185話 マフラー
「ではこれを……、主様に」
そう言って彼女は、コテツにそれを差し出した。
(見違えるように成長していく。そんな彼女を――)
それを受け取りながら、コテツは彼女を見返した。
(羨ましいと思うのは、お門違いなのだろうか)
控えめなノックの音。
「誰だ?」
「ノエルです。入れて頂けますか?」
「構わない」
そう言ってコテツは、彼女を招き入れた。
入ってきたノエルの姿は、一見いつもと変わらないが、ただ一つだけ、手に持っている紙袋だけが、いつもと異なる。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
立った状態でノエルを迎えたコテツを、彼女はただじっと見上げていた。
何を言うわけでも始めるわけでもないノエルに、コテツは声をかける。
「どうした?」
「……いえ、何も」
そして、再び彼女は黙り込み、コテツを見つめる作業に戻る。
「……座るか?」
長くなるのなら、とコテツは椅子を引いた。
「ありがとうございます」
素直に椅子に座った彼女に続いて、コテツもまた、椅子に座る。
そんな中、がさりとノエルの手の中の紙袋が音を立てた。
自然と、視線がそちらに集まる。
「ノエル」
つい、と彼女は膝の上にあった紙袋を背に移動させた。
「なんでもありません。紙袋など、この場に存在しておりません」
「……そうか」
どうやら、その紙袋の存在は隠しておきたいらしい。
コテツは触れないことにした。そしてそのまま、コテツは別の言葉を捜す。
「最近、調子はどうだ」
子供とのコミュニケーションが上手くいかない父親のようになってしまった。
そんなコテツの問いに、ノエルは至極真面目に答える。
「体調は問題ありません」
「そうだな」
別にしばらく会っていない訳でもない、どころか、時折彼女は夜に部屋に来ては床を共にすることがあるのだ。
元気なことは知っている。
ちなみにだが、夜にノエルがベッドにもぐりこんでくるとき、、アンリエットは気を遣ってかいつの間にかどこかへ立ち去っている。
その気遣いが嬉しいような嬉しくないような、微妙な気分だ。
「何か、変わったことはないか? 体調不良に限らず、日常生活の中でだ」
「先日、雪が降りました」
「知っている」
途切れる会話。舞い降りる沈黙。
「……主様」
「なんだ」
「この袋が、気になりますか」
「そうだな」
すっと差し出される紙袋。コテツは頷いた。
「この紙袋には主様に渡したいものが入っていました」
「入っていた、というのは」
何故過去形となってしまったのか、コテツが問うと、ノエルは訥々と語り始めた。
「雪が降り、私はこれを作り始めました。そして、つい昨日にこれは完成し、主様に渡そうと思いました」
テーブルの上に置かれた紙袋が悲しげにくしゃりと音を立てた。
「そして、私はここにいますが……、一つ、思いました。これを渡すには時機を逸しているのでは? 主様は、迷惑と思われるかもしれません」
紙袋の中身はなんなのか。
(時機を逸した? 腐敗した食料だろうか)
それは少し困るかもしれないと、コテツは思う。
「不思議なことに、先程までは渡すことにばかり、思考を割いていましたが、今は様々なことが気になってしまいます。何故なのでしょう」
「わからん」
「そうですか」
そして、コテツは重々しく目をつむった。
「想定より早く、暖かくなってしまったので」
「そうだな。暖かさは寿命を著しく縮める」
高温では食物も腐りやすい。至極当然の返答をコテツは返したつもりである。
「魔術で冷やしておけばよかったのではないか?」
「魔術でですか? その発想はありませんでした」
ノエルは、無表情のまま、首を傾げた。
「しかしそれでは、根本的な解決にはならないのでは?」
「確かに、一時しのぎだな。解決するには、長期間保つものを作るしかない」
「長期間、春や夏にも対応した、ということですか?」
「ああ、だが、それにも限界はある。戦時中には、それでも食べることもあるが」
「……食べるのですか?」
「ああ。時にはそういうことも必要だ」
「主様の世界の戦争はそれほどまで過酷なのですね」
ノエルは神妙な顔で頷いた。
コテツもまた、深くうなずき、そして彼女への言葉を選んだ。
「ただ、今は平時だ。君の気持ちは嬉しい。だが、君の期待に添えることはできない」
そう言って彼はテーブルの上の紙袋を指さした。
「そう、ですか」
今は平時だ。進んで腐ったものを食べる訳にはいかない。
それはノエルの為にもならないだろう。
だから、彼女の為を思って断る。
すると、彼女は心なしか肩を落とし、しゅんとした雰囲気で立ち上がった。
「わかりました。このマフラーは、処分しておきます」
「……待て。食料じゃないのか」
「受け取って、頂けるのですか?」
「ああ。問題ない」
立ち上がったノエルを追うようにして、コテツも立ち上がっていた。
ノエルが、紙袋を開き、折り畳まれたマフラーを取り出した。
シックなグレーカラーのマフラーだ。
「作った、ということは、手編みなのか?」
「はい」
「君は編み物ができたのだな」
意外な特技だ、と感心するコテツに、ノエルはいつもの調子で返した。
「フリードに教えてもらいました」
「……彼も多芸だな」
見たところ、緻密な編み目、仕上がりは完璧である。
ノエルの人間性が出ているように思えた。
「本当に、迷惑ではありませんか?」
「問題ない。寒い地方に出向くこともあるかもしれん。それに」
コテツはちらりと窓の方を見た。
外は暖かな日差しで照らされ、そよ風が草花を揺らしている。
そして彼は、再びノエルに視線を向けた。
「冬は、また来る」
「……そうですか」
そうして、差し出されるマフラー。
「……ではこれを、主様に」
コテツは、それを受け取った。
「ああ、ありがとう」
受け取ったマフラーを、コテツは改めてまじまじと眺めた。
粗のない仕事だ。
感心すると共に少し、羨ましく思えた。
(発案と行動。彼女は真っ当に成長している)
何かを原動力に、考え、行動し様々なアプローチを行う。
その試行錯誤が現在の彼女であり、その原動力は彼女の言う、恋だ。
(俺も君に手を伸ばせば届くのだろうか)
コテツは、無意識にノエルへと手を伸ばしていた。
いとも簡単に、コテツの手はノエルの頬へと触れた。
「主様?」
目の前では、ノエルが首を傾げている。
(益体もない考えだ)
考えを振り払ってコテツは言う。
「すまない、なんでもない」
彼女を羨ましいと思ったのはこれが初めてではない。
これは意味のないことだと、分かっている。
「そうですか」
そう言いながら、ノエルはコテツの手へと自らの手を重ねた。
確かな体温を感じ、生きた人であると実感する。
その体温だけは人であろうとエーポスであろうと変わらない。
「君には、随分と世話になっているな。礼をしなければなるまい」
「愛は、見返りを求めないものですから。……どうでしょうか、惚れましたか」
「いや、特には。……それはさておき、何がいい?」
「しかし、本当にこのマフラーは、見返りなど、そういったものを想定して作ったものではありません」
「気にするな。日頃の感謝というものだ」
今回だけでなく、以前に剣も贈られている。
コテツにとって、無碍に扱うのははばかられた。
「なんでも構わない。俺に用意できるものであればだが」
「なんでも、ですか。わかりました」
そう言って、ノエルは歩き出すと、コテツのベッドの上に座る。
そして、靴を脱ぐと、ベッドの上で仰向けになり、上半身だけを腕で支えてコテツの方を見た。
「一人目は、女の子がいいですね」
「待て」
短い制止の言葉に、ノエルは首を傾げた。
「それ以外で頼む」
「……そうですか」
ノエルが靴を履いてベッドから立ち上がる。
「では、主様とマフラーを巻いてみたいです」
「どういうことだ?」
今一つピンと来ないコテツは聞き返す。
「そのマフラーは、通常より長く作られています」
「そうだな。いざという時には多目的に使用できそうだ」
「本来の用途は、二人同時に巻くためのもの、だそうです」
「……どういう意味があるんだ。命綱か?」
「分かりません。連帯感を高めるためでは?」
「なるほどな」
何がなるほどなのか、余人が聞けば突っ込みそうな会話だったが、あいにくと部屋には二人しかいなかった。
「それが君の望みというのならば、そうしよう」
微妙に方向性を誤りつつ、コテツはその想いに応えることにした。
軽くクリーククライトを飛ばして三十分程にある山。
早朝、二人はその頂上に立っていた。
「十分だな」
そう呟いたコテツの吐く息は白い。
山にはまだ雪が残っていた。
「では、どうぞ」
ノエルが何もない空間からマフラーを取り出した。
彼女はそのまま、コテツの首に手を回して、マフラーを巻く。
「貸してくれ」
「巻いて頂けるのですか?」
通常の数倍長く余ったマフラーの端をノエルから受け取ると、コテツはその余りをノエルの首に巻いた。
「それが作法なのではないのか?」
連帯感を高めるという用途を頭から信じ込んだ結果である。
「命綱のようなものだろう。お互いに確認しあって着用すべきだ」
「それもそうですね」
「それで、これから何をするべきなんだ」
「このまま、歩いたりするそうです」
「息を合わせる、ということか」
「それと、ヨハンナに聞いたところ、仲の良さを周囲に知らしめるとか」
「なるほどな。周囲に見せることで、自覚を促すのか」
引き続き、間違った方向に納得しつつ、コテツは頷いた。
「だが、さすがに人がいないな。失敗だったか」
「いえ、私はこれでも構いません」
そう口にしたノエルは、顎を引いてマフラーに顔を埋めた。
「……なるほど、これは良いものです」
そんな眼前の彼女を、コテツは見つめる。
「君は寒くないのか」
ノエルの格好は、いつものそれだ。
夏場でも十分通用するその姿は、この場ではいささか寒そうに見える。
「問題ありません。暑さ寒さに対しては強い方です」
確かに、SHで戦闘していれば機体内が高温に晒されることもある。
高温と共に、低温も、エーポスはそういった気温の面でも頑丈にできているのだろう。
ノエルはしれっと口にした。
「体表面が冷えて、体が振動する程度です」
「……それを寒いというんだ」
「カタログスペック上は問題ありません。この程度の気温なら生存可能です」
「生存できても寒いものは寒いか」
コテツの両手がノエルのむき出しの肩に触れる。
肌は冷たくなっていた。
「帰るか?」
来たときと同じように、クリーククライトに乗って帰れば寒さは感じないはずだ。
だが、ノエルは首を横に振った。
「もう少し、このままがいいです」
「そうか。なら、入るか?」
そう言って開かれたのは、コテツのコートのファスナーだった。
先日、フリードから受け取ったコートである。
「いいのですか?」
「今更だろう、この状態で」
「わかりました」
いそいそと、ノエルはコテツのコートの中に入り、背をコテツの胸板へぴったりとくっつけた。
「あたたかいですね」
「そうだな」
コテツには、ノエルの体はひんやりと感じられたが、頷いておくことにした。
「主様」
「なんだ」
「日の出です」
平坦に呟いたその視線の向こうには太陽が昇り始めていた。
「そうだな」
日が体を照らせば、わずかにあたたかい。
「冬が、待ち遠しいですね」
「……ああ、そうだな」
コテツは静かに目を瞑った。