19話 平穏安穏安閑
日差し降り注ぐ街道。
「えいっ!」
コテツは、剣で襲ってきた狼を薙ぎながら、横で別の狼を蹴り上げるリーゼロッテを見ていた。
腹に痛撃を貰い、唾液を吐き散らして狼は飛んで行く。一見華奢に見える少女の蹴りによって、だ。
「……凄まじいな」
その様を見て呟いた言葉に、リーゼロッテは少し顔を赤くした。
「戦いは素人なんですけど……」
むしろ、身体能力だけで戦えるのだからこそ凄まじい。
「今回のは群れから外れた二匹みたいです。右手の方向から、群れの匂いがします」
そして、鼻も利く。
(冒険者も下に置かないわけだ)
これらの能力は役に立つどころか、酷い扱いをすれば、依頼の現地で亜人に皆殺しにされる可能性すらあるだろう。
冒険者として対等であることは、非常に賢明な判断だ。
かく言うコテツも、それなりの戦闘力はある。SHの操縦がそっくりそのままパイロットの強さに繋がるわけではないが、エース機に乗って鍛えられた体と、常軌を逸した動体視力と反射神経、そして確かな勘は、狼と一対一はもちろん、囲まれたとしてもそう負けはしないだろう。
「では、かち合う前に急ぐべきだな」
「はい」
森は目の前でもある。そして、避けられる戦闘は、避けるべきでもある。
二人は群れから離れるように走り出した。
発見される前に、森に駆け込む。
「森の中は?」
「……、だいじょうぶです。群れは居ないと思います」
すんすんと臭いを嗅ぎ、耳をぴんと立て、リーゼロッテは言う。
森の中は、木漏れ日だけがそこを照らしており、日差しはとても柔らかい。
群れは居ない、とリーゼロッテは言うが、そこかしこに生物の気配は感じる。
先ほどの街道よりも多彩な種類の生き物が、居ると思われた。
「では進むか。目的の木を見つけたら頼む」
「はい」
この世界の生き物は、コテツの主観から言えば、全体的に強靭であるといえる。
さほど大きな差があるわけでもないが、しかしどことなく、元の世界の生物に比べ、筋力や耐久力に差があるように思えた。
「ソルシエの実は、濃い紫色の実で、見れば分かると思います。抽出して加工すれば、豊富な魔力素が手に入るので魔法薬に利用される、だそうですけど、魔術師じゃないので詳しくは……」
「俺も魔術師ではないからな。よく分からんが」
そう口にすると、コテツの少し前を歩いて先導していたリーゼロッテが、コテツの方を見て首を傾げた。
「……? そういえばコテツさんは魔術適性は……」
「ない、だそうだ」
魔術適性とは、文字通り、如何程魔術に適応できるかを示す単語だ。
空気中の魔力素を自分の体に通し、指向性を与えることで魔術は完成するのだが、如何程の魔力素を自分の体に通せるかによって、発動できる魔術の威力は変わるのだ。
そして、コテツは魔術適性を召喚時に計ったのだが、適性はなし。
外気から魔力素を取り込むことはできないと知れた。
それをどう思ったか、リーゼロッテは申し訳なさそうに顔を伏せた。
「えと、ごめんなさい……」
「いや、いい。今までなかったものが突然あると言われても戸惑うだけだ」
「で、でも、内在魔力は測ってませんよね?」
「ああ」
内在魔力は、その人間の体内にある魔力素を指し、その魔力素で魔術を行使することもあるし、周囲の魔力素を吸収して魔術を放つ場合は、周囲の魔力素に己の魔力素を付加して指向性を与えることとなる。
内在魔力は測定が難しく、設備が特殊な場所にしかないため、コテツの測定は後回しとなったのだが。
とにかく、その内在魔力を以って、リーゼロッテはコテツを励ました。
「だったら、もしかしたら内在魔力は素晴らしいかもしれませんよっ」
「だといいが」
コテツとしては、あってもなくてもどちらでもいい能力だ。今までなくても良かったのだから、無理して欲しいとまでは思わない。
なので、魔術の話はそこで打ち切ることに。
「そう言えば君は、森の歩き方に随分慣れているようだが」
城暮らしとは思えない、とコテツは口にして、話題を変える。
リーゼロッテは、コテツを先導し、後ろを振り向いたまま返事を返した。
「コテツさんこそ、やけに慣れてますよ?」
「兵隊である以上は、密林で活動することもある」
宇宙に戦場が移る前は、地球の密林で戦ったこともある。そこで生身で機動兵器に立ち向かったこともだ。
その経験が、コテツの足を鈍らせないのだが、果たしてリーゼロッテはどうなのか。
「私の生まれは森ですから」
答えは簡潔だ。つまるところ、なんにせよ慣れである。
「そうなのか」
「はい。森の奥の小屋にお母さんと住んでました」
「それが、城に?」
「はい。お母さんが死んで、街に出てみたんですけど、まあ、色々ありました。そんな中、偶然王女様に会いまして」
具体的なことは、ぼかされている。
話したくないのか、気を遣われたのか。
「そうか」
ただ、どちらにしてもそれを無視して踏み込んでいい道理はない。
コテツは短く答え、対するリーゼロッテは、優しく笑った。
そして――、
「だから、私、森の中は得意なんですっ。なんせ、十年くらい森に――、きゃんっ!」
彼女は太い木の枝に顔をぶつけた。
後ろを見ながら歩いていたせいだろう。いくら亜人とは言え、前方不注意は危険なようだ。
そして、そんなリーゼロッテは後ろに大きく仰け反って背後へとバランスを崩し、本日二度目のコテツの腕の中へと収まった。
今回は手を伸ばすまでもなく、自ら胸の中に納まる形となったので、コテツとしては楽だった。
「……大丈夫か?」
「えっと……、あはは、ごめんなさい。けど、別に私には――」
「優しくするな、か? 悪いが、体も口も、勝手に動く方だ」
リーゼロッテは、恥ずかしげに体を縮こまらせる。
「えっと、その……、恐縮です」
そして、体勢を立て直し、再び歩き出した。
「大丈夫か?」
その動きがなんとなくぎこちなくて、コテツは聞いてみた。
のだが。
「あ、はい、だいじょうぶです。問題なしです、はい……、きゃんっ!!」
今度は、木の根に足を取られ、また背後へと倒れてくる。やはり、どことなくぎこちなかったせいだろう
先ほどと違い、少し遠かったので、コテツは一歩前に出た。
すると、先ほどと同じように、受け止めることができた。
「そそっかしいな、君は」
「う……、すみません。これでも城では敏腕で通ってるんですけど」
「別に構わないが」
「今日は、コテツさんに助けられてばっかりですね」
苦笑気味に言うリーゼロッテに、コテツは真顔で返答を返す。
「俺でよければ、いくらでも」
リーゼロッテの体は、やけに軽かった。やはり動物的な部分が影響するのか。
そんな華奢な体を支えるぐらいなら、いくらでもできる。
「そ、そうですか? ……じゃあ、お願いしちゃってもいいですか?」
「ああ、任せておけ」
「ありがとうございます、コテツさん」
そう言って歩くリーゼロッテの表情は見えない。どうやら、枝が顔に当たらないように注意しているようである。
だが、その尻尾は、なんだか楽しげに揺れていた。
それからしばらく歩いて、唐突に、リーゼロッテは中空、いや、とある木を指差した。
「あ、ありましたよ。コテツさん、あれがソルシエの実です」
「あれが……」
言われたとおりの濃い紫の実だ。分かりやすい。
「十分な量なってますね。空気中の魔力素があれば年中実はつけるんですけど、この量はラッキーです」
その実は、一本の木に沢山なっているが、それは珍しいことのようである。
だが、喜びこそすれ、別に残念がるような理由はない。
「高い所にあるの、取ってきますね」
木を見上げるコテツに言うなり、リーゼロッテは駆け上がるように軽快に、木を登った。
さすが、というべきか、手馴れた様子で実を取っている。
コテツは、上はリーゼロッテが担当してくれるようなので、下のほうに実った実を回収する事にした。
紫の実に近づいて、引く。
別にコテツの常識から外れて特別硬いわけでもなく、普通に採れた。
そして、依頼書に記載された必要量になるまで、それを繰り返す。
優しい木漏れ日の中、ただ、それを続けた。
「ふむ、下はこんなものか」
結構な量を回収して、採取籠に入れる。
そして、木の下へと戻り、コテツは上で作業しているリーゼロッテを見上げた。
彼女は、エプロンの裾を持って、即席の袋のようなものを作り、その上にソルシエの実を乗せている。
コテツは、そんな彼女に向かって言葉を投げかけた。
「そちらはどうだ?」
「もう大丈夫ですかね。余分だった量はギルドで引き取ってもらえますし……、ってコテツさんっ」
不意に、何かに気が付いたようにリーゼロッテはうろたえた。
なんだ、とコテツはリーゼロッテを注視するが、彼女はそれに合わせるかのように更に慌てる。
「う、うえ、見ないでくださいっ!」
そこで、コテツも気が付いた。
それと同時に風が吹いて、スカートの中、白いストッキングとガーターベルト。
そして、その健康的な両足の間にある白い布が目に映ったその瞬間。
「きゃっ、きゃあああ!」
彼女は、落下した。
(……またか)
驚きと同時に呆れがやってきた。
そして、半ば諦め気味に、コテツはその体を受け止めたのだった。
「あ、あ、あ、ごめんなさい! 怪我はありませんか!?」
後頭部を強かに打ちつけはしたが、それで怪我をするほどコテツはそそっかしくはない。
リーゼロッテの下敷きとなり、仰向けに空を見上げながら、ただコテツはどこか長閑なものを感じていた。
(……命がけ、というほどでもなく。長閑に森を歩き、実を採って。それを一人ではなく、二人で)
心配そうにコテツを見つめるリーゼロッテが、何故か微笑ましい。
「コテツさん!? ほ、本当に大丈夫ですか!?」
リーゼロッテが、体を揺さぶってくる。
そんな中、コテツはぽつりと呟いた。
「……まあ、それも悪くはない、か」
呟いた言葉はどうやらリーゼロッテには届かず、彼女は首を傾げている。
「……? あれ? 今、コテツさん、笑いました?」
だが、言葉ではなく、表情として、彼女に届いた。
「そうか?」
「はいっ、笑いました」
リーゼロッテも、笑みを返してくる。
それが何故だかおかしくて、コテツは誤魔化すように言葉を唱えた。
「そうか。まあ、それじゃあ、帰るとしよう」
「え? ああ! ごめんなさい、重かったですよね?」
「いや、そうでもない」
急いで飛び退くリーゼロッテ。のろのろと立ち上がるコテツ。
「帰ろう」
「はい。あ、そうだ、実はいつまでお出かけするか分からないので、お弁当持ってきたんです」
「それは助かるな。道中食べるとしよう」
「はいっ」
来たときと同じように、長閑なまま引き返す。
森の中の生物は、別にわざわざ襲い掛かってくるような真似もせず。
鳥のささやかな鳴き声が聞こえてくるだけだ。
そうして、コテツの初めての冒険は幕を閉じた。
のであれば。
長閑で非常に良かったのだが。
「あれは……、ヴォルトに、ラッドと言ったか……、いや、それよりも」
目を引いたのは、街道に立つヴォルトとラッドの更に奥。そこにそびえ立つ、何か。
十メートルはあろう巨大な体躯。人型に近いが腕が長く地に着く、猿のような体型。
白い毛皮。そして、――敵意は獰猛。
「一体あれはなんだ……!?」
振り下ろされる拳が、地面を穿った。
「どうやらこのまま終わりとはいかせてくれないらしい……!!」
それは魔物。
ブランサンジュと呼ばれる魔獣である。
次回、ちょっと生身で戦闘と参ります。