20話 ノンストップレックレスライフ
街道を、街に向かってひた走る。
「すまねぇ! 巻き込んだみたいだ!!」
「いい! そちらもアレに会いたくて会った訳ではあるまい! それよりアレは一体なんだ!?」
背後には、白い狒々の姿がある。
気が付いたときにはコテツもリーゼロッテも、とっくに捕捉されていた。それに、ヴォルトとラッドに別方向へ逃げろ、と言うわけにも行かず、共に逃げるしかなかった。
「ブランサンジュ……、魔獣だよ! 何でこんなとこにいるのかわからねぇ!」
「……狩り残しでもいたのか?」
「ありえねぇ! 何のために俺ら冒険者や騎士団が常に目ぇ光らせてると思ってんだ!!」
五倍を悠に超える体格差では、戦うと言う選択肢はどこにも浮かび上がりはしなかった。
となれば、ひたすらに街道を逆走するしかない。
幸い、背後の敵は非常に巨大ではあるが、その重量故か何とか走れば追いつかれない。
(地球では、あのような生き物は自重を支え切れまい……! これが魔力で身体を補強する、ということか!)
生物が魔力素を取り込み適応し、進化したのが魔物である。
その中でも獣をベースとしたものが魔獣と呼ばれる。
地球の物理法則ではありえないその体を、魔力によって支える、魔なる獣である。
「……来るぞ! 散開!!」
俄に攻撃の気配が見えて、コテツは叫んだ。
直後に、四人の下へ拳が振り下ろされる。
コテツは横に跳んで回避。リーゼロッテも危なげなく、軽やかに前へ跳んで避けた。
そして、二人の冒険者も、また何とか避けられたらしい。
これまで、何度か拳が振り下ろされているが、未だに負傷者はいなかった。
的が分散しているおかげだ。肝要なのは、四人と言う人数。
ブランサンジュと呼ばれた魔物は、四つの的に迷うのか、狙いに甘さが生まれる。それ故に、この逃走劇を繰り広げられるのだ。
「ボス、街に着くまで何回これを繰り返しゃいいんですかね!」
「馬鹿野郎! 死ぬまでだ!!」
そもそも、コテツとリーゼロッテだけであれば、逃げ切ることはそう難しくない。
亜人の脚力と、コテツの全力疾走であれば、どうにか背後の敵から距離を離すことができる。
それをしないのは、二人の人間の冒険者の存在だ。重量的に、担いで走ることも難しい。
助ける義理もなかったが、彼らを見捨てたいとも、コテツは思わなかった。
だから、動く的の一つとして、彼らを支援する。
「リーゼロッテ、君は先に行ってくれて構わないぞ」
「いいえ、大丈夫ですから、気にしないで下さい」
そう言って、少し前を走るリーゼロッテに、何故かコテツは安心した。
(……そうだな、彼女はそういう人間だ)
コテツ一人だったら、見捨てて逃げ出していたかもしれない。
コテツの生きた戦場とは、そういうものだったからだ。リスクとリターンが噛み合わないなら、合理的に捨てる。
例えリスクが大きくても見捨てずに救おうとすること。それは、コテツが戦場に落としてきた物だ。
彼女は、それを持っている。コテツは、それを拾ってみたいと思う。
いつの間にか落としたモノ。それが必要なのかどうか知るためにも、コテツはその一つ一つを拾いなおしたい。
彼女なら、迷わず救おうとするだろう、そう思ったから、コテツは冒険者の二人を見捨てなかったのだ
「街が見えて来たぞっ、ラッド、テメェ気張りやがれ!!」
「へいよっと!!」
走り続けると、視界にぽつりと街の姿が見えてくる。
測ってはいないが、結構な距離を逃げてきたようだ
そのように、希望が見えてきたのだが、コテツは背後を見ながら口を開いた
「焦れて来るとしたらこの辺りか……!?」
そう、ここからが正念場になるかもしれないのだ。
野生の獣に忍耐があるとは思えない、それに、獲物は逃げ切られる直前である。
果たして、背後の狒々がどこまで状況を理解しているか分からないが、街まで侵入することは危険だと分かっているのだろう。明らかに、背後から聞こえる吐息が荒く、苛立つような空気が見受けられる。
ということは。
大きなアクションがあるとすれば。
今――。
「来るぞ! 全力で逃げろ!!」
四人の周囲を、影が覆う。
そう、狒々は、跳んだのだ――。縮まらぬ距離を埋めるため。
この場の四人を、食い殺すため。
「……あ?」
間抜けな声は、ラッドのものだ。
彼は、呆けたように、空を見上げていた。
その空にある、跳躍した狒々の姿を。
「とにかく跳べっ!!」
コテツは、前に飛び込むように跳んだ。余る勢いを、前転して殺す。
直後に、彼を振動が襲う。
揺れる地面をコテツは疾駆、巻き上がる砂煙の中、リーゼロッテを視界に収め、走る勢いのまま、彼女を抱えて更に跳んだ。
「きゃっ、って、コテツさん?」
間一髪、跳躍と同時に背後から風。巨大な腕が、背後を横薙ぎにしていった。
何とか、避けた。コテツもリーゼロッテも、無事である。
「くっ……、他の二人は!?」
それを確認するなりリーゼロッテを下ろし、コテツは背後を、二人の冒険者を探す。。
ヴォルトは、地面に膝を付いてはいるが、どうやら腕は槍でガードしたらしい。問題ない姿が見えた。
彼はいい。まったく無傷とはいえずとも、普通に走れはするだろう。
奇襲も避けた後は街まで走り続ければいい。
――だが。
「ぐっ、ぉおおおおっ……」
その傍らには、足を抱えて呻くラッドの姿が、あった。
「くっそ、こんな目と鼻の先で……!!」
悔しそうにヴォルトが吐き捨てるが、決して状況は好転しない。
ブランサンジュの着地時に放たれた地面の破片が、ラッドの足に直撃したようであり、大きく足首の肉が抉れている。
それを見て駆け寄ろうとした二人を、鋭い声が貫いた。
「来るんじゃねぇ!!」
ヴォルトは腕を横に、コテツとリーゼロッテの動きを制止する。
「ラッドはこのザマ。そして、俺もおめぇらほど速くねぇ。これ以上は世話かけらんねぇよ、早く行け!」
「ボスも早く逃げてくれ!」
「俺がんなことしてたまっかよ!」
そう言って、立ち上がりヴォルトが槍を構える。
コテツは、何もせずにそれを黙って見ていた。
ただ、微動だにせず待っていた。
ただ、立っていた。
――視界の端に、彼らに駆け寄るリーゼロッテを見ていたからだ。
「コテツさん、彼を担いで走れますかっ?」
コテツは、それを見て、口の端を吊り上げた。
(……ああ。彼女はそういう人間だ)
巨大な敵と、二人の男の間に立ち、リーゼロッテは白い狒々を睨み付けた。
「おいおい嬢ちゃん、俺は先に行けっつったんだぜ」
「私が気を引きますから、早く向こうへっ!」
それは、コテツの居た世界の軍人なら鼻で笑った行為だろう。
リスクとリターンの噛み合わない、無謀な行動だ、と。
だが、しかし、だ。
例えそれが、コテツの世界の常識とかけ離れていても、どんなに無謀でも。
だからこそ彼女は、素敵なのだ。
「リーゼロッテ、君こそ逃げろ」
「コテツさん!?」
コテツは、彼女の前に立った。
そして、腰に差された剣を抜き放つ。
「ここは……、俺がやろう」
視界には、敵の姿だけが映りこむ。
他のことは、何も気にならない。
「馬鹿やろっ、無茶だ!」
どんな言葉も、知ったことではない。
拳が振りあがる。それと同時にコテツは駆けた。
「残念ながら相手は俺だ!」
その拳の狙いは明らかに手負いのラッド。
それを逸らすためにコテツはブランサンジュの足、関節部に刃を突き立てた。
毛皮に阻まれ、深く食い込むことはなかった刃だが、鬱陶しいとは感じたのか、ブランサンジュはコテツへと見事目標を変える。
ただし、ここで一つ問題も発生した。
「当てにはしていなかったが……!!」
握っていた剣、その半ばから先がない。
折れたのだ。狒々の毛皮は予想よりも硬く、持っていた剣は想定より脆かった。
迷わず、折れた剣をコテツは投げ捨てた。そして、振り下ろされる右拳を避ける。
大きく右後ろに下がると、ブランサンジュは、右拳を引き戻し、左拳を放った。
それを更に右に避けると、まるで駄々をこねるように、ブランサンジュは左腕を振り回す。
どうにか、コテツはそれを避ける。時に潜り、上を飛び越え、右へ左へと。
そして、左に大きく跳んだとき、ブランサンジュは左腕を引き戻すと、右腕を放ってきた。
どうにか、後ろに飛びながら伏せて、避ける。
「コテツさんっ、無茶ですっ!」
そんな中、聞こえてきたのはリーゼロッテの声。
どうやら、逃げ回っているうちに、後退させられたようで、逃げている三人と、上手く距離が取れていない。。
「問題ない」
努めて冷静に、コテツは言った。
狒々を睨み付け、大地に立つコテツ。
彼に声をかけたのは、ヴォルトとリーゼロッテに肩を貸された、ラッド。
彼は驚いたように、理解できないというように、コテツに聞いた。
「あんたは、どうして……」
何故。どうして、と彼は問うている。
何故、戦うのか。どうして、ラッドとヴォルトを置いて逃げないのか。
答えは簡単で。ただ一つ、コテツは語った。
「……俺でよければ、いくらでも」
きっと、言葉の意味はラッドにもヴォルトにも、意味は分からなかっただろう。
ただ、リーゼロッテにだけは伝わる。
いや、伝わったのだ。
「コテツさん……」
そう、この会話は焼き増し。
森の時と、同じ。
「信じても、いいんですか……? お願いしちゃっても、いいですか!?」
だから、返す返事も、また同じ。
「――ああ、任せておけ」
コテツは、今一度、ブランサンジュを注意深く見守った。
彼の心中には一つだけ、――策がある。
(……いくら魔術で補強されても。あらゆる物理法則から解き放たれたわけではない)
今まで、性能差のある相手とだって、コテツは戦ってきた。
その度に勝ってきたのは、癖や弱点を見抜いて来たからだ。
だから、今回もそうした。
(振れる腕は一本まで。バランスと重量の関係で両腕は同時に触れない――!)
癖と制限。必ず存在するそれを、今、コテツは見切った。
(そして、この距離ならば、腕を伸ばしきって攻撃するしかない)
案の定、拳はそのように振るわれた。
コテツと狒々の長い距離を、拳が駆け抜ける。
そして、腕が伸びきる、コテツに拳が当たるその直前。
――コテツは大きく真上に跳んだ。
(そこに大きな隙が生まれる!!)
引き戻される腕。
――乗った。
コテツは、その腕に、乗っていた。
「お、お、おっ!!」
疾駆。
その太い腕を駆け抜ける。
腕から肩へ。そして、頭を、殴る。
「……せめて強化外骨格が欲しい所だ!」
残念だが、コテツの世界のパワードスーツなどあるわけもない。
武器も捨てた。後は、拳、ただ一つ。
ひたすら、殴る。彼は、何度も何度も、拳を狒々の頭へとぶつけた。
そこで初めて、狒々が吼える。目障りなのか、多少のダメージは与えられているのか。
そして、殴り続けるコテツに。
ブランサンジュの白い腕が、迫った。
迫る腕。死の気配。
コテツは、跳んだ。
「任せておけ、と言ったからな!!」
振るわれた腕が、真下を抜ける。
そして、コテツは勢いを付けて空中で一回転すると、ブランサンジュのその頭に。
渾身の踵落しを叩き込んだ――。
額に直撃する足。衝撃の後、落下。
毛皮を掴んで勢いを殺し、着地。
無論、倒せたわけではない。武器もなしに倒せるわけもない。
だが。
目に見えて、動きが鈍った。
「今の内に逃げさせてもらおうっ」
コテツの攻撃は確かに、脳を揺らすことには成功していたのだ。
ふらふらと揺れながら動く狒々を背に、コテツは全力疾走を開始する。
一気に距離を引き離し、三人の下へ。
背後の敵の動きは鈍い。ぐいぐいと、コテツはそれを引き離していく
そして、程なくして、コテツは彼らに追いついた。
追いついた、のだが。
「……いい加減、笑えてくるな」
立ち止まる四人。
背後には、ふらふらと定まらぬ動きを続けるブランサンジュが一匹。
そして、前には。
また別の、ブランサンジュが、そこにはいた。
人知れず、コテツは溜息一つ。
はたして、どうしたものか。
状況は絶望的である。背後のブランサンジュも、いつ回復するのか分からない。
まともにやりあえば、生き残れる気がしない。
その状況に、ヴォルトすら凍りつき、ラッドも、その体を震わせている。
そんな中。
その空気を引き裂くように、それは現れた。
『ご主人様、探しましたよっ!』
コテツは、呆れたように、肩をすくめて笑ったのだった。
「なんともまあ、いいタイミングだ、相棒――」
今回はあっさり戦闘終了で。
03はほとんど世界観説明みたいなものです。
物語としては非常に中途半端なモノを感じてしまいますが……。
出さなきゃいけない設定と物語のバランスの難しさを感じます。