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異世界エース  作者: 兄二
Interrupt,あたたかい一日
195/195

188話 適度な運動

「……運動音痴を解消したい?」

「そう」


 彼の部屋で、そう口にしたその言葉に嘘があったわけではない。

 ソフィアは運動が苦手である。

 エーポスとしての身体能力を備えながらも、それを運動に使うのが非常に苦手だ。

 それをどうにかしたいという心はあった。

 しかし、そこにコテツと二人きり、付きっきりで何かしたいという下心があったのは否めない。


「わかった。いつがいい?」

「いつでも構わない。何なら、今からでも」

「そうか。だが、準備はあった方がいい。三日後でどうだ」


 彼、コテツ・モチヅキはソフィアの大方の予想通り、申し出を断らなかった。

 彼はそういう男である。優しいのもあれば、特定の趣味を持たないこともある。

 言ってしまえば、主体性がない。

 それは寂しいことであるし、自分が主体性を持つ一助になれればいいと、ソフィアは考える。


「いい」


 しかし、それはさておいて、ソフィアの思惑通り、コテツは提案に頷いてくれたのだが。


「では、準備しておこう」


 彼女は変に真面目な彼を、見誤っていた。










「ようようダンナ、どした?」


 城の敷地内の兵舎。

 そのアルベールの部屋を、コテツは訪ねていた。


「頼みがある」

「おっけ了解。んで、今度は何よ」

「即答だな」

「嫌がっても無理やりさせる癖に」


 半眼で、アルベールはコテツを見つめた。


「まあ、とりあえず立ち話もなんだし。ってか視線が痛いから早く入れよダンナ」

「ああ」


 兵舎に来るたび、コテツは兵士たちから強い注目を受ける。少々の居心地の悪さはコテツも感じており、素直にアルベールの部屋へと招かれた。


「君には毎回世話を掛けるな」

「ま、別にいいんだけどね。それに、今は特別暇だからなぁ。シャルフが壊れちゃって、訓練も捗らねぇし」


 アルベールの愛機、シャルフスマラクトは前回の戦闘で大破してしまっている。

 手足の欠損以外にも、激しく殴り合った衝撃などで、内部へのダメージが酷く、修理は困難ということらしい。


「建造はどうなっている?」

「急ピッチで進んではいるけど、まだかかりそうだね。新型ってのは悪い気がしないけど」


 その、シャルフスマラクトに変わり、新型機の建造が開始された。


「アリアも関わっているらしいな」

「そーだね。楽しそうに色々やってるよ」

「シバラク強化計画と同時進行らしいな。頭が上がらん」

「あはは、そーだね」


 アルベールが朗らかに笑った。


「それで、本題だが」

「ん?」

「ソフィアが運動音痴を解消したいらしい。どうすればいいか皆目見当もつかん。手伝ってくれ」


 その要求に、アルベールは少しだけ驚いたようだった。


「運動音痴ねぇ……」

「俺は指導に向かん」

「知ってる」

「……そうか」

「まあ、分かった、なんか考えとくよ」

「よろしく頼む。俺は他にも協力者を募っておく」











「シャルロッテ、丁度いいところに」


 アルベールに協力を取り付けたコテツが次に見つけたのはシャルロッテだった。


「何か用事か? 珍しいな」

「ソフィアの訓練に付き合ってもらえないか」


 城内の廊下で、シャルロッテは首を傾げた。


「私が参加しても、魔術の的にしかなれんぞ。私も魔術はそこそこできる方だが、エーポスには敵わん」

「運動の方だ」

「……そっちか」


 合点がいったとばかりにシャルロッテは手を叩いた。


「なるほど、分かった。そういうことなら力になろう」

「アルベールにも話は通した。何かいい方策があると嬉しい」

「ああいうのは地道な努力だがな。身体能力はいいんだ。あとは慣れるしかない。とりあえずメニューは組んでおく」

「了解、助かる」

「いつだ?」

「三日後に」

「わかった、ではな」


 シャルロッテが颯爽と去っていく。

 それを見送るコテツの背に、声が掛けられた。


「なんだか楽しそうな話してるねぇ。なになに? お姉さんにも聞かせてちょうだい!」


 首に加わるずしりとした重み。

 この声は、アリア・カーペンターのものだ。


「まあ、大体話は聞かせてもらったんだけどね! ソフィアが運動音痴を直したいというのなら、私も協力するよ!」

「ややこしくなりそうだからいい」

「手酷い!」


 すっぱりと断ったコテツに、アリアは抗議の声を上げた。


「でも本当にいいのかなぁ? 実はお姉さん、現状の準備に大きな穴を見つけちゃったんだな」

「何?」

「優秀な講師を集めたみたいだけど、実は今回の件には足りないものがあるんだよ。それは……」


 存分に勿体付けて、彼女は言った。


「生徒さ!」

「ソフィアがいる」

「ノン! 講師が三人、生徒が一人。その環境でソフィアちんはプレッシャーを感じずにいられるかな? 普段通り動けるかなぁ?」

「……ふむ」

「だから、生徒は何人かいた方がいいよね? 連帯感、切磋琢磨、その他諸々、どうかな?」

「一理ある」

「ということは?」

「参加を頼む」

「頼まれた! と思ったけどやっぱりお姉さん、技術協力の方がいいかなぁ」


 急な意見の変更だが、まったく的外れでもない。

 彼女の工作技術は非常に高く、その上、エーポスという生き物にも詳しい。


「そちらでも構わんが、生徒を増やした方がいいという点も考慮したい」

「んー、了解」


 アリアが首元から腕を離し、コテツが彼女の方へと向き直る。


「私は技術協力で。そいで他にも面子募っとくよ。二人くらい」

「わかった、頼む」













 と、いうことで。


「第一回、エーポスだらけの大運動会ー! いぇー!」


 練兵場に集まったのはコテツ、ソフィア、シャルロッテ、アルベール、アリア、あざみ、ノエルという大所帯となっていた。


「マスター。これは、どういう……」

「この日のために呼んだ」


 真面目な顔でコテツは言った。コテツ的には善意が十割である。


「こんなイベント絶対参加ですからね! ご主人様!!」


 よくわからない方向にやる気溢れるあざみが言う。


「何をするのでしょうか?」


 ノエルは今一つわかっていない様子で首を傾げている。


「分からないのに来たのか」

「とりあえずおいでって誘ったからねー。あなたも来るよって言ったら二つ返事でおっけーだった。っていうか元々ノエルは誘ったらあんまり断らないし」

「そうか。すまんな」

「いえ、構いません。アリアが一枚噛んでいるということは、手の込んだ、おもしろいことになるのでしょう」

「別におもしろくする予定はなかったのだが」


 無表情で会話するコテツとノエルに、アリアが横やりを入れる。


「大丈夫、おもしろ半分で参加したわけじゃないから」

「そうなのですか?」

「おもしろ全部さ!」


 そういってアリアは親指を立てる。


「失敗だったかもしれん」

「そうかもしれませんね」


 そっと目を逸らしたコテツに、頷くノエル。


「悪いようにはしないって! お姉さんに任せておけば大丈夫!」


 ばっと両腕を広げ、アリアは大声を張り上げた。


「この日のために突貫工事でセッティングしたんだからね! 第一種目からやって行こうぜ!」

「……あー、じゃあ、そろそろルール説明いいかな?」


 気だるそうにアリアの後ろから声をかけたのは、アルベールだった。


「えーっと、とりあえずみんなには競い合ってもらうことになったわけだ。ちなみに、ポイント制じゃなくてタイム制。各種目にかかった時間を加算して、一番少なかった奴が勝利。優勝者には、ダンナがなんでも言うこと一つ聞いてくれるってよ」


 アルベールの言葉が終わった瞬間、エーポスたちがすぐさまコテツの方を振り向いた。


「アル」

「なんだい?」

「聞いていないぞ」

「言ってないもん。これくらいは協力してくれたっていいだろ?」

「……しかたないな」


 諦めて目を瞑るコテツとは対照的に、あざみは盛り上がっていた。


「テンション上がって来たー! マジっすか! マジですか! なんでも、なんでもって何ですか! ABCならCまでオッケーですか!」

「常識の範囲内で頼む」


 他のエーポスたちも徐に準備運動を始める始末。

 そこに更に近づいてきたのが、シャルロッテだ。


「お前たちに任せるとどうにも話が進まん。早く競技に入るぞ第一種目は――」

「水に浮いた丸太の上を落ちないように渡りきるレーッス!」


 シャルロッテの言葉を引き継いで、アリアが叫ぶ。


「見て聞いての通り、そのまんま! 池に浮いている丸太を渡りきろう!」


 アリアが指さし、全員がそれを視線で追った先では、池にロープでつながれた数本の丸太が浮いており、間には小さな石の足場が浮き出ていた。


「……本格的だな」


 呆れ半分でコテツが言うと、アリアが誇らしげに胸を張った。


「突貫工事頑張りました!」

「そうか」

「じゃあ、そういうことでコテツさんはこっち座ってね! 私となりー!」


 そのまま彼女に腕を引かれ、練兵場の隅におかれた長机へと案内される。


「どういうことだ?」

「解説席さ!」

「結局、君は技術協力だけになったのか」

「仕掛け作ったの私だからね? 残念だけど、不公平だから」


 遅れて、シャルロッテとアルベールが席に着いた。


「そういうことだ。ではノエルから始めてもらおうか」

「わかりました」


 シャルロッテの言葉に従い、ノエルが歩いて池の縁、所定の位置に着く。


「では、はじめ!」


 シャルロッテが叫んだ瞬間、ノエルはその足を踏み出した。


「おおっとノエル選手、大胆に大きく進み出たー!」


 ノリノリでアリアが解説を始める。


「軽やかに跳んでますねー」

「歩数を減らす作戦かなぁ」


 呑気にアルベールがそんな感想を漏らした。

 対照的に、アリアはテンション高く、気合を入れて解説をこなす。


「丸太一本当たり二歩から三歩で終わらせてますねー! 相当な身軽さとバランス感覚です! っとここでゴールッ! 見事な技を見せつけてくれました」

「二十二秒か。相当なタイムだな」


 時計で時間を計っていたシャルロッテが呟く。


「では次、あざみだ。位置につけ」

「おっとー、あざみ選手、こちらに手を振っています」


 スタート位置に着いたあざみは、笑顔でコテツに向かって手を振っていた。


「頑張りますからねー! ご主人様!」


 やる気は十分と言った風体で、ぴょんぴょんと跳ね、それに合わせて彼女の尻尾のような髪の毛が揺れている。


「見せてあげますよこの私の運動能力! ご主人様も惚れ直しますからね!」

「あー、ほらー、めっちゃ見てますよ、あざみん」


 アザミを指さし、カーペンターはコテツへと肩を寄せた。


「そうだな」


 コテツからは特に言及もなく、競技が開始する。


「始め!」


 あざみが一歩目を踏み出した。


「余裕綽々のあざみ選手、未だにこちらを見ています! カメラ目線ならぬコテツ目線! いいとこ見せたくて仕方ないッ!」


 そして、一歩目が丸太に届き――。


「自信満々の一歩目。お? あーっ!」


 ――ずるりと滑った。


「滑った! あざみ選手、奈落の底へーッ!」


 水しぶきを上げて、あざみが池へと落ちた。


「解説のコテツさん、コメントをどうぞ」


 アリアから水を向けられて、コテツは呟いた。


「無様だな」

「突き刺さる一言ーッ! これは手痛い!」


 池の縁に手を突き、這い上がるあざみが半泣きに見えたのは、池の水で濡れていたからだろうか。


「違うんです。これは、そのですね。ハンデ的なアレなんです」

「んー、とりあえず失敗したら三分追加のペナルティあるから」


 無情にも、アルベールが事務的に処理し、あざみのスコアに三分が追加されることになる。

 ちなみに、ソフィアは三歩目で普通に落ちた。















「はーい、第二種目は大玉転がしでーす」

「いきなり運動会レベルにスケールが下がったな」


 真っ赤な、直径が人一人分程もある大玉を眺め、コテツが呟いた。


「じゃーあざみん始めちゃって」

「ちょ、扱いがぞんざい!」


 抗議の声を上げながら、あざみが玉を転がし始める。


「……普通だね」


 先ほどに比べいささか地味な絵面を見て、アルベールが呟き、コテツが頷く。


「……そうだな」


 普通に玉を転がし終えて、あざみが戻ってくる。


「どうでした!?」


 得意げに問うあざみにコテツは一言。


「普通だった」

「ひどい!」

「次はノエルだな、頼む」


 さらっと流して出番はノエルに。


「始め!」


 シャルロッテの掛け声と共に、普通に始まり、普通に戻ってくる。

 なんの変哲もない大玉転がしであった。


「じゃあ次はソフィアねー。と、ここで重大発表!」

「なんだ」

「多分、一人じゃ上手く弾を転がせないからコテツさんを貸してあげよう!」

「俺か」

「そう! 手伝ったげてー」


 頼まれては断る理由もない。コテツは静かに椅子から立ち上がった。


「ちょっと待ってくださいよ! ダメ、ゼッタイですからね!」


 横槍を入れたのはあざみである。


「それはなんでかな? あざみん」

「や、だってほら。ご主人様が入ったら戦力過多ですよ! ね? だからやめましょ?」


 あからさまに私情が八割だが、表向き、正当な抗議として、あざみはそれを止めようとした。

 だが、それに乗るようなアリアではなく。


「そっか、そだね。うんうん、確かに。じゃあハンデ! ハンデつけようか! 二人は手をごう! これで方手ずつ! はい公平」

「やらかしたーッ!」


 尚悪くなった現状に、あざみが頭を抱えた。


「ってわけでお願い」

「了解」


 コテツは歩いてスタート位置に着き、ソフィアと並ぶ。


「よろしく頼む」

「こちらこそ」


 手を差し出すと、ソフィアがきゅっと握り返した。

 そしてコテツは、大玉へと空いている手を当てるのだが、ソフィアが中々動かず、彼は彼女の方を見た。


「どうした?」


 するとソフィアはぽつりと零した。


「……嬉しい」


 横顔に浮かぶ、はにかむような笑顔。


「……そうか」


 中々見せないその笑みが眩しくて、コテツは前を向く。


「そいじゃ、始めー!」


 アリアの声を聞きながら、コテツは玉を前へと押し出した。









 そうして、他にもいくつかの種目を終えて、アリアがコテツの手を引き、一段高くなったステージへと歩いていく。

 スコアはノエルが危なげなくこなしノーミス3分18秒。池に落ちたのが効き、あざみが6分12秒、ソフィア12分48秒と、ノエルの圧勝となりつつあった。


「次の種目は、障害物競争だそうだな」


 シャルロッテの呟きに、あざみの視線がシャルロッテとステージを行き来する。


「障害物、ですか?」


 石造のステージは一辺五メートルほどの正方形。前と後ろになる部分に一メートルほどの幅の階段が付いている。

 それだけだ。行く手を阻むものは何もない。

 そんなあざみの疑問に答えるようにアリアが元気よく叫んだ。


「障害物はー! この人ーッ!」


 そう言って掴まれて挙げられたのは、コテツの手だ。


「俺か」

「そだよ」


 アリアは、にっこりと笑って頷いた。


「えー、ルールはダンナをすり抜けて向こうに出れば終了。ただし、階段から降りること。ダンナはそれを阻止すること。捕まえて場外に出したらその場で終了になるから。ただし階段の前に陣取るのはナシ。入っちゃいけないとこは溝掘ってあるから確認してくれよな」

「了解」


 アルベールの言葉に従い、地面を見ると、確かに溝が掘ってあった。


「ってわけで壇上に上がってもらえるかな?」

「え、え? つまりあれですよね、これは競技」

「うん? そうだね」


 怪訝そうなアルベールを他所に、あざみは怪しげな笑みを浮かべる。


「つまり、多少くんずほぐれつしても、合法……! 競技の範疇。少しやりすぎても競技中の事故!」

「……アル。逃げてもいいか」

「ごめんダンナ、頑張れ」


 アルベールが目を逸らし、コテツは力なく目を瞑った。

 あざみだけが、どこまでもやる気だ。


「障害物が私のゴールだった……!」


 まるで鼠を見つけた猫の様相である。


「始め!」

「ヒャアッ、もう我慢できねぇ!」


 瞬間、あざみがコテツに飛びかかる。

 一直線に、迷わず、愚直なまでに。


「……」


 対するコテツは無言。

 縮まる距離(物理的に)それが限りなく零へと狭まり――。


「ってあひぃ!」


 無言のまま、あざみを掴んでその勢いを受け流しつつ後方へと投げ飛ばした。


「あ、ちょっとコテツさんー。階段の方に投げ飛ばしちゃダメでしょー。あざみんったら開始三秒でクリアしちゃったよ?」

「すまん、怖気がした」

「酷くないですか!」


 べったりと地面に張り付いたまま、あざみが叫ぶ。


「はい、じゃあ次ねー。ソフィアちんどうぞー」


 そんなあざみは黙殺し、ソフィアが壇上に上がる。


「はい、はじめー」


 気の抜けた声で、競技が始まった。


「……本気で行く」


 真剣な目で、ソフィアはコテツを見つめていた。


「ああ」


 コテツの返事と共にソフィアが駆けだす。

 二人の視線が交錯し、その距離が一歩にも満たなくなったその瞬間。


「あ」


 ソフィアが足をつまずかせた。


「危ないな」


 コテツが一歩前に出て、ソフィアを受け止める。


「大丈夫か?」

「……うん」


 期せずして、抱き付くような格好で、ソフィアはコテツの胸に顔を埋めた。


「ありがとう」

「いや、いい」


 そうして、なんとなくいい雰囲気になったあたりで――。

 競技用のホイッスルが強く鼓膜を揺らした。


「そこぉ、何してんですかーッ!」


 いつの間にかホイッスルを奪ったあざみが激しく吹き鳴らし、空気がびりびりと揺れた。


「うるさいぞ」

「だ、だって! 私は投げ飛ばしたのに! お姉さまには優しくしてっ。やり直しを要求します!」

「何故だ」

「だってそこはほら、私投げ飛ばされて通過したじゃないですか。つまり事故みたいなもんです。それを記録にしていいでしょうか、否! それは偶然の産物で私は何もしてないですしご主人様に抱き付きたいですし、記録の意味がありませんからご主人様に抱き付きたいです」

「あざみん、本音漏れてるよ?」


 至極真面目な顔で、あざみは言ったが、周囲はあきれ顔だ。


「ダンナ、やらしてやったら? おさまりつかないっしょ?」


 見かねたアルベールがあざみを立てた。


「仕方ないな」


 しぶしぶだが、コテツも頷き、喜び勇んで再び壇上に舞い戻った。


「では始め」


 幾分かぞんざいになったシャルロッテのかけ声で再び競技が始まる。

 そして、あざみは駆け出し、今度はコテツの前で急に減速した。


「あー、足が滑っちゃいましたー。やっちゃったなぁ」


 あまりに白々しく、あざみは、前方へと倒れ込んだ。

 先程のソフィアのように支えられるのを期待しているのだろう。

 だが、何の偶然か、倒れ込むあざみの手が、人体の急所に突き刺さる軌道を描いており。

 その危機に、エースの勘はしっかりと過敏に反応した。

 コテツから見て左側から、彼は潜り込むように動く。

 あざみは右手側から倒れ込んだため、背後よりから、コテツはあざみの胴をホールドした。

 その流れで、あざみは背中から抱きつかれたようになる。

 そして、その倒れ込む勢いは決して殺さず。

 無駄なく受け流し。最大効率で人体が稼働する。

 もしかすると、この流れは止めようと思えば止められたのかもしれない。

 踏みとどまろうと思えばどうにかなったかもしれない。

 そんな中、コテツの胸に去来したのは――。

 ――あざみだから、まあいいか。

 そのまま後ろに倒れ込む。


「私、後ろから抱きしめられ――、おぼらっ」

「で、でたー! コテツさんのジャーマンスープレックスだー!」

「石の上でジャーマンはやばいんじゃねーの?」

「カンカンカーン! あざみ選手、ノックアウト!」


 コテツは変則的なブリッジのような状態。あざみは首元を強打。


「あちゃー……、女としてマズい顔しちゃってるぅ。コテツさんはあんま見ないであげてね? お姉さんとの約束だゾ?」


 ぴくりともしないあざみを、アリアが覗き込んでいる。


「……手加減はした」


 あざみから腕を離し、コテツは立ち上がった。


「し、死んでる……!?」

「気絶してるだけだな。寝かしておけば大丈夫だろう」


 わざとらしく慄くアリアを無視し、シャルロッテが冷静に診察をして、あざみを抱えて壇上から降りる。


「では次は、ノエルか。……ノエル?」


 気を取り直して壇上から声をかけるが、反応の無いノエルを、コテツは見やった。

 確かに立っているが、微動だにしない。

 どういうことだろうかと、コテツもまたステージを降り、ノエルの元まで歩み寄って肩を叩く。


「……主様。どうかされましたか」


 彼女は、何事もなかったかのように顔を上げてコテツを見上げた。


「どうかしているのは君だ。反応がなかったが、調子でも悪いのか」


 すると、彼女はふるふると首を横に振った。


「いえ。思うに、眠いだけでしょう」

「寝ていないのか?」

「少し、夜を更かしてしまいました。主様に本日会ったらなんと声をかけるか考えていまして。今、少し意識が飛んでいたようです」


 そこまでして考えることかと思ったが、コテツはそこには言及しないことにした。


「……それで、何と声をかけるのかは決まったのか?」

「ぐへへ、天井のシミを数えてる間に終わるさ」


 無表情で言われ、コテツは思わずノエルの額にチョップを一つ。


「寝ろ」

「分かりました」


 頷いて、ノエルがコテツを見上げた。


「肩を貸していただけますか?」

「む? 構わないが」


 どういう意図かは分からないまま、了承した瞬間、ノエルが倒れ込むようにコテツの肩に額を当てた。


「ノエル?」


 返事はない。


「し、死んでる……!」

「寝たようだな」


 慄くアリアを無視し、コテツが冷静に呟く。

 彼は、ノエルを抱え上げると、そっとあざみの隣に寝かせた。


「疲れてたんだねぇ」


 アルベールが呟き、シャルロッテが頷く。


「そのようだな。無理をさせてしまったらしい」

「今日はゆっくり寝かせてあげよっか!」


 笑顔でアリアが言ったその言葉に、コテツもまた同意する。


「そうだな。無理を押して付き合ってくれたようだ。これ以上花」


 要救護者用簡易ベッドが気だるげに軋む音を立てた。

 安らかに眠るノエルを一同が見つめ、少しだけ優しい時間が流れる。


「ところでだが」

「なぁに?」


 コテツはぽつりと呟いた。


「競技はどうする」

「……」


 間。


「二名リタイアでソフィアちんの優勝ーッ!」















「……座り心地は良くないだろうに」


 翌日、ソフィアの部屋に招かれたコテツはそう呟いた。

 その当のソフィアは、椅子に座ったコテツの――、その上に座っている。


「ん……、快適」


 勝者の特典としてソフィアがコテツに望んだのは、一日読書に付き合うことだった。


「でも、もう少し強く、ぎゅっとしていて欲しい」

「そうか」


 コテツは、少しだけ腕に力を籠める。


「あと、愛を囁いてほしい」

「……それは少し待て。そもそも聞く願いは一つじゃなかったのか」

「……そう。じゃあ、私のお願いは読書に付き合ってもらうこと」

「ああ、そうだな」


 コテツが同意すると、ソフィアは手に持っていた本の一文を指さした。


「ここ、読んで」

「愛している。君だけを」


 平坦な声で、指示通りにコテツはその一文を読み上げた。

 謀られたと分かったのは読み上げた後だ。


「……そう」

「待て、今のは朗読しただけだ」


 ソフィアの耳が赤いことに、コテツは気が付かなかった。


「知ってる。残念だけど」


 少し詰まらなさそうにソフィアは言う。


「次はここ」


 そして、彼女はページをめくり、また指をさした。


「……俺は、君がいないと生きていけない」

「そう、じゃあ、次はこれ」


 ソフィアは別の本を手に取り、手慣れた様子でぱらぱらと捲り、指をさす。


「ソフィア、好きだ。……自分と同じ登場人物の本を選んだのか」

「うん」


 手が込んでいる。ちらりと積まれた本を見れば恋愛小説と思われるタイトルばかりだ。


「これ」

「『無駄な抵抗はするな。お前のここはもうこんなになっているぞ。この、いん』……、待て、これ以上はまずい」


 今度は恋愛関係とは関係なく、さして問題ないセリフだと思ったが、途中から途端に雲行きが怪しくなった。

 果たして、積まれた本は本当に恋愛小説の範疇に収まっているのだろうか。


「……惜しい」

「俺に何を言わせたいんだ」


 コテツはここしばらくで、最も死を身近に感じていた。

 録音されたら死ぬ(社会的に)。


「ちょっとだけ、詰ってみて欲しい」

「……何故だ」

「知的好奇心」


 コテツには知的好奇心と詰ることがどうつながるのか掴めなかったが、怖くて詳しくは聞けなかった。


「お願い」

「いや、だが……」


 目の前の女性を詰りたいとは思えない。

 コテツは渋るが彼女は意見を変えない。


「是非」

「しかし……」

「どうしても、だめ?」


 彼女の態度に、遂にコテツが折れた。


「一度だけだぞ」

「うん。ありがとう」


 何故これから詰るのに礼を言われているのか。

 分からないまま、コテツは口を開いた。


「このウジ虫」


 酷く冷静な声で、冷たくコテツは言い放つ。

 ソフィア、無言。しばらくの間に、コテツは不安を覚える。


(……やはり失敗だったか?)


 やはり女性にウジ虫はなかったか、とコテツは考え始めた。


(せめて、この変形コートハンガー野郎にするべきだったか……)


 意味不明な方向に反省するコテツを他所に、遂にソフィアが声を上げる。


「……意外と、いけるかもしれない」

「待て、大丈夫か」

「大丈夫。だけど、もっと検証の必要がある。もう一回」

「……駄目だ」

「大丈夫、さあ、ずずいと」


 折れないソフィアに、諦念と共にコテツは固く目を閉じた。

 その後ソフィアの部屋から罵る声が聞こえて来たかどうかは不明である。



さて、三巻発売しました。したはずです、しましたよね? 多分。

発売日に書店に入荷されない、送料無料適用外地域に住む田舎者です。

道内は月曜日でしょうか。


一人でも多く手に取ってもらえたら嬉しいなぁ。

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