に似つかわしくない甲高い音が響く。
その音は、ここに来て聞きなれた音――、剣を振るった音だ。
「これは……!?」
戦闘の気配を感じ、コテツは歩く速度を速めた。
そして、早歩きから駆け足に。
近づけば近づくほど、獣の唸りが聞こえてくる。
剣を打ち付ける音もだ。
コテツは確信した。
間違いなく、何者かが戦闘を行っている。
「……しかし、娘とやら、ではないのか?」
コテツ的には、貴族の娘と戦闘というものが結びつかない。今まで政府や軍の高官の娘に会ったことがあるが、その内のほとんどが淑やかで気品のある者たちだった。
それこそ、肉刺とは無縁の手をした女性達だった。
の、だが、コテツの疑問はそこでいったん打ち切られることとなる。
「いやぁあああああぁああ!!」
絹を裂くような、高い悲鳴がコテツの耳に届いたからだ。
「急ぐべきか!」
駆け足は全力疾走にシフト。勢いのままにコテツは森を踏破していく。
そして。
「……そこか!」
見つけたのは、少女と、魔物。
少女は謎の木の枝に絡め取られて身動きが取れず――、少女の眼前で、狼が口を大きく開いている。
それを見たコテツは、迷い一つなく、大きく踏み込んだその右足で、更に前へと踏み切った。
◆◆◆◆◆◆
果たして冒険者に必要なモノとは、一体なんだろうか。
リヒャルト・イクール伯爵の娘、エリナ・イクールは『力である』と答える。
ソレが正解であるかどうかはともかくとして。
エリナは、ソレが自分にあると、勘違いしていた。
「甘い、です」
淡い桃色の長髪。その側頭部には二つのリボンが結ばれており、リボンに括られた部分の髪が、本来の髪に迎合しながらも違った動きで揺れる。
彼女は、なるほど、およそコテツの知るとおりの政府の高官の娘にありがちな、可憐な少女であった。
小柄な体躯に、愛らしい大きな瞳と、白い肌。
袖のないブラウスに、紺のコルセットと、ふわりとしたスカート。太ももまでを覆うニーソックスに、濃い茶のブーツ。
違和感があるとすれば。
手に持つ湾曲した細身のサーベルだろう。
刃を煌かせた、鋭い一撃が、狼の首を深く傷つける。
彼女は、六の狼に囲まれていたが、一切の焦りはなかった。
「甘い、と言ったのです」
飛び掛る狼へ、再び刃が煌いた。
仕留め切れはしなかったが、胴に切れ込みを入れられた狼は、痛みに喚いて地に落ちた。
それを見て取った狼達は、相手の強さを悟ったのか、一斉に飛び掛る。
「く……」
苦悶に顔を歪めるようにしながらも、エリナは剣を振るった。
まるで舞うように、鋭く。
そして、歌うように言葉を紡ぐ。
「略式詠唱。紅く染まれ、です」
瞬間、狼の一匹が発火した。
大きく吼え、暴れまわりながら、やがてその狼は地に伏すこととなる。
これが魔術。その中でも、自分の中にある内在魔力だけで執り行う、内成魔術だ。
これの特徴は、とにかく早いこと。
剣を振りながら、魔術も使う、言わば魔法剣士とも言える彼女にぴったりの魔術である。
「手順をトレース、リブート!」
今一度、今度は別の狼が燃え上がった。
その狼は、大きく吼えて飛び掛ってくるが、破れかぶれの攻撃などものの数ではない。
鋭く光る刃の一撃が、狼に致命傷を負わせ、叩き落とす。
エリナは、残る四匹の狼達に、一歩、二歩と下がりながら対応していった。
こういった戦いにおいて気をつけるべきは、背後である。上手く後ろに下がり、背後からの攻撃さえなければ、たとえ相手が数で勝っていてもエリナの速度であれば迎撃が可能となる。
そのようにして、エリナは優勢を保っていた。
「う……、く」
だがしかし、やがて、どうにか狼を群れのリーダーである魔物の狼だけに減らしつつも、エリナは顔を歪めた。
狼の爪と、サーベルが噛み合い、二歩三歩と、エリナは後ずさる。
確かに、エリナの剣は速い。野生動物ですら切っ先を見切れないほどの速さを持つ。エリナはその剣技に絶対の自信を持っていた。
が、しかし。
軽いのだ。決して彼女の剣技は、重いとは言えない。
軽くて速い剣。対人の稽古でなら、これほど適した剣技もない。
しかし、これは実戦。相手に致命傷を与えねば勝ちにならないのだ。
「そこですっ!」
振るえども、振るえどもその刃は深手とならない。
そして、得意の発火魔術も、魔物の魔術抵抗によって防がれてしまう。
ならばと思って幾らかの魔術を試すも、毛皮に少しダメージを与えるだけで、威力が足らない。
更に。
一方的に攻撃してる間はいい。だが、一度攻撃が打ち合えば、あっさりと力負けしてしまうのだ。
「くぅ……!」
少しずつ、エリナは後ろへと下がっていく。
こうなれば、後は持久戦だ。
お互いに削りあい、擦り切れるのを待つ。
じりじりと、にらみ合いながら、エリナはまっすぐにサーベルを構えた。
そして、ここで覚悟を決めた。
「来なさいっ、受けて立つのです!!」
だが。
「……え?」
しかし、その覚悟は無駄となった。
違和感は、背後から。
伏兵か、いや違う。
――罠だ。
四肢が、木の根に、枝に、絡め取られていく。
「捕縛樹!?」
捕縛樹。そう呼ばれるのは、植物の魔物の一種。見た目は、何の変哲もないただの木だ。
特徴は、テリトリー内に入った生き物を根や枝で拘束し、養分を吸い取ること。
それ自体は、あまり脅威ではない。
養分を吸い取るスピードはあまりにも遅く、また、よほど育ったものでなければ複数の人間を絡め取ることもできない。
仲間がいれば、あっさりと救出されるし、一人でも魔術であっさりと焼き尽くされる。更には、他に気を取られていたエリナのように無抵抗でしっかりと四肢を捕まえられさえしなければ、多少の膂力で引きちぎれる。
「う……、あ」
だが、この状況において、これほど有効な一手もない。
狼が、近づいてくる。
「りゃ、略式詠唱! 穿て!」
唱えるが、何も起きない。これは、外的要因などではない。まるっきり、発動していないのだ。
エリナが、冷静ではないから。
魔術とは、唱えればいいというものではない。呪文は脳の関連付けによる起動キーのようなものであり、実際に発動を行うのは脳内の演算だ。
たとえ如何に起動の命令を行っても、演算を行う部分にノイズが走っていては、まともに発動できるわけもない。
本来の魔術師は、反復練習で脳に染み込ませ、慌てていようが条件反射のレベルで魔術が使えるようになるものだが、しかし、エリナはまだ若く、その領域に達していない。
そして、魔法剣士という戦闘スタイルの問題でもある。
「手順をトレース、リブート!!」
魔術も剣術も一生を掛けても中々極めきれないものだ。そのようなものを同時に追いかけるのは非効率。
故に、魔法剣士はどちらかをメイン、どちらかをサブに定めるしかない。
そしてエリナは、剣術へと傾倒していたのだ。
つまり、魔術師としてはほとんど初心者なのだ。
それを証明するかのように、何を唱えても、何も起こりはしない。
「っ……!」
そして、魔狼が、エリナの前に立ち止まる。
(笑ってる……)
舌なめずりして、狼は牙を見せる。
それが、エリナには笑ってるように見えて仕方がなかった。
いや、気のせいではない。この魔狼は笑っている。
この狼には、知性があるのだ。馬鹿な人間を罠に引っ掛けるだけの。
(元々、ここに追い込もうと……)
まるで、してやったりとばかりに狼は笑っていた。
この状況は、狙った通りだと。
そして。
――大きく口を開く。
「い、いや」
声は、無意識に出ていた。
「いやぁあああああぁああ!!」
狼は、怖がらせるようにゆっくりと。
見せ付けるように。
少しずつ、その首に食らい付かんとする。
その狼の吐息が聞こえて、エリナは震えた。首元や鼻先に感じる、吐息の微風すら、恐怖の対象だった。
怖くて、仕方がなかった。
狼ごときが何するものぞ、と思っていたのだ。
簡単に生きて帰れると思っていた。
調子に乗っていたのだ。
そして、もう絶望するしかない。
男ならば、引きちぎれたかも知れない枝も、エリナではびくともしない。
だから、エリナはその狼を、震えながら恐怖のままに見つめることしかできなかった。
そして。
唐突に、狼は伏せた。
「ひぅっ!!」
一体何をされるのか、とエリナは恐怖にさらに驚愕を加えたが、違う。
違った。
男が、ずどん、と大きな音を立てて、宙から降ってきたのだ。
「……無事か」
響いたのは、酷く冷たく、冷静な声だった――。
「ふぇ……?」
そう、男だ。男が見える。
軍服を着た、黒髪短髪の男だ。
その男が、跳躍の着地と共に、狼の頭を踏みつけたのだ。
そして、そのまま、男は狼の頭にロングソードを突き立てた。
何が起きたかも分かっていないだろう、狼は、そのまま命を失った。
「その木の枝のようなものは切っても構わないな?」
心中、驚き、慌てふためくエリナとは対照的に、冷静に男は問う。
エリナは、想定してなかった質問に、上ずった声を返した。
「は、はい、お願いするです!」
「了解っ」
男が答えると同時、ロングソードが振るわれ、枝と根が切り裂かれる。
四肢が自由になり、やっと動けるようになったのだが、エリナは思わず尻餅を突いてしまった。
男は、そんなエリナに手を差し伸べる。
「怪我はないようだが、大丈夫か」
エリナは、惚けたように、コテツを見ていた。
別に、依頼に軍人と言うものは珍しくはない。
休暇中に小遣いを稼ぐ兵士は結構いるし、状況に応じて兵士が依頼に貸し出されるというのはよくある話だ。兵士全体が、ギルドに登録してはあるのだから。
しかし、なぜだか。
エリナには、目の前の男が物語の騎士のように見えて、仕方がなかった。
「……? 大丈夫か?」
「ふぇ? は、はい、大丈夫なのです」
完成には至ってませんが、場繋ぎで一話更新。
これだけ行を使っておいて話の展開が遅いのは反省点。
ついでに、今回の旅路で若々しさを補給です。つまりロリ。
というか、主人公三十路、あざみ年齢不詳、リーゼロッテは別に決めてませんが多分十七とか十八とかそんなもんとすると、平均年齢が高すぎる気がしてきました。
そして、誰か代わりにサブタイトル考えてください……、っていうレベルの思いつかなさ。