186話 マフラー2
「コテツ! コテツはいるか!!」
廊下から響く騒々しい声。
その声によってコテツの一日は始まった。
「叫ばなくても聞こえている」
自室の扉を開けて、コテツは声の主、シャルロッテを迎えた。
「おや、お客様かな」
アンリエットが、そのコテツの背後から顔を出す。
「少し話せるか?」
「問題ない」
コテツが椅子を引き、シャルロッテを促した。
「私は退出した方がいいかな?」
アンリエットの問いに、シャルロッテは首を横に振る。
「いや、いてくれた方が助かるかもしれない」
「わかった。なら私も同席させてもらおうかな」
こうして、一つのテーブルを囲み、三人が席に着く。
「それで、何の用事だ?」
「クラリッサのことなんだが……」
そう彼女は切り出した。
「なぁ、コテツ。今は暖かいな?」
「ああ、そうだな。雪もすっかり解けた」
「そうだ。もう暖かい。だがな……」
重々しく、真剣な表情でシャルロッテは言った。
「……クラリッサがマフラーを外そうとしないんだ」
間。
「……どういうことかな、それは」
かろうじて、アンリエットが言葉を発する。
「そのままの意味だ。暑いだろうに、マフラーを取ろうとしない」
「待て、何故それを俺に相談する」
コテツが問うと、シャルロッテは呆れたと言わんばかりの溜息を吐いた。
「ふぅ、どうせお前が何か言ったんだろう」
「……どういうことだ」
「なるほど、まあ、そういうことなんだろうね」
納得し、頷くアンリエットと、コテツは視線を合わせた。
「何故だ」
「胸に手を当てて考えても分からないなら考えても無駄さ」
「……そうか」
「それより、そのマフラーについて言及したことは?」
コテツは短く答える。
「ある」
「それだ」
シャルロッテがコテツを指さした。
「詳しく話せ」
雪が降っていたあの日、コテツは読書をしていた。
『戦場暮らしが長すぎて女心がさっぱり分からなくて無表情で無口な人でも分かる! 女性との会話』と、背表紙には書かれている。
運命的過ぎる本の題名だが、それはさておき。
(熟読し、クラリッサとの接触時に使用する)
そういうことだった。
『遭遇時の対処一。まずは対象をよく観察する。そこから前回遭遇時と異なる点を探し、突破口を開く。まずはその違和感について言及する。そして、間髪入れずにそれを褒める。それにより対象の機嫌が上昇する』
「なるほど、これか」
会話の内で、どうしてもクラリッサを怒らせてしまうことが多いコテツだが、この本を読んで気付く。
(長時間の会話をミスなくこなすことは今の俺の話術では困難だ。彼女の機嫌が減点方式だとすれば、開始時の点数が多い方がいい。そこから被害を最小限に留めて離脱まで持ちこたえる)
コテツは、本を閉じて、テーブルの上に置いた。
(あの雪だるまの名前も考えなければ……)
そう、後にキャロルと名付けられる雪だるまと会う約束があるのだ。
そのために部屋から出て、廊下を歩くと前方から見知った人影が現れた。
「これから外出ですか、コテツ」
クラリッサだ。
(……想定外の遭遇だな)
ぴたりとコテツは歩みを止める。
(準備は完了していない。状況は悪いが、やるしかない)
自分に言い聞かせるように心中で呟き、コテツはクラリッサを見た。
真剣に、頭からつま先まで、コテツはクラリッサを注視する。
些細な変化も見逃すまいとするコテツのその異様な表情に、クラリッサはうろたえた。
「な、なんですか。そんなに見つめて」
コテツはと言えば、いつもの彼女との違いの選別に、思考のほぼすべてを割いている。
(普段より少し呼吸が浅いな。気温のせいか?)
穴が空くほど見つめられるクラリッサは恥ずかしげに眼を逸らした。
「な、何か言いたいことがあれば、はっきり言いなさい」
「……ふむ」
考えが纏まったコテツは、ゆっくりと彼女の首元を指さした。
「――そのマフラー」
「な、なんですか?」
「悪くない」
「へ!?」
クラリッサが、驚いた顔をした。
それを見たコテツは、人には分からない程度に目を細めた。
(……まだだ。小さな突破口を開いたに過ぎない。さらに踏み込むぞ)
真剣な瞳で穴が空くほどに見つめ、コテツは言葉を探す。
首に巻かれた赤のマフラーの繊維まで見通さんばかりの視線だった。
「赤か。君らしいな」
このとき、コテツの脳は戦闘レベルで活性化していた。
「君の髪がよく映える色だ」
「い、いきなりなんですか、もう」
目を逸らしたまま、クラリッサはその指で恥ずかしげに毛先をいじる。
そんな姿が目に入らぬ程、コテツは全力で本で読んだ例文を思い起こす。
(例文AからDはこのパターンでは使用不能か。F、H、K適合パターン。ここはK『服装を褒めつつ、標的を本人に変える』を試み、様子を見る)
三歩先のクラリッサへ、コテツは一歩距離を詰める。
「ひゃっ」
動揺していたクラリッサが驚いて半歩下がる。
その分、コテツがさらに前に出た。
「君は綺麗な髪をしているからな」
本にあった『困ったら髪・髪型を褒めろ』を忠実に実行するコテツ。
「ふぇっ?」
「手入れはしているのか?」
「い、一応、気を遣ってはいますけれど?」
クラリッサは未だにコテツと目を合わせられずにいる。
(想定の範囲内だな。このままパターンJに入る)
対するコテツは表情一つ動かさずに言った。
「几帳面な君らしいな」
『人間誰しも外面よりも内面を褒められたい』を実行。
「なっ、ま、まあ、……そうですね。所詮私はきっちりしすぎて面倒な女ですから」
と、そこで、女性として褒められなれてないクラリッサが憎まれ口を叩く。
コテツに衝撃が走った。
(想定にないパターンだな……、これは。どうする? リカバリーできるか?)
コテツは本の内容を思い出していくが、褒めたのに憎まれ口を叩かれたパターンの対処はなかった。
(肯定か、否定か……。どちらにする)
思い悩み、コテツは答えを出した。
(二者択一、ここは……、否定だ)
奇跡的に、コテツは正解の答えを選ぶことに成功した。
「いや、好感が持てる」
「にゃっ、な、な……、ほ、本気ですか? コテツ……」
上目遣いでクラリッサがコテツを見つめた。
「俺は本気だ」
『俺は本気(全力)だ』と微妙に二人、意味を取り違えつつ見つめ合う。
「うあ……、あ、う」
「クラリッサ?」
コテツが名を呼んだ瞬間、彼女の動揺は限界に達した。
「な、名前で呼ばないでくださいっ! そ、それで? もう用は終わりですか? 終わりですね!? それではさようなら!」
踵を返し、クラリッサが走り出す。
コテツは立ち尽くして、それを見送った。
「怒らせてしまったか。失敗だったな」
「ということがあった」
「「それだ」」
左右から言われ、コテツは瞬きを一つ。
「どれだろうか」
「全体的に言いたいことはあるけれど。まあ、マフラーについての言及が原因だろうね」
アンリエットの言葉に、シャルロッテが大仰に頷いた。
「間違いないな」
「よくわからんが……、そうなのか」
二対一で言われ、釈然としないながらも納得するコテツ。
隣に座るアンリエットが、諫めるように言った。
「何か試すときは、事情を知る人で試して見た方がいいね。あなたの場合は。いきなり本番ではあらぬ誤解を生むかもしれない」
「そのようだな。気を付けよう」
「私なら手近だし、時間もあるからいくらでもつ付き合うさ」
そうやってアンリエットが微笑む中、シャルロッテが咳払いを挟む。
「そのあたりはそちらで勝手にやってもらうとして、だ。原因は分かったな。そして原因が分かった以上、その原因となった人物が解決すべきだろう。ということで任せたぞ、コテツ」
「俺か」
「そうだ」
いきなり任せられて、心中で苦い顔をするコテツ。
「それと、直接的に季節はずれだからマフラーを外せと言うんじゃないぞ。落ち込むかもしれんからな」
「……なんだと」
降ってわいた無理難題に、コテツは頭を悩ませる。
「……了解した」
「クラリッサ」
「ああ、コテツですか」
シャルロッテに難題を言い渡され、一晩悩んだコテツは、偶然にも廊下でクラリッサに会うことができた。
そのクラリッサは、シャルロッテの言った通り、首には赤いマフラーを巻いている。
「ど、どうですか?」
乞うように、赤い顔のクラリッサが問いかけてくる。
「どう、とは?」
意味が分からず聞き返すコテツを、しばしちらちらと見ていたクラリッサであったが、結局、赤い顔のまま不機嫌そうに顔を逸らした。
「もう。相変わらずですね! あなたは……」
「すまない」
「謝らないでください。……まったく、何でこんな男を……」
ぶつぶつと何かぼやくクラリッサだが、最後の方には声になっていなかった。
「クラリッサ」
「なんですか?」
「君の首が見たい」
一晩悩んだ結果がこれだった。
シャルロッテが直接マフラーに触れるのは止めろと命令したのを、間違った方向に素直に受け止め、忠実に実行しすぎた結果がこれだ。
「はい?」
「君の首が見たい」
「と、とうとう気が触れましたか。コテツ」
「頼む」
真剣な様子のコテツに、クラリッサはたじろいだ。
コテツはと言えば、自分預かりの案件。要するに自分の任務になってしまったので普通に真剣である。
「な、なんでそんな真剣な……」
「冗談や遊びで言っているわけではない」
冗談や遊びじゃなく、任務で言っているのだ。
「え、えっと……、その、少しだけですよ?」
そう言って彼女は、コテツを見上げながら、マフラーに人差し指を掛けて、下に引き下ろした。
ちらりと、彼女の白い首筋が視界に映る。
コテツ、静止する。
「も、もういいでしょう!? ここまでです!」
「……ああ」
コテツはそこで任務が達成できなかったことを知った。
(……どうする?)
このままでは役目を果たせない。
(諦めるか? いや、諦めるにはまだ早い……。規定上ギリギリだが……)
コテツはクラリッサに向けて言った。
「そのマフラーだが」
「なんですか?」
すっとコテツはマフラーを指さした。
「くれないか」
恥をかかせずにマフラーを外させるには、という思考の果てに辿り着いた答えは。
「えっ」
「くれないか」
「ええ!? どうしたんですかあなたは! 何を言っているかわかってるんですか?」
「俺は今、君のマフラーを欲している」
「言い直さなくて結構です! そ、それに、マフラーなんていくらでも買えるでしょう!」
「それでは意味がない」
今は寒くなければ、ノエルにもらったマフラーもある。
自分で買ったとて本当に意味がないのは確かだ。
「い、意味がないって……」
「君のマフラーでなければ意味がないんだ」
「そ、そこまでですか」
「ああ」
真剣なまなざしに、クラリッサが折れた。
「し、仕方ありませんね……。そこまで言うのでしたら、あげましょう」
クラリッサが、しぶしぶと言った風でマフラーを解く。
瞬間、コテツは勝利を確信した。
それを彼女らしく几帳面に畳むと、コテツへと手渡す。
「ど、どうぞ」
「ああ、すまない、ありがとう。それでは、これは預からせてもらう」
「礼には及びません」
何故か誇らしげなクラリッサを背に、コテツは歩き出す。
(想定外はあったが、悪くない運びだった)
コテツは、先ほどの会話に割と駄目な手ごたえを感じていた。
(このままいけば、話しやすい人物の評価を得るのもそう遠くないかもしれんな)
その翌日。
「……クラリッサ。それは、どういうことだ」
コテツは、再び見かけたクラリッサの姿に動揺していた。
「何がですか? そんなことより、コテツ」
したり顔で語るクラリッサのその首には、真紅のマフラーがあるではないか。
「私があげたマフラーはどうしたんですか?」
「……君にもらったマフラーは部屋にある。そのマフラーは……?」
「二つめですが?」
「セカンドマフラー……! そういうのもあるのか」
「ないと洗うとき不便でしょう」
戦慄! クラリッサのセカンドマフラー。
「すまない、急用ができた」
コテツはクラリッサを振り切るように走り出した。
「あ、ちょっと!」
その声も黙殺してコテツは走る。
(……どうする? マフラーを奪い、焼却したとしても物量を投入されればふりだしに戻る。クラリッサがマフラーを購入不能になるまでマフラーを破壊しつづけるか?)
よくわからない方向に物騒な思考に至るコテツだが、何とか考え直す。
(俺の手には負えんのかもしれん)
駆け足から早足に戻り、コテツは自室へと舞い戻った。
「あ、おかえりなさい、コテツさん。どうかされました?」
出迎えるリーゼロッテに、コテツは開口一番。
「マフラーを間接的に外させる方法はないだろうか」
「……えっと、どういうお話なんでしょうか」
状況が呑み込めないリーゼロッテにクラリッサがマフラーを取らないことを説明するコテツ。
「えっとつまり、マフラーをそれとなく外してもらう方向に持っていきたいんですね?」
「ああ、そうだ」
「うん……、っと」
リーゼロッテは口元に指先を当て、考え込む素振りを見せたあと、言った。
「チョーカーとか……、首元のオシャレを渡してあげればいいんじゃ……」
「その手があったか」
クラリッサマフラー問題はあっさり解決したという。
「団長! 少し相談が……」
「なんだ、クラリッサ」
シャルロッテに相談を持ち掛けるクラリッサの首には、コテツにもらったシンプルな赤いチョーカーの姿がある。
「最近なのですけど……」
もったいぶって、クラリッサは口を開いた。
「コテツが私のこと好きすぎるかもしれません……」
「……えっと、そうか」
「私のマフラーを要求してきたり、チョーカーを渡してきたり……」
(私の差し金だ、とは言えないなぁ……、これは。だがな、コテツ、一体何をしたんだ……)
心中で何度も、シャルロッテはため息を吐いた。
「あまり、気にしなくてもいいんじゃないか?」
「そう、ですか?」
「あいつが任務に私情を持ち込むと思うか? 任務に支障がなければ好きにさせておけ」
「それもそうですねっ。そうします」
「……そうしておけ」
騎士団長の悩みの種は尽きないとか。